美味しい言葉
昔、国民の大方は、
政治や哲学や宗教について
まず疑ったり
先ず不信から始めるのがベースでした。
騙す人が多かったからです。
最近は違うようです。
お祭り騒ぎが何よりも好きで
派手なことをしたい風潮以外であるとか
良さそうな言葉からは
良い意味を受け取らなければいけない
というような
難を避ける傾向があるのではないか。
難を避けられても
それは個人の面倒臭さを避けているだけです。
一種の短絡です。
根拠も内実もないような
吐き気を催す美辞麗句が蔓延しています。
大袈裟なのが好まれる傾向さえあります。
気安く騙す人が多くなりました。
そのような言葉に頷いて受け取ったもののために
中身の空虚さに恣意が入って
濃密な欲望の流れを作り
やがて抗しがたい壁となって立ちはだかるのです。
抗しがたい壁を築いてしまえば
それがあたかも本道であるかのように
当たり前じゃないですかと
崇拝と隷属を強いてくるでしょう。
信仰と思想の大きな流れはピンチだと自覚してください。
あちこちで偽善の汚水が噴出しています。
旧き時代には、
自由は血で血を洗う闘いによって勝ち取るものでした。
また
信仰のために多くの人が殉教して命を失った時代もありました。
ここ70年の平和が続いたために
まるで、何もしなくても、何も考えなくても、
今の平和は
当たり前に続くとと思われているかのようです。
キリスト教においては
悪口と批判を混同して批判禁忌の不文律が蔓延し
批判しないことが敬虔であるかのように
いつも薄笑いを浮かべている人がいるようです。
吐き気を催すような美味しい言葉を
何故か、今の人たちは喜ぶ傾向があるのではないか。
疑ってください。
人間はそんなに良い性根を持ってはいません。
批判してください。少なくとも疑ってください。
批判しなくなり疑わなくなったとき人間は隷属するのです。
能力が足りないがゆえにリーダーを求めます。
弱気がゆえに全能者を求めます。
リーダーに任せてはいけません。
全能者を人が決めてはいけません。
野蛮な時代は去ってはいません。
私たちは人間です。
限りある力を持つ人間です。
それは危うさを常に伴うのだから
安易な安心言葉や安心事に身を委ねないでください。
私たちは人間です。
限りあるゆえに共感と協力が必要です。
手遅れになる前に
あらゆる偽善と闘うために。
とうもろこしの芯を吸うように執拗に貪欲に
企みの触手を伸ばす者たちを警戒してください。
私たちは人間です。
節操があり理路があり情感があり
共感できて協力できる人間です。
中身のない言葉を真に受ければ
中身のない人型の家畜になります。
私たちはそれぞれが自由意志を持つ人間です。
それぞれに価値を持ち
それぞれに責任を持ちます。
うごめき右往左往する原生動物ではないのです。
私たちはそれぞれが自由意志を持つ人間です。
それゆえに神に背いて罪を犯すこともありますが
どうか罪を正直に告白して悔い改める幸いを忘れないでください。
(2018年12月24日アップ)
美味しい(おいしい)
騙す(だます)
頷く(うなずく)
うごめく(蠢く)
崇拝(すうはい)
隷属(れいぞく)
「美味しい言葉」
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