信仰と逃避
悲しみや苦しみから目を背けて神をたたえ、神の与えた宿題である試練から目を背けて神をたたえ、神を誉め讃えて、いつも喜んでいる顔を作り、お付き合い気分で渡って、不思議がる人々には、何も知らないくせに・・と、心の中に、次から次に恨みを重ねてゆくのが信仰だというのだろうか。いつの日か、どうしても喜べない試練と終わりの時が来るまで、それこそ逆に何も知らない間だけ、幸せ気分に浸るのだろうか。
喜びながら語り、喜びだけを伝えようとする伝道において、積み重なってゆくのは、悲しみの心情を抑制することによって起こる偏狭な思い込みの固定化による人の主観が、人間世界の真実の必要と、まるで噛み合わなくなって起こる、乾燥した、一種の非情な残酷さだろう。
神の言葉として聖書や教理の言葉と讃美の言葉だけを語っておれば、考えるのが面倒臭い向きには、当座は、とても楽なのである。しかしその思考停止が常習化してしまうと、もはや信仰は、成長もなくなり、信仰とは違う固定観念になってしまうだろう。それらは、集団において、また特にカルト宗教において顕著に見られるものだ。
その固定された観念の乾燥状態は、信仰者個人においては、困っている人の気持ちに、また、自分のために困っている人の気持ちに、気づかなくなることだ。
つまり、人の気持ちが分からなくなるのである。その場の状況を弁えず、自分の分をも弁えず、否定の忠告を、肯定の忠告抜きでやってしまう、とか、相手に言い返すことが出来なくなって、しまいに神聖の名をみだりに唱えて一喝して相手を黙らせようとする、とか、人間として不自然だという直感がなくなって危機に気づかない、とか、困ったときに余裕の笑顔をかぶせて凌ごうとする、とか、引きつった笑いは、表情にも文脈にも表れることがあるだろう。前に言ったように、神への背きが、人によって暴かれることもあるということである。
キリスト信仰者は、信徒であれ、聖職者であれ、その弱さと傷すなわち罪において、求道者と何ら変わりはない。下手に、悟ったものとして振る舞ってはいけない。神の全知に比べれば、私たちは、無知と言ってよいものだから、同じ罪深さという低さを失ってはいけない。無知は、無恥になってはいけない。周りを見ない無恥の強さではなく、無知の弱さだから主は憐れんでくださるのである。
聖職者である先生には逆らわないようにしましょう、
背教者や迫害者にされてはいけませんから、
などということは、
先生が奇跡を語ったら
先生を喜ばせるために一所懸命に頷きましょう
などということは、
説教が終わって廊下に出たら
後ろ姿に
あばら骨を浮き彫りにするようなものです。
家に戻ってから
トイレの鏡に吐きましょう。
何も受け取れない、
何も受け取れない、
上から下への
教理のボタン掛けなどからは。
キリストが
失われた羊を探しに来られたときに、
自分の泣き声が聞こえるように、
主の前に
悲しいことなどないかのように
喜びで飾って振る舞ったりすることのないために、
そのとき人が用意するべきものは、
正直に告白するために忌憚のない心の自由です。
まさにその解放をもたらしたはずなのが信仰なのです。
悲しみの時こそ
赦しと癒しと導きと救いが必要です。
そのとき人が用意するべきものは、
飾ってバカっぽく喜び笑っていることではなく、
癒してほしい悲しみを真剣に告白することです。
主が探し求めるときに、
不正直に隠されたものを主は見抜きますが、
隠したということは、
救いのための告白が必要ないと言っていることに等しく、
災いも試練もなく幸福ですと嘘を吐くことになり、
キリスト者でも救いに与れない時とは、
そのように隠し事によって
キリスト者の務めを果たさなくなる時なのです。
私たち信仰者の務めは、
つまるところ正直に告白することだけなのです。
儀式などは
それが行えない事態がありうることを考えれば、
副次的な行事であることが分かるでしょう。
そんな時でも祈りはするでしょう。
つまりそれのみが
行いとして最も大事なことだと分かるはずです。
隠す心には
主の前に隠せるという傲慢があり、
また人が自らを立派に見せかけようとする高慢があるからです。
それは偽善者のわざです。
自分が群れを離れたこと、
自分が悪しき者たちの中にいること、
それらの間違いを気づかせるのは、
この世の束縛から解放された心で主に祈る心に他なりません。
その真実につながる心を、
人に義理立てしたり、
はばかって控えたりすることは、
さらに祈りの言葉にまで綺麗ごとを並べたりすることは、
信仰ではなく社交に仕えている証拠なのです。
主は、聖書にあるように、
人の嘘を余すことなく見抜かれます。
主は、主を心から欲する者だけに関わって来られるでしょう。
(2017年12年29日、同日一部修正)
凌ぐ(しのぐ)
頷く(うなずく)
傲慢(ごうまん)
忌憚(きたん)
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