自己愛の偏向
 
 公平とはどういうことだろう?(批判者の存在価値)
 2023年01月17日 幸福の科学とは何だろう?
   などと言う白々しい凶悪犯、楽山を批判。
 
 
ふてぶてしく厚かましい楽山が、また書いてきました。罪悪感も良心も持っていない証拠です。たとえば、恥ずかしいとか、まずいことをしたとかを、全く考えない、感じない、訂正不能の自己中サイコパスの生存方法なのでしょうか。犯罪者楽山を、このまま許してはいけません。
 
新年になっって早々に、人のPCを妨害・破壊してきたネット犯罪者の楽山に、公平を語る資格はありません。騙されないでください。楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)、そして、サイコパスです。良心も罪悪感も持たない異常者です。騙されないでください。
 
楽山の詭弁が全開のようです。一言も成立せず、人格未熟の悪あがきだけが見苦しい楽山です。こういうインテリ気取りの虚言癖を真に受けると、共に人格の鈍麻~破壊に向かう可能性もあるので、決して関わらないでください。病識もなく他者の人格を平気で破壊する変態です。
 
 
*まえおき
 先日、公平について考えさせられる出来事があった。
 これは大切なことだと思うので、自分の考えをここにメモしておきたい。頭の中で考えただけでは、すぐ忘れてしまうので…。
 
「忘れてしまう」というのは本当です。楽山は、自分の罪も悪も都合の悪いことは、すべて忘れてしまうか、無視します。そして三文芝居で善人を気取ります。すべて悪意によるもです。実際は、無視して、平気でいられるほどの自己中の病質なのです。無反省で無責任です。成長できない人なのです。
 
 
*えこひいき
 まず自分が、公平について強く意識するようになったのは、小学生時代だった。教室内では「先生は優等生をえこひいきしてる」という声があって、私もそのように考えていたのだった。
 
楽山は自分だけを依怙贔屓(えこひいき)して、自己正当化をしてきますが、嘘だらけの弁明、成り立つことはありません。自分を省みて反省することがなく、全て人のせいにします。恐らく子供の頃から問題を起こしてきたと思われます。楽山の言うことは、全て三文役者の芝居です。
 
 
*偏向マスコミ
 次は青年時代である。政治に興味を持ち始める年頃になると、マスコミの偏向がやたらと気になりだし、テレビ、新聞を見る度に、いつも腹を立てていたのだった。
 
楽山の政治思想は、右翼、ネトウヨです。A級戦犯を讃える男です。民主主義を嫌い、さらに、何主義でもなく、利己に凝り固まって、知性も、感性も、育て損なった病質者です。全ての良心を、危険な思想に陥れることが、楽山の快感となります。真実追求の議論からら追放されるべき人です。
 
 
「マスコミに中立公正な報道を期待しても仕方がないのではないか。そもそも人には中立公正な判断なんてできないのだ。それならマスコミ各社がそれぞれどういう理念によって判断していのか旗幟鮮明にして報道するのならそれでよしとすべきではないか。仮に一社の報道が偏向していても、さまざまなマスコミの報道を確認、比較するなら、その偏りに惑わされる危険は少なくなるだろう。実際多くの人はそれを実践しているだろう」云々。
 
「中立公正な報道を期待しても仕方がない」・・自分の自己中を正当化する詭弁の誘導です。楽山には、旗幟(きし、のぼり、立場)などありません。詭弁、刷り込み、印象操作などによって、人を操って、満悦する変態です。決して真に受けないでください。約4年、批判を続けています。
 
 
*ブログの方針
この考え方は、いまでも有効だと思っていて、当該ブログもその立場で書いている。「一つのテーマについて、自分は自分の意見を書く。自分自身は公平中立な意見を述べているつもりでも、おそらく偏りはあるだろう。けれども仮に意見に偏りがあったとしても、同じテーマについて他の人は異なる意見を書くだろうから、それによって偏りは無効化されるのでさほど問題にはなるまい。むしろ多少の偏りがあった方が、意見の多様性という観点からはプラスになるだろう」と。
 
「自分は自分の意見を書く」「異なる意見」「偏りは無効化される」と言っていますが、楽山の魂胆は、印象操作であります。印象は残るので、無効化は、されません。好き勝手に発言していい理由にはなりません。こういう詭弁の自己正当化を成り立たせてはいけないのです。
 
「多少の偏り」ではありません。洗脳に近いものです。楽山は、そういうやり方で、キリスト教を否定したことから、ペテンがバレてきました。言ったら、言いっぱなしで、反省もせず、責任も負う気ももない、言論失格のサイコパスなのです。決して関わらないでください。
 
 
*批判の必要性
ちなみに上の考え方は、少し視点を変えると、こうも言える。「仮に、Aという宗教団体が存在したとすると、A教団は自分たちの正統性を主張し、信者もそれに同調するだろう。こういう状態は、いわばA教団について肯定的情報だけが流れている偏った状態である。これを是正するにはA教団について否定的情報もあった方がよい。A教団にとって、肯定的、否定的どちらの情報も存在してこそ、中立公正な判断が可能となり、社会全体の利益にもなる。このためには信者ブログとアンチブログは、どちらも必要である」云々。
 
賛否はあったほうがよいが言ったことには責任が伴う、という常識が欠損している、ある種の発達障害であり、人格が自己の思いつきが固定した妄想レベルのままなのです。Aとか書いても無駄なのです。何ごとにつけ、学習と成長が見られないまま、大人のつもりだけの、理路未発達の偏向者が楽山です。
 
 
教団にとっても、信者にとっても、アンチは煙たい存在かもしれないが、教団に興味を持った人が、さまざまな情報を得て、多角的視点から判断できるようになるためには、それは必要なのだと思う。おそらくはアンチの存在価値はここにある。
 
楽山は、アンチではありません。ネットにおける精神の詐欺師です。あらゆる宗教と思想の敵です。自己の妄想的な悦楽を求めるだけの未熟者~破綻者です。笑いと怒りの感情はあるが、しんみり悲しんで反省する心を持たない精神の病質です。
 
 
*両論併記
 次に、両論併記について書いてみたい。
 自分は公平性の担保のためには、両論併記が必要だと考えてきたのだけれども、それとは違う考え方もあるようだ。
マスコミが一つの問題に対し、必ず賛否両論を併記するのは中立性を担保するための免罪符であり、同時に自分たちの本音を隠す手段でもある。社会に多様な声があるのは当たり前だが、一つのニュースに対する市民の賛否両論の分量は、つねに同じではない。これに対し、マスコミが各種の声にほぼ均等なスペースを割く慣習は、かえって不公平だ。
〈省略〉
第一歩として、まずは賛否両論を併記して中立を装う慣習を改めよう。責任を持って堂々と自分たちの考えを主張するジャーナリズムに生まれ変わってこそ、オピニオンリーダーとしての誇りを維持することが出来るのだ。
 
楽山は勝手に物が言いたいだけです。賛否両論の中に、嘘や詭弁が入ってはいけないのです。さらに、楽山と議論してはいけません。楽山は、思想家気取り、宗教家気取りで、自分を立派に見せたいという自己顕示欲しか持っていません。得意なのは、話を逸らして相手を混乱させる悪趣味だけなのです。
 
 
・日本のマスコミの両論併記の慣習はガラパゴス - JICA
ファクトに基づいているのはどちらか、そもそも並列にしていい性質のものなのか。
そう問いかけることは、必ず君の判断の手助けになるはずだ。フェイクニュース時代を生き抜くために、ぜひそんな習慣をつけてほしいと思う。 
 
楽山の意見は、成り立たない嘘と詭弁がメインで、そこを、気取りと丁寧語でごまかして、柔和を装ってきます。批判しても、言い方を変えてごまかします。議論など、出来ない、成立しない人なのです。気取りの筆致に騙されないでください。
 
 
・松原 耕二 - 第13回“両論併記の罠”に気をつけよう
どこかで、「カルトを批判するのに、いちいちカルトの意見なんか紹介する必要はない」という趣旨の発言を読んだ記憶があるのだが、上の文章を読むと、どうもこれにも一理あるように思えてきた。
カルトは違法行為や人権侵害を行うからカルトなのである。それを批判するのに、いちいち違法行為や人権侵害を正当化するカルトの屁理屈を宣伝する義務はあるまい。
 
楽山の意見をまともに読んではいけません。誰かが言いそうなことや、当たり前のことしか言えない人で、そこを、まともそうに、持論であるかのように、ねじ曲げてきます。正体が分かると、いかに徒労だったが分かり、異常な疲労を感じます。経験済みです。楽山は、無視するしかない病質者です。
 
 
とはいえ、根がどこまでも臆病にできている自分は、それでもやはり意見を主張するときには、反対意見も紹介しておかないと何となく気が引けてしまうのではあるが、この問題についてはもう少しゆっくり時間をかけて考えてみたいと思う。
 
また嘘を吐いています。楽山は、臆病どころか、誰よりも厚かましく傲慢な人格で、知情意が発達しておらず、まともに考えることも整えることも出来ない人です。その分、妄想や思いつきで、ごまかして、悪意で騙して、まともに見せかけようとするのです。
 
 
凶悪

凶悪
 
 
(2023年01月18日)
 
 
 
   (抜粋)
 
笑っている自分と
部屋のすみで嘔吐している自分と
いつか耐えきれず
 
ちぎれてゆく紙の音
震え過ぎた紙の声
深みのない視線で見渡せば
遠い山から吹いてくる風が
神の声にも聞こえよう
 
人格の崩れゆくとき
愛は悪い夢の中で目覚め
流涎して悪い現に夢を見る
 
メディアの渦巻く
エリアをさまよい
マルチでなかった神経の先端から
悲鳴をあげる
 
泣いても届かず
叫んでも届かず
システムから飛び降りて
渦巻くメディアの上に
乗って振り回され
はじき飛ばされた果てに
いつしか古い
ブラウン管にうつっている
 
 
  (抜粋)
 
危ない情動を青白い顔の端末に隠して
先祖のぶら下がりの血の重み
妄想の救い難い正直さ
あらゆる血の徘徊を
飲み込もうとして咽頭が裂ける
薬で癒されぬ重い風の迷いの中
 
無理な睡眠に逃げていこうとする
無理な答えに問いに
また悪夢から悪夢へ
のめり込む遊びの前に
明日はすでに数え始めている
眠れなかったとは言えない速さで
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
白々しい詭弁で
キレイごとを書いてくる
 
サイコパスは居直る
 
どこまでも悪臭のゲロが
まだ物を言う
 
二目と見られぬ不感の貧相は
自らの腐敗を誇るほどに
心の失せてゆくままに
 
気づかないまま
また顔を出してくる
 
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。しかも犯罪行為に及ばなければ強制的に抑制は出来ません。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを置かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して誘導し、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
精神構造はカルトに似ているので、無神教カルトと呼んでいる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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