楽山のインテリ気取り
「ブログ村騒動」発言集(コウ論争)
2021年08月06日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
前記事と主旨は変わらないようです。プロデューサー気取りで、最初に、書く時の注意したことなど、同じパターンの、書き方も同じような前書きがあるのですが、後は、だらだら長い長い引用だけで、結局、自分の見解は、何も書いていません。書けば、批判されるからでしょうか。
>この騒動における発言をまとめてみました。
何もまとまっていません。引用して並べただけで、まとめようともしていません。
だったら、記事自体を書くべきではないでしょう。資料としたつもりでしょうか。だったら、記事に納まるような量ではないはずです。私事を言えば、偽牧師シャロームは10年、楽山は2年半、資料となり、どちらも、とても一つの記事で表せるものではありません。
私の記事に書いたと思いますが、楽山の原始反応なのでしょう。書けば批判される、書かなければ満悦気分に浸ることが出来ない、ということで、ずっと前からの習性として、他人の口を持ってきて、書いたという充足感を得たいのでしょう。前記事と同じく、数年前の論争だそうです。
読もうという気にさせない記事です。しかし、勘違いした人が、長い記事書きましたね・・と思ってくれることを期待しているのでしょう。そして、苦労しましたが、一助となればと思って・・みたいなインテリ気分を味わいたいのでしょうか。まことに酸味に溢れる楽山です。
この異味と異臭は、楽山が、何も考えない、組み立てられない、書けない、責任負う気もないから自分の意見を言うとボロが出る、・・という現実と、楽山の、自己愛性パーソナリティ障害NPDの内的欲求の間を、他人のコメントを並べればいいじゃろ・・と短絡した結果なのでしょう。
前置き以外は、うんざりするほど、引用が長々と続いているだけです。しかも、クリックで、さらに続きが見れるようにしています。楽山は、何をプロデュースしたのでしょう。自分はこのコメントを把握している、という、インテリに見せることでしょうか。
昔だまされて食べたことのある、祭りの出店の、タコの入ってないタコ焼きみたいなインチキです。楽山は、コピペだけを並べて、べったら漬けにしています。これも、インテロ楽山の専門分野なのでしょう。しかも失敗して腐臭ばかりを垂れ流すべったら余言者、楽山です。
「ブログ村騒動」発言集(ガンレオ論争)
2021年08月07日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
その後も、楽山は、数年前の騒動について、執拗に、長いだけの、引用だけの記事を、アップし続けているようです。異様な長さです。狂ったのかと思いたくなるほどの、3つの、数年前の騒動の、引用だけ長い記事です。
楽山が勝手に無駄な体力を使っているだけで、これを読む人がいるのだろうかと思います。自己満足だけで生きている者は、こうなるのかと、楽山の症状を眺めています。
今回は、楽山のコメントもあるようです。楽山以前のHNは「自由」でした。それにしても、分かりやすさからは程遠い編集です。
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*かわいそう
この記事を読むと、コウさん、ピッポさんが気の毒になってくる。
ガンさんの批判の仕方は、コウさん、ピッポさんの発言趣旨や、言葉のあや、話の流れなどにはあまり配慮せず、一部の問題発言を切り取り、教義的にダメ出しをし、そこからさらに推し進めて、全人格をも否定するというやり方だからね。これでは二人があまりにかわいそうだ。
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登場人物の人格は知りませんが、楽山について言えば、批判するべきは、まさに、楽山の人格であり、つまり、楽山の自己愛性パーソナリティ障害NPDであり、そこからの、詭弁、嘘、逃避、自己満足、無反省、無責任、などと言う、人間とは思えない異常性であります。
恐らく、人格異常は治らないでしょう。しかし、だからこそ、こういう異常者がいます・・ということを、批判記事として、当ててゆくしかないのです。関わると引き込まれ、疲労し、鈍麻し、従属状態となるなどは、カルトと同じなのです。情報を広めて、予防するしかないのです。
楽山には、高等感情が欠けており、思いやりや共感が出来ないと思います。その分、言葉だけ、可哀想、と繰り返すしかないのでしょう。今まで、何度も、そういう安いセリフを使ってきた楽山は、三文芝居の大根役者なのに、自分だけ、論者気分の、名優気取りなのでしょう。
その中の楽山のコメントを、一部抜粋してみます。
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こういってはなんだけど、コウ、ピッポさんは自分の心にあることを、正確に、論理的に言葉で表現することはあまり得意そうではないし、議論に不慣れで、理論武装も十分でない。そういう人の発言を、趣旨、あやに配慮せず、問題視して、やっつけるのはどうかしてる。
もう少しだけでも、彼等の発言趣旨、言葉のあやなどを思いやってあげればいいのにと思う。
◇真理が素直に入ってこない人達の特徴|やすらぎのガンブロ
2016/9/26(月) 午後 8:43[ 自由 ]
<
見逃さないでほしいのは、ここに、楽山の、自己愛からの自慢が表れていることです。そして、思いやったつもりの人たちのことを、自分より低い人だという満悦の優越感を表しています。楽山は、そういうのが失礼だということを感じることができないのです。
「正確に、論理的に言葉で表現することはあまり得意そうではない」「議論に不慣れで、理論武装も十分でない」「思いやってあげればいいのに」・・楽山の同情は、同情してやるということです。それは、自分は上にいて、劣った者を下に見て、かわいそうにと憐れむ態度なのです。
また、引用することになります。
「殴られるより悪いことがある」(三島由紀夫原作映画「午後の曳航」セリフ字幕)
いつも優越意識がある楽山に哀れまれて、勝手に書かれて、ありがたがる人がいるでしょうか。楽山をまともだと思って楽山に関わっている人は、早く目覚めてほしいと思います。
>
ガンさんは、自分は悪口を言われた被害者と考えてるらしい。あれだけのことを書いといて、悪口を言い過ぎたという、やましさがないというのは中々、面白いね。
・・・
2016/7/26(火) 午後 9:59[ 自由 ]
<
楽山が、インテリ気取りの、婉曲ボンヤリ言語の皮肉・当てつけです。相手に「やましさがない」ということを、おかしいじゃないか・・ではなく、「面白いね」と言っています。下種がインテリを気取るときの、実に、白々しい、穏やかさを装った、くさい丁寧語です。
楽山は、インテリではありません。知識も、知性の理路も、感性の情感も、整っていません。だから、こういう言い方で書いて満足できるのです。本当の相手の気持ちを察することの出来ない人がやることでしょう。
いよいよ、リアルに追いつめられたら、楽山は言うでしょうか、サスペンスドラマなどでよく見るの悪役のセリフ「君は、誰に物を言っているか分かっているのかね」。それとも、パニックでしょうか。支離滅裂になって狼狽するでしょうか。狼狽して引っ込んでほしいです。
今、私は、楽山という、自己愛性パーソナリティ障害NPDで、反省せず、理解力がないのに、自己満足で他者に意見したがる人のことで、正体を暴いて広く知らせるために、物を言っています。
私は、インテリではありません。読書も苦手です。知識も乏しいです。しかし、不完全で罪深いから、人についても、自分についても、考えることは好きなほうです。
気取るほどに孤独
(2021年08月08日)
欲しいもの
車を買った
新車である
しかも増車である
さらに外車である
といっても軽自動車である
大きい車体と大排気量で
ステータスを欲しがる人に
それを売ってくれる外車メーカーが
戯れのように試みに作った
無駄なスペースがなく
必要なスペースも足りない玩具?
この小さい車でステータスを気取れば
笑われるだけでなく
車を2台も持っているなんてと
顰蹙(ひんしゅく)も買うことになる
買わずに残しておけば
半年~一年暮らせる金額
今持っている車が壊れてから
次に国産なら
チャージャー付きのフル装備の
上級グレードの軽自動車が買えるが
次
というものが五体満足で
運転できる神経を持った状態で
はたして私にあるだろうか
欲しい物があり
それが軽よりも小さい軽であり
買うお金が今はあるから
買った
ただそれだけのこと
いつ終わるか先のことなど
わからない寿命・余命
については無視した
ただそれだけのことだが
経済的寿命と肉体的寿命
同期してくれたら・・・?
本当に欲しいものは他にある
と我慢しているものも
あるにはあるのだ
走行距離約千五百キロの
慣らし運転を終えて平均燃費は
リッター二四・五キロメートル
楽しめる贅沢(ぜいたく)な玩具は
剽軽(ひょうきん)なマスクをして
家の前に居座り
私を無視も注視もしない
※ ずいぶん昔のことです。スマートK、という500ccの軽自動車の外車?に乗っていたことがあります。2人乗りというより2人しか乗れない。価格はシビックより安い車です。リアエンジンで、シフトするたびに、軽いフロントがピョンコピョンコ上下して、風景も上下しました。6速AT/6速クラッチレスマニュアルフロアシフトを楽しんでいました。ターボが付いて、動力性能は、私には十分でした。独りだからできた遊びでした。50代前半で運転は車もバイクも止めています。
(古い記事は載っていません)
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(古い記事もインポート済み)
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
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