ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:決めつけ

 
  楽山の児戯性2
 
 『竒談の時代』百目鬼恭三郎著 2020年05月16日
 楽山日記(LD)への批判記事を再録+
 
 
楽山は、今までの心霊や超常の話を、子供じみた空想話を出して、ごまかそうとしています。見苦しい言い訳ですが、楽山は、それで済むと思ってしまう人なのでしょう。恥とか罪とかを知る正常な心が無いからでしょうか。
 
 
本書は日本の古い書物にある不思議な話を分類、整理、紹介したものである。頁を繰ってみると、死後の世界や生まれ変わりについての項目があったので、とりあえずその部分だけ読んでみたのではあるが、どうも結論としては、著者の書きぶりからゆくと、それらはみな事実であるというよりも、生きている人々の作り話ということになりそうだ。こういってしまうと何やら身もふたもない話だが、どうもそれが現実であるらしい。
 
まわりくどい筆致です。「古い書物にある不思議な話」について「作り話ということになりそうだ」と書くことで、宗教一般を否定したいのでしょう。しかし、前の記事で、生まれ変わりを信じることができれば便利などと言ったのは、フィクションから何も学べない、「身もふたもない」楽山です。
 
つまり、楽山は、超常が大好きで、日常が大嫌いなのでしょう。霊が分かるっぽい?立場から、たくさんの記事を書いてきたのも楽山です。宗教と信仰を、超常現象でしか考えられず、かつ、そこから学ぶ教訓もない楽山は、勉強嫌いの怠け者と言うしかないのです。
 
心理学の「心の理論」という話を、霊の話にしたのも楽山です。心理学は、心理について語るのであって、霊について語りません。奇跡について、行き詰まりの循環論法を書いておきながら、分かったかのような筆致を捏造して、成り立たないデタラメを、もっともらしく見せていたのも楽山です。
 
楽山の話こそ、「身もふたもない」デタラメなのです。こういう人に、宗教とは何か、真実とは何か、などについて、決して、議論しようなどと、思ってはいけません。混乱し、思考と感性が鈍くなり、果ては、人格が破壊されるでしょう。どうか、関わらないでください。
 
(ネットより)
身(み)も蓋(ふた)もな・い の解説
言葉が露骨すぎて、潤いも含みもない。にべもない。「そう言っては―・い」
 
幼稚な超常の空想で、キリスト教とキリスト信仰を、否定したり、深く信じないほうがよい、などという、わけのわからない信じ方に、おとしめようとするのが、楽山です。楽山は、宗教を信じないのもよくないが信じ過ぎるのもよくないと言って、何の方向も示せない言論のクズです。
 
自分が間違っていたことを認めて修正・訂正するのではなく、くどくど言うだけで、何も実のあることが書けないのは、その場その場で、理解も努力もせず、自分の都合の良いように、ねじ曲げて否定するだけで、いい加減に書いてきた、いちゃもん屋だということを表しています。
 
 
まず死後の世界の話については、その形成過程をみると、人々の疑問に答える形で拡充されて行っており、はじめの嘘を正当化するために、後から話をつけ足していっているようだし、生まれ変わりについては眼前の不条理を我慢し、やりすごすために、前世の因業という話をこしらえ、それが広まったということのようだ。
 
「はじめの嘘を正当化するために、後から話をつけ足していっている」のは、それこそ、前からの、楽山の筆致、というより、楽山の、日常的な、詭弁の営みのようなものです。もちろん、ペテンの営みです。このように、自分の書いたことに、楽山は斬られ続けているのです。
 
今ここで、戒める側にいるかのように言っていることは、楽山が、まとまった思想を持たず、いい加減な人物で、平気で嘘を吐き、その誤りを認めて反省~謝罪~訂正することなく、別のことや、逆のことを、また平気で言うような、空想と思い付きだけの人であることを表しているのです。
 
自らの不全や欠陥を他者のせいにして、自分はそれを指摘しているかのような書き方をすること自体が、楽山という人が、言論というものについて、非を認めることのできない自己中の卑怯者であり、自己顕示欲だけがあって、無反省であり、信頼できない人であることを逆に表しているのです。
 
 
こうしてみると不思議な話は信じ込むのでなく、自分の生活をよくするための方便として聞くか、エンターテイメントとして割り切るのが無難のようだ。
 
言ってみれば、楽山は、ずっと、人を惑わし、だますことを、エンターテインメント(娯楽)としているのです。そして、楽山には、身勝手で、邪悪な、ふざけたライアーゲームの娯楽しか生き甲斐がないのでしょう。関わる者にとっては、大迷惑であり、下手をすると犯罪に結びつくものです。
 
今まで、学者気取りで、批評家気取りで、楽山の書いてきたことを、今さら、エンターテインメントだと言えば、それはそのまま、楽山は、遊びで、キリスト教とキリスト信仰をけなし、遊びで宗教や心霊について、ねちねち書いてくる変態だということです。思想の芯となるものが何もないのです。
 
 
ちなみに余談ながら、自分の周囲にも前世を記憶する子供たちのようなエピソードはある。あくまでも知人の話ではあるが、彼は幼かった頃、生まれる前のことを知っていると言っていて、両親からそんなことがあるわけがないと笑われると、決まってこう答えたそうだ。
「ぼく、お母さんのお腹の中にいるとき、おへそから外を見てたんだもん。だから、みんな知ってるんだもん」
彼は今はもう幼かった頃の自分がそんな荒唐無稽なことを言っていたことはすっかり忘れてしまっているのだが、両親はいまだにこれを笑いの種にするので閉口しているとのことである。
 
楽山の幼児期のことでしょうか。のちに親から聞いた話みたいなことでしょうか。それで、楽山は、ずっと、自分は特別だ、霊の世界が分かるんだ、と思うようになったのでしょうか。
「心の理論」で、仏様の気持ちが分かるっぽい自覚を語っていた楽山です。安易に超常に感情移入する傾向があるのでしょう。
 
楽山が、このように書くのは、まるで真剣味がなく、今まで書いてきたことなんか、オチャラケですよ、・・と言っているようなものであり、そのことは、楽山が、いかに、お気楽に、嘘を吐く人であるかを表すことになるのです。
 
ふつう、そういう人は、叱られて、書くことを禁止されるか、恥ずかしくて自ら控えるものですが、楽山には、その気がなく、何とか、冗談として乗り切れると考えているわけだから、あきれます。つまり、楽山は、言論者たる資格と節操を何も持っていない自己愛だけの人です。
 
つまり、楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だということです。惑わされないためには、近づかないようにするしかない、という結論になるでしょう。楽山は、嘘を吐いても、罪悪感も羞恥心も感じない人です。
 
 
想像するに、こういうことは子供なりのユーモアで言っていたことであろうし、それならば生まれ変わりがどうこうと真面目に受け取る必要もなく、このご両親のように朗らかに笑って楽しむくらいが丁度いいのだろうと思う。
 
楽山は、ユーモアだから、笑って楽しむのがいいと言っています。子供の話ならば、それでいいのでしょう。楽山は、子供でしょうか。いいえ、楽山は、大人として、実に長い間、宗教や心霊や超常のことを書いてきました。そして、宗教と信仰は、笑って楽しむ娯楽ではありません。
 
楽山は、真剣味もなく、霊や超常のことを話して、否定も反省も訂正もしていないということです。オカルト趣味、ホラー好み、そして、宗教を、魔法の世界としてしか語ってこなかった楽山の、小学校レベルの興味に付き合うことだけは、どうか、しないでください。
 
すでに、うんざりするくらい、読書家気取りで、本の、都合の良い文言を引用して、大きなテーマについて、空想~妄想話を書いてきて、今さら、「子供なりのユーモア」の話と言っても、嘘と詭弁で逃げようとすることによって、ますます、楽山の醜い悪意が明らかになってゆきます。
 
楽山は、底知れない悪意と企みの人、反省せず、学習せず、成長しない人、そして、病識のない異常人格です。批判目的以外では、関わってはいけない人だと思います。勉強嫌いの意地の悪い子供が、そのまま大人になっているようなものです。
 
 
独り芝居3

独り芝居
 
 
(2020年)(2021年)
(2022年05月25日、再録+加筆)
 
 
 
  しみる夜
 
ぬるい夜
ぬるい湯に
爛れるばかりの
阿片の夢に
流れ出しては崩れていく
この顔を直接
一生見ることはない至福よ
何のために
どのようにあり
あるいはあったのか
過去は現存しない
死んだ果実の名残を求めて
臆病な浸出が
皮肉な川を渡り
また一つ色褪せて
薄くなった肌をなぞっては
しみる
痛みから
否応もなく
犠牲になって
消えてゆく
それが現存する
唯一の夜
 
 
  虫の音
 
物音は
集まれば集まるほど
耳に障る
気にすればするほど
大きくなる
集団の声は苛つく
人の声も 雑踏も
独り聞いた蝉の声も
蛙の声も
耳鳴りも
恐らく幻聴も?
 
波のように
あたり一面
姿のない虫の声
遠くか近くか
どれほどの数か知らぬが
ただ一匹だけ
窓近く
チロチロと
鳴いているのがいる
不思議と耳に障らず
寂しく泣いて
訴えているようにさえ聞こえる

眠れない夜を殺し
耳鳴り騒ぐ
眠れない夜を死なせ
秋の虫 なく
 
 
  青年と老人
 
公園のベンチに
青年と老人が並んで座っていました
声にならない独り言が
ときおり二人の唇を細かく動かしていました
 
青年は寂しさを知らない
寂しくないことを知らないから
たのしい人になる
たのしい人になる
老人は苦しさを知らない
苦しくないことを知らないから
しあわせの人になる
しあわせの人になる
紙袋がすうっと飛んできて
不意に舞い上がって
また飛んでいきました
青年は風を見ない
老人は風を忘れた
二人とも目の前にあるゴミ箱の
ゴミを燃やしてくれる人を待っていました
二人の間に座っているはずの男を
いつまでも待っているのでした
 
二人とも
ベンチを壊して
カゼになれ
カゼになれ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
一種も二種もなく、反省しないのは、人間の性ではなく、人間性の欠陥です。誰でもそうでしょ・・みたいな書き方に騙されないでください。自己正当化の詭弁を、いろいろ書いてきた楽山ですが、一つとして成り立ったことはありません。持つべき病識もないのは、質量のない人格とも言えそうです。
 
 
 
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  楽山のオウム返し
 
 2022年04月12日
 「アンチ論法 ー詭弁とは何かー」を読んだ
 幸福の科学とは何だろう? by 楽山
   を批判。
 
 
既に抜粋して批判したような気もしますが、改めて書いてみます。
 
楽山にないもの、それは、説得力、独創性、発想、学識、共感、罪悪感・・などです。楽山の持ち物、それは、嘘と詭弁、粘着性の執拗な繰り返し、保身、ボンヤリして焦点の定まらない、語尾を曖昧表現にする責任逃れの卑怯さ、逃避、そして、遁走(とんそう)などです。
 
つきあっても、何の実りもない楽山です。楽山と関わってはいけません。驚くほど無駄な、徒労と疲労が待っています。それが、楽山の、みすぼらしい武器なのです。切れないカミソリを振り回す男に、もはや、頼ってはいけません。 
 
 
*アンチ批判
塩氏がアンチ批判を書いていたので、その感想を書いてみたい。
ちなみに、塩氏は名前を「春」に変えたが、ここではこれまで通り塩氏としておく。
アンチ論法 ー詭弁とは何かー 
①反対する事だけが目的 なので、相手の意見に噛みつく。自分の意見は希薄。
②枝葉末節に難癖で傷をつけ、全体の否定へ誘導する印象操作 。
③相手の主張の一部分を抜き出し、継ぎはぎし、勝手な作文を創作。 
④この時に「事実の列挙」と称してスクショする事がある。
午前8:56 ・ 2022年4月11日・Twitter Web App
 」
 
大方、楽山に当てはまることです。「自分の意見は希薄」・・アンチでも思想家でもないからです。「全体の否定へ誘導する印象操作」・・陰気な企みです。「相手の主張の一部分を抜き出し」・・全体の文脈を見ることが出来ないのです。「スクショ」・・理路の是非より、先入観と偏見作り。
 
 
・アンチ論法は楽で便利な論法ですが、
・これを使い出すと止められなくなり、
・だんだん「駄目な人間」に落ちて行きます。
・麻薬のようなモノですね。
・ご注意下さい。
午前7:11 ・ 2022年4月12日・Twitter Web App
 」
 
アンチではなく、楽山に特有の加害の破滅要素として、本当に「ご注意ください」なのです。楽山は同じような詭弁を繰り返し言ってきます。他に何も言えないからです。楽山は本当に「駄目な人間」です。なお、楽山に、正当な論法はありません。嘘と詭弁だけです。
 
 
*感想
まず塩氏のツイートをざっと読むと、今回もまた、アンチはこういうものだと決めつけるばかりで、その根拠は提示していないのが目につく。
たとえば、アンチは「反対する事だけが目的」だとしているが、そういう判断をした根拠は提示されていない。
 
根拠のない「決めつけ」は、楽山の常習です。そこをベースにして、いちゃもんを言ってくるので議論にならず、かつ、繰り返すので体質的な欠陥と思うしかありません。決めつけだけで生きている楽山は、誰からも相手にされなくなるでしょう。楽山は、論客でもアンチでもありません。
 
 
これ以外の「相手の意見に噛みつく」「自分の意見は希薄」「枝葉末節に難癖」「全体の否定へ誘導する印象操作」…などについても同様だ。そのため読者には塩氏の判断が妥当かどうか精査することは困難となっている。これではいかんだろう。
 
楽山は、独自の意見を持ちません。自己愛からの妄想で、枝葉末節の屁理屈遊びを仕掛けてきます。それで、私との遣り取りをしていた頃は、キリスト教と信仰を否定して悦に入るのですから、何も正論がありません。ただただ、無根拠に、おとしめてくるだけです。決して相手にしてはいけない人です。
 
 
塩氏はこういう決めつけを繰り返し、いくら注意されても改めないことからすると、自分が悪いことをしているという自覚は全くないのだろうか。
 
楽山こそ、こういう決めつけを繰り返し、いくら注意されても改めないゆえに、自分が悪いことをしているという自覚がありません。お分かりと思いますが、楽山は、自分が言われそうなことを、上から、言っているだけです。楽山は、いつもそうです。原始的な言論妨害者です。楽山に誠意はありません。
 
 
*事例(1)
さて、一応、塩氏がこれまでにやってきた決めつけの例も提示しておこう。
アナタのやってる事は、全部、愚痴ですよ。
愚痴は自分で始末して下さいね。
午後0:43 ・ 2022年3月25日・Twitter Web App
 」
まず塩氏はここで、相手の意見を「愚痴」だと決めつけている。どこがどう愚痴だという説明はなく、ただ決めつけて嘲笑している。
 
愚痴というか、私は、楽山のいちゃもんと言っています。ここを前提に言ってくるので、楽山こそ、説明も根拠もないのです。言論の理路を、まるで学習しておらず、思いつきの返し文句だけで、一人前の論客を気取るのは、笑止と言うほかないのであります。
 
 
*事例(2)
こちらでは、二世問題を描いた漫画には、事実誤認、冒涜、すり替えがあるとダメ出しするだけで、どの部分がどう間違っているという指摘はない。事実誤認が沢山あると決めつけ、悪印象をふりまいているだけである。
 
楽山には、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)による理路の歪曲が甚だしく、楽山と遣り取りをすることは妄想と付き合っているようなものです。妄想を、常識のように見せかけることだけを学習していて、本来の勉強が何も出来ていないのです。
 
アンチの人は、カルトの害を被っているので、その体験から物を言うことが出来るでしょう。ですから、アンチの人も、楽山から離れてください。回復不能なほどの、失望と精神疲労と人格破壊を受ける可能性があります。楽山を味方につけると、カルトの害に加えて、楽山による害の被害者になるでしょう。
 
 
私見です。
菊池真理子氏が描いた『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~第5話』を信者目線で見た場合、
・明らかな事実誤認・・・6カ所
・信仰の対象や教義等に対する不当な侮辱的描写、冒涜・・・13カ所
午前10:50 ・ 2022年4月9日・Twitter Web App
 」
・親子問題と自立の問題を信仰の問題にすり替え・・・10カ所
を確認しました。
作者におかれては社会に是非を問いたい気持ちだったのかもしれませんが、「多数の人を巻き込むデリケートなテーマ」なのでもっと丁寧に描くべきと思います。
午前10:51 ・ 2022年4月9日・Twitter Web App
 」
 
これで、まだ、楽山に、言い分があることは信じられないことです。楽山の丁寧さと中立は、全くの嘘でありペテンです。なお、楽山は、アンチではなく、自己中の教祖願望しか持っていない病質者だと思います。つまり、楽山はサイコパスで、良心がなく、他者のために働くことなど出来ない人です。
 
 
*事例(3)
こちらは、詭弁と決めつけずに、その根拠をきちんと説明すべきだと言われたときの返答である。
私は、アナタが「詭弁師」に見えます。
アナタは「あー言えば、こー言う」だけの人であり、
言葉に「信」や「真」や「芯」が見られません。
だから、これ以上のツイートは不要です。
残念です。
午後8:47 ・ 2022年2月18日・Twitter Web App
 」
 
アンチではなく、楽山個人について同感です。私は、以前から、ペテン師、詐欺師と呼んでいます。まるで、反省せず、自分の我欲に従って、好きなことを言うだけで、訂正することもなく、悔いることもありません。否定を言い、肯定を言い、断定していないから、責任はないなどと言う始末です。
 
 
どうやら、塩氏にとっては、自分に詭弁に見えたら、詭弁ということになるらしい。また相手の言葉に、信、真、芯が感じられなければ、それが無いことにもなるらしい。これではどうにもならん。
 
詭弁に見えたら詭弁と言うし、良心がないと思ったら、そう言うわけです。何を当たり前のことを否定してくるのでしょう。楽山は、弁明も説明も出来ずに、逆を決めつけているだけです。元々、幼稚な子供のままで、議論など出来る人ではないのです。「どうにもならん」のは楽山のほうです。
 
 
ところで、事例(1)、(2)、(3)の引用元を確認したい方は、引用文の最後の日付をクリックすればよい。そうすればツイッター上にある議論全体を見ることができるし、塩氏の決めつけの酷さが、より理解できると思う。
 
このように、何も弁明できないまま、引用リンクで逃れようとしています。楽山は、実際は、理路を組み立てられず、共感力もないので、誰かが頼りにする要素など、何も持ってはいないのです。正常に議論そして批判しようと思ったら、相手として、まず、楽山のような人を除外しないといけません。
 
 
*おまけ
おまけとして、塩氏の昔のアカウントとされる棒氏の発言を貼っておこう。
2020-03-16 【二つの顔】 アンチは必ず嘘をつく
これについては、アカウントごと、すべてのツイートは削除されているのだけれども、「アンチHSは必ず「嘘」を付く」という断言から、決めつけの酷さが分かると思う。ふつうの人は、いくら大嫌いな相手に対しても、なかなかここまでは言えまい。
 
「貼っておこう」で済ませようとする楽山を見逃してはいけません。楽山は、自らの理路によって、未だ、何の弁明も反論も出来ていません。出来たことにして、へらへら嘲笑って逃げてゆくだけです。だから、何の頼りにもならないのです。決めつけだ、決めつけだ、・・と言われるのは、楽山のほうです。
 
 
*まとめ
というわけで、アンチ論法なるものは、塩氏が決めつけているだけという結論になる。「詭弁とは何か」と書いているので、それなりの論証があるかと期待したが、それは間違いだったようだ。残念。
 
また「決めつけ」と言っています。これが楽山です。「論証があるかと期待したが、それは間違いだったようだ。残念。」というのは、楽山が、オレが勝ちだ、と誇っているだけです。ドラマなどで、よく見られる台詞の、悪役の上司が、君には失望されられたよ、という高慢と同じです。
 
 
ただの感想や悪口であれば、「こう見えた」「こう思った」というだけでもいいかもしれないが、きちんとした意見を言おうとするなら、その根拠や論理も明示しなくてはならない。塩氏にはこの辺りのことを理解した上で発言して欲しいものだ。
 
感想や悪口でも、それなりの根拠や論理も必要でしょう。説得力の問題となります。楽山には、終始、説得力が全くありません。偉そうに見せかけているだけです。実際は、勉強の出来ない子が、弱い子の上に立った気分で、見栄を張っているだけなのです。インテリ気取りの楽山、最低です。
 
 
◇◆ 追記 2022.4.12 ◆◇
*念のため
蛇足ながら、上の議論に関連した私のツイートへのリンクも貼っておこう。こうしておけば、上に貼った塩氏のツイートが削除されても、議論の場所が分からなくなることはあるまいと思うので。〈 事例(1)、事例(2)、事例(3)〉
 
また、リンク(省略)を示して、議論の場所などと言っています。楽山は、正常の議論も批判もしたことはないと思います。都合が悪くなったら、さーっと逃げる男です。逃げ口上も、無視と言わず、スルーなどと言って飾りますが、同じです。卑怯が、尻尾を巻いて逃げている蛇足なのです。
 
 
*投影?
今日の議論で、「アンチ論法」と塩氏の論法の共通項について指摘されていたので、そのリンクも貼っておこう。〈その1〉
もし塩氏のツイートが削除されて全体像が見られないなら、こちらを見ると良い。〈その2〉
それにしても、塩氏はアンチに噛みついては、返り討ちにあうことを繰り返しているけれども、なんでそんなことをするのだろうな。
 
リンク、リンクで、すでに書いたことにして、リングから逃げる楽山、みじめです。これまでの、まるで説得力も独創的な発想もない楽山の、嘘と詭弁と自己中と無反省と無責任と偽善と詭弁、・・楽山の日没は、想像を絶するほど、孤独で寂しいものになるでしょう。
 
説得力の欠片もない者が「返り討ち」などと言って自分を誇って飾って、物品を仕分けるようにリンクを並べていますが、結論だけの、妄想的自己愛だけの、なにやらシールを貼って、保身するさまは、深みと説得力もなく、端的な指摘の出来ない楽山の常習的な醜態です。
 
私は、楽山の、葉ではなく根を、言葉ではなく性根を、手を抜かずに批判しているつもりです。
 
 
決めつけと決めつける寒さ

決めつけと決めつける寒さ
 
 
(2022年04月15日)
 
 
 
  見つめていたい
 
私の心に慈愛の目があったなら
あなたが私から何を奪っていくのか
静かに見つめていたい
 
私があなたから奪ったものを
あなたが取り返すのを見ていたい
あなたが私を嫌うなら
嫌われた裸のままの心で
どこが傷つくか見つめてみたい
 
あなたは傷つき
私も傷ついた
傷つけることで傷つき
傷つくことでわかるものがあるなら
あなたの心に同期して
傷が示すものを知りたいと思う
 
私がまだ泣けるなら
奪われなかったもののために
泣きたいと思う
 
すべて私が
まだ人間であるなら
あなたの心を癒すよりも
あなたの心を聞きたいと思う
 
耳を澄まして
あなたの傷ついた
あり方を知りたい
私の傷ついた
あり方を知るために
そしてゆっくりと
考えてみたい
人間はどのようにして
傷ついていくのかを
 
病める心の
癒えぬ部分の
こだわりに
言葉で上手にあてる
包帯を持たない
私の貧しさを
あなたが許せない分
私が傷つき
年老いていく姿を
今しずかに
見つめていたい
裁かれるときを待ちながら
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも/楽山日記3
@komo266
これ、わかるわあ。
といいつつ、自分はこれらをきちんと区別できてないときがある。気をつけねば…。
引用ツイート
怒りのジョニー
@swiwwproud
 · 4月13日
「個人的な感情(好き嫌い・快不快・怒り)」と「客観的な現実(卑近な出来事から社会問題まで)」をごっちゃにせずに切り分けることが大切で、それは立場に関係なく、等しく大人のマナーだと思うんですよね。 twitter.com/bakanihakaten3…
 」
午後7:17 · 2022年4月13日
 
楽山には、高等感情がありません。だから、共感という言葉を使っても、共感が表せません。楽山は、姑息な論理遊びしか出来ません。楽山が、書けば書くほど、楽山が楽山を斬り、楽山が賛同した意見が楽山を斬っています。本人だけが気づかないのです。
 
私としては、少しはきれいな詩のようなものを書きたいと思っているのですが、大方、楽山の汚い企みのセリフが鼻を突いてきます。自分のことを少しも見ようとしないで、他者のことを言ってくる楽山です。他者を汚し、結果としては、自分を汚してゆくだけの楽山です。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
反省しないことを「人間の性」と言って、言い逃れてきた楽山は、人真似のセリフと、婉曲表現でごまかすペテン師の生業(なりわい)によって、物事の大事な核心に触れることが出来なくなっています。もはや、独り言の自己満悦で、人を下に見ても、それ以上に下に見られる時が来つつあるのです。
 
 
 
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  嘘と偽善の虚無(5)2
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
去年、シャロームが書いてきたコメントに対する批判記事です。典型的な偽善者の、上から見下ろす態度が表れているので、再録しておきます。現代のパリサイ人と呼んでいます。
 
また、重ねて、罵りが加速しています。シャロームは、おとしめ、怪しい、虚言癖、と言い、かなり激しい決めつけの口調になってきました。
 
アメブロは、一年前の記事を示してくるので、いつまでも、忘れないで、記事を修正再録することが出来ます。今回、多くはありませんが、ところどころ、加筆修正しています。
 
16. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:19
「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
 」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。
 
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
 
新約聖書を通読だって疑わしいですね。
マタイによる福音書の初めのイエス・キリストの系図について書いてあることすら読んではいないでしょう。
ルカによる福音書にも系図が書いてありますが、その違いは分かりますか?
読んでいても、その人物がどこで登場し、どのような人物であるかもほとんど知らないでしょう。
その系図は福音の告知であり、宣言なのです。
 
シャロームは、自身の聖書についての無理解を棚に上げて、私の読書を、聖書について、疑っています。もう一度、書いておきます。私は、確かに、読書障害の傾向があります。読むということに疲労を伴い、かつ、時間がかかります。
 
それで、新約聖書は一度通読、旧約聖書は全部読んではおらず、あとは、折に触れて拾い読みをしています。それで、癒しを得たのだから、恐らく、この読み方のまま、生涯を終えるでしょう。
 
このように、シャロームは、心温まる話よりも、系図という形式と名前にこだわるのでしょう。シャロームの血筋には何の関係もない系図に。自分の血筋を憎んでいるのか。
 
そして、シャロームは、聖書が伝えている、いちばん大切な人間の心を損なってきました。それだけでなく、他者の心まで、自説の妄想によって、損なってきたし、損なっているのです。
 
告知と宣言を受け取っても、心が無いために、キリストの洞察力と共感力という恵みの福音を無にして、説得力も温もりもない解釈で、目をつり上げるかのように、豪語するシャローム。こういう豪語こそが、キリスト者でも牧師でもない嘘吐きの偽善の自己正当化の証拠となってきました。
 
シャロームのように、系図が福音の告知で宣言だと言うのは、戒律を守ることが信仰だと言うところのパリサイ人などの形式主義・教条主義と同じ方向です。言葉に対応する心が無いのです。
 
名前、条文、戒律、という言葉だけで、決まったかのように頷き、一方、言葉から、心を受け取ろうとする姿勢を全く持たないので、結局、心の問題に何の反応も出来なくなってゆきます。シャロームは、その典型例であることを、自ら表しているのです。
 
信仰が教条主義や形式主義や戒律主義に陥ってはいけない、ということを、聖書とキリストの言葉は伝えているのに、真逆の方向へ、誇大的に強調する羽目になっているのが、シャロームなのです。
 
そういう逆方向に向かうシャロームの系図話には、偽善の告知と宣言に、いったい誰の名前があるのでしょうか。シャロームが言っていたところの古い日本教の、どこかの村社会の、誰かを村八分にした者の名前でしょうか。それとも、シャロームみたいな自分教の因習に、逆らう誰かを、頷きを刷り込まれた者たちとともに、人知れず葬った者の名前でしょうか。
 
心と、系図と、どちらを大事に、大切に思うでしょう。私は、心のほうです。
 
人によっては、系図も大事と思う人はいるでしょう。しかし、系図を、先人を、大切に思うのは、他でもない、心なのです。心を無視するところには、系図も、先人も、ただの文字列の形式、または、おまじないに過ぎなくなります。
 
こう書けば、すぐ貶めるとか、責めるとか書いておられますが・・・つじつまを合わせるために、あなたの書いておられることにはどこを読んでも虚言癖のオンパレードです。
虚言癖の原因?についてはご存知でしょう。
思い当たりませんか?
 
つじつまを合わせる、虚言癖、いずれも、私が、シャロームを批判するために書いた言葉です。また、人の言葉を使って、シャロームは根拠を示せないから、嘘だとバレる。
 
そして、また、妄想を語り始める、原因?、思い当たりませんか?と。これは、シャロームの、偽善と背教の原因が、人格の破壊としか言いようがない、という根拠になります。
 
無関係な楽山さんや易坊さんの名前を出して、事実無根の人格否定し、誹謗中傷をして・・・
おふたりは私の仲間ではありませんが、そんなに仲間が嫌いなのですか?それともひとりも仲間がいないのがそんなに寂しいのですか?
 
楽山と易坊はシャロームの味方をしました。易坊たるや、シャロームとともにコメント欄を荒らしました。どこが無関係なのだ。悪意に満ちた揶揄であります。
 
偽善者シャロームと一緒に、私のヤフーブログに罵詈雑言を書き込んだ易坊は荒らしであり、楽山の執拗なキリスト教いびりのボンヤリ言語はごまかしで、シャロームもベースは同類の荒らしだと思うので、成りすましを疑い、かつ、楽山やシャロームなどの"易坊類"と呼んでいるのです。それぞれ、信仰を破壊する悪意と憎しみのルサンチマンです。
 
ルサンチマン:弱者に募る怨念。嫉妬に根差すとも、負け犬根性とも。
 
> 一人ぐらい仲間と言えるような人があってもいいですね。
 
前から言ってきたのに、私が、シャロームの、仲間、お仲間、と言うとき、皮肉を込めていることが分からないのでしょうか。本当の仲間ではない。成りすましか、イエスマン同士か、親族か、など。
 
過去の文脈を全く追わず把握しないまま、まだ問うてくる、まだ勧めてくる、まだ正しいつもりでいる、そういうことが出来てしまう心性、ただ言うだけの一方向、原始的反応の罵って返す、嘘吐いて返す、実に、気持ち悪い。
 
 
17. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:39
「困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが・・・」
 」
あなたが自分の不安や恐れ、悲しみ・・・の原因として、正直に「わたし」「トラウマ」という記事をブログに書いて、公にしておられることですね。
単に記事の引用であれば、あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね。
 
私の記事「わたし」「トラウマ」は、ここでは関係ありません。兄と母を出してきたことを言っているのです。シャロームの極めて無礼な言いがかりです。あるいは、わざと的を逸らしているのでしょうか。
 
シャロームコメント3「お兄さんにもお母さんにも」
なぜ、お姉さんじゃなくて、お兄さん?、お父さんじゃなくて、お母さん?、知っているのか。昔、言ったことがあるのかもしれません。
 
そうか、シャロームは、私の記事「わたし」「トラウマ」を読んだから、兄と母のことを書いているのでしょう。読んでるぞ、都合の悪い話・・と暗に脅しているのです。
 
シャロームという人に迂闊に打ち明け話をして相談していると、のちに、シャロームに背いたとき、どうなるか、ということが、ここに表れています。
 
罪と偽善の重さが全然わからないシャロームらしいコメントです。兄と母を出す必要など、どこにもないのです。
 
ひっそり書いていた私の個人情報をさらして、批判返しになると思っている。こういうことを平気でするのは、批判と悪口の区別が出来ない人で、罪悪感がなく、侮辱したいだけの荒らし根性なのです。
 
単なる記事の引用ではないから、その悪意を、シャロームの俗悪なる所業として、さらに批判を書くことになるわけです。こういう、批判の動機と題材を、惜しみなく提供してくるのが、罪悪感も羞恥心もないシャロームという男なのです。
 
「あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね」・・引用の数を比較して、少ないほうの勝ち!、とでも言いたいのでしょうか。みじめだ、シャローム・・
 
批判のために引用するのです。数ではなく、どこに根拠を求めているか、その根拠を、自分でどう理解し得ているか、ということです。
 
シャロームは、考えもせず、言葉という形を鵜呑みにして、聖書を、子どもの、お伽噺に、おとしめています。現実から乖離しています。ゆえに、初歩的な勘違いから妄想になっています。
 
さらに、シャロームは、それを、金科玉条のごとく、つまり、お伽噺を、そのまま、押し出して、信仰を語ったつもりでいるのです。成長がなくなり、心がなくなると、そういう妄想世界にどっぷり浸かってしまうようになるのでしょう。
 
シャロームが使徒信条を引用したのは、自分で何も言えなくなったから、信じてもいないし、罪を認めず悔い改めないことで真っ向から背いている権威を、この時だけ利用するわけです。
 
これは、詐欺師の手口でしかありません。シャロームの言語は・・こんな権威ある偉い先生がおっしゃっているんだから間違いはないですよ私を信じてください(隠して、エヘヘ)・・というのに、よく当てはまるパターンでしょう。
 
まさしく、前に書いた、シャロームの、意地悪な嘲笑のエヘヘ言語とでも呼ぶべきもの。ちなみに、楽山のボンヤリ言語、易坊の問い詰め言語とも書きました。シャロームは、神も、キリストも、信じるどころか、名称の文字列として、好きなように、自己正当化に使っているだけなのです。
 
 
詐欺

詐欺(さぎ)
 
 
(2019年12月08日)
(2021年01月06日、若干加筆)
 
 
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