昔書いた詩
 
昔載せた、さらに昔の、詩のようなもの
 
 
 
  きっと恥
 
引きつって声にもならず
みすぼらしい人格を残したまま
端から端へ滑って転んで
探し物でもしてるふり
山に入るか川に潜るか
きっと答えは街の中
こだまして泣いてこぶだらけ
 
 
  きっと夜の部屋
 
換えたばかりの蛍光灯
これでパッカパッカと黒ずんだ
口を開けたり閉じたりを
当分は見なくてすむのだが
昼間より明るいわけはなく
後ずさりの気配の後
スイッチ切って
ドアを閉めた途端
闇という闇は押し寄せて
大きな大きな目を開けて
この夜は一体だれのもの
きっと朝までにらめっこ
 
 
  挨拶したので
 
「やあ」
「おう」と
手を上げたまではよかったが
そのときパリッと欠けてしまったので
とりあえず型だけ取って帰った
大きくも小さくもない
部屋のすみで
ほこりをかぶって
ひびわれたそいつの
名前をまだ思い出せないでいる
 
 
  流れ星みたので
 
またひとり
この世の果てのような
草も木もない崖っぷちに立って
靴を脱ぎ
手を合わせ
誰かにあやまって
ひょいと飛び降りたとき
飛んできた花火が
ぐさあと首の後ろに突き刺さって
しばらく噴射しつづけたので
うっかり軌道に乗ってしまって
落ちつづけてる奴がいる
 
 
  まずい味噌汁のんで
 
足元をすくわれたと思って
ポンと辞表を置いて
「くそくらえ」とでも言ってから
帰ってきた腐った脳みその
脳だけ置き忘れてきたので
俺の椅子に誰かがすわり
俺の机に知らない本が積まれ
ガヤガヤと会話が音になり始める
今朝を日常だと思ってしまう
 
 
 
  信じること
 
信ずるに足るものなど
何もない世にあっても
信じなければ生きてはいけまい
疑いながら助かっている
疑われながら助けてはいない
疑心のうちに
僅かの優しさを持ちうるなら
暗鬼のうちに
人は人を許せるだろうか
許せるだろうか
老人が首と胴体を自由にして倒れ
走る少年がふらふらと目的地を忘れ
遠くで逃げ水が
歩む足を消してゆく猛暑の
ある夏の日
部屋の隅に横たわっている体が
生体であっても死体であっても
許せるだろうか
信じなくても
死ぬことはできようものを
肉体だけが
無価値に存(ながら)えること
許せるだろうか
急に声をかけられたように慌てて
調子外れに「はいぁ・・・?」と
答えたつもりで
眠った肉体を残して去ってゆくこと
許せるだろうか
ひとりひとりが「らしさ」
という虚像を追いかけ
虚を衝(つ)き実を取る世にあって
衝くことも取ることもできないまま
ある夏の日
じっとり熱と汗に塗(まみ)れて
生きながら腐ってゆくような
肉を掴(つか)んで確かめるもの
許せるだろうか
許されるだろうか
ゆっくり体を起こして
渇いた咽喉(のど)から溜息を吐き
儘(まま)ならぬ不意の眠りから
信じているのかいないのか
また目覚めている
 
 
 
  神という存在
 
神は、
存在であり本質であり真理であるが、
存在者(≒概念化できる既知のもの、譬えれば、見えるもの)ではない。
 
神は他のものを必要としないという意味では
自立存在のような気もしますが
そういう存在だとしても、人の立場で考えるとき、
神は、人にとっては、
人が関わられることの中でしか、
その一部さえ、知り得ない御方であり、
神からの、人との関係で、自らを顕す御方であって、
人から論理的に、こういうものだというふうには、
神との関係も存在も、概念のようには、
説明することは出来ないと思っています。
説明できたら、それは神ではなく存在者に過ぎないのです、
 
神から顕されたことによって
人は、人の言葉で、ある程度は神について語れるが、
人の言葉で神を語り尽くすことは出来ないと思っています。
そしてその追究されるべき未知の最大値「ある程度」が
人にとっては、とても大事であり不可欠ともなりうるような気がします。
 
 
 
天上の知恵

天上の知恵
 
(2022年02月13日)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山は、どんどん恥ずかしい人になってゆきます。楽山が何か書けば、そこに、楽山の履歴として体質として、悪意、芝居、自慢、自己中、嘘、詭弁、などが、必ず表れてくるのです。それを、その人の筆致と呼んでいます。書き癖と言ってもよいでしょう。筆致は、その人の人生を表すことになります。
 
責任を負うこと・・「難しいんだよなあ」・・人間なら、責任を負うのは当たり前のことなのです。「人間の性なんでしょうかね」・・違います。まともな人間ならしないことを楽山はしているのです。人間一般ではなく、自分の失敗は自分の責任です。
 
 
 
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