理念
理想だけだと実現不可能な夢物語になって
気分的に悦に入ることはあっても実(じつ)はないでしょう。
現実だけだと駆け引きや利害の判断になって
人間性の希求するところを見失ってしまいそうです。
理想と現実の間にあって
理想を踏まえた上で
現実的な問題に対応しうる話として
語られるべきことを理念・・といっても
私が勝手にそう名付けているだけです。
他人の頭で考えてはいけない。
これは大切なことなのですが、
さて自分の頭は考えるのに充分かというと、
これが最も頼りないのです。
頭だけではありません。
誰かの心に響くことを語るのに、
考え過ぎたわけでもないのに、
私の心は充分でない
というより殆ど病気です。
数量的事実をもって考えることも大切なのですが、
例えば私がどこかのサイトからグラフや表などの
数値や事実を持ってきても、
それは直ちに信憑性が問われることになり、
信憑性を私が直接確認できるわけではありません。
また恣意的な要素が入れば、事実は選択されて偏り、
その信憑性を私は判別できないこともあります。
数や事実も嘘を吐くことがあるのです。
やむを得ず、私のレベルでは、
これは否定できないだろう
と思えるときに、数値よりも、
否定できない性質から話の筋道を進めることが多いです。
だから賛成か反対の大筋の意見を書くことはできても、
なかなか具体的に「どうすればうまくいく」という答えを
示せない限界を感じます。
でも一体誰がその答えを示せるというのでしょう。
人には感じ方から考え方の相違があり、
見解の相違が生まれます。
また人は完全に中立の立場から
全く共通の結論を導くことは出来ないと思います。
数量的事実は専門家の意見を参考にするべきなのですが、
その専門家も様々だから「はい、分かりました」と
素直に受け取ることの出来ない現状のようです。
分かってもらいたいという希望を持って
発信し続けるしかないのですが・・
それは最悪の事態を避ける方向で考えることの
苦しさを発信し続けることに他ならないのです。
言論が力任せにならないために
話し合いが詰(なじ)り合いにならないために
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次は当たり前が当たり前でなくなる例(?)
・・あまり関係ない余談かもしれませんが・・
サイコロ
1.サイコロの一つの目が出る確率は
どの目も等しく6分の1というのは、
暗黙の了解として、
六つの面は同じ形状で、正確な立方体で、
サイコロの内部は均一で重心は立方体の中心
という条件があります。
2.しかし現実のサイコロでは、
六つの面の形状は同じではありません。
私が見たことのあるサイコロについてですが、
目の数だけ円が描かれており、
それぞれ色が塗られており、
さらに円は窪んでいます。
窪みは体積欠損で、
その分だけサイコロは軽くなります。
そして軽い分だけ重心は欠損面の反対側にずれます。
1の目は大きい円で窪みも大きいようです。
2~6の目はほぼ等しい小さい円と窪みのように見えます。
窪みつまり体積欠損は、1の目>2の目と思われ、
窪みの数だけ、2の目<3の目<・・<6の目、
したがって重心は体積欠損が最も小さく、
ゆえに重い2の目の方向に偏ると思われます。
だから2の目が最も下になりやすく、
目の出る確率は、2の裏側の、
5の目が一番高いということになりそうな気もします。
といっても私は確率の数値を計算できないし、
この話も・・ちょっと怪しいのですが、
サイコロの確率の値は等しく6分の1ではない
ということは分かると思います。
1.では表面の形状の違いという条件が無視されています。
2.では表面の形状の違いを加味して
サイコロの確率が等しく6分の1ではないことを示してはいますが、
この条件では計算には不十分です。
しかし以上から、
条件が変われば確率の値は変わる、
言い換えると、
確率の値には必ず、無視された条件を含めて、
成立条件があるということが言えると思います。
したがって成立条件の分からない確率の値は
信頼するに値しないと言えるでしょう。
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(おまけ?・・書きたかっただけ・・)
夏来たり この暑さより まされるは
若かりし日の 怒りなりけむ
(2013年07月14日)
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