一休み。批判と、詩のようなもの、昔々の春の詩4つ。宗教1つ+
あり合わせで申し訳ない。
 
 いつも不真面目な反キリスト楽山のツイッターです。
 楽山の、まとも芝居にだまされてはいけません。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
なんとなしに、『ジョーズ』で、人喰いザメ対策より、経済優先を主張する人がいたことを思い出しました 顔文字(口を開けて冷や汗をかいた笑顔)
引用ツイート
釈 量子
@shakuryoko
 · 4月23日
“戒厳令”で支持率が上がるとでも思っているのでしょうか。経済を回さなければ、生きていけません。“独裁者ごっこ”はやめていただきたい。
#灯火管制
 」
午後5:11 · 2021年4月24日·Twitter Web App
 
コロナ禍の問題を、「なんとなしに」『ジョーズ』で語ったつもりの楽山です。万事このような考え方であることが、この2年間で明らかになっています。真剣味が、まるで無いのです。
 
宗教を、趣味の、ファンタジー、ホラーアニメ、パニック映画、お伽噺、フィクションといったレベルで語って、批判し、否定したつもりになっている楽山であります。
 
コロナ禍については、そろそろ、医療崩壊、経済崩壊、パニックに備えて、生存権を直接強力に守る政策を考えておかないといけないような気もします。
 
人口3億2千万アメリカ:感染数3200万人(人口の10分の1)、死亡57万人。
人口1億2千万の日本:感染数56万人、死亡1万人弱。
(人の死を「万」単位で見ているとは・・。オレも、そのうち、行くんか・・の世界。)
アメリカの死亡数と日本の感染数が同じくらいというのは、まだまだ、日本では、終わらないという意味でしょうか。
 
 
 楽山に筆致の似ているツイートですが
 
raku
@rakusyo34
偽情報に惑わされない方法って、
そもそも、偽物ほど
友達、ママ友アピールしたり、
急に会ってこられたり、
永遠に食べられない人参をぶら下げて、多幸感アピールしてくる界隈は要注意ですね。
午後11:15 · 2021年4月24日·Twitter for iPhone
 
気取りだけの評論家である楽山は、まわりくどい丁寧語のボンヤリ言語と、わざとらしい卑下芝居のトホホ言語をもって、てれてれと、しつこくアピールしてきます。
 
文章を読んで、楽山には反省も訂正もする気がなく、理路は破綻し、感性は鈍麻して、およそ、楽山が引用する学者や有名人とは比べ物にならないほど、低劣な欲望の動機と、途方もない高望みから、愚にもつかぬ文章を書いているのが分かります。
 
しかし、それを、楽山に指摘しても、無視して、平気で、続けているのは、やはり、何らかの病質のせいであろうと思っています。いずれ、楽山の言葉は飛び散って、解体されるであろう宿命の、刺すような孤独感に駆り立てられての本能的衝動行為に至るのでしょう。
 
楽山こそ、「永遠に食べられない人参をぶら下げて、多幸感アピールしてくる」身の程知らずの、不感不応の、変質的で衝動的な煽動屋に過ぎないのです。
 
 
 
  陽気2
 
朝は冷ややかなプチうつをもてあそび
ほころびをつくろう部屋の始まり
 
昼は歩みを木の廊下にしつらえて
やさしい足裏の弾力に厭世を返す
 
夜はふくらんだ嫉妬をしずかに灯し
こだわりのない時を温める
 
幾度ひっくり返ったら
虫のあやまちを悔いるだろう
 
乾いた悲劇が陽気を嗅ぎつけて
恥ずかしい vivo が失われそうだ
 
 
(2020年03月11日)
 
vivo(ヴィーヴォ):生体(内)
 
 
 
以下、旧作「失せた心」「陽気」「三寒四温」
 
 
  失せた心
 
いつしか春を楽しむ心も失せて
失せた心が芳春を舞っている
 
いつしか花を愛でる心も失せて
失せた心が落花を浴びている
 
いつしか新芽を喜ぶ心も失せて
失せた心が新芽を噛んでいる
 
いつしか己を慈しむ心も失せて
失せた心が短い弦を震わせる
 
過ぎ去った春の巻き尺は切れ
また来る春までの時計は狂い
無数の季節の余事に絡まれ
乏しい接線を切れ切れに解いて
かじかむ手から汗ばむ手へと
見渡す春に渡されてゆく
 
 
(1999年03月30日)
 
 
  陽気
 
突然言うんだ
生活者なんかじゃない
変態のガリガリ亡者だ
そうじゃない
まともな生活はしてないが
そうじゃない
すると車の中にいる
乗せた覚えのないやつが
隣で言うんだ
この春は
何か欠けているな
そうかな
この一年いろいろあったけど
そうかな
脳ミソの神経か血管でも欠けたか
ふーっとため息ついて
また部屋に戻っている
春は そうだ いつも
わけのわからぬ問いが
ちらほら降ってくる
腕を組み
首をかしげ
この部屋の中に
同じように首をかしげてるやつが
少なくとも二、三人はいる
 
 
(1997年3月31日)
 
 
  三寒四温
 
ふるえながら部屋で
PCのキーボードを叩いていた
ディスプレイにやられたらしい
目汁
鼻汁を笑えぬ
寒さかな
で翌朝は
水の冷たさが憎たらしくない
昼は車の中で汗ばんで
暖かいのやら寒いのやら
温かいのやら冷たいのやら
夕方 宙ぶらりん
俺みたい どっちつかずの
ぼんやりしている瞼よ開け
澱(おり)のような顔の
孤独から
早く飛びだせ芽の光
 
 
(1997年3月6日)
(2011年2月28日、若干修正)
(2020年03月12日、旧作一部修正再録)
 
 
 
 
  絆(きずな)
 
どんなに固く抱きしめても
心は移ろい離れてゆく
たとえどんなに心通わせても
この世に別れの尽きることはない
 
痛みと傷と
涙と悔いと
もう別れはたくさんだと
吐き捨てるように
首を振る
誰に向かって
 
あの田舎の町の
片隅の
小さい木造の
貧しい礼拝堂の隅で
さらに小さくうつむいて
ふるえるように顔さえ見せず
ひたむきに手を組んでいた
あなたよ
他によるべのない
あなたよ
その信仰を少し分けてもらえまいか
私と愛する人々のために祈ってもらえないだろうか
 
心貧しきは幸いなり
心貧しきは宝なり
 
 
※ 繰り返し書きますが
 
心貧しさは、先入観のないこと。
精神の貧困は、先入観しかないこと。
 
 
春・陽気

春・陽気
 
 
(90年代?)
(2021年04月27日、再録+)
 
 
※ 
 
 苦言
 
一部のキリスト者の信仰は、
教理など教えられたことばかりになって、
反芻しているみたいに信仰を語る語彙が常同的で
大方、讃美ばかりで、自分の言葉が少なくなって
"頭がカチンカチン教" になっていることがあります。
 
キリスト教において
悪い言葉を口にしない
という聖句の教えから
批判しないこと美徳とし批判を禁忌のように思うのは
大罪であります。
 
言論において
理路と感性が鈍くなり
口にすれば讃美と豪語だけになるのは
カルトの特徴だからです。
 
そこには
悪意を懐に隠して
丁寧語ですり寄る偽善者が訪れるでしょう。
キリストを殺した者たちと同じ体質なのです。
 
求道者とキリスト者の集まりで
神っているんですか
と言う人がいたとき
顔が硬くなり語気を強める人はカチンカチンです。
 
余裕を持つべきというのではありません。
神様はどこにいらっしゃるんだろう
という問いは
キリスト者にとっても
一生の問いとして共感できるはずだからです。
 
そのとき
キリスト者は
神を証明するのではありません。
弁護するのでもありません。
私たちにそんな能力はありません。
 
神を、そして、キリストを
信じるようになった経験を語るのです。
 
そうすれば分かることがあります。
キリスト者が
神などいないかのような世界に生きていること。
 
そこで、自分が、
なぜキリストを必要としているかを語ること
それこそが、信仰を語ることであり、福音伝道だと思います。
 
 
(2021年04月27日)
 
 
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