騙されていた頃
 
 st問題資料集(1)初期コメント
 2022年02月23日 楽山日記(LD)
  を批判。
 
ウイルスでしょうか。入力が、約10秒刻みで、フリーズと再開を繰り返しています。今回の記事は、楽山が批判されて裏切られたとでも思ったのか、昔の遣り取りを出してきました。時間は過ぎ去るのです。楽山のような男に、長続きする信頼関係など成り立ちません。
 
私が楽山に騙されていました。恥を晒しておきます。社交の世辞に騙され、数か月、楽山を信用していた時期があります。その分、本性を知ったときには、今まで知らなかった罪悪感のない無反省の楽山には驚き呆れました。こんな種類の人間がいるのかという驚きとともに、決意を新たにしました。
 
人間は学習するのです。ゆえに、昔はこんなに愛されていたのに・・などという思い出話は、楽山の愚痴に過ぎません。本性を知れば、とんでもない人だったということです。楽山は、人間は不変と思っているのでしょうか。成長のない楽山が明らかになります。
 
もし私が書けなくなったら、楽山のことを、それぞれのサーバーに報告してください。楽山は、手段を選ばないようです。
 
 
*初期
st問題に関連したコメントを整理してみました。
まずは、st氏が当ブログに来訪し始めた頃のコメントから。
*例一
以下は、「★カルト体験 (新興宗教を信じたら、心の冷たい人間になってしまったという話)」でのやりとりです。
1. st5402jp2018年08月03日 11:56
この体験とご意見は敷衍するべきだろうと思いますが、転載させていただいてはいけないでしょうか。ブログ記事設定で転載可としていただくとうれしいのですが。
2. 楽山 (自由)2018年08月03日 20:26
転載OKです。転載可にしときました!
3. st5402jp2018年08月05日 03:10
自由さん
転載させていただきました。感謝いたします。拝。
4. 楽山 (自由)2018年08月05日 14:57
確認してきました。拙文を転載してくださり、こちらこそ感謝してます。ありがとうございます!
 
つまり、こういうことを書いてくるのは、楽山が未練がましい人だということです。それは、議論とは何の関係もありません。ここに表れているのは、楽山が、交流とか議論というものを理解していないということです。真実を求める意志がなく、愛されることを求める未熟者だということです。
 
議論の中身は、議論の経過によって変わってくるという常識が、楽山にだけはないのです。これこそ、楽山が、異次元的な見当違いの男だという証拠です。人間として成長不全なのです。丁寧語で、いつまでも、ごまかせる、騙せるものではないのです。即ち、楽山は言論者ではありません。
 
 
*例二
これは、「【st自由同一人物説!?】「stと自由は同一人物?」「いいえ、stさんと私は別人ですよ」」でのやりとりです。
1. st5402jp2018年08月18日 16:55
記事本文とリンク先を読ませていただきました。分析力に感心します。全部把握しているかと言えば分からないけど、読みごたえはありました。私は、信仰者でもあり、また性格的にも、かっとしやすいところがあって、反省しない人にならないように気を付けたいと思います。ありがとうございます。拝。
2. 楽山 (自由)2018年08月19日 06:37
コメントありがとうございます。
前によく議論していた某団体の信者らに対して、この種のこまごました記事を書くと、「屁理屈言うな」「もっともらしいことを言っても騙されないぞ」「粘着するな」と酷評されることが多かったので、褒めてもらえるとうれしいです。
私もけっこう短気なので、そこは注意したいと思います。
 
楽山は、短気ではなく、粘着性の嘘吐きです。社交の世辞以外は、何も持っていません。その異常な精神で、人を騙して、操ろうとしてきます。精神の詐欺師です。粘着する人格異常者です。ゆえに、昔のことを持ち出して、言い訳になると思うのでしょう。
 
 
*例三
こちらは、「アブラハムと信仰義認 (アブラハムは義人と認められたのか?)」でのやりとりです
1. st5402jp2018年08月31日 04:37
一応キリスト者のつもりの私より、自由様は、立派な教理と解釈の説明をなさっておられるのに感心します。
加えて、ということになりますが、アブラハムが息子イサクを神への生贄とするために殺すという行為が、たとえ神の正しい命令であったとしても、人間がそれで、はい、理解しました、と言ってしまうのはおかしいという考え方を私はしています。聖書を読んでいると、正直言って、神の正しさを、いつも人間が理解できるとは思えないのです。だから、ここは保留するべきという主張になりました。
2. st5402jp2018年08月31日 04:43
アブラハムが、間違いを犯さない完全な義人ということになると、息子を殺すことも正しい、ということになりますが、神は殺そうとしたのを止めたわけですから、そのときの神の気持ちは軽々に分かると言ってはいけないならば、人間である自分が分かってないんだということで保留にするしかないのです。カルトは、誰にでも偉そうに語ろうとして、分かったことにしないと気が済まないようです。
 
楽山は、神の正しさを理解できないのではなく、神を知らず、神を、信仰を、奇跡を起こさないからという理由で否定してくる極めて幼稚な反キリスト・反信仰です。楽山は、希望を持ち得ない自分信仰者に過ぎず、深い思慮も分別も共感性も常識も持っておらず、荒らして快感を得る慮外者です。
 
 
3. 楽山 (自由)2018年09月01日 07:00
コメントありがとうございます。
でもこの記事は、みなさんの議論を読んだ後に書いたもので、もろに、後出しじゃんけんになってます。ですから、もしこの記事によいところがあったなら、それはみなさんの議論が良かったというですよ。
4. 楽山 (自由)2018年09月01日 07:01
おっしゃる通り、あちらの方は、分からないと言うことに抵抗があるみたいですね。
私が、とあるクリスチャンから「聖書は四十年、勉強してきたけど、まだ全然分からない」という話を聞いたというのに対して、そんなことは極々、内輪の話ならまだしも、外部には言わないものだ、分からないものを人に勧めることはできないから、それを言ったら伝道できなくなる云々と批判されてたと思うので。
5. st5402jp2018年09月02日 03:49
自由さん
>>内輪の話ならまだしも、外部には言わないものだ
>>分からないものを人に勧めることはできない
正直でないなら真実でもないし、何だか、企業戦略の話みたいで、おかしいですよね。
 
「外部に言わない」とは、気づかれないように騙してくる楽山の、保身と秘密の精神なのでしょう。「分からないものを人に進めることはできない」というのは、宗教も神も分からないなら否定するという楽山の自己愛~教祖気取りなのでしょう。実に、楽山は何も分かっていません。
 
 
6. 楽山 (自由)2018年09月02日 08:38
そこはすごく違和感ありましたね。どうも、分からないということに対して、自分とはちがう受け止め方をしてることは確かっぽい。
ちなみに自分の受け止め方はこんな感じですね。
「聖書は分からない ⇒ 聖書はとても奥深くて、そう簡単に『分かった』なんて言えない」
「神の心は分からない ⇒ 神は偉大であり、はかり知れない存在である。どのような賢者であっても、その心を忖度することさえかなわない」
「宗教的体験から、聖書の一節、神の心の一端を『分かった』と実感することはありえるし、これは尊いことではあるが、聖書全体、神のすべてを『分かった』とするのは危ない…」
7. st5402jp2018年09月03日 03:06
自由さん
ほぼ同意します。
聖書の一説については、あるとき分かったということはありますが、一生を通じて正しいか、神の前に正しいかは、やはり分からない。私の知っている世界と人生は、そのごく一部だ、という弁えを敬虔と呼んでいます。しかし、そのときの気持ちとして、大事にはします。
8. st5402jp2018年09月03日 03:08
大事にしているから、まあ、記事に書いたりもします。後日、間違いに気づいたり、それ以上に大事な理解が与えられたら、修正するのが成長だと思っています。
 
分からないと、楽山は言いながら、キリスト教の神を、何度も否定してくる反キリスト・反宗教です。つまり、混乱させて、退かせるという楽山のやり方が始まるのです。実際は、神もキリストも聖書も、曲解して妄想を伝染する偽善者です。
 
 
9. 楽山 (自由)2018年09月04日 19:19
stさんのコメントを読んで、なんとなしに、仏教の筏の譬えを思い出しました。
ある男は、川を渡れずに難儀していたが、筏を使うことで無事に向こう岸につくことができた。
でも、このときに、いくら筏が役に立ったからといって、この後もずっと担いでいこうとするのはおかしなことであって、川を渡り終えた後は、筏はその場に置いてゆくべきであるという話。
これは、仏法(筏)にさえも、執着してはいけないということらしい。
分かったという気付きについても、これと同じことが言えるかもしれないと思います。
 
教訓を垂れたい楽山です。こういう説教好きなところに教祖願望が表れてきます。その実質は、ただのペテン師であり、知識にも思考にも感性にも捨てられてきた排泄物に過ぎません。柔和や中庸など持っておらず、自己顕示欲を満たして悦に入る悪意のネット浮浪者なのです。
 
 
お山のペテン師 陰険 陰険 陰険

お山のペテン師 陰険 陰険 陰険
 
 
(2023年01月11日)
 
 
 
 まだ終わってなかった(アマミ氏と遠江氏)
 2023年01月10日 幸福の科学とは何だろう?by 
  を批判。
 
 
*思ったこと
この手のやり取りを見ていると、議論になっているテーマについて意見をいうよりも、相手の心を悪く想像した上で、その人格を否定し、その意見を無効化しようする人が案外に多い。こういうのは傍から見ていても気分が良いものではない。
 
もはや犯罪者の楽山は、自分を表していることに、恐らく、一生気づかないのでしょう。楽山こそ、ただの自己愛ではなく、サイコパスであり、心がないために、他者の心を傷つけて、他者の意見を無視してゆく人です。最近では、今、最悪の状態にあると思います。
 
 
人の振り見て我が振り直せというし、自分も気をつけるようにしよう。
 
人の振りを見ず、我が振りを直さない楽山です。恐らく、今後、殺すか殺されるかの事態を招くのではないかと危惧しています。実に恐ろしい男です。私が出会った中で最低の男です。人間とは思えません。決して関わらないでください。楽山の日が早く落ちますように。
 
 
 
  満たされよ
 
人のいる場所で
歩いているとき
腰掛けて順番を待っているとき
人目(ひとめ)を気にする
緊張と不安
不安は対象のない恐怖だ
 
そんなとき逆に居直ってみる
見下(みくだ)されよ
見縊(みくび)られよ
侮(あなど)られよ
貶(おとし)められよ
忌(い)み嫌われよ
蔑(さげす)まれよ
嘲(あざけ)られよ
誰からも嘲笑(あざわら)われよ
不審者か変質者のような
二目(ふため)と見られぬ
お前の醜(みにく)い顔を晒(さら)せ
 
それが邪悪の時ならば
悦(よろこ)び安んじて死を賜(たまわ)れ
神の御手のうちに死ぬるがよい
 
うちに巣くう諸々の邪悪よ
恐怖よ悪意よ敵意よ…
…去れ
と心に語りかけよ
 
力が抜けて
周(まわ)りの人を見る目が
優しい気持ちに変わるなら
ゆるやかに へりくだり へりくだり
神のふところに消滅せよ
 
 
  すべて意欲は
 
すべて意欲はからからと音をたて
枯れ葉のような空回りをした 
その目は絶えず中空(ちゅうくう)にのぞみ
底知れぬ空しさにのめり込むようだ
 
すべて情熱は ふれあう縁(よすが)もなく
真っ赤な嘘に目をまわしていた
心は絶えず波の上 木の葉のよう
いつしか海に沈むことに憧れていた
 
雲がわき
雲が飛び
雑多な雲が流れ
千々に流れて
虚空(こくう)へ消えた
 
すべて祈りは尽くせぬ歌のよう
とまどう思いに吐息を返した
その手は絶えず
差し伸べる力もなく
さわれぬ何かを待っているようだ
 
ひととき光が枯れ木にさして
ほんの一滴しずくがこぼれた
しずくの下まだ傷ついたまま
春は静かに眠り続けた
 
まぶたの裏に 語らぬ唇に
明日(あす)に届かぬ夢がうずいた
明かさぬ胸に あたためた やさしさだけ
伝えたかった 誰よりも先に
あなたに
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
楽山は、ただの荒らしではなく、もっと凶悪な人物のようです。自己愛性パーソナリティ障害NPDというより、反社会性が強いようで、サイコパス(精神病質psychopath、反社会性パーソナリティ障害)で前科もあるのではないかと思います。決して近づかないでください。
 
 
 
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