自分信仰者
 
 
自分信仰者は
自分を信仰する者であり
聖書に依っていても
自分の解釈を絶対とする
 
自分信仰者は
まるで前提であるかのように
自分の正しさを疑わず
ゆえに自分と異なる信仰を切り捨てる
 
どんなに丁寧な言葉を使っていても
それはもう直観的のように
相手に間違いというレッテルを貼り付け
そこから先は
異端者あるいは劣った者と他者を見なしている
 
自分信仰者においては
信仰は結論から始まっているので
修正の余地など考えてもいない
したがってそれに異を唱える者を
実にあっさりと完璧に無視することが出来る
 
敬虔を旨とする自分信仰者ほど
即断で他者の意見を切り捨てる
 
批判されたとき
自分の不備など考えようともせず
批判者を悪と見なす
そして悲しみを感じることなく
相手に改めることを強要してくる
 
自分信仰者においては
自分の罪を認めず
自分が罪人であると言う自覚
即ち罪人の自覚は
しばしば欠如しており
あったとしても形式的で深みがない
 
自分信仰者の特徴としては
自己中心、思い込みが強い、
思いやりの欠如、深刻味の乏しさ、
罪悪感がなく悦びのみを求める、
 
非を指摘されても
非を認めて反省することはなく
相手が悪いと
不快と怒りを催して憤慨し強がる、
 
これらによって、時間をかければ
自分信仰者をだいたいだが
区別することが出来るだろう
 
自分信仰は
体質と言ってもよいくらい不変である
 
しかも自分では
自分は柔和でバランスが取れていると思っている
 
自分信仰者が
同時にキリスト者たりえないことは
信仰対象を考えれば明らかだろう
 
神は妬む神であり
人が御自身以外を信仰することを善しとしない
 
神への信仰は服従であり
自己の不完全性
即ち罪を自覚している者にのみ成り立つ
 
ゆえにキリスト信仰者は
この地上のあらゆるものと判断について
その善悪と正邪の最終的な決定を
神に委ねている
 
ゆえにキリスト信仰者は
自己の言動について
いかなる情熱を持っていても
神を恐れるゆえに
それを不変とも絶対ともしない
 
 
(2015年12月2?日)
 
 
依る(よる)
妬む(ねたむ)