ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:悲哀

 
  泣けない2 
 
 
悲しい時に泣けるならば、泣けるだけ泣いたほうがいいです。泣くのは、一種の、感情の発散です。鬱(うつ)になると、泣けなくなるときがあります。むしろ、表情は、冷たく、うつろになります。感情のエネルギーが落ちているからです。そのときは、生存していることだけが必要です。
 
キリストは、人の悲しみに共感しました。その結果、楽山やシャロームのような傲慢な偽善者によって十字架につけられたのです。主イエスキリストを思うと、泣けないときにも、極めて、原始的に、時間の経過に身を任せて、生きるほうを選択しているという経験があります。
 
泣けない悲しみのときには、理屈を考えないで、ぼうっとしていてもいいから、時の過ぎゆくに任せて、眠るか、この世を、遠く近く、眺めていましょう。人間の過ごす時間は、悪い時も、良い時も、過ぎてゆく定めを持っています。その先に、生きておれば見えてくるものがあるでしょう。
 
 
  信じること
 
信ずるに足るものなど
何もない世にあっても
信じなければ生きてはいけまい
 
疑いながら助かっている
疑心のうちに
僅かの優しさを持ちうるなら
暗鬼のうちに
人は人を赦せるだろうか
許せるだろうか
 
老人が首と胴体を自由にして倒れ
走る少年がふらふらと目的地を忘れ
遠くで逃げ水が
歩む足を消してゆく猛暑の
ある夏の日
部屋の隅に横たわっている体が
生体であっても死体であっても
許せるだろうか
 
信じなくても
死ぬことはできようものを
肉体だけが
無価値に存(ながら)えること
許せるだろうか
 
急に声をかけられたように慌てて
調子外れに「はいぁ・・・?」と
答えたつもりで
眠った肉体を残して去ってゆくこと
許せるだろうか
 
ひとりひとりが「らしさ」という虚像を追いかけ
虚を衝(つ)き実を取る世にあって
衝くことも取ることもできないまま
ある夏の日
じっとり熱と汗に塗(まみ)れて
生きながら腐ってゆくような
肉を掴(つか)んで確かめるもの
許せるだろうか
 
許されるだろうか
ゆっくり体を起こして
渇いた咽喉(のど)から溜息を吐き
儘(まま)ならぬ不意の眠りから
信じているのかいないのか
また目覚めている
 
無価値に存えることをお赦ください。
 
 
  泣けない
 
を見たときから
夕日の逆光の下へ落ちていく
牛の群れのように
低く
うろたえる
うごめき と どよめき
 
を見せたときから
単純に解明されて
売り物にならなくなった
ひきつった笑い
すなわち泣きを
遠巻きにする無関係
 
を知ったときから
言い返す言葉もなく
息さえ圧力をもって
それた視線を押してくる
鈍い黒光りの
ふつうであった
 
ををを
 
 
  荒療治
 
ダニか他の虫刺されか
赤いブツブツ
かゆいけれど
かけば汁が出てひろがる
悪いものはたいていそうだ
 
毒には毒をと
タバコの火、近づけて
熱さが、痒みから痛みへ
一、二秒がまんして
軟膏を塗る
 
この荒療治は、しばしば
やり過ぎて水疱をつくる
 
破って中の液を
ティッシュで吸い取り
また軟膏を塗る
 
何カ所かやって
ひとつだけ治らない
絆創膏でかぶれて
ますます赤くなって痒い
悪いものはたいていそうだ
 
またタバコであぶったり
ちり紙でゴシゴシこすったり
手持ちのあらゆる軟膏を塗ったのち
愚かなことをしたと気づく
愚かなものはたいていそうだ
 
無価値に存えることをお赦ください。
 
 
悲しみを知って、人は成る

悲しみを知って、人は成る
 
 
(2021年12月24日、再録+)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
注意しても、批判しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もせず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、誰にでもあることのように、醜い言い訳をしていますが、コメント1.の主旨を詭弁で言い換えています。楽山固有の罪と偽善です。
 
 
 
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  時と風2
 
 
時は風のようなものだ
 
あの日の時と
今の時と
それほど変わりはない
 
同じような時が日々の必要を告げる
 
あの日の風と
今の風と
それほど変わりはない
 
同じような風を頬に受けている
 
私たちの変わりようといったらどうだろう
 
時は風のようなものだ
 
流れてゆくようで
流している
 
流れてゆくのは私たちのほうだ
 
 
私たちは時ではない
私たちは風ではない
 
時も風も空しさを感じない
感じるのは私たちだ
 
私たちは
時に乗じて風のように進むのではない
 
時にも風にも限りはないが
私たちには限りがあって
 
時にも風にも変わりはないが
私たちは変わりがあって
 
必要に応じて
受けたものを返してゆく
 
感じるから返してゆく
 
 
※ 
 
あの日の時も風も知らないのに
まるで比べるかのように
未知の終わりに向かって変わり続ける自分
 
そういう悲哀に共感できる人は信仰に向いている。
 
一方で、そういう共感を全く持ち得ない者がいて、反信仰しか語れなくなっているが、そういう者が、なぜ、生まれて、存在しているのか、という疑問は、神がいるのに、なぜ、悪があるのか、という疑問とともに、神の大きな懐に秘められているのです。
 
 
(2019年04月)
 
(2020年04月25日、修正)
(2021年05月20日、加筆して再録)
 
 
 (伝道の書、口語訳)1:14
わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
 (伝道1:14、旧約聖書)
 
 (伝道の書、口語訳)
2:25
だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。 
2:26
神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
 (伝道2:25-26、旧約聖書)
 
 (伝道の書、口語訳)
4:15
わたしは日の下に歩むすべての民が、かのわらべのように王に代って立つのを見た。 
4:16
すべての民は果てしがない。彼はそのすべての民を導いた。しかし後に来る者は彼を喜ばない。たしかに、これもまた空であって、風を捕えるようである。
 (伝道4:15-16、旧約聖書)
 
信仰を持ち、日々、何かを努めるとしても、私たちは、時が経てば、寿命が尽きていなくなる存在。「風を捕えるようである」≒ 私が読んだ聖書の訳「風を追うようなものだ」、つまり、私たちは空しい存在だ。この地上の世界は、限りある私たち人間にとって、空しく思えてならない。
 
そのことを強調しながら、伝道者が伝えるのは、2:25にあるところの、神を離れては楽しめない、≒ 神がおられるからこそ楽しめる、という教訓的な讃美になっている。
 
地上の人の生き様が、いかに空しいかを説きながら、神のもとで楽しむことを説いている。いわゆる神への、逆説の讃美歌となっている伝道の書。私は、そういう伝道の書が好きです。
 
 
(2020年05月02日)
 
 
※ 近況
 
母は、4月30日、肺炎で入院しました。入院は、介護施設に入ってから3回目、今年2回目です。入院手続きとともに、ドクターからの説明あり、熱も下がって、肺炎は治りはするが、繰り返す可能性、急変もあり得る、そういうときの延命処置をするかどうか、など、要するに、"いつでも死にうるから覚悟せよ"的な説明を受けました。頷くしかない。
 
母は97歳、尿路感染と肺炎を繰り返せば、でこぼこのダウンスロープは、だいたい分かる。
 
入院手続きの話と、書類が、保証人、支払い、小物の申込書、日常の洗濯物、タオルなど、わぁ、私に聞かれても分からないことも多くて、私は、お世辞にも、まめな孝行息子ではないので、介護施設に連絡を取って、病院に電話して決めてほしい旨お願いして、前回、ハンコを忘れたので、今回は持っていって、書類は病院で書いて済ませて帰ってきました。
 
母はコロナの肺炎ではないようですが、慎重さが求められており、面会は出来ませんでした。今は元気だそうです。
 
(2020年05月01日の近況)
 
母は、腰の骨を折って、整形外科入院。そこで認知症が明らかになって、小規模多機能介護施設入所。肺炎や尿路感染で内科入院。そして、リハビリのために老健施設入所、そして、先月、有料老人ホーム入所となって今に至ります。面会もコロナ禍の影響で少なく、ときに必要な物を持っていって帰って来るという程度でした。
 
コロナについては、検査も、ワクチンも、未だです。親子共々、年が寄って、世間のことからは関心も離れてゆく感じになっています。どっちが先に・・・なんてことも考えますが、分からないことだらけで、神にお任せするしかないのです。せめて、日々の暮らしに、心が荒れませんように。拝。
 
(2021年05月20日、現在の近況)
 
 
 
  少年と空
 
少年は空に焦がれる
少年は病んでいた
 
少年は口笛を吹き
歌を歌った
 
歌は空に流れ
きらめく無数の塵となって消えた
野に遊ぶだけの
少年の毎日
 
いつか風が吹いていた
いつか草が倒れていた
日は暮れつつあった
燃えるように誰もいなかった
 
少年が空に投げた希望も、夢も
やさしさも、光も、鏡も、人形も
ついに空に届くことはなかったが
夕暮れ、赤く焼けた大地に
空はどこまでも
少年の面影を追い続けた
 
口笛は空に焦がれる
口笛は病んでいた
 
(90年代か)
 
 
時と風

時と風
 
 
 
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