まず
「日常×非日常」管理者:vernunft
についての批判。
 
日常的な話題を載せる日記的ブログが多いけれど、中には
学術的ブログというのもある。前に別のSNSに書いたブログのことである。
再参加するにあたって肝に銘じたことがある。
まず感情的にならないこと、前にキレて失敗したから。
「疑問があったらどんどん反論してください」ということだったから、
そういうブログもあるのだと思って、
納得ゆくまで問い続けること、だった。
 
そのブログのコメント欄が閉鎖になった。
突然ではあるが、たぶん原因は私だ。
私が「人を傷つける心無い言い方が多い」と指摘したことを受けて
①文章の稚拙さ
②自戒やモノローグなのに対話と受け取られた
どちらも自分の責任といいつつ、
①は努力するしかない。②の可能性を排除するために
コメント欄を閉鎖するという。
メールアドレスは最初から非公開である。
「自分は好きなように書くが、人の意見は言わせない」となると
ブログではなく電子出版ということになる。
学者らしいというか・・・
人の意見を聞かずに①をどうやって努力するのだろうとも思う。
 
過去のコメントも削除された。
気づいているのだろうか。
自分の記事の著作権は堅持しているが、
コメントの著作権を抹殺したこと・・・
法律云々というより、人道の問題だと思う。
 
ブログは日記・モノローグから始まる。
しかし純粋な日記ではない。
なぜなら意図して公開されているからである。
そこには「みなさんは、いかが?」というメッセージがあり、
公開するのには目的や希望があるはずである。
 
私のHPのほうには書き込み欄は無い。
技術的問題・容量の問題・めんどくささ
などが理由だが、メールアドレスは公開している。
批判的感想メールを受けて修正したこともある。
 
人を傷つけることをいくら恐れても
傷つけてしまうことはあるはずだ。
それを恐れていては前進はないと思う。
それよりも怖いのは
人の意見を聞かなくなることだと思う。
傷つくこと、傷つけられることのほうを恐れたのか。
閉ざされ限られた環境から発信だけ続けて
何を目的として求めるのだろうか
と思ったことであった。
 
私が追い込んだのだから私の自己中なのだろうか。
コメントも連絡もできないのである。
向こうが聞かないのならば、
こちらで書くしかないのである。