ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:反省芝居

 
  反省に見せかける楽山
 
 自己愛性パーソナリティ障害とは何だろう?(2)
 2022年08月20日 楽山日記(LD)
  を抜粋して批判。
 
 
「>」~「<」は、楽山のツイートです。
 
「>>」~「<<」は、楽山が引用したツイートです。被害者でしょうか。
 
今回、楽山の浅知恵は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)つまりNPDに対する批判の記事に賛成して、反省を表しますが、その反省は、宗教のせい、実際は、HSに入って、決めつけたからだという文脈を捏造しています。
 
つまり、宗教に入って、自己中に思い込んだが、脱会したから、正常になった、という文脈を捏造して、自己愛性パーソナリティ障害NPDであることを否定したいようです。しかしNPDは、宗教のせいではなく、楽山の体質的人格障害であり、最近は、思い込みでキリスト教を否定したのです。
 
今回、恐ろしいことに、NPD批判を引用し、悪用しています。そう言う楽山こそが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)であり、決して真に受けてはいけません。今後、どう収拾を付けるつもりなのか、サイコパスの悪意の企みは、全開~崩壊です。
 
 
>>
ここで本当に私が皆様に伝えたいのは
「くだらない人間に振り回されないで自分らしく生きようぜ!」
ということです。
是非そのエネルギーを「自分のために」つかってあげてください!
<<
 
自分には、ついつい下らぬ議論に時間を費やしてしまう悪癖があるのだが、残された時間を考える年齢になったせいか、最近はようやくスルー能力の大切さが理解できるようになってきた。
賢い人は若いうちからこれが分かるみたいだけど、自分はこの年になってようやく分かったきたよ。
 
楽山は「悪癖」と言っていますが、悪癖とは思っていません。その前に「下らぬ議論」かどうかが分かるという慢心を表しています。そして「ようやくわかった」と言い、そこからダイレクトに「スルー能力の大切さが理解できる」と言っています。つまり、今は分かったから心配ないという正当化なのです。
 
さらには、スルーすることを能力と言って正当化しています。内実として誠意を持たない病的ナルシストは、スルー以外に他に身を守るすべがないからです。それを逆手に取っているのは、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山であり、決して真の反省をしないのが特徴なのです。
 
 
>>
感じ方や意見が違うというのは当たり前なんですよ。
ただ、それを許さないのはもうハラッサーの態度です。
違う意見があった時に、立場が違えば違う答えがあることを認識できずに「俺が正しい」「相手は間違ってる」と言うのはもう境界をおかしています。
これがハラスメントの根っこです。
<<
 
>>
・お前の感じ方は間違ってる
・お前の選択は間違ってる
・お前は価値が低い
これがハラスメントなんです。
一人の人間を独立した存在として認めないというメッセージを送り続けてるんです。
この毒を浴び続けると被害者は、自分の感覚を自分で信じられなくなっていくんです。
<<
 
こういう正当なことを、いくら言っても、楽山は「一人の人間を独立した存在として認めない」ので、物を言えば、ハラスメントの悪臭を発する以外にないのです。後悔しているかのような言葉を並べても、自分が悪かったとは言わず、「下らぬ議論」などと自分ではないもののせいにする因業なのです。
 
恥ずかしいことだが、とある宗教の信者だった頃の自分が、これだった。たとえば、こんな風に。
「お前が、この宗教を正しいと感じないのは間違ってる」
「お前が、この宗教を信じないのは間違ってる」
「これが分からないお前の霊性は低い」
自分が信じた宗教は、人々を一視同仁に見て、万人に通用する真理を説いているとしていたので、信仰に入れ込むほど、自他の境界は薄れ、誰もがこれを信じなければならないという発想になっていったのだった。今はどうかといえば、宗教は止めたのでこう変わった。いや変わったというより、宗教にハマる前に戻ったというべきかな。
「人には皆、個性があるのだから、ものの見方、考え方が違うのは当たり前だ。みんな違ってそれでいい
これはただの現状追認だけども、それだけに無理がなく、心理的に楽でいい。
 
楽山は、心理的には、今までずっと、楽なのです。反省せず、罪悪感がなく、思い上がって満悦してきたからです。今回は、批判され続けたので、また、新手の策略を、罠を、仕掛けています。しかも、NPD批判の記事を悪用しています。どこまで腐っているのでしょう。
 
楽山は、自己愛性人格障害NPDになったのを「ある宗教の信者だったから」と言っています。しかしアンチとなってからも、自己愛性人格障害の特徴を表してきました。人の言うことを受け取って、考えて、返すということが、全くできないし、もともと正常な理路も感性も持っていません。
 
それに、楽山の自己愛性人格障害が明らかなのを、私が見てきたのは、アンチHSを自称するようになってからです。楽山は、平気で嘘を吐きます。どうか、だまされないでください。楽山が宗教の信者だったかどうかも、怪しいと思います。楽山の自己愛は、最初から訂正不能に完結しているのです。
 
 
>>
モラハラ加害者あるある
・被害者の被害は矮小化or抹消
・被害者の罪をでっちあげ
・他人の功績は自分のもの
・自分の罪は他人のもの
・自分はいつでも被害者
・自分はいつでも正しい
…そして究極、
・これらのことに自覚がない
<<
 
これはよく分かる。
会話が成立せず、一方的に攻撃してくる相手は、大体がこういう人ばかりだ。
 
楽山は、何も分かっていません。もし本当に、分かったのなら、ここにはいられないはずですし、二度と言論者の立場にも立てないはずです。反省したふりをする自己正当化の策略以上ではなく、批判に対して、いつも、悪意による嘘と詭弁しか向けてこない楽山です。
 
だまされないでください。 「会話が成立せず、一方的に攻撃してくる」のは、まさに、楽山です。相手の言うことを、決めつけだと決めつけて、一方的に、おとしめてきます。分別がなく、共感性がないからです。都合が悪くなっても、無視スルーするか、今回のように詭弁を弄して、逆に、おとしめてきます。
 
楽山は、一方的に攻撃するという症状の自覚を、自分に当てはめることが出来ません。そして、NPD批判を利用して、反省芝居を演じています。では、どうすればよいでしょう。こちらとしては、今までと同じように、粘り強く、批判を、楽山に向けて、追いつめてゆくしかないのです。
 
楽山の反社会性と犯罪性が進行しています。他者の言葉の利用~悪用が、書物となっている故人ではなく、現存している他者になりました。病勢が増悪しているのです。今回、自らの症状を宗教のせいにして、反省芝居で、被害者を装っています。反社会性が増しています。決して近寄ってはいけません。
 
反省が本気なら、今までのことを恥じて、何も言えないし、出て来れないはずだからです。これからも、言い続けるために、理解し反省したという芝居をしているのです。状況と、理解と、発言と、行動が、矛盾しています。楽山は、何も変わってはいません。反省する楽山は、いつも、三文芝居の大根役者です。
 
楽山は、反省に見せかけて、禁じ手を使ってきました。自らのNPDを、カルトのせいにし、今は大丈夫を装う芝居です。こういう嘘は、根腐れでないと出来ないことです。徹底的に、楽山を追放する以外にないと思います。どうだ・・とばかり、楽山は自慢して、遊んでいるのです。
 
どうか、楽山のゴタクを受け入れないでください。人も、罪も、恥も、何とも思っていないからこそ、真摯な反省の代わりに、今回のような芝居を打つことが出来るのです。いつもいつも、楽山の狡猾さだけが目立ってきます。そのたびに楽山の人格破壊が進み、良心が、腐敗・崩壊・消失してゆきます。
 
 
体質的な悪意

体質的な悪意
 
 
(2022年08月22日)
 
 
 
  崩壊
 
荒れた道沿いの丘を走っていく
両手で抱えているのは黒い棒切れ
迷彩服は朝日に照らされて
丘の上これ以上狙いやすい的はあるまい
墨でも塗っているのか
黒人なのか
それとも焼け焦げているのか
黒い顔は眼だけがむき出しの形相で
崩れるように走っていく
わからない
よっぽどつらいことがあったんだろう
 
昼の光の陰の通り
近寄って来て声をかけてくる
「@×~※〇÷#&▽=∞+?・・・」
何か尋ねているように聞こえるが
内容が聞き取れない
崩れるように近づいて
崩れるように何度も声を向ける
恥も外聞もないかのように
自らを投げ出している
わからない
よっぽどつらいことがあったんだろう
 
いっそ崩れてしまえば
本当は赤ん坊になって
胎児になって
宇宙か天空へでも帰りたいのだが
もうこんなに歳を経てしまった
黄昏の地平に砕かれて
粉々になってしまえば
黒い顔のまま倒れて
丘の下の草原へ転げ落ちてしまえば
@×~※〇÷#&▽=∞+?
投げ尽くしてしまえば
声が音になって
引き裂かれたあとの沈黙が
静けさになって引き裂かれたあとの
地獄が天国に・・・
 
そんなにも虚無を
求めるかのようでありながら
引き金のない銃に
空(から)の薬きょうを込めて
崩れかけた顔に
水の化粧をして
崩れかけた声に
塩素の泡を流して
目覚めれば今日も
自らに迷彩を施している
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
楽山は、思い切って、逆に、批判者を、恐らく、私を、逆に、自己愛性人格障害のように言っています。自分が言われてきたことを、逆に、相手に当てはめることで正当化を謀れるとでも思うのでしょうか。楽山が、今まで批判を無視して続けてきたことは、嘘と詭弁で騙して刷り込むことでしかなかったのです。
 
楽山は、自分が自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)であるのに、まるでカルトの被害者であったかのような大芝居をしていますが、収拾がつかなくなったらどうするつもりなのでしょう。パニックへと向かう焦燥を感じますが、自業自得の自己破壊は、どうしようもありません。
 
楽山は、病的ナルシストであり、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)です。サイコパス(精神病質、反社会性パーソナリティ障害)と呼ばれます。訂正不能、無反省、無責任など、多くの特徴を持ちます。手段を選ばなくなったら、とても危険です。決して関わらないでください。
 
楽山という病質者に対しては、コメントの遣り取りで疲労し、うんざりしたという経験を持っています。ゆえに、その後は、直接の遣り取りを避けて、記事やツイッターの批判を3年余り続けてきました。楽山の気取りや陰湿な当てつけに、できるだけ冷静に対処するためです。
 
楽山は、とても陰気な人です。批判を書いていると、こちらも、くさくさしてきます。何か言われると、相手を、うんざりさせて退かせることが、楽山の常套手段だったのかもしれません。ゆえに、楽山との直接の遣り取りをして、こちらの感情を乱すことは、何よりも禁忌です。そのことも、書いてきました。
 
どうか、楽山と、直接の遣り取りは、決して、しないでください。記事やツイッターなども見ないほうがいいです。楽山は、交流の場に、いてはならない人です。人権を考えても、表現の自由を考えても、詭弁と嘘で、相手の心をかき乱す楽山は、有害です。楽山と交わって、得られるものは、疲労だけです。
 
決して、楽山と関わってはいけません。楽山が、何か尋ねてきても、精神衛生のためだと思って、無視してください。楽山は、言葉が表す理路や共感を、言葉で逸らしながら迷路に誘導してきます。この記事においても、自己正当化と他罰性の醜さが表れています。楽山は、百害あって一利なしです。
 
体質的な人格障害ですから、改善することはないと思っておくべきです。そうすることで、楽山の言説の中の、どう考えてもおかしいというところを、ある程度、冷静に批判することが可能になります。でも、ふつう、楽山に対しては、批判するより、無視してください。自分の、精神衛生のためです。
 
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
エメラルド星氏の間違いを修正しときます。
× 当会では、人間の精神を向上させるものであれば、どのようなものを勉強してもかまいません
○ 当会では、大川総裁の教えに反しないものであれば、どのようなものを勉強してもかまいません
 
楽山は、間違いを修正と言っていますが、これだと、楽山がORの教えに反してはいけない、言い換えると、ORの教えを盲信していると受け取られても不思議のない命題になっています。長いこと芝居ばかりしていると、芝居が当たり前になって、正しさが混乱してしまうのでしょうか。
2022-8-21-18:25
 
 
 
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  楽山の反省芝居
 
 『知的生活の方法』渡部昇一著
 2021年12月27日 楽山日記(LD)
  を批判。
 
 
楽山は、反省文らしきものを書いてきました。とても浅い、おふざけに過ぎません。既に、3年が過ぎ、無反省と無責任では済まないところに来ています。それでも、呆れるほど、全ての非を無視したまま、書くことで済ませようとしてきます。楽山が書けば、批判記事が付いてくる、という成り行きが続きます。
 
*内容
『知的生活の方法』を読み返してみた。前半は知的生活の基本(自分に正直であること、繰り返して読める愛読書を持つべきことなど)が説かれており、後半は知的生活を継続する上での注意点、教訓などがいくつも紹介されている。
 
知情意の全てが不足~欠損している楽山が、「知的生活」などと言っています。気取りを隠さなくなったようです。正しい教訓を真摯に受け止めているなら、現在のような嘘と詭弁のお気楽山にはならなかったはずです。また、嘘を吐きました。信頼度ゼロらしい日々を過ごしているようです。
 
*反省
前は本書を読んで、わくわくして前向きな気持になったものだったが、今回はそれよりも自分の未熟さを思い知らされた気分である。
 
「わくわく」しなくなったのは、高等感情鈍麻が進行したからでしょう。「未熟さを思い知らされ」ているなら、今回の記事は書かなかったはずです。楽山の言葉が、楽山の嘘を知らせています。
 
まず一つは、自分は克己心が弱まり、背伸びした読書をしなくなっているということである。著者は楽しみとしての読書だけでなく、意志を用いた読書もしているらしい。でも最近の自分は、後者の読書はさぼっているので、ここは直したい。
 
「背伸びした読書」とは何でしょう。楽山が、これ以上背伸びしたら、恐怖です。「意志を用いた読書」とは何でしょう。楽山は、誇大妄想的に、いい言葉を拾っては自分に当てはめてきただけでしょう。実に、お気楽に、「ここは直したい」と言って、忘れてゆく楽山です。
 
もう一つは、未読本を追いかけてばかりで、同じ本を繰り返し読むことを怠っているということである。本を十冊読むとしたら、そのうち二、三冊は過去に面白いと思った本の再読にしてみようかと思う。三つめは空間確保である。こればかりは良い案は浮かばず、今後も改善できそうにないのが残念。とほほ
 
楽山は自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の精神病理から言葉を選んでいるので、「とほほ」が読者に対して失礼だということが分からないのです。ならば、反省して、自らの書いてきたことを否定するしかありません。この3年間は、「とほほ」で済む話ではありません。
 
病質のために無反省だから、おかしな文章を書いてくるのです。言い換えれば、「とほほ」と言えば反省したことになると思う心性が、病質なのです。真剣味が、そこで、打ち消されるということです。「とほほ」と書くくらいなら、「改善できそうにない」なら、書いて公開するべきではないということです。
 
この他にも反省点は多くあるのだが、とにかく今回は自分のふがいなさを痛感した次第である。でも落ち込んでいても仕方がないので、自分なりに状況を改善する努力をすることにしよう。
 
「反省点」「ふがいなさ」「痛感」「改善する努力」・・今までのことがなかったら、うっかり真に受けてしまいそうな、優等生の真似をする楽山です。しかし、無反省で、言葉だけで、努力というものをした跡が、この3年間、表れたことはないのです。楽山が、否応もなく、楽山の失格を表しています。
 
「状況を改善する努力」という当たり前のことを、全然、してこなかった楽山が、今さら、何をするつもりなのでしょう。楽山には、何を言っても信じてもらえず、相手にされなくなって、独り言だけの日々が待っているとしか思えません。人間で在り続けることから、どんどん、遠くなるでしょう。
 
(ネットより)
イソップ童話のひとつ「オオカミ少年」。「嘘をつく子供」というタイトルでも知られています。ではまずあらすじを簡単に紹介していきましょう。
ある村に、羊飼いの少年が住んでいました。退屈しのぎに「オオカミが来たぞ!」と叫んでみると、大切な羊が襲われたら大変と、大人たちが武器を持って大慌てで飛び出してきます。しかしオオカミはどこいもいません。
大人たちは少年を叱りますが、少年はその後も懲りることなく嘘をついては、慌てる大人たちの姿を見て面白がっていました。
ところがある日、本当にオオカミが現れます。少年は慌てて「オオカミが来たぞ!」と叫びましたが、もう大人たちは誰も彼の言うことを信じてくれません。
結局助けは来ないまま、大切な羊たちは皆オオカミに食べられてしまったのでした。
このあらすじから転じて、「オオカミ少年」という言葉は、嘘をくり返して信用されなくなった人という意味をもつようになりました。
 
まさに、楽山は、ひどい目に遭うまで恐れを知らぬ、嘘吐きの、オオカミ少年の、成れの果てに向かっています。本当に危ない時に、崖っぷちの大事な時に、誰にも助けてもらえない人生です。
 
 
自滅の刃

自滅の刃
 
 
(2021年12月29日)
 
 
 
  書いていたい
 
一日に一つ二つ
日記のような
ポエムのようなものを書いて
故意に嘘はつかず
あまり人になつかぬくせに
一人芝居が癖で
過ちは悔い
罪は背負い
背負いきれずに倒れ
倒れたままにも耐えきれず
倒れた先に小川でもあれば
小川に映る泡の光に
泡の笑みを流して
古い韻律の流れを見送って
見送る人はなく
居場所はなく
在る場所にいて
一日に一つ二つ
過ちのようなものを書いていたい
 
 
  世辞の思い出
 
あの日しらじらしいお世辞を言われて
真に受けて
しくじった
あのときから嘘をつくことを覚えた
実際はもっと前から嘘をついていたのだが
初めて嘘をつくということを考えた
自分から出る嘘に気づいてしまった
お世辞
世辞
世・辞
今も華やかな君の住む国では
標準語なのだろう
その言語を嫌いになったばかりに
しくじり続けている
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山の嘘と詭弁と罪と偽善が「人間の性」であるなら、とうに人類は滅びています。楽山の被害者は、おとなしく退いてゆく人ばかりではないと思います。楽山が良心のある人ではないように、この地上には、良心のない人が、いっぱい、います。心からの反省は、そういうこの世を生きるためです。
 
人間でなくなるばかりではなく、人体ですらなくなるような危うい道を、楽山はさまよっているのです。オオカミ少年みたいな楽山が、嘘吐きが嘘吐きに出会うと、サディストがサディストに出会うと、いつか、路地裏に転がり、がけの下に潰れ、海面に膨らんで浮かぶような惨事もあり得るでしょう。
 
 
 
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