亡国の標的
天災と、過失や怠慢の人災だけではない。
仮に悪意に満ちた国が、
結果的にその国も滅びるかもしれないが、
日本を壊滅させるために
最も効率的な手段は何かと考えると
原発一基に一発ずつ、
核兵器でなくても、
ミサイルを命中させればよい。
それを防ぐために原発を廃し
核燃料を地下深く埋めても、
その地下の深いところが不安定なのが
日本列島の特徴である。
原発を建て核燃料を保持した時点で既に
手遅れだったのかもしれない。
何故それをわざわざ言うんだ。言わなければ・・
という他罰的思考は通用しない。
ちょっと考えれば誰かが分かることだからだ。
愚かな国が愚かなことをしないように祈るだけだが・・
万が一、最悪の事態が起こるなら、愚かな国はもちろん、
(想定すれば最悪の事態ばかり・・のような気もするが)
核の平和利用と安全神話に騙され、
あるいは無関心のために、
原発建設を許してしまった私を含めた国民もだが、
原発を建てた人々も、それを推進した人々も、
万死に値する戦犯である。
もう建ててしまって手遅れだから
日本は核武装して対抗するしかないという方向へ
持って行きたい人々がいるのかもしれない。
日本のあちこちの海沿いの目立つ所に
50以上の大きな亡国の標的が
文明の先端であるかのように堂々と
誇らしげに並んでいる。
(2013年01月21日、同日若干修正)
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昔々は人が人一人を殺すのにも体力と技術が必要だった。
銃というものが出来てから、至近距離なら
人差し指の屈伸だけで人殺しが可能になった。
人殺しの効率はどんどん上がってきた。
それでも人類が人類を滅ぼすことは不可能だった。
しかし核が登場した時代にあっては
人殺しの効率が桁違いに良くなってしまった。
ある意味、終末の時代と言えるかもしれないと思うのは、
物理的に人類が人類を滅ぼす能力を持ってしまっているから。
これから先、何十年も
生きていかなければならない若者は大変でしょう。
これから生まれる子供たちはもっと大変でしょう。
だからセルフィッシュに小さい世界だけを大切にして
自分と自分の身近な人々の幸福を求めることは大切だが、
それだけではいけない、通用しない時代だと思います。
日本でもアメリカでも選挙がありました。
今テレビでは連日、冬のスポーツやアメフトなどを放送している。
じっくり見ると面白いです。にもかかわらず
虚しくてならないのは、個人的な事情だけだろうか。
私は相変わらず発作的に書きたくなったとき書くだけで、
その頻度がどんどん減ってゆく寂しさを覚えるばかり・・失礼。
(2013年01月21日)
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(追加・補足)
ひょっとして誤解があるといけない
と思ったので補足しておきます。
原爆と原発ではウランの濃縮度が違いますから、
通常ミサイルが原発に命中した場合、広島や長崎のような
原爆規模の爆発が起こるという意味ではありません。
しかしながら、通常ミサイルであっても
標的に命中させて爆発を起こすことを目的とした兵器ですから、
原発事故による爆発や放射能漏れなどよりも、
ミサイル爆発によって、より多くの放射性物質が、
より広範囲に飛散するだろうと思います。
より規模の大きい放射能飛散により、
20~30kmではなく100kmの規模になるでしょうか・・
というより、前にも書いたことですが、
「放射能被害は時間的にも空間的にも限定できない」
ということから、
限定できない被害の規模と範囲がさらに甚大で壊滅的になるだろう
という意味で「亡国の標的」と書きました。
私の拙い文章と知識不足で誤解があったのなら、
お詫びして訂正いたします。また、なお
アドバイスをいただければ幸いです。
(2013年02月04日、追加補足)
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記事中の
「原発建設を許してしまった私を含めた国民もだが、
原発を建てた人々も、それを推進した人々も、
万死に値する戦犯である。」の段落は、
「万死に値する」が既に激し過ぎる表現であり、
そのまま実行してしまうと日本はなくなってしまいます。
つまり
どうしてこんなに原発を建ててしまったんだ。
日本を滅ぼすのに核ミサイルは要らないじゃないか。
・・という、絶望~怒り~嘆きの感情表現に過ぎず、
道理にも論理にもなっていないことを反省します。
どうしたらよいのか、アイデアがあれば教えてください
・・としか言いようがない感じです。失礼いたしました。
(2013年03月02日、追加補足)
記事中の
「原発建設を許してしまった私を含めた国民もだが、
原発を建てた人々も、それを推進した人々も、
万死に値する戦犯である。」の段落は、
「万死に値する」が既に激し過ぎる表現であり、
そのまま実行してしまうと日本はなくなってしまいます。
つまり
どうしてこんなに原発を建ててしまったんだ。
日本を滅ぼすのに核ミサイルは要らないじゃないか。
・・という、絶望~怒り~嘆きの感情表現に過ぎず、
道理にも論理にもなっていないことを反省します。
どうしたらよいのか、アイデアがあれば教えてください
・・としか言いようがない感じです。失礼いたしました。
(2013年03月02日、追加補足)
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