楽山の上っ面
 
 『聖書を読んだら哲学がわかった』MARO
  (上馬キリスト教会ツイッター部)著
 楽山日記(LD) 2022年03月29日
   を批判。
 
 
楽山が、いかに、宗教と信仰を上っ面だけ見ているかが表れています。毎度、深みのない記事を書いて何が楽しいのだろうと思いますが、恐らく、お笑いを見るのと同じ気持ちなのでしょう。宗教と信仰を、お笑いと同じ興味本位で視線で見るのは、深く考える気持ちも能力もないわけで、迷惑は測りしれません。
 
楽山は、聖書も知らなければ、哲学も知りません。自己中に凝り固まっている者は、どちらも理解することはないのです。自己の罪と偽善を知る人が、信仰を知ります。先入観のない心と頭を持っている人が、哲学を知ります。楽山には、どちらもありません。上の「分かった」は大嘘です。
 
 
*期待通り
最近は小説ばかり読んでいたのであるが、ひさしぶりに哲学の入門書を読んでみた。この著者なら、きっと面白いに違いないと思った通りの本でよかった。
特に印象に残った箇所をいくつかメモしておきたい。
 
なぜ「面白いに違いない」と思ったのでしょう。そして「メモして」おくのだそうです。それが、今までと同じように、何も実のある内容は書けない楽山です。楽山が、宗教と信仰に向ける目は、変わることなく、お笑いと趣味のレベルで、宗教と信仰は、そのレベルのものだと言いたいだけです。
 
 
*聖書の注釈
まず一つめは、「西洋哲学は聖書の注釈」(p.27)という言葉である。西洋哲学の基礎にはキリスト教があるという指摘はよく聞くが、これはそこからさらに一歩踏み込んでいるようで、ハッとさせられた。
 
「踏み込んでいるようで」「ハッとさせられた」そうですが、どこが、どのように・・ということは、書かないのです。つまり、何も受け取っていないし、考えてもいないから、書けないということです。楽山が、宗教と信仰に向ける浅はかな目は、ずっと、このような、軽くあしらうためでしかありません。
 
喩えて言ってみれば、"数学にはハッとさせられた。数はたくさんあるんだね"・・というようなものです。参考にならないだけでなく、宗教と信仰に向けている軽々しさに、うんざりします。楽山の書いてくるものに、批判目的以外で、時間を費やさないでください。
 
 
*因果応報
もう一つは、因果応報についての話である。
「悪い結果は必ずしも悪い原因が起こしているわけではない」とイエスはこれを否定したんです。
(『聖書を読んだら哲学がわかった キリスト教で解きあかす「西洋哲学」超入門』MARO著、日本実業出版社、2021年、p.128)
 」
恥ずかしながら、自分はいまだに因果応報的な発想から抜け出せていないので、二千年前にはすでにこういうことが説かれていたというのは驚きだし、感動しないわけにはいかない。
 
楽山が、因果応報の発想を持っているなら、このような、いい加減な記事は書かないでしょう。「驚きだし、感動しないわけにはいかない」という賛辞は、全く、中身がありません。べた褒めしておけばいいじゃろ・・という安い根性丸出しです。
 
 
*人それぞれ
三つめは、「人それぞれ」ということである。
真理に至れないことがわかったから価値観は「人それぞれってことにしよう」というのが現代社会の一つの答えなのだと思います。
(同上、p.231)
 」
これはまさに自分の考え方だ。人に真理は分からないのであれば、せいぜい「私はこれが真理だと信じています」と言えるくらいで、「これこそ真理だ。みな、この真理に従順でなければならない」と言って他に強制することはできないと思うので…。多分こういうことは宗教の信者でもなければ言えないだろう。
 
何度も言ってきたことですが、「人それぞれ」には、公共の福祉という人道に反しない限りという節操が付いています。何度も言ってきたのに、また、ペテンの自己正当化をしています。ここには、恐ろしいほどの悪意の臭根深さが表れています。とても言論者とは思えません。
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山は、言葉だけで、自己中・自己愛・無責任の自分勝手を通すために「人それぞれ」を出してきているだけです。訂正不能の悪意を、なおも、改めないから書けることです。どうか、欺きに満ちた楽山に、関わらないでください。
 
 
*またかよっ!
最後に一言。
本書では「~んです」という語り口が多用されている。これには、はじめは違和感があったけれども、どういうわけか、しつこく繰り返されるうちに、「またかよっ!」とツッコミを入れたくなるほど愉快な気分になってしまった。
これは意識的なものか、ただの口癖かは分からないが、独自の語り口があるというのは微笑ましくて、いいもんだなと思う。
 
「ツッコミを入れ」たい「愉快な気分」だそうです。揶揄して笑いたいだけだと分かります。真剣味の欠片も感じられません。恐らく何を読んでも、楽山が、真に感動することはないでしょう。だから、読んだのではなく、読んだことにしているだけだと思います。
 
だまされないでください。このような記事で、冷静な人だと思わせたいペテン師は、底知れない悪意を隠しています。楽山は、何ごとも真剣に学んだり取り組んだりしたことはないと思います。笑いたい、面白がりたい、文句を言いたい、そういう欲望だけで、自己顕示してくる惨めな人格です。
 
 
嘘と世辞

嘘と世辞
 
 
(2022年03月30日)
 
 
 
 
楽山は、権力を持つほどの賢さはないでしょうが、"裏地見るとプッツン"と似ています。自己中心的なことしか言わないとこや、訂正不能に自己愛からの妄想に満たされているところです。楽山は、プッツンすると犯罪に走るのでしょうか。もはや、精神が崩壊して、アハハモードでしょうか。
 
"裏地見るとプッツン" の大量虐殺が続いています。"プッツン"によって、第三次世界大戦になってしまうのでしょうか。そうなると、日本も他人事ではありません。炎の中を逃げ惑うことになるでしょう。"プッツン"が、核を発射する前に、いなくなることだけを熱望します。
 
 
 
私、200余のサイトをお気に入りにいれて、更新80記事くらいを、毎日、旅しています。最近メニュー形式のブログが多くて、最新記事への行きも帰りも、ひと手間、余分にかかります。だから、どうということはないのですが、私は最新5記事を並べています。余談でした。失礼。
 
 
 
  酸素
 
酸素が必要だ
 
目は開いている
呼吸が止まった
 
わずかに声帯を震わせて
圧迫された息が解放される
 
 0・一秒いや0・0一秒
 気道の中に閉じ込められた空気は
 誰にも見えない闇の中
 誰にも見えない方向に
 壁を打ち破ろうとした力
 熱の加速
 神経が電撃となり
 筋が一挙に統制され
 収縮したことは確かだが
 
呼吸が再開した
収縮を繰り返す筋肉
目は開いている
動いている
眩しい視線と
光が天に走る中
呼気のように汗が吹き出す
さらに激しく取り込まれる空気
 
酸素が必要だ
 
 
  「それ」からの手紙
 
光があるから影ができる
しかし光があるから影があるのではないとも言える
夜の闇の恐怖に連なる暗さに似た
影というものの存在を目で見て知ったからこそ
影を作らせ反対側で闇をなくす
方向を持った存在を初めて知り
それを光と名付けた
 
ばい菌やウイルスがいるから病気になる
ばい菌やウイルスなど病原体そして
全ての病気の原因は
病気が起こるから探される
病気があるからそれがない状態を知る
それがありがたいから健康と名付けるがゆえに
予防しようという考えが生まれる
 
影によって光を知る
病気によって健康を知る
 
絶望によって希望を知る
希な望み
誠に希望を本当に知る人は少ない
欲望は派手な花々を求めてやまないが
希望はただ生きる魂を求めるのみである
それを知っているかぎり希望は
あきらめの中にさえなお存在しうるのです
探し続けてごらんなさい今ある力の限りを尽くして
絶望とあきらめの中にいる今こそ
 
(強がることだけはしなくない 生ける屍より)
 
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
HSを擁護する方には、これとは反対に、アンチ本は何冊読んだかを明記してほしいですね。
HS擁護するなら、最低でも、「虚業教団」、「大川隆法の霊言」、「幸福の科学との決別」、それからカルト新聞くらいは読んでおくべきです。
批判は読まず、HSの受け売りばかりでは話にならんので。
 
楽山においては「何冊読んだか」は無意味です。楽山は、本を読んでも、自分に都合のよいところだけを拾って書いてくるだけだからです。何度も指摘してきましたが、まだ、こういうことを書いてくるのは、楽山に学習能力がないからでしょう。楽山は、読書さえも、恣意的に利用~悪用する人です。
 
楽山が「読んでおくべきです」と言うのは無意味です。楽山の読書は、読んだことにしているだけだからです。楽山には冷静な読解力がありません。自己愛に固定して自分に都合の良いことしか受け取らないからです。ゆえに読書すればするほど、さらに自己愛・自己中が良識を押しのけて凝固するのです。
 
楽山やシャロームのペテンと詭弁は、吐き気ものですが、悪の道に年季が入っています。しかし、偽りを自身に強いているので、自分も壊れてゆき、回復不能になってゆきます。その結果、欲望の一部が刹那的に成就しても、人格全体としては、じわじわと崩壊の一路を辿ることになります。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
欠点を「人間の性」と一般化する詭弁。強がりだけを押してくる楽山です。そんなに人を笑いたいのか、そんなに人に勝りたいのか、優しさや柔和を気取っても、理路を辿れば、訂正不能は明らかです。病質によるものだとは思いますが、この病は、共感を拒否する空疎な優越感で成り立っています。
 
 
 
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