ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:崩壊

 
  楽山の失禁
 
   呪いの言葉(st氏のツイートより)
   2022年01月06日 楽山日記(LD)
 
 
また、私の発言を、断片的に引用していますが、思慮の乏しい楽山は、量だけで勝負するか、今回のように、引用するだけみたいになります。私は私の記事の引用は復習として利用するだけです。楽山は、感情の処理も思考の整理も出来ないようです。退行が起こっているのかもしれません。
 
呪いと言えば、楽山の今までの記事がそうです。特に、この記事もでしょう。私の意見が呪いだという証明も、その根拠も書かずに、後半にポンポンと説明もなく、短く書くだけで、楽山の怨念が発泡しているようです。堕ちてゆくサイコパス楽山の悲鳴が聞こえてくるだけです。
 
*誹謗中傷
前の記事では、st氏のツイートのうち、比較的おちついたものについて感想を述べた(1、2)。
今回は、悪口ツイートについて感想を述べておきたい。
 
インテリ気取りの楽山は、今度は、本気でディスってやるぜ・・みたいなことでしょうか。どこまでも、楽山は、自分が上だという信念~妄想的確信が根底にあるのが分かります。うわべだけ冷静を装っても、卑しい根性は、記事の構成や内容に、滲み出てくるのです。
 
最近の私の記事は、コピペして、ほぼ全部、ツイッターになります。それが何だというのでしょう。
 
 
(私の記事の引用)
 
 「
 
楽山には、冷血はあっても、「冷静」はありません。楽山は、正当な対話が出来ません。不快なことや都合の悪いことは無視します。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)なので、自己中の単方向しか持っていません。それを、丁寧語で、ごまかしているのです。
 
(私)
楽山やシャロームという病質者は、ガス抜きが必要なほどに、何の役にも立たない雑言を、殆ど発作のように繰り返すのです。聞く者の理路を混乱させ、ボンヤリさせて、その深い情緒や理性を破壊するためです。その先には、人格破壊が待っています。どうか、この二人に近づかないでください。
 
知情意の全てが不足~欠損している楽山が、「知的生活」などと言っています。気取りを隠さなくなったようです。正しい教訓を真摯に受け止めているなら、現在のような嘘と詭弁のお気楽山にはならなかったはずです。また、嘘を吐きました。信頼度ゼロらしい日々を過ごしているようです。
 
「状況を改善する努力」という当たり前のことを、全然、してこなかった楽山が、今さら、何をするつもりなのでしょう。楽山には、何を言っても信じてもらえず、相手にされなくなって、独り言だけの日々が待っているとしか思えません。人間で在り続けることから、どんどん、遠くなるでしょう。
 
楽山は、先入観と偏見と妄想で、いつも、「決めつけて」きます。そして、他者のの言葉を、都合のよい言葉だけ、都合の良い方向に、引用して、味方が多いように見せかけてきます。一般常識がありません。良心がありません。たくさん成りすましていると思います。
 
 」
 
どこに書いたか、確認する気もないですが、全て本音なので、この私の文章に、特に、訂正したり書き加えたりすることはありません。楽山は、引用して、・・それだけなのでしょうか。何も書いていません。扱えないのでしょうか。混乱して面倒臭くなってきたのかもしれません。
 
 
*相変わらず
一連のツイートを見ての感想は、およそ三つある。
まず一つは、st氏は相変わらずだということである。
ヤフーブログ時代は、シャローム氏に対してこの手のことを書きなぐっていたが、今は楽山に向けて書くようになり、いずれ他の人をターゲットにして書くのだろう。
 
私は、相変わらず、一途に、言論不可の無反省男を、批判し続けています。つまり、批判対象になるのは、楽山のような、無反省、無視、自己中、訂正不能で、その割に、理路も感性も乏しい幼稚な思い込みの言を吐く者です。それを指摘して、批判しています。「相変わらず」だから、何なのでしょう。
 
そういう批判対象となる人が、かつてはシャロームshalomであり、今は楽山ということです。おかしいと思うから、他の人が知らないで関わって酷い目に遭うことのないように、批判して、少しも改善が見られないから、批判を続けて、さらに、近づかないように、呼びかけています。
 
楽山は、やたら誰でも批判しているという印象を吹き込みたいのでしょうか。さすが詭弁畑に生えた拙劣な荒らし根性のやり方です。下等な詭弁で何か良くなると思うなら、それこそが、悪と偽善の証明になるということが分からないのです。
 
*投影
もう一つは、今回もまた自己紹介ばかりだということである。
st氏のことを知っている人なら、これらのツイートを見れば、「なあんだ。自分のことばかりじゃん」と言うだろう。
 
楽山を批判しているのに「自己紹介ばかり」というのは、どういうことでしょう。やはり、楽山は、日本語が苦手のようです。自己顕示という意味なら、それは、まさに、楽山が、詭弁と嘘と妄想によって、ずっと続けていることであります。
 
*可哀想
最後は、こういう呪いの言葉を吐き続けないではいられない状態は、よほど苦しいだろうということである。本当に気の毒だ。st氏が癒やされ、救われることを祈りたい。
 
呪いと批判の区別もつかなくなっている楽山です。やはり、思想も宗教も信仰も、その理路を理解することも、感性を受け取ることも、楽山は出来ないのです。単方向の自己中と自己愛から語るということは、こういう有り様になってしまう・・ということを自ら表してしまう成り行きです。
 
「st氏が癒やされ、救われることを祈りたい」・・今までと同様の白々しい大嘘です。何故なら、この記事も、私をおとしめる内容でしかないわけです。そこで、このようなことを言う白々しさが、まさに、証拠になるでしょう。楽山は、そんなことも分からない人です。
 
今回は、前にも増して、楽山の自己崩壊が進んでいると思われます。結局、追及されると、正当な理路を養い損ねている自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は、思想と言論がバラバラになって成り立たなくなってしまうようです。
 
一つの極端な人格の悲劇がここにあります。相手を可哀想だと憐れむ、という陳腐な嘘を吐き、自己顕示に浸って、自分はまともだと思い込んで、言い張って、強がって、訂正不能のお山にふんぞり返っているサルを表してしまいます。人間性の崩壊による獣性の尿便失禁です。哀れです。
 
 
楽山は今まで一見理性的に見える丁寧語で、実は詭弁の刷り込みで、弱い人を餌食として、好きなように誘導してきました。それは悪なのに、楽山は、それが自分の徳?であるかのように錯覚して慢心しているのかもしれません。しかし、無反省、無責任は、結局、赦されることはないのです。
 
呪いは楽山の大好きな超常ホラーの武器です。批判は、邪悪に対する人間の現実的な言論の武器です。批判を呪いの言葉としか受け取れない楽山は、理路も共感もないことを証明して、自ら言論など何も出来ませんと宣言しているようなものです。
 
楽山は、重要なテーマについて何の説明も出来ないので、超常ホラーの世界に生きて自己満足し、自己正当化して、他者を呪いと決めつけることで、結局、自らに、自ら、自らの呪いを招くブーメランの因業ワールドを這い回っているのです。
 
私は、一所懸命、考えて書いていますが、楽山は、つながりのない文章で、理路もなく、インパクトもなく、少ない材料の手持ちのセリフを投げて、パンパン、ブンプンと、悪口がカンシャク玉のように、弾けているだけです。悲しみを知らず、泣けない男の、ギクシャクした精神の折れ方のように思われます。
 
 
あはあ・・の強がり

あはあ・・の強がり
 
 
(2022年01月08日)
 
 
 
  小用
 
家に居場所がない
行く場所はない
里に帰る
大した用事はない
里に居場所がない
また帰る
帰る場所はない
大した用事はない
どんどん移る
居場所を気にしなくてすむ
車の中がいい
小用ばかりで馬鹿らしい
身も心も失禁したい
また場所を探している
 
 
  自慰昇天
 
モチベーションはマスターベーション
安らかに小便を漏らす
御襁褓(おむつ)は吸収し
我慢できない失禁を捕捉(ほそく)して
じんわりと温もりを返す
微笑する快感は逝く
退(ひ)きもせず進みもせず
ポエジーはオナニー
女に抱かれる心地よさで
係累を裏切ってゆくオーガズム
 
 
  運命の紙
 
運命は常に初め隠れており
やがて必ず顕(あらわ)れる運命にある
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
予(あらかじ)め定められた結果の連なり
として諦めるか
未決の前に立ちはだかる障壁
として抗うか
定め あるいは宿命
一本の紙巻き煙草を吸うにしても
瑣事(さじ)の酷なことよ
何の気なしに指が動くほどに
気晴らし・気分転換・暇潰し・・・
動脈硬化・虚血性心疾患・肺癌・・・
喫煙と禁煙
愛煙と嫌煙
権利と義務 自由と責任
ニコチンかタール
子宮から骨壺
すべて綯(な)い交ぜに
どれかを放棄し
どれかを選択し
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
巷にいる限り
骨牌のように
巡ってくる
紙を巻け
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも/楽山日記3さんがリツイート
精神科医Tomy
@PdoctorTomy
相手が捨て台詞を吐くときは、
正しい対応をした証拠よ。
目論見が上手く行かなかったから、捨て台詞吐くしかないってことよ。
安心しましょ。
午後3:19 · 2022年1月4日
 
今回の楽山の記事に当てはまると思われます。長い目で見れば、嘘吐きで詭弁屋の楽山の目論見が、うまくいくことはありえないのです。ゆえに、文法評価が出来ないまま、引用して、断片的なクレームを書いてくるのでしょう。私は、安心しません。楽山に、安心はありません。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山は、自分がまともだと思い込むことで、何も学習せず、その結果、とても悲惨な頭と心の崩壊を招いています。それを「人間の性」などと誰でもあるみたいに言うことで、見苦しさが増して、何も気づかないから、防ぎようもなく、フンドシが、ぱらっと落ちる日が来るのを、今も知らないのです。
 
 
 
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  楽山の崩壊
 
 2021年03月25日
 家田荘子さんをめぐって(宏洋と広報チャンネル)
 幸福の科学とは何だろう?ブログ(楽山)
 
 
(ネットより)
家田 荘子(いえだ しょうこ)は、日本のノンフィクション作家、高野山高等学校非常勤講師、高野山真言宗大僧都。家田荘子オフィス所属。マネジメントはエクセリングと業務提携。
 
*霊言は信じる? 信じない?
宏洋氏と家田荘子氏のコラボ動画が発表され、それに対して幸福の科学の広報チャンネルが物申してた。
ここでは動画の発表順に並べておく。
 
霊が分かるっぽい?という霊能者気取りの楽山が、「霊言は信じる? 信じない?」などと言っています。白々しい限りです。
 
(動画省略)
 
*感想いろいろ
以下には、動画を見た感想を書いてみる。
広報チャンネルでは、家田荘子氏は「霊言は本物」と明言したかのような言い方だけども、実際はもっと控えめな言い方だと思う。
 
ちなみに、楽山が、前に自分について言っていた「霊感の一種」は、丁寧語ですが、決して控えめな言い方ではないと思います。何故なら、霊と霊能力について、しばしば、話題にしてきたからです。また、「心の理論」という心理学の話を、心霊の話にすり替えたこともあります。
 
「自分は多少冗談っぽい言い方をしたので、笑ってもらうのはいいけど、おばさんたちは仏様の気持ちは全然感じないっぽいのには驚いてしまった。」
「仏様が喜んでるか、悲しんでるか、怒ってるか…そういうことは何となしに感じるものだと思うんだ。」
「ちなみに自分としては以前は、これは霊感の一種なんだろうと思ってた。でも近頃は、「心の理論」の延長上にあるという説に説得力を感じてる。相手の心を推測する機能が拡大されて、人以外の存在…仏様、神様、ご先祖様に向けられたのではないかと…。」
 」
 
心理学の話である心の理論を、いくら延長しても、霊感の話にはなりません。推測する機能がいくら拡大されても仏様やご先祖様などの超常の存在を推測することはありません。推測するには根拠がありますが、楽山の霊の話には根拠が全くないからです。
 
特に、楽山は、精神も推測も貧弱ですから、こういう、あからさまな間違いでさえ、訂正することがありません。訂正不能の確信~信条だと思います。自分には、霊能力があるんだ・・と言いたいために、とても幼稚な詭弁を振り回しています。
 
家田荘子氏の動画の方が、宏洋氏の動画よりも和やかな雰囲気のように感じられる。宏洋氏の動画を先にとり、家田荘子の動画はあとに撮ったということだろうか。
とすると、家田荘子氏は宏洋氏に気を使って霊言を信じているといった可能性はあるのではないか。会って間もない対談相手の実父をエセ霊能者呼ばわりすることなんてできないだろうから。
 
「気を使っ」たかどうかについて、楽山に分かることはないでしょう。楽山は全く気を使えない人だからです。心が無いものだから、机上の辻褄で思いつくことを言っているに過ぎないと思います。人間を見るセンスの無い人は、宗教を見るセンスもないようです。
 
霊現象を信じる人は、霊現象の真偽判定はゆるくなりがちだが、家田荘子氏もその傾向はありそうだ。
 
宗教についての楽山の真偽判定は、ゆるいどころか、全くのデタラメです。自分のことを棚に上げて、他者のことばかり、どうのこうのと言うのは楽山の特徴ですが、人のことを、とやかく言う資格も能力も、楽山にはありません。
 
他の人の意見では、家田荘子氏は、大川隆法による霊言のことをよく知らないで言っているのではないかだとか、大川隆法の霊能に疑念を提示すると、自身の霊能の真実性にも疑念が及ぶことを恐れたのだろうというものもあった。どれも一理ある。
 
どこが「一理ある」のでしょう。人の霊能力の話です。つまり、信じるかどうかの話です。楽山は、人の霊能の真実性を云々しても、自身の霊能を疑う気はないようです。
 
楽山は、何も学ばず、何も反省せず、何の責任も負わず、何の根拠もなく、霊能を気取れば気持ちがよくて、その勢いで、人のことばかり書けるのは、自己愛性パーソナリティ障害だからでしょう。
 
家田荘子氏が駆け込み寺の話をしているのを聞いて思い出したが、幸福の科学は清水富美加の出家騒動の時に、自分たちは駆け込み寺の役割を担っているとしていたのだった。今でもそのようなことを行っているのだろうか。
「設定崩壊」って、これまでさんざん言われてきたから、同じ言葉を言い返したいだけだろう(笑)。
 
意味がよく分かりませんが、楽山の場合、いかなる設定も、自己愛から出ていて、根拠を示すことがないため、理路として崩壊してゆく必然になります。あるいは、何らかの精神病理や欲求不満や怨念で、楽山が時に見せるところの、時と場合にそぐわない不自然な「(笑)」は、真剣味や深みのない異常者の笑いとして説明が可能になるかもしれません。
 
自分は、大川隆法による霊言は信じていないせいもあってか、それを本物だとする意見には厳しい見方になってしまうのではあるが、上の動画を見て、大体このような感想を持った次第である。
 
楽山は、誰も、何も、信じていないと思います。誰かを、何かを、信頼することも信用することもないでしょう。楽山にとって、他者は、都合のよいところを利用するだけの対象物なのです。
 
楽山が、HS批判をしているつもりなのは、自分が変質ナルシスト批判を受けていることを隠すためなのでしょうか。楽山は、一方では、キリスト教への、批判ではなく、否定を続けているのです。
 
 
 
 宏洋氏はまた嘘をついたのか?(宏洋と広報チャンネル)
 2021年03月27日
 幸福の科学とは何だろう?・・楽山ブログ
 
*しつこい
広報チャンネルの宏洋批判はよく続くなあと思うのだが、もうかれこれ「宏洋氏に物申すシリーズ」は110回なのか…。まあ、しつこさについては、自分も人のことは言えないのだが(笑)。
 
「(笑)」・・またしても、楽山は、真剣味もなく、何を笑っているのでしょう。これは、批判でも忠告でもなく、揶揄、ひやかし、あざ笑い、の類であります。自虐にしても、楽山は、こういうことしか書けないのでしょうか、他に実のあることを何も書いてないのは。
 
批判者の資格もなく能力もなく、楽山が、しつこく書くことは許されないのです。しかも、楽山のしつこさには、根拠が無く、説明の理路が破綻しているために、説得力がありません。退屈で、真に受けると、疲労と徒労が増すだけであります。
 
そして、楽山を批判すると、それに対して、楽山は、基本的に無視してきますが、前に、st問題などと題して、悪口、いちゃもん、詭弁、そして、明らかな嘘までも、平気で書いてきました。楽山は、そういうことしか書けないのです。楽山は、うさんくさい詭弁の例でしかありません。
 
・出家で芸能界電撃引退のトップ女優と婚約破棄で教団教祖の父と絶縁/名誉毀損で2億の請求
 
動画省略。
 
・宏洋また嘘!「出家で芸能界電撃引退のトップ女優と婚約破棄」?両性の合意なしに婚約などありえない。【宏洋氏に物申すシリーズ110】
 
動画省略。
 
このように、引用・悪用、つまり、ゴシップでも何でも、他者の言葉と資料を借りる、本の言葉を恣意的に利用する、・・それ以外、何も出来ないのが、楽山です。正常な議論の邪魔でしかない、余計な宣伝マンなのです。しかも、すべて、楽山自身の自己愛と快感のためです。
 
理路が成り立たない、高等感情が鈍麻していて、共感、罪悪感、羞恥心、反省力、修正能力、学習と成長の意欲と能力、などがない。不備の自覚がないのは、自己愛性パーソナリティ障害のために、自分を斬ることが出来ず、反省せず、学習機能がないためです。
 
*話題
広報チャンネルの動画は、ツイッターで話題になっていたので見てみたのだが、自分もこのツイートと同じ感想だ。婚約があったかなかったかは傍からはわからないし、現状では事実上の引退だろうし、女優として優れているにもかかわらず、一般の映画、ドラマに出演できていないのであればその方面では干されているということなのだろう。
 
明らかにゴシップですが、宗教について、真面目な話が出来ない楽山は、こういうネタに飛びついて、興味本位の悪意を増幅しています。しかも、それで、「(笑)」って満悦しているのです。
 
どういう病気になれば、このように、遊びだけで、真剣なカルトの問題に、口を挿んだり、それで、笑ったりできるのでしょうか。恥ずかしくないのでしょうか。どこまで、サディスティックに他者を舐めたら気が済むのでしょう。
 
真実の追求から最も遠いところで、滑りっぱなしのピエロが、楽山です。
 
 
崩壊

崩壊
 
 
(2021年03月29日)
 
 
 
 楽山のツイートです。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
『運命の開拓』は、大川隆法の著作の中では、最も格調高い文体だったし、自分の先輩会員もかなり熱心に読み込んでたのだけど、だからこそ落とされてたのかもね。
大川隆法は自分より人気があるものは、人でも霊でも神でも、みんな嫌いみたいだから…。
絵文字(青ざめた顔)
午前9:03 · 2021年3月27日·Twitter Web App
 
「格調高い」と、褒めたり、「落とされてた」と、けなしたり、忙しい楽山です。
 
似たようなこととして、取り入るために書いているだけで、明確な主張がないために、肯定を書いて、否定を書いて、断定していないからと責任を全く負わない、という、以前からの楽山の特徴です。
 
楽山は、自分と、自分を満悦させてくれる霊の話以外は、人でも神でも「みんな嫌い」です。楽山に受け入れられていると思ったら、だまされているということです。
 
その結果、楽山の書いたものを「熱心に読みこんで」近ければ近い人ほど「青ざめた顔」文字の用途にしてしまう楽山です。
 
分かりやすいカルトとも違います。楽山は、ボンヤリ言語で真面目を装い、トホホ言語で同情をひきます。全部、「絵文字」のような芝居です。
 
楽山の言の、うわべだけの中身の薄さと軽さ、生きている実感と真剣味の乏しさ、非を求めない無反省と無責任、という、自己愛性人格障害の特徴を、見抜けるようになってほしいです。反省、共感なども、字面の抽象だけ書きますが、前後の文脈につながっておらず、実感のないものです。
 
楽山の、言葉をわざとらしく書くだけで、感情・情緒の深さを表せない筆致に気づいてください。楽山は、深く考えることも、共感することも、病質のために出来ないのです。
 
楽山の、高等感情鈍麻による基本的に乏しい表情と、時に前の「(笑)」のようにニヤニヤするのとか「ははは」の高笑いとかを、思い浮かべながら、楽山の文章を読めるようになってください。
 
他者の感情を表す「みんな嫌いみたいだから…」という婉曲表現と、「絵文字(青ざめた顔)」で、それこそ、ヒエーこわいよね・・、みたいに誘導する書き方しかできない楽山です。
 
楽山は、感情・情緒について、表現する標(しるし)としての言葉を持っていても、切実な中身を持っていない、すなわち、真に喜ぶことも悲しむことも出来ない人です。
 
自分の表現がないのです。楽山が、本や他者の文章を読むのも、リツイートするのも、学ぶためではなく、自分の都合に合わせた言い回しを拾って、利用・悪用するためです。
 
 
 
 楽山に似た筆致の raku という人のツイートです。
 
raku
@rakusyo34
宗教アンチを見てて、素朴に思ったこと。
僕も宗教反対なのだが、
アンチ同士でなぜ反発するんだろう?
同じ目的、目標なら手を取り合っていけばいいのに、と思う。
なぜなんだろう?
同質は反発するから?
#宗教 #反対 #あんち #アンチ
午後0:21 · 2021年3月5日·Twitter for iPhone
 
自称アンチの楽山は、誰とも、「手を取り合」うなんてことは出来ないと思います。「同質」でもありません。書くものによって、真実を求める人々の邪魔だけをしてきます。
 
楽山は、偽者です。アンチではなく、野次馬です。いないほうがいい人です。自己顕示のために、アンチのふりをして、実は、自分の霊能を信じていますし、自分信仰の自己カルトを、宣伝しているような楽山ブログなのです。楽山とは、誰も、信頼関係は成立しないと思います。
 
楽山は、いくつかのキャラへの成りすましの疑いがあります。疑われていながら、それでも書いてくるのは、楽山が、危機意識もなく、罪悪感もなく、分別・反省力・責任感もない病質者だからなのです。高等な精神機能がないために、深いものを感じることが出来ないのだろうと思います。
 
楽山のような、思い込みが前提となって、訂正不能になっている心性では、正常ならば気づくことが、汽車の窓から見る風景のように、実感のない乾燥した絵の流れように見えるのかもしれません。深い意識を集中することが出来ないのです。
 
自己愛に囚われることは、人間を人間らしくする一番大事なものを捨てることです。
 
 
(2021年03月29日)
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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