矢印と受容体の人々
神話と奇跡信仰に生きる人たちは
都合のよい出来事を奇跡に結びつける
「何度、奇跡に救われたことでしょう」
「私たちは、いつのときも安らかです」
彼らに都合の悪い出来事
悲惨な死や自殺については
語ることが背教であるかのように
無かったこととして記憶から消えるのを待つ
彼らは強烈なベクトルを持っていて
いつも味方になる彼らの神への信仰は
違うベクトルに対しては
びくともせずに
へし折って悔いることがない
そして彼らが優しさと呼ぶ口によって
冷やかに述懐する
「彼は少し、冷静さを欠いたようだ」
言い古された言葉を並べただけで
納得し陶酔するような
彼らがこしらえた感謝のレセプターは
人間的感情のレセプターを押し潰すほど
強力な条件反射になっている
いつどこで起こる災いも不幸も
すべて彼らのような信仰を持たないから
という因果律を当てはめて
ひたすら伝道を促す
いつどこで起こす災いも不幸も
不都合な因果を無視する彼らの黄金律によって
すべて「愛とまこと」の名の下に隠して
彼らは結束し増殖する
彼らの強さによって
何度人間は潰されてゆくことでしょう
彼らは実に
彼らのベクトルによって他を省みず猛進し
レセプターによって強引に奇跡だけを持ってくるのだ
(2011年09月28日)
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穏やかさ以外を隠して表に出さない信仰には、
昔から抵抗を感じてきて、
穏やかでない正気も狂気も
私は書いてゆくしかないようです。
この記事には少しばかり別の思いも入っています。
人がいるところには色々な神話や信仰があるでしょうから。
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