ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年12月


 行列は苦手だ
 特に掛け算は面倒だ
 素人には不向き・・・!?
 行列の掛け算においては
 左の行列のI行目の横に並んだ要素と
 右の行列のJ列目の縦に並んだ要素を
 左は左から
 右は上から
 要素×要素の和が
 掛け算の答えとなる行列の
 I行目J列目の要素になるのだが
 大きな行列になると
 たまらない・・・(苦)
 
 2×2行列か
 大部分の要素が0の行列だけ
 いじってみる
 
数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/archives/65532003.html#comments
より、 「たけしのコマ大数学科」
第158回 「法政に挑戦」
問題 「特殊な行列のn乗」
 
下の行列を50個掛け合わせたときに、
できる行列を求めてください。
イメージ 1
解答例 :
2個掛けて、さらに1個掛けて、・・で察しは付くのだが、
ここでは問題の0.5を a にして
2×2行列において
イメージ 2

まるで指数関数のように
右上のaについては
掛け算が足し算になる。
ということは、n回掛けるとは
aをn回足すこと、即ち、aのn倍ということになる。
問題では、a=0.5、n=50なので、答えは
イメージ 3

ここからは
余談と遊びに過ぎないけれど・・・
 
問題の行列を含めて、一般に
m×mの正方行列において
左上と右下の要素が1で
右上の要素がXで
あと残りの要素が全部0の行列なら
問題と同じようなことが言えそうである。
 
そういう行列をここでだけ f(X) とする。
 
イメージ 4

f(a)×f(b)=f(a+b)
f(a)^n=f(n×a)
指数関数に似ている。
f(a)×f(b)=f(b)×f(a)
交換の法則も満たす。
といっても
行列は数値を返すわけではないので、
知ってる範囲での関数とは呼べないが・・
 
足し算では、
f(a)+f(b)=2×f((a+b)/2)
これは、
足した行列の個数×f( 相加平均の値 ) とも言えるだろう。
 
イメージ 5

k=1からnまでの f(k)の和
 =n×f((n+1)/2)
 
イメージ 6

などが成り立つようである。
 
(2011年12月16日))
------------------------------------------
趣味の数学だし、暇つぶし以上のものではないが、
時々思い出したように3日かけて、こんなものか・・(嘆)
 
補足:
行列一般には乗法の交換法則が成り立たないけど、
記事の行列f(Ⅹ)には乗法においても交換法則が成り立つから、
こういう群をアーベル群(可換群)とか・・いうらしい。
単位元は、f(0)で、これは2×2以外ではEと等しくない。
すみません。SNSの助けを借りて、ちょっと検索して、
かっこつけてみました。
間違ってるかもしれません。コメントいただけたら幸いです。
 
(2011年12月17日、加筆修正)
----------------------------------------
検索ついでに、数学にはノーベル賞はないけど、
アーベル賞というのがあるらしいです。関係ないけど・・
 
 
 
 

数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
から
TV「たけしのコマ大数学科」
第157回「トライアングル」
 
問題:(やや改)
平面状に合同な2つの正三角形が描かれている場合、
点を中心に正三角形を回転して2つの正三角形が重なるような
回転の中心点を描く方法を示しなさい。
また、回転の中心点の個数はいくつになるかを考える。
 
解答例:(未確認?)
 
まず、2本の線分を重ねる回転の中心点を作図する。
イメージ 1

上の図1のように、
回転して重なるなら、
△OABと△OA'B'は合同になるはずである。
ならば、△OAA'も、△OBB'も二等辺三角形になり、
回転の中心点は、
底辺であるAA'とBB'の垂直二等分線上にある。
つまりAA'の垂直二等分線と
BB'の垂直二等分線の交点が中心点となる。
 
図2に示すように
単純な2本の線分を重ねるだけなら
この方法では中心点が2つ出来る。
イメージ 4

AA'とBB'の垂直二等分線の交点Oと、
AB'とBA'の垂直二等分線の交点O'の2つである。
図2の中の線分の中央に
毛のように書いてある矢印は、
線分のどちら側に正三角形(の頂点)があるか
という方向を示している。
つまり
一辺が決まり、どちら側に頂点があるか、という2つの条件で
正三角形は1つに決まる。
図2に示すように合同な△OABと△OA'B'と、
合同な△O'ABと△O'A'B' とを比べると、
矢印の方向が一致する中心点は、Oだけである。---(1)
赤で描いたO'のほうは矢印が逆方向に向いているので
矢印を含めると重ならない。------------(1)
 
正三角形の辺を考えると
各辺は正三角形の内側への方向性を持っている。
図2の矢印は、単純な線分ではなく、
正三角形の一辺を重ねることを示すために描いている。
すなわち
正三角形の一辺と、もう1つの合同な正三角形の一辺を重ねるための
回転の中心点は、2個ではなく、
(1)より、1個である。-------------(2)
 
そのことを考えて描いた2つの合同な正三角形を重ねるための
回転の中心点を描いたのが図3である。
イメージ 2

正三角形は3辺の長さが等しいので、
ABとA'B'、ABとB'C'、ABとC'A'
を重ねるような中心点を描けばよい。
それぞれの線分の対応について
AA'とBB'、AB'とBC'、AC'とBA'の
それぞれの垂直二等分線の交点を描いて求めればよい。
(2)より、交点、すなわち、中心点は3つ出来る。
図3の中の、O1,O2,O3、である。
 
Oを頂点とする合同な三角形を描けば
矢印が正しいか逆向きであるかはわかるが、
辺(線分)を順序よく名づけておけば間違うことはないと思う。
例えば、BCやCAを、CBやACと
書き間違わなければ大丈夫だと思う・・(?)
 
上は、ABと対応させたが、
BCやCAと対応させる必要はない。
上に述べたように
一辺と方向によって正三角形は1つに決まるので、
BCとB'C'を重ねることは、
ABとA'B'を重ねるのと同じことである。
CAについても同様なので、
2つの正三角形を重ねるための回転の中心点は、
基本的に3個となる・・と思う・・(?)
 
では、2つの正三角形がどういう位置であっても
中心点が3個かというと、そうではないようだ。
中心点が2個と1個になる場合を図4に示す。
イメージ 3

図4に説明してあるが、
左の図は平行移動で正三角形が重なる場合であり、
この場合、頂点を結ぶ垂直二等分線が平行になる場合が1つあり、
それによって中心点は2個になると思う。
右の図は2つの正三角形の中心が同じ場合で、
外接円の中心が、ただ1個の中心点になると思う。
他にもあるかもしれないが、一応ここまでとする・・(?)
 
(2011年12月(13日ではなく)12日)
----------------------------------------------
最初は比較的簡単な問題と思っていましたが、
一般的に、任意の位置で、中心点が何個あるか
と考えてゆくと、ややこしく、かなり混乱して、
・・・時間がかかりました。
直観(直感?)と試行錯誤の末に一応書きましたが、
検証不十分な感じもするので勘違いがあるかもしれません。
コメントいただけたら幸いです。失礼。
・・・ぼうっとして日付間違えた。
 
 
 
 


日記的断片:二つの言葉について
 
「一期一会」
 
生涯に一度だけ会うこと
・・これだけだと何となく分かりにくい感じ?・・
それで
次に再開できるという保証のない人の世において
会っている今ひとときが全て ( なのだから、
相手を大切にもてなさなければいけない )
と受け取ってみる。
・・ひとときが永遠・・という広がりを
感じさせる言葉になるような気がする。
 
 
「国破れて山河あり」
 
人間の無常観と自然の悠久?のようだが、
否定的に読むと、
国が滅びて山河だけしか残っていない。
肯定的に読むと、
国は滅びたが山河は今なお昔のまま残っている
という希望とも受け取れる。
さらに
国が滅びても
山河を「山河」と呼ぶ人々は今なお残っている
という希望とも受け取れる。
 
さて仮に
「人類滅亡して自然あり」となるとどうだろう。
前に
人類が滅亡しても自然は自然であり続ける
と書いたことがあります。
あながち間違っているとも思えないのだが、
見方を変えると、
人間のみが自然を「自然」と認識し呼んでいるのだから
人間がいなくなれば、その認識そのものがなくなり、
つまり
人類が滅亡すれば、もはや自然 ( と呼ばれるもの ) はない。
すなわち
「人類滅亡して自然なし」という見方も出来るかもしれない。
 
(2011年12月11日)
---------------------------------------
当たり前といえば当たり前かもしれませんが・・
 
 
 
 


人の復活
 
 
信仰はその原初から
神への依存であり
自立した信仰などありえず
信仰は紛れもなく
神に人が依存し甘えることに他ならない
 
しかし信仰は偶像信仰にしかなりえない
 
人が真の神を相手にすることは出来ない
そんな能力は人にはなく
真の神に人知はどこまでも及ぶことがない
 
ならば信仰は否定されるだろうか
人は神を信じてはいけないのだろうか
 
人を信じられず
自分を信じられないとき
たとい偶像であろうと
神が許そうと許すまいと
たとい土の器から涎のように
だらだらと引きずる醜い姿であっても
その結実が悲惨な生と死であっても
祈り願い
叫ぶ以外にないのが信仰だ
 
この世の何処に
信ずるに足るものがあろうか
 
悪い夢を見て
目が覚めたら
現実はもっとひどい悪夢だったとき
実在が幻想と化して
善悪が糞尿ほどの価値も持たないとき
逃げようもなく
絶望的に無力な狂気が
すがりつく糸も
しがみつく藁も信仰である
 
偶像信仰にしかなりえないとはこのことである
 
他にないという人にとってのみ信仰なのであって
他にあるなら信仰などは捨てたほうがよい
 
少なくとも一度は来るはずの
生と死の境界に立ち
信仰と思っている自らを省みよ
 
もはや神の器に成り上がった微笑の調和も
バランスも保つことなど出来はしない
 
何を捨て
何に捨てられているのか
そこにすべての教義は死に絶え
踏絵は踏みひしがれ
 
神の御業を知らない
キリストの奇跡を知らない
聖霊の体験を知らない
讃美も感謝も知らない
 
語るべき何ものもなく
ずれた顎から舌を垂らし
眼球は偏り流れ
手も足も投げ出されて
ぶらぶらと関節の規則を外れて曲がり
人の形を失ったその果てに
受けとめる器があろうとなかろうと
落下に任せるしかないときが
人によらず
人にあらず
収めようとすればするほど
壊される土の器の日常である
 
(2011年12月08日)
--------------------------------------------
何か捨てたような気もするが・・・
 
 
※ 関係ないけど日記メモ? : 唐突に、
Xpで日本語変換はMSIME使ってるんですけど、
2日ほど前からキーボード配列が変わりました。
特に記号の入力が変わって打ちにくい。
確定後の再変換が出来ない。
そもそも変換/無変換キーが利かない。
変換はスペースキーだけになってる。
漢字キーでIMEオン/オフが出来ない。
アップデートということだろうか
・・バグだろうな・・ウイルスか・・
 
 
 
 


非合理と合理
 
 
人にとって神は
そして信仰は元々非合理である
 
人知は
神を信じる信仰という非合理と
人の合理を区別するために与えられている
 
恐ろしいのは
信仰という非合理を
人の合理に結びつけることだ
 
非合理について
人の合理で確信しうることは何もないのに
非合理が合理に
神の思いが人の思いに
合一すると思い込むところから
信仰は確信に変質する
 
信仰という非合理は
それを必要とする人を救いうるが
確信という非合理は
それを必要としない人を
いわれなき罪と報いに定める
 
 
 

 
 
必要なのは
復興ではなく改革である
 
信仰を受け取る側の
人知によって語りうる人の器の改革であり
 
それは解釈信仰や奇跡信仰や史実信仰などの
人知によって神を語る人知信仰からの脱却である
 
人知から離れることも
人知を超えることも出来ない人にとって
生きている間
神に帰ることの出来ない自らを知ることであり
つまり「人に帰る」ことである
 
さもなければ
信仰に熱心であればあるほど
信じれば信じるほど
人の器は
土の器から神の器を目指すことになり
土の器に秘められた人の信仰は
神の器に背くだろう
そして
人知信仰が破壊してゆくのは
その土の器
すなわち人の信仰に他ならないのである
 
(2011年12月02日、また同日若干修正、失礼)
--------------------------------------------
何度も似たようなことを書いて
誰にも通じないのが私の信仰のようですが
たといどんな悲惨な生き方と死に方が待っていても
恐らくもう限られた残り少ない日々を
書けるだけ書いて私は終わるしかないようです
 
 
 
 

このページのトップヘ