ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:異常者

 
  楽山の限りない悪意
 
 『あさっての風』三浦綾子著
 2022年01月15日 楽山日記(LD)
 
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山は、書く衝動を抑えられないようです。楽山の書いたものは、誰を救うことも、誰かの糧になることも、全くないのですが、楽山は、書ける人、物を言える人を、気取ってきます。これほど無反省で無分別の醜態は、病質でしか説明できません。
 
*概要
これは三浦綾子のエッセイ集である。キリスト教の信仰について書かれている箇所もあるが、副題に「あなたと共に考える人生論」とあるように、おおむね人生について語られており、善く生きようとする人であれば、宗教の別に関わりなく、誰もが興味を持って読めるものになっている。
 
誰とも、独りでも、考えることをしない楽山です。楽山は、学習できず、偏見と先入観しかありません。その結論から、嘘と詭弁を書いて、だましてきます。誰もが読める本も、楽山だけは、曲解して、自分の都合に合わせてゆくのです。楽山には、興味をもって読めるなどと、人に勧める資格はありません。
 
自分の場合も本書を読んで、さまざまなことを考えさせられたのではあるが、ここではそのうちの三点ほどメモしておきたい。
まず一つは、日記についてである。自分は三浦綾子の本に触発されて日記を書くようになって二十年以上は経つのであるが、迂闊ながら、その本のタイトルを長らく失念したままだった。
 
楽山は、いったい、何歳なのでしょう。20歳の若者に成りすましたり、学者に成りすましたり、今度は、「日記を書くようになって二十年以上」だそうです。プロの詐欺師ぶりです。そして、楽山の自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)が、不治であることを示すことになるのです。
 
でも今回それが本書であることが分かった。自分は、本書に収録されている「日記のない青春への疑問」を読んで、日記を書き始めたのだった。このことを確認できたのは再読の御利益かな。
 
嘘だと思います。そのような正当な動機は、悲しみを知っている心からしか生まれません。楽山は、まさに、それを失っているのです。動機を確認して、それを「御利益」などと言っていることが、傍証になるでしょう。楽山は、大方、言ったことのどこかに、偏向した世界の用語を漏らします。
 
*夢
もう一つは、神秘体験についてである。著者の夢には色や匂いがあるそうだ。いつか硫黄山の夢を見たときは、目覚めた後の室内も硫黄臭かったという。また睡眠の前後には種々の幻覚が見えるともいう。不思議な話だ。
 
楽山は、著者の信仰を、夢や幻の神秘体験の超常信仰でしか語れないようです。有名人に対しても、遠慮もなく、貶(おとし)めを制御しない楽山が、他者一般に、中庸であるわけがありません。今となっては、自己中からの狂気に近い悪意で、他者を決めつけ、おとしめてくるので、決して、関わってはいけません。
 
そういえば著者のエッセイで、虫の知らせについて書いたものを読んだ記憶がある。ある冬の夜、凍結を防ぐために水道の蛇口を開きっぱなしにしてたら、なぜか突然水が止まり、少ししてまた水が流れ出したときがあり、同時間にさる方が亡くなっていたのが後で分かったというような話だったかと…。著者はオカルト的なことはあまり書かない方だとは思うが、不思議なことがあるということまでは否定はしないということなのだろう。
 
著者が「あまり書かない」神秘体験を、楽山は取り上げて、信仰は超常を思い込むことだというイメージを刷り込もうとしてきます。不思議なことも、日常の不思議なことも、ときに起こり得ます。しかし、楽山のような、あげつらって、他者を、獲物を得たケダモノのように、貪(むさぼ)る衝動は、異常です。

もはや、ただの意見発表とは違います。真実を追求する人々を滅ぼしたいという衝動です。ルサンチマンという不遇に対する憎しみの発露なのでしょう。楽山は、みじめです。こういうことを、ずっと、続けておれば、自らの知性も感性も、自らの悪意によって食い尽くされてゆく道理です。
 
*人生論
三つ目は著者の人生論には大いに賛成できるということである。宗教観、信仰観については、自分はキリスト教徒ではないこともあってか必ずしも賛成できることばかりではないのではあるが、人はいかに生きるべきかということについては素直に肯けることばかりである。この点、自分にとって本書は人生について様々なことを教えてくれる、とてもよい本である。
 
楽山は、誰からも、真っ当な影響など受けることはありません。他者の意見から有意義なものを受容する精神が既に壊れています。楽山は、自己愛性人格障害のフィルターを通してしか見ないのです。楽山を、決して信頼してはいけません。どうか、楽山の丁寧語の嘘と詭弁に、だまされないでください。
 
楽山は、どこからも評価されないゴミ溜めから単方向に排泄してきます。詭弁は、詭弁臭を、嘘は、言葉の腐敗臭を、悪意は、悪臭を放つようになってゆくということです。こちらは、楽山から出てくる悪意の文章を、どこが臭いか、どこが悪意か、その都度、指摘して書いてゆくだけです。
 
楽山は、人を傷つけて悔いない体質的異常者です。他者を下に見て満悦する人です。「人それぞれ」「自分を貫く」「意見を言ってはいけないのですか」と言っていましたが、すべて詭弁です。だまされないでください。3つの言葉は、責任感のある人間についてであり、異常者に当てはまることはないのです。
 
 
深い闇に蔓延(はびこ)る者

深い闇に蔓延(はびこ)る者
 
 
(2022年01月16日、再録+加筆)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
自己愛性人格障害者は、世辞や嘘が習慣になっていますが、素直さ正直などは一切ありません。どんな卑怯なことをしても罪悪感を感じません。策略だけで、だまして生きています。楽山は、他者を平気で無視できる心性なので、自らの無知と無恥に気づかないのです。悲しみを知らないからです。
 
 
 
  蛇と蛭と鼠の人
 
誰しも蛇の腸管や
蛭(ヒル)の下垂体と鼠(ネズミ)の甲状腺
ぐらいは飼っているものである
強い蛇を飼っていれば
いつも毒を吐いているので分かりやすい
しかし多くは鼠が摂食の抑制を掛け
さらに蛭が吸血の抑制を掛けるので
面と向かっては毒を控え
蛭が丸くなり鼠が蠢(うごめ)き出すとき
本人がいなくなったところで
活性化した蛇の舌をぺろりと出して
さりげなく口臭のような毒を吐き
人の印象を吹き込む
 
意識的か無意識にか
思わず或(あ)る時か
という罪の軽重は
人には測り難(がた)い
奸計(かんけい)と小細工を弄(ろう)して世渡りをするような
最も凶悪なホルモン性の動物は
その測り難さを利用する
 
 
 
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  体質と言葉2
        (再録+)
 
 
体質とは、ここでは、
先天的または後天的に規定されるところの
その人の言動を特徴づける人格の意味で使っています。
 
(ネットより)
百科事典マイペディアの解説。
体質:
すべての精神的・身体的な人間の形質の総和で,遺伝と環境の相互作用によってつくられる。
 
思想・宗教の言葉は
それを表した人の言葉によってではなく
それに反対する人の言葉によってでもなく
それを発する人の体質によって
救いともなり
邪悪ともなる。
 
神の言葉は
受け取った人の言葉になると
人を生かすことがあり
人を壊すこともある。
 
こういうことがなぜ起こるかは神の秘密であろう。
以上は、認めるしかない事実である。
認めない者は、自分信仰になる。
 
神の言葉は
人の言葉となって
先ず、人は、
神と人の、そして、
神の言葉と人の言葉の違いを学ぶべきである。
 
神の言葉の真理は不可知であり
人の言葉の真実は曖昧に可知である。
 
この違いのみが、心掛けて弁えるべき信仰の節操である。
 
 
受け取ることと、信じ込むことは違う。
 
思うことと、、決めつけることは違う。
 
判断と、断定は違う。
 
救いの希望と、不変の境地は違う。
 
いずれも、前者がキリスト信仰である。
 
絶えることがないのは、
常時の平安ではなく、
必要なときに
祈りに答えて与えられる癒しと平安である。
 
人は、受け取れるものを受け取るが、
信仰が、物としてのプレゼントと違うのは、
受け取って忘れるのではなく、
受け取ってそのまま置いておけるものでもなく、
即ち、固定できるものではなく、
いつも人生に必要だから否定できなくなることであり、
 
それは、信仰が、
固定して揺るがないのではなく、
忍耐強く求め続けるものであり、
否定の判断が下せないほど必要だと思い、
希望し続ける祈りの生き方による。
 
それゆえ、信仰は、
いつも、新しい目覚めを求め続ける。
 
完全に知ることが出来ないゆえに、求め続けるのである。
信仰は、成長する。
 
正直な祈ることによって人は
神の偉大さとキリストの愛と共感を新たに知るからである。
 
 
異常な体質の特徴。
 
自分を責めることができない。
罪悪感がない。
しんみりと悲しむことがない。
自己中心にしか考えることができない。
 
思考と感情に深みが見られない。
短絡しやすく、上気しやすく、妄想化、固定化しやすい。
 
それゆえに
不都合において、自分の罪を認めず、反省せず、すべてを人のせいにする。
思慮深く理路を整えることができず結論的決めつけを繰り返す。
情緒面で、深い高等感情が発達しないし、
他者の意見を受け取っておらず、学習不能で、自己修正できない。
 
能力ではなく、異常な人格が、理路と感性を奪うからです。
ふつうに共感できることが、過大な自尊のために出来なくなります。
 
ゆえに、バランスが保てず、バランスが分からず、
ゆえに、大仰な讃美言葉や、世辞の褒め言葉、
そして、整わないまま結論を、でっち上げて、
作り話や、デマなどで、相手を侮辱するしかなくなる。
暴論も正論も理解できず区別できずに、
自分に都合の良い欲望の方向と、相手をおとしめ罵る言葉だけを繰り返します。
 
しかも、その間、高みから見下ろす嘲りが感情の表現として見られる。
自分が上だという立場から抜けられないために
相手を見くびった発言しか出来ず、そういう見下し言葉だけを探しては出す。
 
そういう者が、人の意見を聞く耳を持たず、しかも、上から教える態度だけに凝り固まって、万事が益となると信じ込んで、自分の利益、つまり、正当性の根拠として、よく引き合いに出しているのが以下の聖句です。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
 (ローマ8:28、新約聖書)
 
共に働くことなく、自説に慢心している者には、"万事を疫"病となるように、今に至る成り行きが出来ているようです。
 
決して、友達にも、仲間にもしてはいけない破壊的人格です。
批判するのでなければ、遠ざかることだけが最善の方法です。
 
 
(2020年03月16日)
 
嘲る(あざける)嘲笑い(あざわらい)
 
 
逃げなさい

逃げなさい
 
 
(2021年03月24日、再録+)
 
 
※ 
 
 楽山のリツイートですが
 
楽山は、他者の言を引用すれば、責任はないと思っているようです。
 
しかし、例えば、リツイートなどで引用して、批判対象としないことは、引用の意図が、そのまま賛同か、利用したことになるという責任を、全く理解しないのが楽山の、自己愛からの自己中の病質なのです。口出しするな・・ということを、他者の口にしゃべらせて平気な楽山です。
 
ゲイの精神科医Tomy
@PdoctorTomy
·3月21日
何にでも口出ししてくるお節介な人っているじゃない?
そういう人はね、
暇なのよ。
別にアナタのことを気にしてるんじゃないの。暇つぶしなの。
 
他者を気にせず、暇つぶし、これは、まさに楽山のことでしょう。楽山は、おおよそ、関わるだけの真実も心得も持たない宗教とカルトの問題に、さも分かっているふうに、コメントや記事を入れてきます。
 
人の迷惑を考えず何でも自分勝手にやるのが自由だと思っているのです。それに文句を言っているのは、全部、余計な口を出すことで、お節介だといいたのです。
 
通らない屁理屈の刷り込みで、いちゃもんだけのボンヤリ言語で、真実に反する卑怯な迷惑行為をして、根拠もなく良いこと言っているつもりでいる裸の王様が楽山なのです。
 
そして、批判されると、このリツイートのように、他者のツイートから都合のよい文言を選んで当てつけてくるのです。自分で説明とか弁明とかが、全然できないからです。
 
それに、楽山が、暇つぶしで宗教・信仰・真実について書いているとしか思えないわけですから、とんでもない無礼な話であり、ゆえに、引用元に対しても、無礼な話であります。
 
以上より、このツイートを引用する妥当性は、楽山が、していること、してきたこと、言ってきたことなどを考えれば、どこにもありません。人のことを考えず、なりふり構わない楽山の自己中の病質が今回も表れています。
 
中途半端に相手すると、どんどん入り込んでくるから、
笑顔で一言こう言いなさい。
「あ、大丈夫です」
午後2:45 · 2021年3月21日·Twitter for Android
 
人を巻き込み、評論家気取りで、子供じみた幼稚な先入観で物を言い、かつ、責任は一切負わず、詭弁で言い逃れを書いて、全くの無反省でいられるような楽山は、ずいぶん前から、病質の者であり、全く "大丈夫" ではない、とても有害な人です。
 
前に書いたように、楽山の笑顔は、微笑みではなく、意地悪な、ほくそ笑みか、高笑いであります。それ以外に求めるものがないようです。また、他にすることもないようです。
 
楽山は、悪意と作為について、結果を気にしなければ、平気でいられると思っているようです。あらゆる結果を気にしないということは、正常心理では、ありえないことなのですが、楽山は、病識がないので、反省することもなく悔いることもなく生きていられるのでしょう。
 
そのようにして、何度も何度も、楽山は、自ら、醜い自分を表して、恥をさらしに来るのです。
 
 
(2021年03月24日)
 
 
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  現代の偽善者2
 
 
二千年前の
キリストの時代には
偽善者は分かりやすかったかもしれない。
 
聖書のパリサイ人と取税人の祈りにおいて
多くの人は、かなり、はっきりと分かるだろう。
尊大で傲慢なパリサイ人と
赦しを乞う以外になかった取税人は
明らかに違っていました。
 
現代のパリサイ人つまり偽善者そしてサイコパスは
そのような分かりやすさを持たない。
 
現代の偽善者は
柔和な言葉遣いの丁重な挨拶から始まる。
 
現代の偽善者は
誰でも賛同するような話題を用意している。
そして褒め言葉や讃美言葉で熱心で敬虔な信仰者だと思わせる。
 
現代の偽善者が
尊大で傲慢になるのは
何らかの知的な話においてか
追いつめられたときでしょう。
 
宗教、政治、思想、などについて
彼らは、自分が知的に上だということを示します。
実はないのに、評論家のような立場で物を言うでしょう。
 
こちらの話は受け取らず、弁明せず、
自分の言い分だけを繰り返します。
 
その上で、じわじわと相手を貶めながら
従うことがベストだということを刷り込んでゆきます。
うっかり関わり続けていると
気づかないうちに刷り込まれてゆくのです。
 
彼らの言うことが、
すべての人に広まったら
いつのまにか、
気づいたら、とんでもないことになっている。
 
彼らの言うことが
何よりも自己中心を土台としていること。
けっして自らの罪や過ちを認めず
悔いることがないということ。
 
真実として、良かった、悪かった、ではなく
策略として、うまくいくか、まずいか、という判断です。
 
 
大事なことは、彼らの言うことが
聞き手に対して常に
上から教える態度に終始していることに気づくこと。
 
彼らの言うこととが
世辞の感謝やお詫び以上には
けっして微塵の反省も含まないこと。
 
これらに気づいたら一目散に逃げてください。
コメントにレスしないで無視して下さい。
けっして彼らの話に乗らないでください。
質問も確認もしないでください。
 
話し合おうと思ったりしないでください。
説明を求めないでください。
詭弁と無理解だけが返ってきます。
 
 
現代の偽善者は
覚悟の批判者だけが疑い
消耗を覚悟しながら批判する対象です。
 
彼らは
病的ナルシスト
サイコパス
病質者
異常者
偽善者
聖書のパリサイ人の
現代文明による進化型なのです。
 
 
現代の典型的なクリスチャンは
相手の本性を確かめることなく
穏やかな話には乗りやすい傾向があります。
 
教会で穏やかで美しい話ばかり聞かされてきたからです。
批判禁忌を教会が刷り込んできたからです。
 
現代の偽善者は
そこを狙ってくることを忘れないでください。
 
現代の典型的なクリスチャンは
そのままでは
だまし言葉と詭弁だけを仕込んできたような
現代の偽善者には敵いません。
 
昔のパリサイ人は尊大で無知でした。
超常信仰から自らが行う儀式的な行為の神秘性を
本気で信じ込んでいた者もいたかもしれません。
 
今の偽善者は、良心がなく
代わりに、丁寧と柔和を装い、意図して騙すことを企みます。
 
批判禁忌を教えられた信仰者は格好の餌食なのです。
 
 
潜在

潜在
 
 
(2019年05月24日、同日一部修正)
 
微塵(みじん)
騙す(だます)
敵う(かなう)
餌食(えじき)
 
(2021年03月21日、再録+)
 
 
※ 
 
 楽山のツイートですが
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·13分
この場面は、
カルト呼ばわりされたことに対して、
いかにもカルトっぽい言葉使いで反論してて、
思わず吹き出してしまったところです(笑)
これはようするに、
「わたしたち幸福の科学は、愛と悟りとユートピア建設を説く正しい宗教です」ということだし、
ぬけぬけとよく言えるなあ。
午前9:38 · 2021年3月20日·Twitter Web App
 
楽山は、自らの招いてきた事態を全く気にしないで無視する、という、楽山個人の「いかにもカルトっぽい言葉使いで」、反論も出来ないのに、「思わず吹き出してしまったところです(笑)」と書いています。自身の無反省と無責任が招いた不都合を何も気にしていないことが表れています。
 
楽山が、高等感情を持たない病質者らしく鈍麻を表して、揶揄して「(笑)」などと書くのは、自分は正しいから余裕があるとでも思っているのでしょうか。「ぬけぬけとよく言える」ものです。
 
楽山は、「愛と悟り」も知らず、他者の意見に不応で、自らの惨状に不感の、人格破壊的な偽「ユートピア建設」の妄想をいだいている自己愛執着の、気取りだけで他者を揶揄して遊ぶ原始的な自己虫病質者です。自覚が何もないということを、一生、繰り返し表して続けてゆくのでしょうか。
 
楽山は、決して、誰の味方にもなれない人です。
 
今日も、楽山の言葉が、楽山に返って、楽山を斬ってゆくだけの、楽山の人生になっています。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·4時間
申し訳ないが、「HSの悪口を書いていながら、HSで取材できると思うな。取材したいなら、HSに対して相応の礼を尽くしてからにせよ」と聞こえてしまう(笑)
それから人権は、人であれば天然自然にあるもので、義務や責任を条件に与えられたり、取り上げられたりするもんではないと思います。
午前11:28 · 2021年3月20日·Twitter Web App
 
楽山は、「申し訳ないが」という政治家の慇懃無礼の口調で言っています。
 
「人権は、人であれば天然自然にあるもので、義務や責任を条件に与えられたり、取り上げられたりするもんではないと思います」・・違います。犯罪者は、明らかに人権を制限されています。現状、最高刑は、死刑であります。つまり、公共の福祉に反しない限りでの人権です。
 
したがって、嘘吐きと偽善の悪行を働き続けている楽山には、人権を云々する資格はないのです。礼を尽くさず、礼の芝居でごまかす丁寧語で、宗教を子供じみた霊と超常の話と未熟な机上の理路の破綻で語って揶揄し、人を欺き続けている楽山は、首を洗って待つしかない立場でしかありません。
 
言い換えれば、楽山は、天然自然のあり方に、真っ向から反しているということです。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·4時間
「歴史的資料となるだろう。」とは誰の言葉なんだろう。
ふつうは、本の帯にある推薦文は、他者によるものだと思うのだが、
まさか、まえがきにある著者本人の言葉ではあるまいな? 絵文字(口を開けて笑っている顔)
午後4:18 · 2021年3月20日·Twitter Web App
 
このように、楽山という人は、他者のみっともないことや、自分より劣っていると思う人を見つけて笑いたいだけだろうと思います。そういうことが見つかると、このツイートのようなことを書かないではいられないのでしょう。
 
結局、日常でないところ、つまり、一つは超常の現実離れ、もう一つは、恥ずかしいゴシップが、楽山の唯一の楽しみなのでしょう。自分で、別の笑い、例えば、おかしいのではなく、心が温まって笑顔になるようなことを何も見出すことが出来ないようです。
 
楽山については、次のようなことを感じてきました。高笑いはあるが、微笑みはない。共感という言葉は知っているが、共感することがない。辻褄が合ったり、面白おかしかったりすると、感動したと言う。反省という言葉は知っているが、反省していないし、悔いてもいない。反省という言葉の前と後で、何も変わっていない。
 
恐らく、しんみりした深い情緒を感じとるセンスがないからだろうと思います。
 
楽山は、真摯、真剣、真面目、丁寧、ということを装いながら、その実質が全く見られません。腹の底では、他者を見下げていて、あらゆる不幸を、笑いの種と、芝居の種にするだけで、本気では何も気にしていないのでしょう。
 
 
(2021年03月21日)
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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