神芝居
神秘が神の秘密のままであり
しるしを見ずに信じることが義とされ
決して計ることの出来ない大いなる摂理に
人が抱かれてゆくゆえにこそ
理性と悪知恵にまみれた人であっても
希望を持つことも祈ることも
わが身と魂の運びを委ねることも出来ようというのに
それをまるで舞台の役者のように
神はこうお考えになり
キリストはこうなさることが使命で
聖霊が降りてきてこう働くなどと
不可分の三位一体と言いながら
劇のような役割をまるで
目で見て手に取るように単純に割り振られては
いったい何が神秘なのか
何が人知の及ばぬ全知全能なのか
三文小説のような
人の作った芝居を見せられて
神なのだから感動せよと言われても
決めた通りに動く下手な役者のような神を
救いなのだから疑わずに信じよと言われても
芝居を作った演出家や脚本家の思惑通りに
批判をしないことが信仰だと
逆らわないことが信仰だなどと
どうして信じることが出来るというのだ
万軍の主なる神への信仰を見くびってはいないか
※
教理は聖書解釈から作った筋書き
つまり人による解釈例の域を出ず
そのまま信じ込むものではないのだが
神、キリスト、聖霊、という存在を
筋書きとして信じてしまうと
信仰になってしまった筋書きは
変わることがなく
誰にとっても同じように
繰り返し語らないといけない言葉になり
信仰なのだから真実だからと
人生の重要なことを
その筋書きで考えてしまい
それを答えとしてしまうだろう
さらに
筋書き仕立てではない信仰の話に
聞く耳を持たなくなるだろう
(2015年09月30日、同日一部修正)