飲兵衛さんの思い出。再録+
学生時代の思い出です。
 
 
  飲兵衛さんの思い出3
 
 
昔学生の頃
バイクで帰ってきて
路地へゆっくり入ったところで
赤いお鼻の飲兵衛さんが
バイクに近寄ってきて
紙切れのようなものを差し出して
訳の分からないことを
たいそう不機嫌そうに言うもので
うるさいから無視して進もうと
エンジンを吹かし始めたら
怒ってバイクの前に
立ち塞がってしまった
 
腹が立ったが顔を見ると
やり場のないものが鬱積しているらしい
どうしよう
このままでは帰れない
無理にバイクを前進させれば
ぶつけて怪我をさせるか
喧嘩になって
こちらが怪我するかも知れない
 
しかたないと諦めて
エンジンを止めて紙切れを見た
数字が書いてあった
電話番号のようでもあるが
よく分からない
近くの通りの公衆電話のことなど
首をかしげながら話していると
顔が和んできたのに気づいた
 
最後にはニコニコ
笑って通してくれた
気づいた
怒った飲兵衛の話など
まともに聞く人はいなかった
皆ごまかして逃げるか
力ずくで押しのけるか
 
しかしこの飲兵衛さんにだって
プライドがある
あちこちで角を立てながら
さらに傷つきながら
求めていたのだ聞き手を
 
関わるまいと逃げる人から
聞く人へ
キーを回して
エンジンを止めるという行為
それは聞き手になりますよという
こちらの意思表示になったのか
 
あのとき思った
案外、精神科医に向いている
かもしれないという見込み
は見事に外れたが
患者になってしまった今は思う
心を病んでいる人も
それぞれの精神の
受け皿を持っている
 
 
(1999年06月26日)
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思いがけず、自分が和ませた、癒したかのような気持ちになっていましたが、飲兵衛さんもいろいろです。乱暴な人もいるかもしれません。
たまたま、そういう飲兵衛さんに出会ったひとときの間、そういう出会いによって私が、ある意味、
思いがけず、和んだ、癒された、つまり、そういう飲兵衛さんがいて、よかった、ほっとした、
という思い出かもしれないと今は思っています。
 
飲兵衛(のんべえ)
怪我(けが)
塞がる(ふさがる)
鬱積(うっせき)
喧嘩(けんか)
和む(なごむ)
 
 
 
  武装
 
 
正直は
単なる道徳ではない。
 
正直と正直は
解決を見出すかもしれない。
 
飾りと飾りは
どこまで行っても飾りだ。
 
偽りと偽りは
どこまで行っても偽りだ。
 
偽りと正直は
加害者と被害者を生む。
 
怒りと怒りは
衝突して何も見出さない。
 
怒りは一時的だが
根に持つと怨念になる。
 
大切なのは基本的に
神に対しても人に対しても
できるかぎりの
正直で武装しておくことだろう。
 
 
(2020年04月)
 
(2021年04月21日、再録+)
 
 
正直で武装

正直で武装
 
ここで、武装とは、暴力の用意ではなく、向かい合う用意ということです。それが生き方を決めてゆくのです。
 
それが全くできないし、する気もないような人がいて、表面的な優しさ芝居で、怨念を隠し、付き合えば、気色の悪い疲労をもたらし、迷惑だけを掛けてきます。
 
復習みたいなものですが、楽山は、罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい、という信条に賛同しました。どう見てもキリスト教の信条ではなく、むしろ、反キリストの信条です。そこから、今まで、約2年余りの楽山批判が続いています。
 
楽山の正当化に、"人それぞれ" だから自由だ、という言い分がありますが、これが詭弁で、キリスト教の信仰が、"罪を認める" でも、"罪を気にしない" でもいい、自由だ、なんてことは、ありえないわけで、前者しかありません。極めて、初歩的な人間の理路が、楽山には成立していません。
 
(2021年04月21日)
 
 
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