時と風2
時は風のようなものだ
あの日の時と
今の時と
それほど変わりはない
同じような時が日々の必要を告げる
あの日の風と
今の風と
それほど変わりはない
同じような風を頬に受けている
私たちの変わりようといったらどうだろう
時は風のようなものだ
流れてゆくようで
流している
流れてゆくのは私たちのほうだ
私たちは時ではない
私たちは風ではない
時も風も空しさを感じない
感じるのは私たちだ
私たちは
時に乗じて風のように進むのではない
時にも風にも限りはないが
私たちには限りがあって
時にも風にも変わりはないが
私たちは変わりがあって
必要に応じて
受けたものを返してゆく
感じるから返してゆく
※
あの日の時も風も知らないのに
まるで比べるかのように
未知の終わりに向かって変わり続ける自分
そういう悲哀に共感できる人は信仰に向いている。
一方で、そういう共感を全く持ち得ない者がいて、反信仰しか語れなくなっているが、そういう者が、なぜ、生まれて、存在しているのか、という疑問は、神がいるのに、なぜ、悪があるのか、という疑問とともに、神の大きな懐に秘められているのです。
(2019年04月)
(2020年04月25日、修正)
(2021年05月20日、加筆して再録)
(伝道の書、口語訳)1:14
わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
(伝道1:14、旧約聖書)
(伝道の書、口語訳)
2:25
だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。
2:26
神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
(伝道2:25-26、旧約聖書)
(伝道の書、口語訳)
4:15
わたしは日の下に歩むすべての民が、かのわらべのように王に代って立つのを見た。
4:16
すべての民は果てしがない。彼はそのすべての民を導いた。しかし後に来る者は彼を喜ばない。たしかに、これもまた空であって、風を捕えるようである。
(伝道4:15-16、旧約聖書)
信仰を持ち、日々、何かを努めるとしても、私たちは、時が経てば、寿命が尽きていなくなる存在。「風を捕えるようである」≒ 私が読んだ聖書の訳「風を追うようなものだ」、つまり、私たちは空しい存在だ。この地上の世界は、限りある私たち人間にとって、空しく思えてならない。
そのことを強調しながら、伝道者が伝えるのは、2:25にあるところの、神を離れては楽しめない、≒ 神がおられるからこそ楽しめる、という教訓的な讃美になっている。
地上の人の生き様が、いかに空しいかを説きながら、神のもとで楽しむことを説いている。いわゆる神への、逆説の讃美歌となっている伝道の書。私は、そういう伝道の書が好きです。
(2020年05月02日)
※ 近況
母は、4月30日、肺炎で入院しました。入院は、介護施設に入ってから3回目、今年2回目です。入院手続きとともに、ドクターからの説明あり、熱も下がって、肺炎は治りはするが、繰り返す可能性、急変もあり得る、そういうときの延命処置をするかどうか、など、要するに、"いつでも死にうるから覚悟せよ"的な説明を受けました。頷くしかない。
母は97歳、尿路感染と肺炎を繰り返せば、でこぼこのダウンスロープは、だいたい分かる。
入院手続きの話と、書類が、保証人、支払い、小物の申込書、日常の洗濯物、タオルなど、わぁ、私に聞かれても分からないことも多くて、私は、お世辞にも、まめな孝行息子ではないので、介護施設に連絡を取って、病院に電話して決めてほしい旨お願いして、前回、ハンコを忘れたので、今回は持っていって、書類は病院で書いて済ませて帰ってきました。
母はコロナの肺炎ではないようですが、慎重さが求められており、面会は出来ませんでした。今は元気だそうです。
(2020年05月01日の近況)
母は、腰の骨を折って、整形外科入院。そこで認知症が明らかになって、小規模多機能介護施設入所。肺炎や尿路感染で内科入院。そして、リハビリのために老健施設入所、そして、先月、有料老人ホーム入所となって今に至ります。面会もコロナ禍の影響で少なく、ときに必要な物を持っていって帰って来るという程度でした。
コロナについては、検査も、ワクチンも、未だです。親子共々、年が寄って、世間のことからは関心も離れてゆく感じになっています。どっちが先に・・・なんてことも考えますが、分からないことだらけで、神にお任せするしかないのです。せめて、日々の暮らしに、心が荒れませんように。拝。
(2021年05月20日、現在の近況)
少年と空
少年は空に焦がれる
少年は病んでいた
少年は口笛を吹き
歌を歌った
歌は空に流れ
きらめく無数の塵となって消えた
野に遊ぶだけの
少年の毎日
いつか風が吹いていた
いつか草が倒れていた
日は暮れつつあった
燃えるように誰もいなかった
少年が空に投げた希望も、夢も
やさしさも、光も、鏡も、人形も
ついに空に届くことはなかったが
夕暮れ、赤く焼けた大地に
空はどこまでも
少年の面影を追い続けた
口笛は空に焦がれる
口笛は病んでいた
(90年代か)

時と風
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