楽山の痴的生活
 
 『知的生活を求めて』渡部昇一著
 2021年10月17日 楽山日記(LD)
 
 
(ネットより)
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日[1])は、日本の英語学者、歴史家、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。
 
批判されて、弁明できないのに、また書いてくるというのが、不感不応で、病識のないサイコパスの特徴です。自己愛性人格障害だからでしょう。楽山は前に、"スルーする" とか言っていましたが、要するに、無視することしかできないという証拠の履歴になります。
 
*概要
本書の前半は、体が弱い著者がいかにして健康を保ちつつ知的生活を送ってきたかが語られ、後半はもっぱら健康法について語られている。その中では下痢対策はいかにも効果はありそうである。興味のある方は本書で直接確認することをおすすめしたい。
 
楽山は、自分が精神の健康を保ち得ないために、健康法について読んでも偏向し、書いても偏向してゆく特徴があります。ここでは、不健康に気づいておらず確認できない楽山の欲望と意地から、破綻して危険な自己満悦の下痢が続いているだけです。
 
したがって、健康のための対策や効果など、全く期待できない雑言だけになっています。本を読んで、このような短い記事一つで感想を終わらせること自体が、異常なのです。今までも、ずっと、そのような安易な短絡で書いてきたことに、気づくことはなかったのです。
 
*肉食肯定
本書では宗教に関連した話題もあり、その中で興味深かったのは肉食に関しての話だった。
著者は元々は肉は食べられない質だったが、大学に入って神父の話を聞き、人間には魂はあるが動物はそうではないと確信し、その後は肉を食べられるようになったという。この確信と行動を一致させるために一度だけ蛙を踏み潰してみたこともあったそうだ。
 
「大学に入って」から「神父の話を聞」いてから「人間には魂はあるが動物はそうではない」と確信するというのは、少し変ではないでしょうか。だから、肉を食べられるようなったというのは、もっと変ではないでしょうか。本当に著者のことでしょうか。
 
考える職業の人とは思えないです。楽山は、文脈を間違えて読んではいるのではないかとさえ思います。楽山のように、自己中に、自分に都合のよいところだけ読んで書いてゆくやり方だと、文章の随所に誤読や曲解が入ってくるのかもしれません。
 
健康法と知的生活について書くのに「蛙を踏み潰し」たことを書く必要があるでしょうか。著者が楽山と同じ残酷な変態だと言いたいのでしょうか。楽山は、不正直な虚言が当たり前になっている変態ですから、文章を書くセンスがないことが分かっています。
 
また、霊媒師が死んだペット(犬)の霊を呼び出すことができなかったことも動物には霊魂はないことを確信する遠因になったともいう。人霊を呼び出すことができる霊媒師であっても、もとから存在しない動物霊は呼び出せないのだと。
 
霊魂がないのを、霊媒師によって知るというのは、本当に、著者の文章なのでしょうか。楽山が書きそうなことです。学者が、霊魂を信じているのでしょうか。楽山なら、霊が分かるっぽい自覚の変態で異常者だから考えられますが。
 
これらは自分には理解し難い考え方ではあるが、著者のようにはっきり割り切ることができるなら余計なストレスはなくなるだろうし結構なことではあるかもしれない。
 
楽山は、自分に似ているから、「理解し難い」と書きながら「はっきり割り切る」「ストレスはなくなる」「結構なこと」などと、賛同しています。ここで疑問をいだかない楽山は「かもしれない」などと語尾を濁しても、異常です。
 
*蓄積効果
知的生活についての話では、勉強の遅れていた者が地道な努力を重ねるうちに急に周囲が目を瞠るような実績を上げはじめただとか、クラシック音楽のよさが理解できなかった著者が、クラシックを聴き続けるうちにある日突然クラシックに感動できるようになったというように蓄積効果に触れた箇所は実に興味深かった。
 
著者は、楽山が好きになりそうな心霊オタクなのでしょうか。楽山が勝手に妄想を込めているだけなのでしょうか。「蓄積効果」について書いています。それは、努力した人に恵まれるものであって、自己中の怠慢は、幻の満悦に依存して悪酔いするだけです。
 
(ネットより)
蓄積効果:
薬剤を反復投与したとき,初回の投与時よりも著しい効果が発現する現象.
蓄積作用:
〘名〙 薬物をつづけて服用する場合に、薬物が体内に蓄積して、過量に服用したのと同じ中毒作用を現わし、危険な中毒症状を呈すること。
 
楽山は、恐らく、心霊的インスピレーションみたいに受け取って、自分も今そうなんです・・とでも言いたいのでしょうか。しかし、楽山ブログのどこにも、そのような目覚めは感じられません。いつも、うんざりするような退屈で幼稚な文章ばかりです。自己愛毒の蓄積作用でしょうか。
 
努力は必ず報われるとは限らないことは承知しているが、それでも自分のように天分に恵まれない者にとっては努力が報われた話は愉快なものである。こういう希望を持てる明るい話はいつ読んでもいいものだ。渡部昇一の著作は、ただ読むだけで前向きな気持にさせてくれるのでありがたい。
 
楽山に「天分に恵まれない」自覚があるなら、とっくに書くことを遠慮しているでしょう。ずっと、学者気取りで思い上がって書いてきたことが、そして、批判されても、返せないことと、ブレーキが効かないことが、既に、この謙虚芝居を全否定しているのです。
 
楽山は、努力したことはないと思います。何故なら、自己愛性パーソナリティ障害NPDは、既に完全に出来ている自分を訂正不能にしているからです。「希望を持てる明るい話」「前向きな気持にさせてくれる」・・楽山は、無根拠に、努力もないで、希望ではなく、欲望と妄想を持っています。
 
楽山は、このように、有名人の話を、自分の都合に勝手に引き寄せて、自己正当化に結びつける病質者です。楽山の引用は、悪用と言っていいでしょう。楽山の読書は、妄想から多幸症を呼び覚ます手段に過ぎません。有名人を引き寄せる謙虚芝居、だまされてはいけません。
 
 
※ 
 
前の記事で、楽山が画像で示して、賛同していたツイートについて、引用元のツイートをあげておきます。
 
 自分の意見を言うのはワガママなのだろうか?
 幸福の科学とは何だろう? 2021年10月16日
 元ツイート
 
 
共依存克服・夫婦問題カウンセラー 大村祐輔
@takeheart_d
たまに「自分の意見を言うなんてそんなわがままなことできません」とおっしゃる方がいますが、自分の意見を言うことは普通です。わがままではありません。
午前0:27 · 2019年2月1日·Twitter for iPhone
 
「自分の意見を言うことは普通です」・・これで楽山は自己正当化したいようです。自分の意見に責任を持つ範囲での話です。楽山は、平気で嘘を吐き、詭弁を弄し、訂正不能の自己愛性パーソナリティ障害NPDです。精神衛生のために、誰も関わることのないように、批判を続けています。
 
共依存克服・夫婦問題カウンセラー 大村祐輔
@takeheart_d
·7月12日
返信先: 
@takeheart_dさん
「状況を考えずに自分の意見を何が何でも押し通す」というのならわがままになりますが、「自分の意見を言う」という段階ではわがままにはなりません。モラハラ加害者や毒親は、相手が自分の意見を言う、というその段階で、相手のことを「わがままだ」と言うことによって意見を言えなくさせて支配する。
 
楽山は、状況も、それまでの文脈も、無視して、詭弁で、繰り言のような宗教否定を繰り返します。その多くは、印象操作であり、キリスト教に対する偏見を語り、訂正不能です。その都度、否定してゆくしかありません。丁寧だというだけで肯定し、刷り込まれてしまう人がいるからです。
 
共依存克服・夫婦問題カウンセラー 大村祐輔
@takeheart_d
当たり前のことを書きますが、「自分の意見を言う」ことと「自分の意見を押し付けない」は両立しますからね。
「自分の意見を言う=相手に押し付ける」と思ってしまっている人が結構います。
「私はこう思う」は意見を言っているだけで、「私はこう思うからあなたもそう思いなさい」が押し付けです。
午後11:55 · 2021年8月2日·Twitter for iPhone
 
趣味とか語っているのではなくて、真実というテーマで語る場合、相反する意見がある場合は、説得するか、修正可能であるか、控えることです。根拠もなく言い張り続ける楽山は、訂正不能の自己愛性人格障害なので、修正することも、控えることも出来ません。言論が成り立たない人です。
 
 
恣意の謙虚芝居

恣意の謙虚芝居
 
 
(2021年10月18日)
 
 
 
  秋の日・一
 
歩いているようないないような
振り返れば誰もいない
前を向き直しても誰もいない
そういうシーンが幾度となく繰り返されて
芝居は終わった
帰ろうと立ち上がれば舞台もない
出口に向かおうとすると客席もない
さわやかな秋の日だ
 
 
  点滅信号
 
いつまで繰り返すのだろう
不在と存在の
今夜も独り芝居
丸く浮かんだ眼は
フロントガラスに一瞬
するりと映りはするのだが
目指す先はいつも違っていて
差し伸べる小さい光は
バックミラーからも逸れて
すでに次の光の道程へ
車の喘ぐような
吐息が遠ざかる
 
 
  繰り言の目
 
また引っ張り出すのか
泣くこともできないくせに
それとも時々引きつけみたいに
顔をわなわな震わせるのは
泣いているつもりか
 
それに時々独りの部屋で
ホーとかガーとか奇声を発するのも
笑っているのではなさそうだな
テレビのお笑いにも
顔の肉は薄暗く弛んだままだ
 
最近ちょっと変なのは
前にも言ったようなこと
また今になって並べるのは
言ったこと忘れてしまったのか
 
繰り言という兄弟だ
愚痴も兄弟だ
引っ張り出すことが勝手でも
長いこと涙したことないだろう
 
歪んだ分別が邪魔しているのか
その赤い結膜の炎症の眼
涙一滴も落としていないくせに
つり上がって尖った細い眼で
強がるのだけは止めてくれ
 
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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