ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:詩

 
  同一性(再録)
 
 
同一性障害という病名がある
自我障害という症状がある
 
これらは本当に
その名に相当する障害なのか
病気なのか
症状なのか
人の常ではないのか
 
自分が自分であるという明証性なら
夢の中でも持っている
 
昨日の自分と今日の自分が同一人物
という連続性
本当か
 
忘れっぽくなったという自覚は
忘れっぽい自分をまだ失ってはいない
忘れたことさえ忘れたら
認知症の世界だが
はたして本当にそれだけだろうか
 
欠けたことに
欠けた後の自分が気づくだろうか
欠けた後の自分が自分なのだ
 
よかれあしかれ
今日得るもの
与えられるもの
こびりついて身につけるもの
 
ゆうべに失い
あしたに得るもの
どこか祈りにも似て
気づくことを忘れ
気づかないことが常になって
 
同一性を疑いもせず
疑ったところで何も得られず
変わらないと信じて
信じることさえ忘れて
変わらないと信じることさえ変わって
 
日々自分は自分でなくなり
自分とは異なるものになってゆく
それが良いとも悪いとも分からずに
失い
得て
人が移ろい変わるのは
成長なのか
退行なのか
必然という予測不能な乖離か収斂か
 
 
(2011年10月28日)
(2019年05月29日、若干修正)
 
ここで乖離(かいり)というのは、
恐らく、いずれ訪れる死のことだと思います。
収斂(しゅうれん)
 
 
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  縊死(いし)
 
 
幾人かの自殺者が残していったものは
あまりにも急な沈黙に終わってしまって
動機も理由も結局は不明のまま
明確に語れる者は誰もいなくて
噂だけが煙幕のように漂ってはくるが
口の中でムニャムニャ
聞こうとして聞くに憚(はばか)り
そのムニャムニャが胸の底まで沈んでいって
さらに病みながら片隅にあるばかり
 
キリスト教は禁じているといっても
自殺しない保証は何もないから
せめて「ごめんなさい」と祈りともつかぬ
最後の独り言を今更のように戯言を
そのときには呟くしかないのだろうか
 
縊死とは
首を括り首を吊る
すべては自分の意志において
 
自分の意志?
自分の意志とは言えないのは
自殺の意志は意志ではなく
逃げ場を失ってゆくことだ
 
自分の責任?
責任の取りようがないのが自殺だ
 
いつの日からか
我が身から出たものは
いずれ我が身に返ってくる
その顔が溢血点や鬱血や
腐乱や浮腫でどんなに醜くても
正視しなければならない
と気づいたときから
自分で自分の首を絞める
という縊死は
繰り返される日常の中にある
 
 
(1998年2月8日)
(2019年05月16日、修正)
 
 
 
  この世と自殺
 
 
いったい何度
この世は滅びれば済むのだろう
いったい何度
この世を滅ぼせば済むのだろう
 
自分が死ぬことは自分にとって
この世が滅びることではないのか
この世を滅ぼすことではないのか
怨念?腹いせ?絶望?
 
今が苦しいから
今の苦しみから逃れたいのは
当然のことなのだが
今という過程が
結末になってしまって
病める心は暗い今から
過去も未来も真っ黒に染めてしまう
 
食べるものが今あることに
祈りさえしながら一方で
何を見るでもなく視線を
肩を落として呟く
「よいことなど何もないのに」
「のに」は臆病だろうか
希望だろうか
どちらも持ってしまう
のに
 
食って出して寝る
食って出して寝る
何もかも問いのままだ
問いは問い続けるしかない
 
いったいどれほど多くを
この世は滅ぼせば済むのだろう
いったいどれほどの滅びを
この世は見過ごせば済むのだろう
 
もし つらさを いやせる つながりが あたえられていたなら
 
もし すこしでも やさしい きづかいに であっていたなら
 
 
(2011年01月05日)
(2019年05月10日、修正)
 
 
 
  自殺について
 
 
自殺者はいつも
いちばん言いたかったことを
言い損ねて死んでしまう
 
したがって口を失った彼が
残された人々によって
嘆かれているうちはいいとしても
時には根も葉もないささやきの的になったり
とてつもない大罪を背負わされたりする
それでも死者は黙っているほかはない
 
もうだめだと思ったときに
他人を殺す人間もいれば
もうだめだと思ったときに
自分を殺す人間もいる
 
人がみんな死ぬときに
弾丸の間をすり抜けて生きのびた人間もいれば
人がみんな生きるときに
ひとり天井を眺めながら死んでいく人間もいる
 
死ぬ ということは
もう出会わないということ
ひょっとしたら
生まれてこのかた
誰にも会ったことはない
と言うことかもしれない
 
残された友人はただ
薄暗い電灯の下から
ふと泥のような顔を上げて
曲がった指で指差すだけだ
見ろ あいつが出ていったあの場所に
扉もなければ窓もない
 
自殺がどんな腹いせで
どんな恨みに基づいていようと
自殺者がどんな病気で
どんな不幸な目にあったのであろうと
自殺はいつも一つのことを告げてはいる
生きたかったと
 
 
(96年より、かなり前)
 
 
------------------------------------------------
 
2011年ごろの話でしょうか。
その頃の記事に
 
子沢山の家に生まれて、貧乏芸能人?とか
呼ばれていた女性タレントが自殺したそうです。
昨日か一昨日か、収録はもっと前でしょうけど、
テレビに出ていました。笑顔いっぱいで・・・
 
と書いてありました。
 
 
(以上、2019年05月16日、修正&再録)
 
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  憑依の化け物
 
 
成長は幼子に憑依する化け物
人格は化け物に憑依する化け物
 
自我は化け物を堅く守る要塞
成熟は化け物の爛れる活性化
老化は皮が剥離してゆく化け物
 
幼子は何も身に着けないのに
 
憑依は美しく
化け物は美しい
この世は美しい化け物
真・善・美の怪しく蠢くところ
 
何も知らない幼子は愛しく
何もかも忘れてゆく老人は哀れみに値する
 
子供と老人を大切に
化け損なった弱虫を大切に
 
憑依の化け物たち
取り憑き
取り繕い
装い
きらきらと炎症と燃焼に明け暮れる
 
 
(2011年05月12日)
(2019年05月09日、修正)
 
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  こもる信仰
 
 
狭い庭から眺めながら
外の悪事には
まるで神の義憤であるかのように
遠慮なしに斬るのだが
 
自らの庭の内側に対しては
厳しさを持とうとしない
 
大きな災害や不幸に際して
「お見舞い申し上げます」
「言葉もありません」
「お悔やみ申し上げます」
 
一方で
まるで別のことのように
「すべてが益となるように」
「神は守り救い給う」
 
突然
死ぬことの
そして突然
愛する人を失うことの
現実の悲劇との
明らかなギャップがあるのに
 
そのギャップのほうが
信仰と信仰者にとって
より大きな問題であるのに
 
ギャップや矛盾は
あってはならないタブーのように
触れることを控えてしまう
「(神のなさることは)分からない」
とさえ言わない
 
「人知を超えた驚くべきこと」は
多く驚くべき善いこと
奇跡としてしか語られない
 
外の悲劇と
独立しているかのように
自らの庭で平安を語り
現実と乖離して
こもる信仰・・
 
この不信仰の身を捨てるほどのみ旨は何処
 
 
(2011年05月12日)
(2019年05月09日、修正)
 
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  この地上に
 
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
 
信仰者にとって
本当のふるさとは神の国
ということなら
それは信仰者として
真実でもあるのだが
 
一方で
逃避なのかもしれない
 
 
人というのは生涯
演技し続ける動物のようだ
恥ずかしくないように
少しでもきれいに見えるように
嫌われないように?
  
そういう演技は正当で
普通なのかもしれないが
過ぎれば
「世間体」大明神とか
「体裁」大権現とかの崇拝にもなりうる
 
自分というものをしっかり持って
という「しっかり」の基準は分かりにくい
自分を信じて
という「信じて」は
責任の自覚か
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
つまり自信だろうか
 
 
世間体も体裁も
人間関係も幸福も捨てて
真理や真実を追究して
心を病んで
傍目には
自滅的な人生を歩んだ幾人かの
哲学者、数学者、文学者、詩人などの
名を思い起こすのだが
 
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
 
そういう質を持ってしまった者が
反社会的ではなくても
非社会的になって自閉して
ただ一度だけ
逃避が許される最後の時を
待っている人であるなら
 
幾人かの名と違って
自分は志よりも病が先なのか
いつまで社会人でありえたのか
と風景のように遠い人々を
 
遠い社会と世界を
ぼんやりとした意識の向こうに眺めている
 
 
思うところに
以上のように思うところに
ふるさとの不在を思うだけのところに
 
いちばん知っているつもりで
本当は、いちばん知らない自分は
むしろ、いて欲しくないのかもしれない
 
 
(2011年04月30日)
(2019年05月08日、修正)
 
ちょいとネガティヴで・・
 
 
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