ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2016年04月

 
  理路
 
 
言葉を勉強するということは
言葉の頼りなさを知るということだ
 
自分は出来ると論理の結論らしきものを
決めつけてぶつけるのは
どこかに無意識の過剰な先入観が
当たり前になっている証拠だ
 
ひとつの単語にしても辞書を引けば
類義語による用例が書いてあるのは
類似表現によって
概念形成を促すことしか出来ないからだ
しかも
ひとりひとりの概念を
直接確認することは不可能だ
 
そのような言葉で
厳密な論理が成り立つはずはない
 
すべて整っているかのような
結論だけを石のようにぶつけてくるのは
むしろ作文が苦手です
と言っているのと同じだから
自己満足の末路として
誰にも受け取れないようになったことで
何の気遣いもしたくない人生を表すだけだろう
 
言葉を使って交流するのは
そういう曖昧なものをぶつけるのだから
自分の概念から
短い文だけを書くだけなら
殆ど通じていないと思うべきだろう
 
その謙虚さを持つ人は
どんな言葉なら通じるか
共有部分を試行錯誤で考えながら
さらに工夫して
または複数の表現によって
相手の概念形成を刺激するしかないのだろう
 
 
(2016年04月22日、同日一部修正)
 
曖昧(あいまい)
殆ど(ほとんど)
 
 
 
 

 
  一歩
 
 
志は道であり
志が道を造る
 
道を志し
道が志を造る
 
吃る口と
ふるえるペンと
まとまらない思いと
整わない気持ちで
辿ってゆこう
 
ゆるやかな川面に散り
一面に敷かれた花びらから
花の命を知るように
 
道に立ち止まり
立ち竦んでいる影が
地に長く伸びるときに
我が身の来し方と望郷を遠く
 
ゆるやかに懐に納めた
匂いの数々を
袖を濡らし
視界を揺らした涙の数々を
散りゆく我が身の忘却の時を
なくしてきたことを
汗の温度を
寒暖を
ひそかに辿る道
 
徒労かもしれない道
 
唾を飛ばす愚かさの
出発点の過ちを
振りかえるひとときに
 
知と情の
果てもない広がりから一歩
身を引いて
 
一歩一歩に
悔いをなくした若者の
悔いにまみれた老人の
 
かすかな木の香りと
定まらないペンと
頁をめくる風と
白い表を汚した手触りに
 
今からの務めを知るために
努められることがあるだろうか
 
思い起こせるだろうか
 
原初の一歩を
 
 
(2016年04月21日、同日一部修正)
 
吃る(どもる)
辿る(たどる)
敷く(しく)
竦む(すくむ)
懐(ふところ)
濡らす(ぬらす)
唾(つば)
頁(ページ)
手触り(てざわり)
 
 
 
 

 
  人間ブレーキの故障
 
 
人間の血と汗と涙に無関心で
神の超常の
救いの奇跡にばかり気を取られた者は
何かにつけ
超常の救いと
超常の筋書きばかりを思い浮かべる
 
艱難に際しても
人間としての共感がないために
聖書から
夜のうちに滅びる人の話を引用して
結果として
富に執着すると艱難が起きて滅びますよ
という脅迫めいた話になってしまうことに気づかない
そして
艱難を思いやっている自分は信仰者らしく
聖句を引用している自分は信仰者らしく
説教を書いている自分は信仰者らしい
というふうに
信仰を表すつもりで
超越世界に住んでいる自我を表してしまうことになる
 
超常信仰によって
心が向くところ何でも
超常に結び付けないではいられなくなるからだ
人間が本来持っているブレーキによる調節機能が
それこそ信仰と自称しているものによって
壊されているからだろう
 
 
(2016年04月20日)
 
艱難(かんなん)
 
 
 
 

 
  弱さに
 
 
キリスト信仰者は多く
自分ではどうにもならない弱さの体験から
信仰に目覚める
 
信仰に目覚めてどうなるかと言えば
「弱さを誇る」と高らかに宣言するのではない
 
「弱さを誇る」とは逆説的表現であり
その通りに言うことは矛盾である
 
信仰に目覚めた弱さは
救いによって誇り始めるのではない
 
いかなる弱い立場に置かれても
卑屈になる必要がないことを
救いによって知るようになるのである
 
信仰に目覚めることは
弱さを強さに変えるのではない
 
信仰に目覚めることは
弱さゆえに恐れずに進めることだ
 
世を恐れずに生きてゆくことを
パウロは「弱さを誇る」と伝えた
 
相変わらず信仰者は弱いのである
 
しかしどんなに貶められても
慌てたり恐れたりしないで
抗うときには抗い
闘うときには闘い
信仰生活は相変わらず貧しいけれども
そこから卑屈になることはなく
ルサンチマンを募らせるのでもなく
 
身を低くすることが
屈辱にも苦痛にもならず
淡々と怖じることなく言動し
そこで活動し
大いに笑いそして泣く
 
ときに落胆し戸惑うことがあっても
帰るべきところに
恐れがないことを知っているからだ
 
 
(2016年04月19日)
 
貶める(おとしめる)
ルサンチマン:弱者に募る怨念
募る(つのる)
怖じる(おじる)
 
 
 
 

 
  実から木を
 
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
7:16
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18
良い木が悪い実をならせることはないし、
悪い木が良い実をならせることはできない。
 (マタイ1:16-18、新約聖書)
 
最終的な結果を人が知ることはできないから
言動の事実として表れている現象から
言動の精神、心、特に信仰の有り様を
帰納的に推測することは
完璧ではないが、ある程度可能であり
むしろ務めとするべきことである
 
綺麗ごとをいくら並べても
その結果が言論または人間的情感において
破綻しているなら
その言説に無理と冷血があり
さらに心にも無理と冷血の層がある
という暫定的判断になる
 
むしろそのための言論であるかもしれない
 
しばしば私も
文章においても心においても
破綻を来たしている
それを指摘してもらい
修正可能にするためには
自分の弱点や破綻を認めることと
あとは他者の力を借りることも必要だろう
 
そういう訓練を怠り
調子合わせと社交のみで信仰を語ってきた者は
批判による指摘を不当と決めつけ
抗弁するが
訓練していないから
結局何も返せなくなり
深めようという意思も持てず
言論以外の汚い方法で解決を計ろうとするのである
 
実を見て木を知る
 
こういう考え方は
信仰にとどまらず
とても大きなテーマと関係している
 
結果から経過と原因の是非を学ぶこと
 
これは人間にとって
実践と訓練と反省によって
愛の学習において欠かせないからだ
 
実を見て木を知る
 
こういう思考と情緒の訓練として
言論は短期的にも長期的にも
人間の生き様そのものなのである
 
 
(2016年04月18日)
 
綺麗(きれい)
破綻(はたん)
暫定的(ざんていてき)
生き様(いきざま)
 
 
 
 

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