今
 
 
今どこにいるか 
という位置よりも 
今どこに向かっているか 
という方向を大事にしたい 
 
座標は任意だし 
限りなく可能だが 
ひとりの人格の動ける範囲は 
無限有限を問わず分からないし 
神ではないのだから 
どこまでも行ってしまうと 
引き返せなくなる
 
位置からは 
どの位置から始めても 
先のことは分からないが 
方向からは 
崖に向かっているのか 
袋小路に向かっているのか 
ある程度の先が 
見えてくることもあるだろうし
何より動いていられる
 
肉体の命は間違いなく 
いなくなる方向へ向かっているのだから 
せめて希望のベクトルを持ちたい 
 
消滅へ向かう希望というのは哀しいが 
悲しみだけではない方向を 
今生きていたい 
 
 
(2014年11月14日、同日一部修正)
 
 
 
  特権
 
 
言うには言うが
人の意見は聞かない 
これはまさに
神のみの特権ではないか 
神は行うが
人の意見に頼ることはない 
 
でも少し考えると
神は言い 
直ちに行い
人の言うことを
・・ときに聞くではないか 
我々のこの世的常識的判断においても
 
神は人に従うことはない 
しかし人を聞き
その望みを叶えることは
稀ながらある 
 
(これでも聖書から
人格的唯一神を信じたから・・)
 
神ならば
セカンドオピニオンなど必要ない 
しかし人が神を語るなら
セカンドオピニオン
または対立軸が必要だ 
片方だけでは
とても陰気な片落ちになる 
 
暗いのも辛いのも好きだが
陰気なのは嫌いだ 
 
 
(2014年11月14日、同日一部修正)
・・「稀」は「まれ」で、
「辛い」は「からい」にしておきます・・