寛容と共感
寛容が成り立つのは、
共感の成り立つところである。
信仰の場合その共感は
罪びと、低い人、
傷を持つ自分のいるところ、
完全でないところ、
誤解しやすい自分を
人を傷つけやすい自分を
思い上がりやすい自分を知っているところ、
など様々、自分を低くするところだ。
自分を上だと思っている者に対して
寛容になることは不義である。
何故なら、ごますりと同じだからだ。
信仰で言うところの寛容は、
社交の丁寧語とは全く違う次元の話であり、
信仰の正邪についての考え方についてだから、
社交の軽さでは表せない。
したがって
自分を批判する奴は寛容ではないから
信仰に反する
などと言うのは見当違いである。
そういうことを言うのは
大方、自己中心の人で、
自分が寛容でなかった事実を無視して、
人に寛容を要求する厚顔を持っている。
自己中心の自分信仰は、
自分の完成に慢心しているので、
人に共感する気がなく、
そのくせ、都合が悪くなると、
教理の寛容などの理屈を持ち出す。
共感の中で
最も人間らしいのは
悲しみへの共感だと思う。
楽しみや喜びばかりを探して、
いつも笑っていたい人々は、
訪れて来るであろう悲しみや
訪れてきた悲しみを認めないで、
無理にでも笑いを自分と人に求める。
それは無理解が招く飢餓であり、
信仰が与える喜びではない。
悲しみは、
共感することが最も大切で、
そこで既に人の孤独の一部は和らげられるだろう。
信仰においては、
死へ向かうキリストの孤独と悲しみを知ることで、
そのキリストに祈る心と言葉によって
絶対孤独の非人間性は癒されるだろう。
祈りを覚えることと、待ち望むことを覚えることと、
救いがたい自分の低さこそが信仰を与えられた理由であり、
結実の始めであることを知り、
全能の神を恐れることを知り、
信仰者は行く手にあるものに対して、
神ではないものに対して勇気を持てるのかもしれない。
※
注意してください。
全く共感が成り立たず、
共感する必要もないと言っていた者が、
聖書の失楽園を利用して
アダムが善悪を知る木の実を食べたのが罪の始まりだから、
善悪の判断をすることは罪だ、と決めつけ、
善悪の判断をしないように勧めています。
おかしな話なのです。
善悪の判断をしなくなって
人はどうやって進む方向や是非を決めるのでしょう。
それに、あらゆる罪も犯罪も止めようがなくなります。
あるいは神が直接操ってくださると言うのでしょうか。
それは、今、そうなっていない個人の、
そして世界の人々の現実から否定されます。
そのような無判断を勧める者は、
自分の犯した罪を弁明できなくなって、
そのことで責められたくないから、
善悪の判断をするな、と言っているだけなのです。
彼のような偽善者の言論の特徴の一つとして、
自分がはっきり分からないことを無理に書くときに、
やたら信仰の美辞麗句で飾って誇大的に書いて、
その見かけと勢いで
自分の無理解をごまかそうとすることがあげられます。
真実の表現は端的であることを目指します。
真実は飾りを必要としないからです。
真実には飾りは邪魔だからです。
彼の思考は自分信仰によって破壊されているので、
簡単な道理も分からずに、
保身のために、聖書の文言から、
都合の良さそうな聖句の言葉を見つけては、
飾って、気負って、出しゃばって、遠慮なく、
深い考察もしないで、わめいているだけなのです。
そういう目も当てられないような悲惨なことになるのです。
自分を見なくなった者は。
※
神は守って下さるのですということをそのまま教えて、
神は神の基準に従って人を守るということを教えなければ、
その空約束は信じる対象となり、
空契約による空天国を約束し、
空救済を約束された者は、夢想の空楽園に遊び、
自らの信仰の思いを空にして魔法のような救いに陶酔し、
他者を考え思いやる心を削り捨てて自らの空平安を求め、
空安心することを信仰として、
空っぽの感謝と讃美を自らに捧げるようになるだろう。
自分が思い描いた空っぽの神と一体になろうとするだろう。
それを妄想信仰と呼ぶ。
(2017年06月22日)
空約束(からやくそく)
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