ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2015年04月

 
  不在
 
 
今の意識を持ったまま
目に見える神に会ったとしよう
その時その場で
祈るときと同じように
目に見えない神に祈ることが出来る
つまりどちらも本当の神ではない
 
ゆえに
目に見える神
心に描く神
頭で納得する神
いずれも信ずるに足らない
 
人が神はああだこうだと言っても
信ずるに足らない
 
人が神の霊と交流すると言っても
信ずるに足らない
 
人に必要なものを
神が下さると言っても
神が下さったのだと
人は決定する資格はない
 
人に必要なものを
神が下さったと人が言っても
信ずるに足らない
 
人の思いは大切だが
人の思いは神に遠く及ばない
 
人の思いは信ずるに足らない
 
神の不在も存在も証明できない
ゆえに信じるというよりも
 
信じたい気持ちがある者よ
 
神を知らない
ゆえに信じるしかないのである
 
 
(2015年04月25日)
 
 
 
 

 
  こういう・・
 
 
今日の彼の聖書の引用は
 
>私たちの主なる神のなさることはすべて正しい。
>ダニエル書9:14
 
 (ダニエル書、口語訳)
9:13
モーセの律法にしるされたように、
この災はすべてわれわれに臨みましたが、
なおわれわれの神、主の恵みを請い求めることをせず、
その不義を離れて、
あなたの真理を悟ることをもしませんでした。
9:14
それゆえ、主はこれを心に留めて、
災をわれわれに下されたのです。
われわれの神、主は、
何事をされるにも、正しくあらせられます。
ところが、
われわれはそのみ声に聞き従わなかったのです。
  (ダニエル書9:13―14、旧約聖書)
 
聖書の当該箇所を読めば載っているのです。
 
そしてはっきりと
われわれの神に対する不義を認めているのです。
 
けれど彼は
 
>私たちの主なる神のなさることはすべて正しい。
 
という引用だけ・・
 
神の正しさは
人には分からないことも多いけれど
神を信じる者にとって
神の正しさは総意であります。
 
彼はその・・神は正しい
・・だけを載せて何を言いたいのでしょう。
前後を書かなければ学ぶ意味はないと思います。
 
そして記事本文において
 
>自分の背きの故に打たれたことを知る者は、
>打たれたのは当然です、
>打ったあなたは正しいと言うのですね。
 
と書いてきます。
 
まるで「自分の背きの故に打たれたこと」から
自分を除外したいかのように・・
 
誰かはそうだが自分は背いていない、
だからその誰かは「打ったあなた(神)は正しい」
と言えということにしたいのでしょうか。
 
>自分よりも、もっともっと罪深いと思われる人が、
>イエスの十字架刑での処刑のゆえに
>赦されて天国に入れてもらえる。
 
十字架刑だけではなく
本人が罪を認めたからこそ
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
20:16
このように、あとの者は先になり、
先の者はあとになるであろう」。
 (マタイ書、新約聖書)
 
ということが成就するのではないでしょうか。
 
彼はこの部分も引用していない。そして
 
>わたしの気前のよさをねたむのか。マタイ20:13、15
 
>私たちの目から見ると不当に思えるのですが、
>でも、主人は言うのですね。
>「わたしは不当なことはしていない。
>この人にもあなたと同じようにしてあげたいのだ」と。
>今日も。
 
と書いて
キリストの気前の良さを強調しています。
 
自分がキリストの気前の良さ
つまり
救いを受けるのは当然という方向だけに
話を持ってゆきたいようです。
 
キリストの気前の良さは
人の功績によらず
人の正しさによらず
「あとの者が先になる」ように
罪を認めた人々に惜しみなく与えられるようです。
 
必要なのは
どれだけ神を讃美したからではなく
どれだけ都合のいいことを語ったかではなく
 
神にすべての裁きを委ねて
人が自分の罪を認めて祈ることなのです。
 
 
(2015年04月25日、下記追加)
彼は途中で記事のタイトルを変えたようです・・
・・こちらは、修正前のタイトルの
「すべて正しいのだそうです。天の神、主のなさることは。」も
修正後のタイトルの
「こういうことをなさる方なのですね。天の神、主と呼ばれる方。。 」
もコピペ保存してあるのですが・・
タイトルのどこにこだわる理由があるのか、
すべて正しい・・が引っ掛かったのか、分からない・・
 
 
 
 

 
  野菜
 
 
野菜炒めと書いてあったのです
面倒くさがりの爺が注文して
ネットスーパーからの宅配です
見たら大きめのパックに
キャベツ、玉ねぎ、ピーマン、ニンジン、が
生のまま山盛りになって
ラップが張ってました
・・野菜炒めの具材でした・・
 
ものぐさで料理とかしません・・
しまった!と思いましたが、
返品できないし
捨てるなんてもったいない以上にとんでもない
ラップをちょっと破って
キャベツとビーマン、いくつか食べた・・
パリッカリカリとと
割と新鮮な触感はサラダ、当然
・・そのままでも食えると思った
 
しかし2~3人分と書いてあって量がある
油で炒めたりとかしたことないので
鍋に水を入れてドサッと野菜を入れて
もう少しやわらかく、少しは温かくと
・・ビタミンとか、いいから飛んでけっ・・
こっちは非常事態だ、食えればいいと
 
・・主食にするんだ・・
 
食い物の写真というのは普通
料理自慢とか郷土料理とかですが
写真
 
イメージ 1
 
 
イメージ 2
 
左側の皿は野菜といっしょに買った鳥肝煮、
左端の玄米パンもいっしょに買った物で
ここでは主食の補助食品・・
右上は日本酒・・あとコーラ・・
私のディナー(・・実はランチです)
2食で野菜を食い尽くしました。
酒もコーラも、おいしかった
 
 
同じようなことですが
パック入りの刺身は
底上げに嫌というほど大根が盛られていますが
大根を主食に食べればランチです。
大きいパックならディナーです。
しかもダイエットにいいような気もする
・・大根、野菜、ワァーシワァーシ食べましょう。
 
 
(2015年04月24日)
 
 
 
 

 
  心遣い
 
 
バランスは崩れるためにあり
 
そうしないと人は動かない
 
進むとはそういうこと
 
 
つまずいて
 
泥を見て
 
水を求め
 
日を浴びて
 
泣きながら
 
斜めの世界を見てみないか
 
逆様の世界を見れただろうか
 
心遣いとはそういうもの
 
 
動かないことを誇れるのは
 
神だけだ
 
 
(2015年04月24日)
 
 
 
 

 
  思いを・・
 
 
ひどいものです・・今回は特に・・
 
自分のことを、特に罪を棚に上げて
こんなに神様と仲良しなんだ
と言うことが信仰だと思っていることが
どれだけ信仰も祈りもスポイルしてしまうか
ということです。
 
 (歴代誌下、口語訳)
16:9
主の目はあまねく全地を行きめぐり、
自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。
今度の事では、あなたは愚かな事をした。
ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう」。
 (歴代誌下16:9、旧約聖書)
 
>御自分と心を一つにする者を探し求めておられるのですね。
 
神が心を一つにするものを求めている
ということと
人が神と心を一つにすることが出来ますよ
ということとは別です。
 
本末転倒、主客転倒、自己中心の信仰、
そして理想と現実を混同して区別しない彼の特徴です。
 
自分の言説に人を従わせようとする者の
詭弁に惑わされないようにしてほしいと思います。
 
>私たち人間の側から持って来て、
>知らせてくれることを喜ばれるのだそうです。
 
神に・・でしょうか、
人が持っていって知らせることが出来ると言うのです。
 
祈りのことかもしれませんが
なぜ祈りと書かないのでしょう。
 
どこか神秘性を持たせたがるのが特徴のようです。
しかもその神秘を人に結び付けようとするのです。
 
はっきり言えばボロが出るから
こういう曖昧な言い方を彼はよく使います。
それで彼の言うことを
すんなり受け入れるように仕向けたいのでしょう。
 
ちょっと読んでみると優しそうな言い方で
深い意味をぼかしながら今まで通用させてきたのでしょう。
 
自分という人間について考えることをせず
神はああだこうだとばかり語る口は信用に値しません。
人から神への唯一の告白である祈りをけがす行為だと思います。
 
 (黙示録、口語訳)
2:2
わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。
また、あなたが、
悪い者たちをゆるしておくことができず、
使徒と自称してはいるが、
その実、使徒でない者たちをためしてみて、
にせ者であると見抜いたことも、知っている。
 (黙示録2:2、新約聖書)
 
このように彼は他者を侮辱するやり方です。
果てしなく訂正不能のまま侮辱し続けるのでしょう。
 
彼には自分以外の言説を唱える者は
偽者だということなるのでしょう。
 
誰か「自分は使徒だ」とでも言ったのでしょうか。
 
結局、彼はいつもと同じように
聖霊と一つ思い、神と一つ思い、という言説を
自分に当てはめ、人もそうするべきだ
という方向に誘導してゆくのです。
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
17:21
父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、
わたしがあなたのうちにいるように、
みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、
それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、
世が信じるようになるためであります。
17:22
わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。
それは、わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためであります。
17:23
わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、
彼らが完全に一つとなるためであり、
また、あなたがわたしをつかわし、
わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、
世が知るためであります。
17:24
父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、
わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。
天地が造られる前からわたしを愛して下さって、
わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
17:25
正しい父よ、この世はあなたを知っていません。
しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、
あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。
17:26
そしてわたしは彼らに御名を知らせました。
またこれからも知らせましょう。
それは、あなたがわたしを愛して下さった
その愛が彼らのうちにあり、
またわたしも彼らのうちにおるためであります」。
 (ヨハネ書17:22-26、新約聖書)
 
ここで言われていることは
神の下に信徒が結束することでしょう。
しかも使徒が書いた聖書の記事です。
 
>父である方の御思いを私たち一人ひとりの心に
>書き記して下さるという、そのことによって、
>あの方々の中に私たち人間の一人ひとりがいるようになり、
>私たち人間の一人ひとりの中にあの方々がいて下さるようになるのだそうです。
 
聖書は
神と一体になって
何をしても完全で罪がなくなる
といったような彼の神がかりを支持してはいません。
 
彼は都合よく聖書を引用しまくり
ほら聖書にちゃんと書いてあると言いたいのでしょう。
聖句の乱用と私物化とはこのことです。
 
>愛し合う者どうしは、
>お互いが思いを見せ合い、知らせ合って、
>一つ心になっていくのだそうですね(ヨハネ17:26)。
>今日も。
 
「愛し合う者どうし」?・・
まるで神と同棲しているような言い方です。
自分はこんなに特別に素直な神の子です
と自慢したいのでしょうか。
 
これが彼の認識なのです。
 
このように甘くて気安い見方をしていると
神と暮らして相談して仲が良くて何も間違いない
というような話になり
それなら祈りなど必要なくなってしまうではないか
と言いたくなるような信仰を語り続けることになり
自分の罪など何も考えない人間になってしまう
という教訓として学ぶべきでしょう。
 
 
(2015年04月24日)
 
 
 
 

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