ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:空想

 
  空想に逃げる楽山
 
 『かがみの孤城』辻村深月著
 2022年12月03日 楽山日記(LD)
   を批判。
 
 
まともに生きている人間が小説を読んでいるという見せかけの、まともな生活を装っている楽山です。実際は、嘘と詭弁と刷り込みで、人をだまして誘導する、ネトウヨであり、反キリストです。短い感想文を書くことの意味はなく、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の症状です。
 
 
ツイッターで本作が話題になっていたので興味を持ち、読んでみた。あらすじは、不登校の中一女子が鏡の向こうの世界に行き、同世代の男女と交流しつつ、成長するという話である。
 
楽山は「鏡の向こうの世界」という空想の世界しか住めなくなったのでしょうか。現実逃避しか出来ないのでしょうか。偏見だけのキリスト教の否定を、ネトウヨで気取りだけの楽山が書いた文章の救いがたさ、それらについて、何の反省も後悔もせずに、書き続けられるという慢心は、病理によります。
 
 
物語が大きく動き出すのは後半に入ってからなので、前半はややじれったいところはあったが、物語世界の全体像が明らかになってからは大きな感動があった。涙涙。最後は悲しいけれども、綺麗な終わり方であり、読後感はよかった。
 
楽山に限って、涙涙はないでしょう。このように、ボク感じやすいの・・みたいに書いておけば、共感が集まると考えること自体が症状でしょう。「感動」「悲しい」「よかった」という単純な言い方しか持っていないことから、その感動言葉同様に、深みのないことがばれてしまう楽山なのです。
 
 
それにしても本作に限らず、小説の主人公はどうしてこんなにも繊細なのだろう。主人公がものを考える人でなければ物語がまわらないのは分かるが、中一でこれほどの思考力はすごい。
 
ウィキペディアによると、作者辻村深月は1982年生まれの小説家で、2017年の作のようですから、35歳頃に発表した小説のようです。「中一でこれほどの思考力はすごい」・・そういうキャラを描いているフィクションでしょう。実在のように感動することに違和感はないでしょうか。
 
 
それに比べると、自分が中一だったころは本当に何も考えていなかったと思う。もっともこれは当時はあれこれ考えていたのを忘れてしまっただけなのかもしれないけれど…。
 
今も殆ど考えていない楽山です。いちばん大事なこと、生きる上で考えるべき真実や人生の大事なことを、ことごとく妄想的な辻褄で語ってきた楽山です。その偏狭な精神で、キリスト教を侮辱した根拠は、具体的な奇跡が起こらないから・・という身勝手な拙劣さです。真実に向き合える人ではありません。
 
 
もしそうであるならば、それだけ自分は大人になったということなのだろうな、大人とは子供時代の記憶を失った人のことだとすれば。
 
自分の自己愛性の障害が表れ、迷惑をかけ、反省せず、責任を負わず、現在までの記憶を、全く意に介せず、平気でいることを「大人になった」と言っています。あらゆる都合の悪い「記憶を失っ」ているなら、まともに交流してよい人ではないのです。つまり、未だ人間ではないのです。
 
 
 
 霊言は名誉毀損になりえるのか?
 (「弁護士北村晴男ちゃんねる」の動画)
 2022年12月03日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
  を批判。
 
書かなければいいのに、なぜ書いてくるのでしょう。書くことが、まともではないことに気づかないからでしょう。人間性があれば分かるはずのことが、分かっていないのに、分かったつもりで書いてきて、分かっていないことが、さらに、明らかになるという経過です。
 
 
*霊言と名誉毀損、および信教の自由 ツイッターで、北村弁護士の動画が話題になっていたので、リンク保存しておきたい。
 
自己愛性人格障害の楽山に信教の自由を語る資格はありません。未熟で攻撃的で侮辱的な無根拠の否定をしてきたからです。人間的な感受性がなく思考も小学生並みに拙劣な宗教音痴に、そこまで言われる筋合いはないのです。分からないのに分かったふうに否定してくる加害が趣味の虚栄に生きる楽山です。
 
 
*手塚るみ子氏のツイート
上記の動画で話題になっている手塚るみ子氏のツイートは、こちらにまとめられている。
・手塚るみ子さん「最近『手塚治虫の霊言』という頭の痛い本が出版された。」
 
父親は漫画家の手塚治虫ということですが、『手塚治虫の霊言』などと書かれては、迷惑も甚だしいでしょう。作者は、大川隆法ORです。
 
 
*ややこしい
動画の話からすると、どうやら霊言を名誉毀損とするのは難しそうだ。その理屈は、霊言は一般には信じられていないので、霊言で何が語られようともその内容を本気にする人はおらず、社会的評価が傷つけられることもないので名誉毀損は成立しないということらしい。これは前に聞いたことがある話だけども、改めて聞いても失望とともに、何だか失笑してしまう。
 
楽山の霊能趣味と同じだということでしょう。「霊が分かるっぽい」と書いて、訂正しておらず、ホラーの話題が多い楽山です。どう失笑したのでしょう。楽山の、人の霊は否定して、自らの霊の話は改めないという自己中体質が表れています。人のことばかり言って、自らを見ない人です。
 
 
ただし動画ではこれに続いて、霊言は一般には信じられておらず名誉毀損にはならないとしても、信者らは信じているわけでそれによって社会的評価を傷つけることにつながるならば、名誉毀損にならないとも限らないそうである。
とすれば、霊言が名誉毀損になるかならないかは、結局、なるともならないとも断定的には言えないということか…。若干、歯切れが悪い答えではあるが、これがもっとも現実的な答えなのだろうな。
 
名誉棄損になりうるという話を、楽山は短絡思考で「断定的には言えない」という話にして「歯切れが悪い」「現実的な答え」という結論になるでしょうか。事実関係によっては犯罪になるということでしょう。楽山の見方は全か無のような話になり、一方で、語ることは、ボンヤリして終わります。
 
 
*霊言を信じるかどうか
最後に、ついでに書いておくと、私は北村弁護士と同じく、霊言は信じてはいない。霊言は真実というより、スピリチュアル エンターテイメントだろう。
 
今さら言い訳しても遅いのです。白々しい楽山を、楽山の発言の事実が、追及することになります。百害あって一利も一理もない楽山です。かつて「霊が分かるっぽい」と言ったのに、ここでは「霊言は信じていない」と言っています。赦されるはずもないことです。エンタという書き方ではなかったのです。
 
 
こちらの記事の後半にあるように、霊媒の口に水をためさせ、テープで塞いだうえでも霊言がなされ、その声が空中を飛び交うなどということが現実にあったならば、「本物かも…」と思うかもしれないが、霊媒が口を動かし、しゃべっていて、声も変わらないなら、それは真実の霊言とはいえなかろうと思う。
・『イギリスの霧の中へ 心霊体験紀行』の感想 (1) - 楽山日記(LD)
 
霊能趣味の楽山の見なしの幼稚さが表れています。超常現象が起こったら本物と思うのでしょうか。真実を声も変わるかどうかで判断するのでしょうか。どういう根拠なのでしょう。楽山の、自分でその場で決められるという、とても浅い短絡性が表れています。これで宗教を語られてはたまりません。
 
 
ちなみに、当該記事の追記にあるように映画『死霊館 エンフィールド事件』のなかでは、少女が口に水を含ませた上で、男の声で霊言し、その後、口に含んでいた水を吐き出すシーンがある。
 
ここで映画の話です。「口に水を」・・で、なるほどなんて思わないでください。楽山が、現実と映画を混同していることのほうが、はるかに病的なのです。楽山は、当為も事実も現実の理路を組み立てることが出来ないということが如実に表れています。
 
 
霊言が真実であるかどうかの見分け方として、霊媒の口に水を含ませ、しゃべれないようにした上で霊言をさせるというのは、もっとも簡単な検証方法だろうから、真実の霊言をしているという人には、ぜひともチャレンジしてみてほしいものである。
 
霊が分かるっぽい楽山は、すっかり霊能モードで見分け方まで書いています。「見分け方」「ぜひともチャレンジしてみてほしい」・・どうして、こういうことが分かるのでしょう。どういう能力と資格があって、超常の霊現象の条件を語るのでしょう。
 
根拠がありません。口で言えなければ、霊が語る証拠という短絡のようです。ペテンの細工~トリックの可能性は考えないのでしょうか。口で言ったら霊言ではないという根拠は何でしょう。そんな条件、分かるわけもありません。楽山は、霊言を先入観で決めて、思い込んでいるだけです。
 
現実と空想の区別がつかなくなったのでしょうか。思いつきで超常に自分の浅知恵を当てはめています。楽山は超常の条件まで語り出しました。楽山の自己愛性パーソナリティ障害の空想が、進行して妄想になってゆく精神病理のプロセスでしょうか。
 
手塚治虫は、SFを中心に、たくさんの楽しいマンガを書いてくれた有名人です。それを、楽山の霊能気取りで扱われては、ファンがたまりません。訴訟になりそうなのは、楽山のほうでしょう。どうか楽山に関わらないでください。近づかないでください。
 
 
現実から妄想へ

現実から妄想へ
 
 
(2022年12月05日)
 
 
 
  亡霊妄想
 
働きのない熱は
真冬の硬質な大気に
曝(さら)され刺されながら
凍てつく駐車場へ向かう
 
やがて外の風を通さない
走る車の温められた鍋の中で
シートにべったり沈み込んで
フロントガラス越しに
冷たい光へ首だけを晒(さら)して
首から下は煮汁になってゆく
 
とにかく仕事もせずに
給料だけ盗んでいるという
とんでもない人ですから
と思う人がいて言う人がいて
人を貶(おとし)めるために
人の名を騙(かた)る人がいる限り
社会の片隅で益々(ますます)動けず
 
動かないまま流れてゆくだけの
働きのない熱は
帰ってきて車を降りてから
再び大気に曝され
凍り付いた灰汁(あく)から澱(おり)までを
今度は部屋の暖房で
再び融(と)かそうとしている
 
これほど浮かばれぬ
亡霊になろうとは
生きながら鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)
いつまでも不十分な
凍結と融解のまま
 
 
  (抜粋)
 
危ない情動を青白い顔の端末に隠して
先祖のぶら下がりの血の重み
妄想の救い難い正直さ
あらゆる血の徘徊を
飲み込もうとして咽頭が裂ける
薬で癒されぬ重い風の迷いの中
 
無理な睡眠に逃げていこうとする
無理な答えに問いに
また悪夢から悪夢へ
のめり込む遊びの前に
明日はすでに数え始めている
眠れなかったとは言えない速さで
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
嘘吐きでは済まなくなりそうです。楽山が書けば書くほど異常性が表れてきます。自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)は進行性なのでしょうか。学習と反省をしないと、病質人格が、どういう方向に進行してゆくのか、・・恐ろしい気がします。統合失調的な妄想に向かうのでしょうか。
 
 
 
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  楽山の児戯性2
 
 『竒談の時代』百目鬼恭三郎著 2020年05月16日
 楽山日記(LD)への批判記事を再録+
 
 
楽山は、今までの心霊や超常の話を、子供じみた空想話を出して、ごまかそうとしています。見苦しい言い訳ですが、楽山は、それで済むと思ってしまう人なのでしょう。恥とか罪とかを知る正常な心が無いからでしょうか。
 
 
本書は日本の古い書物にある不思議な話を分類、整理、紹介したものである。頁を繰ってみると、死後の世界や生まれ変わりについての項目があったので、とりあえずその部分だけ読んでみたのではあるが、どうも結論としては、著者の書きぶりからゆくと、それらはみな事実であるというよりも、生きている人々の作り話ということになりそうだ。こういってしまうと何やら身もふたもない話だが、どうもそれが現実であるらしい。
 
まわりくどい筆致です。「古い書物にある不思議な話」について「作り話ということになりそうだ」と書くことで、宗教一般を否定したいのでしょう。しかし、前の記事で、生まれ変わりを信じることができれば便利などと言ったのは、フィクションから何も学べない、「身もふたもない」楽山です。
 
つまり、楽山は、超常が大好きで、日常が大嫌いなのでしょう。霊が分かるっぽい?立場から、たくさんの記事を書いてきたのも楽山です。宗教と信仰を、超常現象でしか考えられず、かつ、そこから学ぶ教訓もない楽山は、勉強嫌いの怠け者と言うしかないのです。
 
心理学の「心の理論」という話を、霊の話にしたのも楽山です。心理学は、心理について語るのであって、霊について語りません。奇跡について、行き詰まりの循環論法を書いておきながら、分かったかのような筆致を捏造して、成り立たないデタラメを、もっともらしく見せていたのも楽山です。
 
楽山の話こそ、「身もふたもない」デタラメなのです。こういう人に、宗教とは何か、真実とは何か、などについて、決して、議論しようなどと、思ってはいけません。混乱し、思考と感性が鈍くなり、果ては、人格が破壊されるでしょう。どうか、関わらないでください。
 
(ネットより)
身(み)も蓋(ふた)もな・い の解説
言葉が露骨すぎて、潤いも含みもない。にべもない。「そう言っては―・い」
 
幼稚な超常の空想で、キリスト教とキリスト信仰を、否定したり、深く信じないほうがよい、などという、わけのわからない信じ方に、おとしめようとするのが、楽山です。楽山は、宗教を信じないのもよくないが信じ過ぎるのもよくないと言って、何の方向も示せない言論のクズです。
 
自分が間違っていたことを認めて修正・訂正するのではなく、くどくど言うだけで、何も実のあることが書けないのは、その場その場で、理解も努力もせず、自分の都合の良いように、ねじ曲げて否定するだけで、いい加減に書いてきた、いちゃもん屋だということを表しています。
 
 
まず死後の世界の話については、その形成過程をみると、人々の疑問に答える形で拡充されて行っており、はじめの嘘を正当化するために、後から話をつけ足していっているようだし、生まれ変わりについては眼前の不条理を我慢し、やりすごすために、前世の因業という話をこしらえ、それが広まったということのようだ。
 
「はじめの嘘を正当化するために、後から話をつけ足していっている」のは、それこそ、前からの、楽山の筆致、というより、楽山の、日常的な、詭弁の営みのようなものです。もちろん、ペテンの営みです。このように、自分の書いたことに、楽山は斬られ続けているのです。
 
今ここで、戒める側にいるかのように言っていることは、楽山が、まとまった思想を持たず、いい加減な人物で、平気で嘘を吐き、その誤りを認めて反省~謝罪~訂正することなく、別のことや、逆のことを、また平気で言うような、空想と思い付きだけの人であることを表しているのです。
 
自らの不全や欠陥を他者のせいにして、自分はそれを指摘しているかのような書き方をすること自体が、楽山という人が、言論というものについて、非を認めることのできない自己中の卑怯者であり、自己顕示欲だけがあって、無反省であり、信頼できない人であることを逆に表しているのです。
 
 
こうしてみると不思議な話は信じ込むのでなく、自分の生活をよくするための方便として聞くか、エンターテイメントとして割り切るのが無難のようだ。
 
言ってみれば、楽山は、ずっと、人を惑わし、だますことを、エンターテインメント(娯楽)としているのです。そして、楽山には、身勝手で、邪悪な、ふざけたライアーゲームの娯楽しか生き甲斐がないのでしょう。関わる者にとっては、大迷惑であり、下手をすると犯罪に結びつくものです。
 
今まで、学者気取りで、批評家気取りで、楽山の書いてきたことを、今さら、エンターテインメントだと言えば、それはそのまま、楽山は、遊びで、キリスト教とキリスト信仰をけなし、遊びで宗教や心霊について、ねちねち書いてくる変態だということです。思想の芯となるものが何もないのです。
 
 
ちなみに余談ながら、自分の周囲にも前世を記憶する子供たちのようなエピソードはある。あくまでも知人の話ではあるが、彼は幼かった頃、生まれる前のことを知っていると言っていて、両親からそんなことがあるわけがないと笑われると、決まってこう答えたそうだ。
「ぼく、お母さんのお腹の中にいるとき、おへそから外を見てたんだもん。だから、みんな知ってるんだもん」
彼は今はもう幼かった頃の自分がそんな荒唐無稽なことを言っていたことはすっかり忘れてしまっているのだが、両親はいまだにこれを笑いの種にするので閉口しているとのことである。
 
楽山の幼児期のことでしょうか。のちに親から聞いた話みたいなことでしょうか。それで、楽山は、ずっと、自分は特別だ、霊の世界が分かるんだ、と思うようになったのでしょうか。
「心の理論」で、仏様の気持ちが分かるっぽい自覚を語っていた楽山です。安易に超常に感情移入する傾向があるのでしょう。
 
楽山が、このように書くのは、まるで真剣味がなく、今まで書いてきたことなんか、オチャラケですよ、・・と言っているようなものであり、そのことは、楽山が、いかに、お気楽に、嘘を吐く人であるかを表すことになるのです。
 
ふつう、そういう人は、叱られて、書くことを禁止されるか、恥ずかしくて自ら控えるものですが、楽山には、その気がなく、何とか、冗談として乗り切れると考えているわけだから、あきれます。つまり、楽山は、言論者たる資格と節操を何も持っていない自己愛だけの人です。
 
つまり、楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だということです。惑わされないためには、近づかないようにするしかない、という結論になるでしょう。楽山は、嘘を吐いても、罪悪感も羞恥心も感じない人です。
 
 
想像するに、こういうことは子供なりのユーモアで言っていたことであろうし、それならば生まれ変わりがどうこうと真面目に受け取る必要もなく、このご両親のように朗らかに笑って楽しむくらいが丁度いいのだろうと思う。
 
楽山は、ユーモアだから、笑って楽しむのがいいと言っています。子供の話ならば、それでいいのでしょう。楽山は、子供でしょうか。いいえ、楽山は、大人として、実に長い間、宗教や心霊や超常のことを書いてきました。そして、宗教と信仰は、笑って楽しむ娯楽ではありません。
 
楽山は、真剣味もなく、霊や超常のことを話して、否定も反省も訂正もしていないということです。オカルト趣味、ホラー好み、そして、宗教を、魔法の世界としてしか語ってこなかった楽山の、小学校レベルの興味に付き合うことだけは、どうか、しないでください。
 
すでに、うんざりするくらい、読書家気取りで、本の、都合の良い文言を引用して、大きなテーマについて、空想~妄想話を書いてきて、今さら、「子供なりのユーモア」の話と言っても、嘘と詭弁で逃げようとすることによって、ますます、楽山の醜い悪意が明らかになってゆきます。
 
楽山は、底知れない悪意と企みの人、反省せず、学習せず、成長しない人、そして、病識のない異常人格です。批判目的以外では、関わってはいけない人だと思います。勉強嫌いの意地の悪い子供が、そのまま大人になっているようなものです。
 
 
独り芝居3

独り芝居
 
 
(2020年)(2021年)
(2022年05月25日、再録+加筆)
 
 
 
  しみる夜
 
ぬるい夜
ぬるい湯に
爛れるばかりの
阿片の夢に
流れ出しては崩れていく
この顔を直接
一生見ることはない至福よ
何のために
どのようにあり
あるいはあったのか
過去は現存しない
死んだ果実の名残を求めて
臆病な浸出が
皮肉な川を渡り
また一つ色褪せて
薄くなった肌をなぞっては
しみる
痛みから
否応もなく
犠牲になって
消えてゆく
それが現存する
唯一の夜
 
 
  虫の音
 
物音は
集まれば集まるほど
耳に障る
気にすればするほど
大きくなる
集団の声は苛つく
人の声も 雑踏も
独り聞いた蝉の声も
蛙の声も
耳鳴りも
恐らく幻聴も?
 
波のように
あたり一面
姿のない虫の声
遠くか近くか
どれほどの数か知らぬが
ただ一匹だけ
窓近く
チロチロと
鳴いているのがいる
不思議と耳に障らず
寂しく泣いて
訴えているようにさえ聞こえる

眠れない夜を殺し
耳鳴り騒ぐ
眠れない夜を死なせ
秋の虫 なく
 
 
  青年と老人
 
公園のベンチに
青年と老人が並んで座っていました
声にならない独り言が
ときおり二人の唇を細かく動かしていました
 
青年は寂しさを知らない
寂しくないことを知らないから
たのしい人になる
たのしい人になる
老人は苦しさを知らない
苦しくないことを知らないから
しあわせの人になる
しあわせの人になる
紙袋がすうっと飛んできて
不意に舞い上がって
また飛んでいきました
青年は風を見ない
老人は風を忘れた
二人とも目の前にあるゴミ箱の
ゴミを燃やしてくれる人を待っていました
二人の間に座っているはずの男を
いつまでも待っているのでした
 
二人とも
ベンチを壊して
カゼになれ
カゼになれ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
一種も二種もなく、反省しないのは、人間の性ではなく、人間性の欠陥です。誰でもそうでしょ・・みたいな書き方に騙されないでください。自己正当化の詭弁を、いろいろ書いてきた楽山ですが、一つとして成り立ったことはありません。持つべき病識もないのは、質量のない人格とも言えそうです。
 
 
 
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