ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2015年08月

 
  gh
 
 
ghになりたい
サイレント
最後はghも消したい
もともとなかったように
 
これでは
生まれたことが最大の恥辱だ
だから
付録のような
尻尾のような
湯気のような
あってもなくても
gh
 
恥辱の存在なんか誰が要るの
  
though ・・ 
 
 
(2015年08月30日、同日一部修正)
 
真顔でも、冗談でも、いいのですが
61歳の男が書いています
 
あとから though つけるってところか・・
 
 
 
 

 
  信仰と知性
 
 
もし信仰が
聖書の解釈に詳しい人から
教えてもらう性質のものなら
聖職者や神学者が
最も正しい信仰を持っていることになる
ならば
信仰には普通以上の知性が必要
ということになるが
それでは多くの人が救いから漏れることになる
ゆえにこれは信仰ではない
 
信仰は人間性のみを要求する
それ以上の知性や感性などの
才能を一切要求しない
そして人間性のみが信仰に最も重要である
 
専門家が詳しいのは知識であって
信仰ではない
 
前にも書いたことだが
聖書をそらんじるほど熟読した信仰と
聖書の一行から生まれた信仰に
優劣はない
 
信仰は一片であり全部である
 
信仰があるかないかは
神のみが決めることだ
 
 
(2015年08月30日)
 
 
 
 

 
  安らぎは・・
 
 
安らぎだけで経過する信仰があるだろうか
 
崖っぷちでは、あるのかもしれない
でも多くは自己満足や欺瞞かもしれない
 
信仰というのは
自分が絶対者ではないことを知ること
 
だから信仰によって
正しさを絶対視するなんて正反対のこと
 
そういう絶対視は
人にとって最も頑固な先入観
 
先入観という判断を偏らせるものが
心の中にあることを認め
自分の先入観は
できれば探して
見つかったら
判断の根拠から除くことが大切なのに
 
その一番強い先入観を
自ら招き
それに寄り縋る信仰なんて・・
 
人は絶対ではないからこそ
絶対に対して恐れを抱き
人のものでも自分のものでも
絶対でないものを絶対とすることのないように
心がけるべきなのだが
 
そうすることが自分を低くし
へりくだることなのだが
 
絶対を理解して信じることは不可能だが
絶対を理解できないなら
絶対によって聞かれていることを
信じる信仰は可能だが
 
それでは満足できず
やはり今までと同じように
人知を超えたものを人知で理解しようとして
神は・・、神は・・、という主語を乱発して
そのことを安らぎと呼んで感謝し
人にも伝えてゆくのだろうか
 
人は神を信じることが出来るだろうか
 
 
(2015年08月30日)
 
 
 
 

 
  叫ぶ信仰
 
 
分からないということも
分からないと言うことも
捨て去った世界
 
悪意は獣のような満腹を求めて
偽善は偽りの称賛を求めて
 
意志の化け物になって
意識の幽霊になって
 
人はいつも神に逆らっている
 
神に従う信仰など
人に正義など・・
 
自らを呪われて消えるがいいと吐き捨て
殺してくだされと神に祈る
 
かつて教会に行き
聖書を読み
洗礼を受け
やがて教会を去り
その報いがこれですかと
神に駄々をこねる
 
・・という心の次第を
洗いざらい申し述べる日々が祈りの信仰
 
 
(2015年08月29日)
 
 
 
 

 
  数の世界
 
 
無視してはいけない数
人が人間をやめて死んでゆき
人が人間をやめて生きている
 
それ以外の数
人々は真善美を求めて人生を謳歌し
人々は真善美を求めず人生を謳歌している
 
それ以外の数は
無視してはいけない数を無視して
誰かが鐘を鳴らしても
音が鳴っているから聞こえるだけで
考えるのは平たい紙上の光沢だから
 
人間は人間同士で生きていない
 
残念ながら人と人との間には
欠けてゆくものがあるのだが
 
だから一層人々は
暗い路や貧しい街を避けて行き交い
今日生きることに懸命で
ときどき殺されて減ってゆきながら
生き残った人々は
 
消えてゆく人はごく僅かという数を信じて
なおも子供たちに真善美を教えようと
しばしば思考停止を進めている
 
 
(2015年08月28日)
 
 
 
 

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