ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:生と死

 
  この地上に3
 
この歳になると、生きることより、
死について考えることのほうが多いです。
 
 
私の魂のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
それは信仰者として
真実でもあるのだが
一方で
逃避なのかもしれない。
 
人というのは生涯
演技し続ける動物のようだ
恥ずかしくないように
少しでもきれいに見えるように
嫌われないように?
 
そういう演技は正当で
普通なのかもしれないが
過ぎれば
「世間体」大明神とか
「体裁」大権現とか崇拝にもなりうる。
 
自分というものをしっかり持って
という「しっかり」の基準は分かりにくい。
自分を信じて
という「信じて」は
責任の自覚か
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
つまり自信だろうか。
 
世間体も体裁も
人間関係も幸福も捨てて
真理や真実を追究して
心を病んで
傍目には
自滅的な人生を歩んだ幾人かの
哲学者、数学者、文学者、詩人などの
名を思い起こすのだが
 
私の魂のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
そういう質を持ってしまった者が
反社会的ではなくても
非社会的になって自閉して
ただ一度だけ
逃避が許される最後の時を
待っている人であるなら
 
幾人かの名と違って
自分は志よりも病が先なのか
いつまで社会人でありえたのか
と風景のように遠い人々を
遠い社会と世界を
ぼんやりとした意識の向こうに眺めている
 
想うところに
以上のように想うところに
いちばん知っているつもりで
いちばん知らない自分は
むしろ、いて欲しくないのかもしれない
しかし、いて欲しいのかもしれない
何故なら、生まれてきたから
 
なぜなら
死は、人が与えられた時間の限りであり
神様が生も死も定めておられるなら
神様が人に
地上にいてほしい時間の限りである。
 
すなわち死は
神が定めた日に実行されるもので
 
人は死を祝福できないけれど、
死は、有限な地上に生きるものの定めであり、
 
その意義も理由も、神のみがご存知だからであります。
 
あえて言うなら、
人が人の責任を初めて逃れて
神の懐(ふところ)に帰ることです。
 
 
祈り
「主よ、この失敗だらけのまま至った老境に、慰めはありましょうか。」
 
 
※ 
 
信仰者は、信仰によって善と義の完全な人になるのではありません。
 
義人は、いません。人は、善も義も、生き方として無理だと知るのが信仰です。
 
信仰者も、罪人であることに変わりはありません。
 
善と義は、神のみが知るものです。
 
信仰者は、悔い改めによって、反省し、学習し、成長する人間になるのです。
 
神の前に、人が、正直な祈りを捧げることによって可能となります。
 
神は、その祈りを待っておられるのです。
 
人に出来ることとして、聖書は、それだけを語っています。
 
 
地上を生きて

地上を生きて
 
 
(2011年04月30日)
(2021年02月02日、一部加筆)
(2022年02月07日、再録+)
 
 
 
  低い人
 
低みを流れる風に吹かれて
川を眺める
緩やかな流れに揺らめく空の高み
あの青い風に吹かれたいのは
 
長い影をつくり
森を沈ませ
闇へと消してゆく
ひとときの
雲の縁を輝かせ
じりじりと焦がしていく
あの熱に焼かれたいのは
 
星の地図よりも星と星の間
小さな星を瞬かせ
夜の空をつくっている
黒い曲面よりも平坦な
深海よりも深い立体の
あの底の底へ旅したいのは
 
人ひとりの
喜びや悲しみも測れないでいて
忘れることも割れることも
地上で覚え育った
鏡よりも
低い
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
嘘吐きは、結局、自分がばらまいた嘘の実を収穫することになります。何を言っても信じてもらえないということです。基本的な信頼関係が成り立たなくなって、また、嘘を吐き、しまいには、嘘と真実の区別がつかなくなって、独り言の三文芝居が人生の喜怒哀楽になってしまうのです。
 
 
 
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  死者と救済(修正再録)2
 
 
神は生ける者も死せる者も支配し救済する。
というのは
神の全知全能からの思いである。
しかし
死んだ人のことはもちろん
神が生きている人をどう支配し救うかについて
全知でも全能でもない人が
確信できることは何もない。
 
一方
「神は死んだ者の神ではなく生きている者の神」
という聖句がある。
ここで注意すべきことは
この聖句は
生ける者に向かって語られているということである。
神が死者にどう関わるか
あるいは関わらないか
生きている人に確信できることは何もない。
 
人は神による被造物であることを思えば
神が自分の造ったものに対して
造るにしても育てるにしても壊すにしても
その理由を手取り足取り
いちいち納得できるまで人に説明はしないだろう。
それゆえ神のなさることはしばしば
人には救済と思えないことがある。
 
神を信じる者は
恐るべき御方として
無条件に
神を信じないでは生きられない者のことである。
 
信仰は恐れを知り、確信は恐れを忘れる
 
神の行為について
人が確信できることは何もない。
 
ゆえに確信を持てないのだから
人は、あらゆる物事について
神を恐れるべきである。
 
神を恐れるとは
神は完全だが人は不完全だ
ということを弁えることである。
 
ゆえに、人は、
神聖の意志と行為を決めつけることは出来ない。
 
 
(2011年09月01日)
----------------------------------------------------
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
22:30
復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
22:31
また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。
22:32
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。
 (マタイ22:30-32、新約聖書)
 
マルコ、ルカも、ほぼ同様
 
私は学者でも牧者でもないから詳しい聖書の解釈は知らない。
ではなぜ、今までもそうだが、聖書についての解釈を書くのだろう。
 
例えば、愛について書かれている聖句についても、
ある人は、異性を、ある人は、家族を、あるいは、隣人を、あるいは、キリストを、あるいは、神を、考えるだろう。そのとき自分が一番気になっていることを考えてしまう。
 
そして、そこで真実と思ったことは、別のときに自分で修正するときまで、主観的な真実であり続けるからだ。そのように、個人が受け取ったことは、正しいかどうかわからないまま、個人の真実となってゆく。
 
ここに、カルトや偽善者の、訂正不能の悲劇があり、
また同時に、
人間の成長の必要性と、それを可能にする信仰のあり方があるとも言えよう。
 
その都度、受け取り、かつ、折に触れて、反省して、祈り、願うことがある。
 
だからこそ、私たちは、信仰者として敬虔でありたいと思うなら、自分の解釈を、そして人に教えてもらった解釈を、さらに広く認められている解釈さえも、決して絶対化してはいけない。人の伝えるものに、地上の一生を通じて、絶対はない。
 
上に挙げた聖句であるキリストの言葉の前後には
「アブラハム、イサク、ヤコブの神」
という当時としても大昔の祖先の名前が書かれてあり、
「人はみな神に生きるもの」という聖句もあり、
キリストは肉体の死を
「死」とは考えておられなかったような気もする。
しかし、肉体の死さえも、自分については、まだ知らない私たちにとっては、
救いに密接に関連している死の問題について、語れることは少ない。
 
また別に
葬式に行かせてくださいと言う弟子に対して
「私(キリスト)に従え」「死人の葬りは死人に任せよ」
という聖句もあるが、(マタイ8:21-22)
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
8:20
イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
8:21
また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。
8:22
イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。
 (マタイ8:20-22、新約聖書)
 
これは上とは別の意味を持つのかもしれない。
キリストの弟子がキリストとともにいて
直接教えを聞くことの出来る期間は僅か約3年であり、
それをご存知のキリストの20節の哀しい言葉があり、
それゆえ今優先すべきことを言われたのであろうか。
 
いずれにしても、前にも述べたようなことだが、
聖書は必ず人の解釈を通して読まれることを思えば、
約二千年前の聖書の登場人物を、
聖書の記事だから正しいという理由で、気安く自らに当てはめて人に対するのは、
聖書を学ぶ態度ではなく、自分を聖人と同格と見なす行為であり、
聖書の乱用、さらには、聖書解釈くずれの自分信仰とでも言うべきものであり、
遠慮を持って慎むべきことである。
 
今回、私は聖書の解釈めいたことを書いたが、
どんなに聖書に詳しい人であっても、人の解釈は、あくまで人の解釈であって、
どこまでいっても、
神への思いが強くなることはあっても、神の意志と行為の確信に至るものではない。
 
そのことを全く理解していないのは、カルトの所業である。
 
正しいと思う言動において人は怯むべきではないが、
その思いと信仰のうちに、神への恐れを抱き、
ゆえに折に触れて自らの罪性を省みるべきである。
 
神の確信が信仰なのではない。
 
神への思いと神への恐れが信仰である。
 
それが「神を恐れよ」を、とみに私は衰えてゆくのに、
あえて執拗に、うんざりするほど繰り返す理由である。
 
 
信仰は恐れを知り、確信は恐れを忘れる
 
信仰は御心を仰ぎ祈り、確信は心を固めて終(しま)う
 
 
信仰と確信

信仰と確信
 
 
(2019年04月21日、修正)
(2021年06月26日、再録+)
 
 
 
 言葉の意味
 
言葉は、言う人、言う状況、言うときの声・口調などによって、意味が変わる性質を持っています。当たり前のことです。言葉は、辞書に書いてある意味で固定などしていません。辞書の意味は、言葉を言葉で言い換えた相対的な近似に過ぎません。
 
言葉の意味というのが言葉が与える影響と考えれば、当然、その影響は、状況などに左右されるわけです。影響のうち、最も大切な影響は、心への影響です。作用と言ってもいいでしょう。言葉だけではないが、様々なことで、人は、人を、助けたり、傷つけたりもするのです。
 
神の言葉と言われる聖書の言葉も、同様であり、文字面だけを求めて、それを言っておればよい・・などということは、一切、成り立たないことなのです。言葉そのものを絶対としてしまう教条主義が、キリストによって、激しく批判されたのは、そのためであります。
 
教条主義は、意識するとしないとに関わらず、宗教や思想や法制度において、とても重大な問題を、そして、齟齬(そご)を生んでいると思います。御言葉、神の言葉、という聖書の、勝手な人の恣意による悪用がが、詭弁と悪意のカルト思想を生んでいるのです。
 
神の言葉だからと、教えの固定・不変を教えてはいけません。心の自由な成長を阻害する恐れがあります。個人が受け、そして、発する言葉は、極言すれば、その個人の心にのみ対応しています。私たちは、その曖昧な共有を信頼して、言葉による交流をしているのです。
 
精神活動全体に、似たようなことがあります。これで大丈夫と固定していいものは人間にはありません。人類が万物の霊長なのは、学習し成長することが、期待されているからに他なりません。絶対不変は、人間にはなく、いくつになっても、成長しうるから、生かされているのです。
 
(2021年06月25日)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
メガネ陰陽
@hatsusenoUK
「こころの深呼吸」より
胸に刻んでいきたい
午後11:07 · 2021年6月24日·Twitter for iPhone
 
添付画像には文章が載っています。
 
地獄とは
「自分が絶対に正しい。きらいな相手はゆるさない。自分が幸せになればいい」そう思う人にとって、神さまのもとで、すべての人と幸せに暮らす天国は、我慢できないほど嫌な場所でしょう。そのような人たちが、天国に入るのを嫌がって集まる場所が地獄です。
 」
 
これに最も当てはまるのが、自己愛絶対の、楽山自身です。楽山は、またしても、自己正当化を企んで、逆に、自らの非道を表しています。2年余り、批判記事を書いてきました。「胸に刻んで」・・楽山は、真逆です。
 
こういう人からは逃げるしかありません。楽山を、決して相手にしないでください。丁寧語を使って、嘘と詭弁で、総て人のせいにして、だましてくる、極悪の偽善者なのです。このリツイートは、白々しすぎて、怖いです。
 
 
 
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