信仰は
信仰は史実に依拠しない
史実であってもなくても信仰は生まれるからである
また信仰は出来事に依拠しない
さらに信仰は人にも組織にも依拠しない
神を恐れよ
人は人の知り得ないところへ導かれ
守られる身であるのに
史実信仰や奇跡信仰は熱心であればあるほど
依拠するところを守ろうとするだろう
奇跡に反するものから目を背け
むごたらしい信仰が人に向かうとき
「悲しみを喜びなさい」
「それは言っちゃいけないんだよ」
「自殺しちゃいましたよ」
暗黙の不敬罪を人に着せてしまうのだ
神を恐れよ
これが信者から猛者へと変質して
信仰という名をかぶった確信であり
信仰者という名をかぶった無資格超人である
神を恐れよ
信仰はいかなる事実にもかかわらず
計りがたい神の意思に
委ねるほかはない一人の人間の在り方である
信仰者は依拠する御方の行為や意思を
計り知ったという
思い込みの確信を砕かれてゆく一生を選び
またそのために選ばれた者である
神を恐れよ
(2011年09月24日)
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信仰者である人は神に甘えることがあります。
というより
神に対してだけは甘えないと生きていけません。
だからこそ甘えであることを自覚しなければいけません。
神からの奇跡を人が受けたと思い込む確信は、
神に対する甘えの自覚を失った人の姿です。
神が人にとって都合よく働いてくれたという
的外れの自覚と感謝に陶酔して
甘えの中に溺れている人の姿なのです。
私は信仰について、信仰者に向かって、壊れながら死ぬまで
「神を恐れよ」を叫び続けることになるのかもしれません。
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