楽山こそこそと悪口
 
 st氏から粘着されてます。
 楽山日記(a)2022-03-17
 
 
今回、楽山は、アメブロのほうに書いていますが、どういう基準で決めているのでしょう。こそこそと逃げ隠れしながら、自業自得が招いた居心地の悪さを、私に「粘着されて」いると言って、自分は被害者、こちらが加害者という決めつけで、憂さ晴らししたいようです。反省だけはしない楽山です。
 
コメント引用は、画像になっているので、省略します。ヤフーブログ時代のコメントですし、楽山に都合のよいものしか載せていないようだから、今も、楽山自身が、通らない一方的な自己正当化をして、訂正不能の自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だと証明しているわけです。
 
*3年
 st氏が、私に粘着してくるようになってから3年が過ぎた。
 この状態は、まだまだ続きそうなので、ここらで、ことの発端について書いておこう。
 
批判を粘着としか受け取れない精神の貧困が固定している楽山です。3年批判しても、何年批判しても、変わらないだろうということは、最初の数か月で分かっていたことです。誰も、精神を傷つける病質者の楽山に関わらないように、邪悪な楽山の情報を敷衍(ふえん)するために、批判しています。
 
*挨拶するな
まずst氏が、私に粘着しはじめた切っ掛けは、私がシャローム氏と話をしたからだった。
st氏はシャローム氏を敵視し、糾弾していたので、そんなシャローム氏と話をする私のことが許せなかったらしい。(自由=楽山です)
 
楽山は、シャロームshalomと話をしたのではなく、シャロームに賛同したのです。シャロームは、偽牧師です。「罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい」という発言で、バレたので、約10年批判して、今は所在不明です。楽山、シャローム、易坊の3人の、楽山による成りすましも疑っています。
 
*アドラー心理学
次に私は、アドラー心理学に関連して、「人は人、自分は自分」という記事を書いたのだが、これがst氏の逆鱗に触れたのだった。
 この記事内容は、シャローム氏の持論と重なるところがあり、そこが気に入らなかったようだ。
 
「人は人、自分は自分」は、節操のある大人について成り立ちますが、楽山のように、反省せず、責任を負わず、詭弁を弄し、平気で嘘を吐くような病質者には、決して成り立つことはありません。加えて、今回も同じクレームしか言えない楽山は、理解力が病質のために鈍麻して学習と成長がありません。
 
*正月
 決定的だったのは、2019年の正月だった。シャローム氏の挨拶に返事をしたら、シャロームの仲間だと糾弾された。
 
実際、シャロームに賛同したのだから、シャロームの仲間だという判断になるのは当然です。あるいは、楽山の成りすましかもしれません。今までも、多数のHNを使って、人をだまし、おとしめ、荒らしてくることで満悦するのが、楽山の趣味のようです。とても卑怯で汚い男です。
 
*モラハラ?
この後は、何を言っても否定される状態になった。
 
楽山は、反省して改めることもないので、楽山の悪意に満ちた嘘と詭弁を批判して、楽山に近づかないように、読者にアピールすることが必要です。何度も書いてきたことですが、楽山は、被害者意識に凝り固まっていることが分かります。今に始まったことではないのです。
 
「女性ですか」という質問に答えたら、それは「明確な質問ではなく、疑問です」と怒られる始末。
以上。これが、st氏から、つきまといを受けるようになった理由である。
 
「女性ですか」・・これは、覚えていませんし、意味が分かりません。楽山は、分かるように書くことが大の苦手で、いつも、曖昧にしか書けません。それを、ボンヤリ言語と呼んでいます。何度も何度も、同じことを言ってきます。大事なことは、反省して改めるか、退くことです。
 
*付記
ちなみに、この記事はツイッターなどに書いたことを補筆修正したものである。
また、ここで紹介した会話はヤフーブログのサービス終了とともに消されてしまったのだが、その内容は以下に保存したので、興味のある方は御覧ください。
 
どう「補筆修正」したのでしょう。詳しくもなっていないし、説明にもなっていないし、分かりやすくもなっていないし、根拠もなくて、いつもの悪口に過ぎません。最近は、ほぼ同じ不平不満を繰り返すだけになっています。
 
いくら保存して、ねちねちと繰り返し書いてきても、楽山が、自身の問題を認識せず、いちゃもんや文句ばかり書いてきた履歴だけが表れてきます。まだ気づかないようです。これで、反論のつもりなら笑止です。楽山の粘着性による繰り言に過ぎません。
 
自分に当てはまる「粘着」などの悪口を、こちらに向けてくるのも、以前からです。同じことばかり書いてきて、進歩がないのも、病質によるものでしょう。誰も、関わってはいけません。近づいてはいけません。楽山は、危険物、害毒、疲労と徒労と人格破壊の病原の作用しか持っていません。
 
 
陰湿に愚痴だけを繰り返す鬱陶しさ

陰湿に愚痴だけを繰り返す鬱陶しさ
 
 
(2022年03月18日)
 
 
 
  影と陰
 
雨に濡れ風に飛ばされ日に焼かれてもなお
個は個でしかあり得ないのに
ふくらみすぎた陰(かげ)の中に
ちっぽけな影が没してゆく
 
個は集まり固まり
個々は要素の数になってゆく
にもかかわらず影は
ふくらみすぎた陰の中へ向かう
埋(う)もれてゆく虚像として
 
しかし当然そこには影の存在する場はない
したがって凍結も燃焼もできないまま
伝えようとする目論見(もくろみ)は
陰という巨大な虚像の中で
鏡の枠(わく)に括(くく)られた自分が
常に自分とは違うように
すでに語るに落ちて足りない
 
だから個よ
たったひとつの
あまりにも限られた真実でさえ
もはや死ぬことでしか伝えられない
しかし個よ
しかも死をもってしても伝えられない
さらに自(みずか)ら死を選ぶことは
自らに纏(まつ)わる真偽
と虚実の伝達をも
ともに殺してしまうことに他ならない
 
 
  ずっと・冬から春へ
 
景色はまだ冬枯れ
空は霞(かす)んで
でも今日は暖かいからと
あまり気が乗らないのに
バイクに乗って
春の陽気の散漫な光の中を
冬の陰気な無表情の顔が走っていた
鼻水が少し出てきた
冬なのか春なのかと
風はずっと揺さぶり続けていたから
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 」
 
 
反省が「難しい」と言う楽山は、ときに「反省。とほほ」と書きますが、その前後で何も変わっていないことで、また「とほほ」のマンガのような軽さから、嘘だとバレてきました。自己正当化の保身のために苦情を並べても無駄なのです。被害者芝居も無駄なのです。罪にも恥にも気づかない楽山です。
 
 
 
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