ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年04月


この地上に
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
それは信仰者として
真実でもあるのだが
一方で
逃避なのかもしれない
 
人というのは生涯
演技し続ける動物のようだ
恥ずかしくないように
少しでもきれいに見えるように
嫌われないように?
 
そういう演技は正当で
普通なのかもしれないが
過ぎれば
「世間体」大明神とか
「体裁」大権現とか崇拝にもなりうる
 
自分というものをしっかり持って
という「しっかり」の基準は分かりにくい
自分を信じて
という「信じて」は
責任の自覚か
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
つまり自信だろうか
 
世間体も体裁も
人間関係も幸福も捨てて
真理や真実を追究して
心を病んで
傍目には
自滅的な人生を歩んだ幾人かの
哲学者、数学者、文学者、詩人などの
名を思い起こすのだが
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
そういう質を持ってしまった者が
反社会的ではなくても
非社会的になって自閉して
ただ一度だけ
逃避が許される最後の時を
待っている人であるなら
 
幾人かの名と違って
自分は志よりも病が先なのか
いつまで社会人でありえたのか
と風景のように遠い人々を
遠い社会と世界を
ぼんやりとした意識の向こうに眺めている
 
想うところに
以上のように想うところに
いちばん知っているつもりで
いちばん知らない自分は
むしろ、いて欲しくないのかもしれない
 
(2011年04月30日)
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前記事の答えにはなっていません・・・(苦)
 
 
 
 

 
想うところに人はいない
 
人について
想い描く人物像は
人格も含めて
想い描いた像であるから
その人ではない
常にその人の偶像を相手にしている
想うところに人はいない
 
ここで人は
神と違って
想い描かれた人の偶像の間違いを
完全ではないが
ある程度
態度や言動で知り
また示すことが出来る
 
人間関係は誤解で成り立っているが
お互いの偶像を修正しながら
不安定ながら
未知に立ち向かって
良かれ悪しかれ活性化してゆく
正面衝突が可能だからである
 
人の像と違って
想い描く神の像の間違いを
導きによって啓示するのが
神だという証拠を人は持ち得ない
 
聖典と祈りを通して学んで
深く知ったと思えば思うほど
神と人との関係は
人にとって
人の誤解の中にしか存在しない
 
想うところに神はいない
想うところに人はいない
さて想うところに
自分はいるであろうか
 
(2011年04月29日)
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cf.書庫「詩と宗教・信仰」
 
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/6522921.html
「想うところに神はいない」など
 
 
 
 


理解?
 
文系・理系を問わず
理解というのは
心の解放感です
新しい方向へ広がることです
つまり始まることであって
決して完了することではありません
 
芸術でも学問でも下手な数学でも
人間関係でも風景でも
ポエムと同じです
 
論理でも情緒でも
理屈が合うのでも
無条件の感受でもよいのですが
 
解放感のないところには
何かが合ったのだと
完成したのだと
思い込もうとしている圧力を
自分に強いている自分がいるだけです
 
ただ厄介なことに
そういうとき同じ圧力を
合ったのだから合うのだからと
人にもかけてしまうことがあって
 
人は人間にがっかりして
ポエムも腐ってしまうのですが
 
そういうところからでも
ポエムは泣きながら身をよじり
産声をあげてくることもあるのです
 
(2011年04月28日)
(同日、即修正・・・やれやれ)
 
 
 
 


数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
より
 
問題:ビリヤード?
 
横7、縦6の長さの長方形の
左下の頂点から45°の角度で
球を発射したとき、入射角=反射角で、
球が頂点のポケットに入るまで
何回跳ね返るでしょうか。
 
イメージ 1
 
発射角が45°なので
長方形を横と縦に並べて
正方形を作ればよい。
7と6は互いに素だから、
正方形の一辺は最小公倍数の
7×6=42となる。
横に6個、縦に7個
計42個を並べることになる。
 
イメージ 2
 
正方形の中に縦に5本、横に6本の
格子線が出来る。それらと
球の直線軌道が交わる。
その軌道と格子線との交点が
球が長方形の中で跳ね返る軌道と回数に
投影される。
 
イメージ 6

左下から発射した球は45°だから
大きい正方形の対角線として進み、
すべての横と縦の格子線と交わるが、
途中の格子点は正方形をつくらないので、
大きい正方形の右上の頂点に達するまで
格子点と交わることはない。
∴跳ね返る回数は5+6=11(答え?)

正方形では右上の頂点に達するが、
元の長方形が正方形の中では上下左右に裏返り対称になることがあるので
元の長方形の右上の頂点ポケットに達するとは限らない。
 
イメージ 3

より一般的に
横m:縦nの長方形を考えて、
発射角度が、
横:縦=p:nとすると
(整数p<m、mとpは互いに素)
入射角=反射角で、反射回数を求めるには、
 
イメージ 4

a、bを整数として、
横にa倍、縦にb倍した長方形が
p:nになればよい。
ma:nb=p:n
∴man=nbp
∴ma=bp
mとpは互いに素だから、
mとpの最小公倍数mpになる。
a=p,b=m、つまり
大きな長方形の
横の長さ=mp、縦の長さ=nm、となる。
大きな長方形の中には
縦に(p-1)本、
横に(m-1)本の格子線が出来る。
球はこの格子線と交わって
大きな長方形の右上に達する。
∴(p-1+m-1)=(p+m-2)個の
交点が出来て、これが
球が反射する回数となる。
問題ではp=nなので、p+m-2
=m+n-2=7+6-2=11(答え?)
イメージ 5

 (2011年04月25日)
 (2011年04月26日、加筆修正)
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また、数学つまみ食いに走って(逃げて?)おります。
 


問題1:
 
1+(2の奇数乗)は3の倍数になる。
 
解答例1:
自然数nについて 1+2^(2n-1)
n=1のとき 1+2=3 成立。
n=kのとき成立と仮定すると
 1+2^(2k-1)=3m
n=k+1のときは
 1+2^(2(k+1)-1)=1+2^(2k+2-1)
  =1+2^(2k-1)×2^2
  =1+(1+2^(2k-1)-1)×4
  =1+(3m-1)×4
  =1+12m-4=12m-3
  =3(4m-1) これは3の倍数だから成立。
以上より、数学的帰納法により成立。
 
 
問題2:
上の等式 1+2^(2n-1)=3M は、(n,M:自然数)――①
すべての自然数nについて、Mが存在することを意味し、
すべてのMについて、nが存在するわけではないので、
恒等式とは言えない。 
  ①を恒等式にしたい。・・・という問題。
といっても、M=(1+2^(2n-1))/3 から
1+2^(2n-1)=3((1+2^(2n-1))/3)
では意味がない。
 
解答例2:
Mがどういう数であるかを少し考えてみる。
 
n 2^(2n-1) 1+2^(2n-1) M  Mの差
 
1   2          3     1
                        +2
2  2^3=8        9     3
                        +2^3
3  2^5=32      33    11
                        +2^5
4  2^7=128    129    43
 
即ち、n=4のとき、M=1+2+2^3+2^5
  ∴ 1+2^7=3(1+2+2^3+2^5)
そこから、
 M=1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2n-3)
そして 1+2^(2n-1)    ―――――――――――――①の左辺
=3M=3(1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2n-3))―②
  =3(1+<シグマ(k=1~(n-1)>(2^(2k-1)))
と帰納する。
 
②の計算=①の左辺を証明する:等比数列の和
M-1=S=2+2^3+・・・+2^(2n-3)とすると
2^2×S=    2^3+・・・+2^(2n-3)+2^(2n-1)
両辺を引くと
(1-2^2)×S=2-2^(2n-1)
∴ S=(2-2^(2n-1))/(1-4)
   =(2^(2n-1)-2)/3 ――――――――③
①の右辺つまり3Mは、②③より、
M=1+S=1+(2^(2n-1)-2)/3 だから、
3M=3×(1+S)=3×(1+(2^(2n-1)-2)/3)
        =3+(2^(2n-1)-2)
        =1+2^(2n-1)=①の左辺
 
または数学的帰納法:
n=1のとき、②は3、①の左辺も3、成立。
n=kのとき成立と仮定すると
   1+2^(2k-1)
  =3(1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2k-3))
n=k+1のとき、
①の左辺=1+2^(2(k+1)-1)=1+2^(2k+1)
右辺つまり②
=3(1+2+2^3+・・・+2^(2k-3)+2^(2(k+1)-3))
=3(1+2+2^3+・・・+2^(2k-3))+3×2^(2k-1)
=1+2^(2k-1)+3×2^(2k-1)
=1+4×2^(2k-1)=1+2^2×2^(2k-1)
=1+2^(2k+1)=①の左辺
 
以上より、M=1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2n-3)
つまり、1+2^(2n-1)
 =3(1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2n-3))
 =3(1+<シグマ(k=1~(n-1)>(2^(2k-1)))
という恒等式が成立すると言える。
 
(2011年04月25日)
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こう考えてみましたが、思考のプロセスではあるけれど、
・・・それに何か意味があるのか、よく分かりません。
何か気晴らしに考えていたいだけかもしれません・・・?
 
なお、記号「シグマ」は、過去に何故か文字化けしたので
    <シグマ(k=・・・)>
で表しました。
  
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問題1は、ネットだったか、普通に使われていました。
問題2は、ネットで「コラッツ・角谷の予想」
という難問を見つけて、「予想」というから
その時点では解かれていない問題ですから、
もちろん私に解けるわけなどないのです。
 
数列の問題で、初項A(1)は任意の自然数。
A(n)が偶数ならA(n+1)=A(n)/2、
奇数ならA(n+1)=(3A(n)+1)/2
という漸化式で、結局1になる?という予想です。
 
偶数は2で割る繰り返しで必ず奇数になります。
奇数の場合A(n)=2m-1として代入すると、
A(n+1)=(3(2n-1)+1)/2=3m-1
これが2の何乗かになれば、あとは2で割る繰り返しで1になる。
つまり、3m-1=2^p ならば、ということで、
 1+2^p=3m おっ、これは問題1に似てる・・・
と興味をそそられたのですが、・・・
問題1の式は恒等式ではない。やっぱり無理だと観念して、
興味を持ったことさえ恥ずかしい・・・。
せめて問題1のmとは、どういう数なのか、恒等式にならないのか
ということを考えたのが、問題2です。
 
(同日、加筆修正)
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「コラッツ・角谷の予想」は解けないので、
ちょっと疲れて・・・一区切り置きたくて苦し紛れに、
次のような問題を作ってみました。
 
問題3:
初項A(1)は任意の自然数。
A(n)が偶数ならA(n+1)=A(n)/2、
奇数ならA(n+1)=(3A(n)+1)/2
という漸化式の数列において、
mを自然数として、2m回目で初めて、
A(n+2m)=1となるような
奇数のA(n)を求めなさい。
 
解答例3:
問題2の解答例において
 1+2^(2n-1)=3M、3M-1=2^(2n-1)
  M=1+2+2^3+2^5+・・・+2^(2n-3)
という恒等式を得たので、そこから、
奇数(2M-1)
 =2(1+2+2^3+・・・+2^(2m-3))-1
 =2+2^2+2^4+・・・+2^(2m-2)-1
 =1+4+4^2+・・・+4^(m-1)
 =<シグマ(k=1~m)>(4^(k-1))
 =(4^m-1)/3 
 =A(n)とすると、
 
A(n+1)=(3((4^m-1)/3)+1)/2
      =4^m/2=2^(2m-1)
あとは、偶数は、この場合2の累乗は、2で割るだけなので、
A(n+1+(2m-1))
 =A(n+2m)=2^0=1
 
∴ A(n)=1+4+4^2+・・・+4^(m-1)
      =(4^m-1)/3 ――――――――――(答え?)
 
(2011年04月27日、加筆修正)
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ふぅぅ(ため息)・・・使った脳ミソとエネルギーのわりに、
どうにでも作れそうな問題を作ったような気がします。
下手の横好きの数学、弱い脳ミソです。間違い、勘違い、等々
ありましたら、コメントいただければ幸いです。
 

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