ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2019年11月

 
  背教の繰り言(3)
 
   病的説教 コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
平気で嘘を吐いてきます。何でもありになってきました。私は祈るしかありません。
 

15. st5402さん おはようございます
 2019年11月30日 09:05
st5402さん 今日も、あすも・・・よろしくお願いします。

 「悔い改めそのものが、物品ではないのだから、与えたり、もらったりできるものではないと書いたのです。」
 」
神は霊であります。物品ではありません。
人は土の塵によって形作られ、神がその鼻に霊なる神のいのち、人格の根源である霊を吹き込んで生きたものとしてくださったと聖書には書かれています。
あなたの聖書にも書かれているでしょう。
人との関係も見えるからだより以上に見えない心の交流、交わりが本質的な関係です。あなたがかつてどんなに頭が良かったと言われたことがあり、医学部で学ばれ、人について学ばれ医師の免状をとられたとしても人は頭だけでは理解できない存在であり、関係なのです。

 
性懲りもなく書いてくる。易坊か。
 
サディストぶり。いじめる意味以外何もない。
 
誰が神が物品だと書いた。ふざけたことを書くな。
 
心の交流など、あなたシャロームはしたことがない。心が無いからだ。
 
個人情報をバラしてきたようです。
 
「人は頭だけでは理解できない存在であり、関係なのです」
あなたシャロームは、それを、壊れた頭だけで考えて、狂った心だけで分かったふうに書いた。あなたシャロームの理解は、まるで、的外れです。
 
「医師の免状をとられたとしても人は頭だけでは理解できない存在であり、関係なのです」
と言いながら、自分は、分かっているふうに書いてくる。そこが、あなたの狂気。
 

聖書には新約Ⅰコリント2:11~14には
「 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
2:12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
2:13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。」
と書かれています。

 
御霊の言葉とは何か、あなたシャローム又は易坊は、分からないから、恵み、恵みと振り回す。
ここで、シャロームは、自分はパウロ相当だと自慢している。あなたは、ユダ以下である。
 
御霊は神聖であり、生まれながらの人は理解できない。聖霊に感じて、聖書に感動できる人は理解することがあるだろう。聖書を言葉だけで、御霊を超常言葉だけでしか思えないシャロームは、妄想をでっちあげた。それだけの話。
 

16. st5402さん おはようございます
 2019年11月30日 09:06
人間学は学んでおられないとのことですが、
有限で、相対的な思考しかできない死すべき人間の知性では理解できないのです。

 
人間の知性さえ持ち合わせていないシャロームには、いかなる学問も、いかなる聖句も理解できない。ゆえに、シャロームは、妄想をでっちあげた。
 
>Vさんの哲学者、神学者としての聖書理解にかかわる深い葛藤は当然なのです。<
 
Vさんを曲げたのは、あなたシャローム、恐ろしいサイコパス、そのサディストの精神で、脅して、人を次から次へと滅ぼしてゆく。
 

あなたはその心の闘いを理解できないで一方的に激しく批判し、人格否定までされたので、苦しまれ、コメント欄を閉鎖されたりしたのです。

 
コメント欄を閉鎖したのは、シャロームであって、Vさんではない。
 
私が人格とは思えないのは、シャロームであって、Vさんではない。
 

そのうえVさんのブログのプロフィールに書かれていた個人情報から職場に電話を入れて誹謗、中傷されたのです。

 
そのような事実はない。私は、Vさんの個人情報など知らないと書いたのに、知恵も心もないシャロームが読んでいないだけ。サディストは、悪魔に似て、罪悪感を感じないから、心を持たないので、平気で嘘を吐きます。
 

その個人情報は私も読みましたので、あなたが否定しても通じないのです。
またVさんのことを蒸し返してゴフマンでしょうが、今でもやりかねないお方でしょうから、あなたの執拗なブログ記事を読まれ楽しんでおられる方にstさんに倣って助言する必要があるかなと思って書いています。

 
嘘が、戦術的になってきた。私は、死んでもいい。このシャローム・易坊を、なりすましの易坊類を、人々に、クリスチャンに、近づけないでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
 

ほんとうはST5402さんの良き理解者であろうとされた人たちをあなたは裏切られたと邪推すると被害妄想で狂気の攻撃をし始めるのです。それは楽山さんにも、私にも当てはまりますね。
わたしもstさんと同じことを繰り返して書くかもしれませんが、
あしからず。

 
この悪魔のごときサディストが、捏造した偽りで、うまく逃げおおせることのないように、人々が、クリスチャンが、だまされることのないように、どうかお守りください。人々を、クリスチャンを、その良心を、その信仰を、どうかお守りください。彼らの悪霊からお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
 

いよいよ11月もおしまい。
12月クリスマス到来。
きのう教会に行き、牧師夫妻に会い、最近は教会でもクリスマスをするんですね、とサザエさんの漫画を思い出して冗談を言いますと、
奥さんはそうなんですと切り返してきました。
楽しいひと時でした。
またお訪ねします。
shalom!

 
神をけがし、人をけがし、信仰者をけがし、聖霊を、神を、キリストをけがし、平気で嘘を吐くシャロームを、悪魔の易坊類を、どうか、好きなようにさせないでください。平気で嘘を吐いています。彼らには真の仲間はいません。唯我独尊で仲間など要るはずがありません。彼らは滅ぼし合うための仲間、あるいは、成りすましです。どうか、この命は今尽きても構いません。人々を、信仰者を、人間の良心と信仰をお守りください。どうか、お守りください。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。
 
主よ、どうか、私を御許へ行かせてください。平気で嘘を吐くシャロームと易坊類には、私の真実だけではかないません。私を誰も助けてはくれません。主のみを頼みといたします。この祈り、主イエス・キリストの御名を通して、御前にお捧げいたします。アーメン。
 
 
(2019年11月30日)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
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  背教の繰り言(2)
 
   病的説教 コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
バタぐるったかのように、理路を全く無視して、こじつけを、シャロームは書いてきます。
自尊のために、悔い改めを、物品のように、与えられたと思い込んでいるのです。
 
そして、相変わらず、人の書いたことを読んでおらず、自分の言いたいことを無遠慮に書いてくるだけで満悦できるようです。だから、やり取りが、全く文脈になりません。
 
丁寧語を使いながら、軽蔑してくる気持ち悪さが、一種独特の偽善の筆致となっています。
 
そういうことだから、こちらも、これから、何度も同じレスを書くしかないかもしれません。
 
 
先ず、忘れたのか、どうでもよいのか、夜なのに「おはようございます」、しょっちゅう書いてくるのに「お久しぶりです」という的外れの挨拶から始まります。
 
雑な丁寧語で、
信仰者をおとしめてくる言葉を平気で書いてきます。
例えば、
「残念ながらお分かりではないようですね。
なぜでしょう?
それはあなたが神がおられることも、神にご自分が愛されていることを
まだ知り、体験しておられないからでしょうね。
自分の思いこみ、妄想を正当化するために、イエスさまを利用しておられるようですね。」
と言った具合です。
 
根拠が、まるで、ありません。自分は"お分かり"なのだ、という立場が前提になり、背教の証拠が明白になったのに、"お分かりでない"相手に教え諭す書き方をしてきます。
 
状況が全く分かっていない。人のことを言うような場合ではなく、自分についての弁明をするにも、その理路も説得力も持たず、だから、すっとぼけて、結論だけを並べるのです。そして、それは、またしても、的外れなのです。
 
シャロームは、神がおられることも、神に愛されていることも、自分中心に依怙贔屓してくれると信じて、自己正当化に利用しているわけです。これは、最大の背教~冒涜であります。
 
そして、一方的に、こちらを妄想の正当化だと言い張って終わりなのです。理路も何もあったものではない。シャロームがこちらに向けていることは、みな、シャロームに当てはまるものばかりです。それを知らないのならば病気かもしれないし、承知の上ならば実に悪質な罵りになるわけです。
 
これが、相手に口答えをゆるさず、説明も弁明も反論も出来なかったシャロームの、成れの果てなのです。本来ならば、あわれむべきでしょうが、おとしめ方が、断定的で、訂正不能であるため、手の施しようがないのです。
 
そのやり方で、シャロームは、求道者やキリスト者に対して、求道や信仰の妨害行為を、自らがキリスト者そして元牧師に成りすまして、長年にわたってしてきたのでしょう。こういう人が、実際にいる、ということを忘れないでください。
 
シャロームの言うことがキリスト教だなどと思ったら、おしまいだと言うこと。そして、しばらくの間でも、社交の世辞の遣り取りで仲良くなってしまうと、なかなか抜けられず、片棒を担ぐことになっていまいます。特に自我の弱い人には、大きな災い、それが、シャロームであります。
 
 

11. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 20:54
お元気ですか?今日もまたよろしくお願いします。
 【口語訳】使
11:17 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。
11:18 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。


悔い改めはわたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物(贈り物、プレゼント)として、神が異邦人である彼らに(私たちに)もお与えになったと書かれています。
下さった=お与えになった・・・のです。
 「わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物=異邦人にも命にいたる悔い改めをお与えになった」ですね。
st5402さんの妄想上の理解、解釈を正当化するためにではなく、聖書の言葉そのものを受け取ることが信仰なのです。
shalom!

 
言葉そのものを受け取ることが信仰といっていますが、シャロームの言葉の理解は、知らないより悪質です。自分が無理に受け取ったことを、人にも無理に正当化しているからです。
 
悔い改めは、悔い改める行為を意味します。それは、悔い改める人間だけがすることです。社リームは、言葉が分からないのです。しかも自覚がないのです。こういう人が一番、厄介だと言う典型です。
 
何が言葉そのものでしょう。受け取ると言うことは概念化やイメージ化をすることです。そして、それが、その人の言動に影響するわけです。その始めにおいて、受け取れない理路を、受け取ったことにして満悦してしまうのが、シャロームです。それが、私が、シャロームの言を妄想だと言う根拠です。そこには、理路、論理、道理、感性、人間性が、全くありません。
 
信仰を利用して自己顕示欲を満たそうとする者は、人の迷惑など、微塵も感じないので、長々と、全部入れれば、もう8年間も、同じ騙し文句を並べて、一人前に教えたやったという顔をしてきたのです。神の前に正当だと言う妄想からの偽善が、いかに怖いかを知ってほしいです。
 
 
すなわち、悔い改めそのものが、物品ではないのだから、与えたり、もらったりできるものではないと書いたのです。あなたシャロームは、そこを読んでいません。読まないで、受け取らないで、話を、戻しても、無駄です。
 
あなたシャロームは、言葉の表面だけをなぞっているから、辻褄合わせ・言葉合わせのごまかしで、妄想信条を捏造したのです。
 
聖書の言葉そのものというのは、聖書の言わんとするところを意味します。あなたシャロームの頭でこじつけた言葉理解では、妄想化しかしないわけです。
 
異邦人にも信仰の機会を与えたということです。それは、とりもなおさず、悔い改めの機会を与えた、悔い改めが可能になった、救いがもたらされた、ということです。
 
あなたシャロームの受け取り方では、異邦人に、無為・無活性のまま与えられる魔法の幸せが自動的に与えられたことにしかなりません。そのような信仰は存在しません。
 
このように、言葉に引っ掛けて言い張るのが、教条主義やカルトの生業になっています。それを信じても何もいいことを受け取ることが出来ない。
 
人間は、聖書から、分かること、共感できること、人間として、受け取れることを受け取るべきです。人間として受け取れないものは、どこまで行っても、受け取れないものです。
 
その当然のことを無視して、言葉の、こじつけや、表面だけを受け取ると、好きなように、教理や信条を捏造する者が出来てきます。あなたシャロームが、まさに、その人であります。
 
シャロームに何を言っても聞いてないし、聞いたことを理解してないし、受け取ってもいないから、無駄です。
 
 
ここで、《シャロームの背教》を、もう一度、載せます。これからも載せることになるでしょう。
 
《シャロームの背教》
これからも、しばしば載せることになるでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
 
さらに、シャロームの言には自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになります。
 
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神のほうを向いて、正直に罪を告白し祈ることです。
 
ここにおいて、シャロームの信仰が偽物であることは既に証明されています。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:4、新約聖書)
 
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語してはばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、無視して、とぼけることですから、これから、シャロームの"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
シャロームの愚かさは、あわれむべき愚かさではなく、他害的で憎むべき愚かさです。
感情的になってはいけないが、不正、特に偽善は、憎むべき悪であり、放置することは、滅びに対して無為であることです。人として出来ることはしなければなりません。
 
人として、信仰者として、出来ることをする力がないならば、残念ではありますが、無理は言いません。しかし、出来ることがあるのに、悪い言葉を言ってはならないからと、しないでいることを正当化するなら、出来ることをしない信仰における怠慢であります。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 
 
人間として、受け取れないことを、無理に、受け取ったと思い込めば、そこには、何も根拠のないところから言説を導く?ことになり、捏造となり、空想~妄想しか生まれません。それを振り回しているのが、シャロームその人であります。
 
なお、私は、私の言よりも、目の覚めるような、優れた言説に出会ったら、いつでも、修正可能です。しかし、少なくとも、シャロームから、そういう言説が提供されたことは一度もなく、邪魔になるばかりなのです。
 
 
(2019年11月30日)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
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  背教の繰り言
 
   私の「神の与える益」コメント欄
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、コメント欄を一部編集しています。
 
 
シャロームは、批判を否定する言葉だけ、つまり、繰り言ばかり書いています。
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:46

「シャロームは何をしてきたかと言うと、
 1.罪と認めず、悔い改めをしない、という、キリスト信仰とは真逆な信条、
 2.1を批判し、おかしいと指摘すると、悔い改めは神が与える(だから今はしない)などと言う言い訳。
 3.さらには、人間の自由意志を、聖霊による自由意志とは違う、という詭弁。聖霊を知っているかのように、自分を神格化しているだけです。
 4.おびただしい偽の解釈と、詭弁だけでなく、平気で嘘を吐く、でっち上げの作り話で、批判者をおとしめる、など、悪意だけが明らかになってきたのです。」
 」
わたしに対するすべての評価全く的外れではありますが、

 
シャロームが決めつけは、根拠を示せないから反論になっていないです。
 
>ありがとうございます。
 
これが、典型的な、的外れ、常識的な感受性の欠落です。
状況を弁えず、丁寧な挨拶をすればよいと思っている。
 

st5402さんのブログ記事からご家族、ご親族の病気に根差した不安と不信や怒り、悲しみに根差した不安、不信、怒り、悲しみ・・・などがst5402さんの 固定的な妄想となり、他の人に対する関係や理解理解も妄想による怒りや不信を駆り立てて的外れになり、その評価も、推測も.歪められているようです。

 
個人情報をバラしたい、または、バラすぞという脅し。
 
「悲しみに根差した」を付けて、安易に、感情の言葉をいじくっているようだが、不安、不信、怒りは、悲しみ(?)ではありません。特に、あなたシャロームは、悲しみではなく、あざ笑いと怒りしか、表したことがないのです。
 
なにさまか、わたしのじじょうをしりもせず、びょうりのせつめい、つくりばなしの
 
罵詈雑言使わなければ冷静、ということにはなりません。
丁寧なぶん、偽善性の高い暴虐であります。
 

内なる妄想による怒り、悲しみを解消するために、敵意を他者に投影して、いくら怒りをぶっつけても、内なる怒り、悲しみははますます固定化されてしまうでしょう。敵は本能寺にありです。

 
煩悩寺シャローム、あなたは、無根拠に人をおとしめる悪魔の自己中神です。内なる妄想を外に及ぼさないでください。
 

2. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:47
イエスさまを十字架につけたひとの敵意、憎しみ、悲しみは
私たちすべての人が例外なく抱えている敵意、悲しみのようです。

 
嘘です。悲しみは殆どの人が経験しますが、敵意、憎しみになるのは、悲しみからではなく、自己正当化をする者たちの場合です。
 
あなたシャロームには、悲しみを感じる心が無い。悪意、敵意、怨念、憎しみだけに溢れて、攻撃しているのです。そして、罪悪感がないから、執拗に続けているのです。
 
あなたシャロームは、人間というものが、全然わかっていない。にもかかわらず、自己顕示欲で、語ることを止めないのは、ホラーです。
 
オウム返しの、私と同じ言葉を出してこちらに向けても、通用しない。根拠にならないから。
 

持って行き所のない、だれかにぶつけずにはいられない私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃によって十字架に釘付けられたのです。

 
大方の人は、無関心だったし、今も無関心だと思います。
怨念の刃は、あなたシャロームと同類のパリサイ人です。あなたは、現代のパリサイ人です。
 
私たちの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 

今も、イエスさまは私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃を黙ってその身に受けて下さり、“父よ、彼をおゆるし下さい。彼らはなにをしているのかわからずにしているのですから”と祈っておられます。

 
彼らの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 

十字架につけられたイエス差(様と訂正)と出会うことによってのみ、私や、あなたを苦しめている怒り、悲しみから癒し、解放してくださるのです。
イエス様のみが私たちの心の妄想、罪から解放してくださいます。

 
あなたは、キリストを信じていないから、解放されないで、今も、シンバルを叩き、ホラ貝を吹き鳴らしています。どこまで、堕ちるつもりなのでしょう。
 

本日の一日畜尿や今日の血液検査により腎臓内科の診断は健康優良児?ですとのことでした。めでたし!めでたし!
shalom!

 
あなたシャロームの繰り言はたくさんです。検査が正常で自分は大丈夫だと当てつけてくる気持ちの悪さ。ここに、排尿しないでください。あなたの血は、ばい菌だらけです。涙が出たら老化です。公共の真実追求の場をけがさないように。
 
 
《シャロームの背教》
これからも、しばしば載せることになるでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
 
さらに、シャロームの言には自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになります。
 
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神のほうを向いて、正直に罪を告白し祈ることです。
 
つまり、ここにおいて、シャロームの信仰が偽物であることは既に証明されています。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:4、新約聖書)
 
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語して、はばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、シャロームは、無視して、とぼけていますから、これから、シャロームの発言を"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 
 
  病的説教
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4359970.html
  コメント欄:シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 09:10

 「与えられて初めて、与えられる」・・何を言ってるんですか。
 表せないんだったら、書かないことです。
 」
st5402さん
申し訳ありません。ちょっとわかりにくい書き方でしたね。
st5402さんはやはり、文章校正が上手ですね。
もっと良い書き方であれば、
「私たちは自分で持っていないものを人に与えることは出来ない」ように、「神に対する悔い改めは神がおられ、その神から自分が愛されていることを知らされ、その愛を体験することによってはじめて、神に対して自分の罪を悔い改めることができます」ということですが、わかりやすいでしょうか。

 
急に低姿勢になったようだが、
それは、神が悔い改めを与えるとは言いません。わかりにくいのではなく、嘘なのです。あなたシャロームは、悔い改めは神が与える、ということを否定して、修正しなければなりません。
 

つまり、自分は今まで神がおられ、自分を愛しておられることも知らずに、神に対する不信仰の罪によって、まるで自分が神であるかのように、善悪の木の実を食べて、善悪の剣を振りかざし、神をも人をも裁き、神のようなものとして生きていた自分の過ちに気づき、神と人に対する罪を認めてはじめて神と人に悔い改めることができますではいかがでしょうか。わかりやすいでしょうか。
ありがとうございました!
shalom!

 
「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、わかりやすくなって、めでたし、めでたし、ではありません。 
 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、詭弁、自己中心、を認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。
 
それが出来るまで、あなたシャロームは反信仰者です。
 
 

5. shalomです。 お久しぶりです。
 2019年11月29日 10:23

「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、わかりやすくなって、めでたし、めでたし、ではありません。 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、詭弁、自己中心、を認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。
それが出来るまで、ここには書かないように。
 」
残念ながらお分かりではないようですね。
なぜでしょう?
それはあなたが神がおられることも、神にご自分が愛されていることを
まだ知り、体験しておられないからでしょうね。
自分の思いこみ、妄想を正当化するために、イエスさまを利用しておられるようですね。
またお訪ねします。
shalom!

 
そんなことだろうと思っていました。あなたシャロームは根腐れだから。
言ったのに、また、私の言ったことを、オウム返しで、私に向けています。
まるで、なかなか取れない口臭のようです。
 
このあと、《シャロームの背教》を載せています。何度も載せることになるでしょう。
 
 

8. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 17:49
口語訳 ロマ
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
st5402さんの聖書にはありませんか?
だれも神の導き、助けがなければ悔い改めることは出来ないのです。
これは口語訳聖書ですが、st5402さんがどんなに校正、翻訳が上手でもst5402訳聖書ではありません。
shalom!

 
導きがあれば、悔い改めているはずですね。言ってることが、まるごと、矛盾です。
 
自分が、まるで、神の助けを得ているかのような言い方ですが、神をずっと裏切り続けているあなたシャロームだから、今までのことを恐れもせずに、言えるのでしょう。
神をどれだけ冒涜すれば気が済むのでしょう。
 
あなたシャロームが、いかに恥を知らないかが、表れています。恐ろしいことです。
 
 
このあと、《シャロームの背教》を載せています。何度も載せることになるでしょう。
 
 
(2019年11月30日)
 
 
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   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
 
 
病的な感じが際立ってきたシャロームです。
 

19. shalomです。 お久しぶりです。
2019年11月26日 14:23

「悔い改めは、人間が、神に向かってすることです。人間がすることを神が与えるというのは、あなたがでっちあげた詭弁です。」
 」
人は与えられて初めて、与えられるのです。

 
「与えられて初めて、与えられる」・・何を言ってるんですか。
表せないんだったら、書かないことです。
 

生まれたての自分を知りませんか。何かを握りしめて生まれてはいませんよ。

 
生まれたての自分とか、知るわけないでしょ。それに、赤ちゃんを出してくる必然がありません。
 
私たちは、成長に応じて、自由意志を持っています。自分で判断し行動しているのです。いつまでも馬鹿げた話をするんじゃない。
 

見えるもの、見えないものを親から、かかわる多くの人から与えられているのです。良いと思えるものもいやなものも。

 
いやなものを与えているのは、まさに、今、あなたシャロームです。
 

気づいていようと、いないとしても、良いと思えるものを人に与え、いやなものを与えているのです。

 
何を言っているんですか。・・ボケたのか。言ってもしょうのないことです。表せないんだったら書かないことです。
 

裸の赤ちゃんには手を握りしめているようですが、そうですね。神から与えられたものを握りしめているのです。

 
そうですねじゃないでしょ。ここで空想を語る、おかしい。
 
その話で、赤ちゃんを祝福するのなら、分かりますが、それで、大人の信仰の説明が出来たとでも思っているのでしょうか。
 
自分の妄想を語る者は、クソを空想するのだろうか。喩えとしても、クソです。狂ったのか。ちゃんと整えてから書きなさい。確認しようもないことを、分かってるふうに話すことで、分かっていないことを表しているシャロームです。
 

この世で与えられたものを受け取る時に、神から与えられた良きものを与えているのですが、この世のものを受け取ることに心を奪われているうちに、神様から与えられているものが見なくなったり、わからなくなったりして、心が渇くようになるのです。

 
信仰が、そんなゴチャゴチャした話で、伝わると思っているのでしょうか。
整えてから言いなさい。
 
神の賜物が見えなくなり分からなくなったら、心が渇くと言っていますが、シャロームは、彼の言う渇いた心で、自分で妄想の安穏の沼を作って、それを神?と呼んでいるのです。自己中神?信仰の成れの果てがそろそろ表れてきたのでしょうか。
 

関わる人から神からの恵みを与えられ続けると、人の心は癒され、満たされるのですが、実際には心にとって必要でもないもの、その時は良いもののように思ったけれど、あとでよくないものとなってしまうものも多いのです。家の中も、こころもごみ屋敷にしてしまうのです。

 
上のほうには、いやなものを与えている、と書いて、ここでは、よくないものとなってしまうものも多いのです、と書いている。まるで理路の一貫性のない書き方です。何も語ったことにはなりません。
 
何にも整っていないシャロームが、無理をして、理屈をこねようとして、滑りまくっている状態です。こういうことが土台だから、妄想信条になってしまうわけです。書けばいいというもんじゃない。死にかけているんですか。
 

20. shalomです。 お久しぶりです。
 2019年11月26日 14:24
断捨離、特に心の断捨離が必要なのですが、家の中も、心の断捨離も難しいですね。ゴミが見えない粉じんになり、多くの心身の生涯をまねています。ガリラヤ湖と死海は同じ水が流れ込んでいるのですが、
ガリラヤ湖では多くの命ある魚が生きていますが、死海は濃い塩分の為に、お魚がいないのです。
ガリラヤ湖と死海の私たちの心のわかりやすいモデルです。

 
唐突に、全然、別の話になりました。そんな湖に喩えなくても、活発に生きている人と、死んだも同然のようなあなたシャロームとの違いは分かります。
 
あなたを喩えるなら、近づく人を破壊し、滅ぼしてゆくから、死海よりも、殺海とでも言うべきでしょう。
 

聖書では水は聖霊にもたとえられます。
エゼキエル書には水の流れのない沼や沢に神殿の敷居の下から水が流れて、沼や沢に流れ込み、清められ。命があふれる幻の話がかかれています。イエスさまによって神の恵み、水が私たちの心に流れ、悔い改めに導き、成就される救いの約束なのです。
shalom!

 
シャロームは、何が言いたいのでしょう。水の話ですから、たとえですが、命あふれる幻?・・って何なのでしょう。思い付きの出まかせのようにも思われます。そして、キリストを持ち出しました。湖、沼、沢、水、キリスト、悔い改め、導き、成就、救い、約束、讃美の大安売りみたいに、いろいろ空想的に並べても、底の浅い讃美言葉の羅列では、何も語ったことにはなりません。あなたの自己中神?に世辞でも言っているのですか。
 
昔から、あなたの讃美には、深みがありません。以前、過剰な酸味と揶揄したことがあります。あなたシャロームが、讃美することで自己満悦して、言い得たと思う癖は、ずっと前からです。
 
シャローム、あなたには、信仰に基づく言葉が、何もないのです。聖書から取って付けたような、大袈裟で、美味しい言葉だけで、使い方に節操も工夫もないから、こんなことになるのでしょう。
 

21. shalomです。 お久しぶりです。
 2019年11月26日 14:30
「多くの心身の生涯をまねています。」

「多くの人の心身の障害を招いています」の誤りでです。

 
もう書かないように。あなたに興味はないのです。あなたは信仰の害になるだけです。
 
私は、あなたのブログにコメントを書きましたが、あなたシャロームは、それを削除、未承認によって隠蔽しました。隠蔽・偽装(批判されていることを隠すこと)が、あなたシャロームが、ずっと前から、生業のようにやってきたことです。
 
あなたは、私のブログにコメントを書いてきて、私は、あなたシャロームのようになりたくないから、レスを書いています。あなたシャロームは悪と偽善の見本以上の意味はないが、批判することで、対極にある良きもの、福音、希望、救い、などを暗示したいからです。
 
 

29. st5402さん お久しぶりです。
2019年11月26日 20:14

「あなたは、私のブログにコメントを書いてきて、私は、あなたシャロームのようになりたくないから、レスを書いています。あなたシャロームには、悪と偽善の見本以上の意味はないが、批判することで、対極にある良きもの、福音、希望、救い、などを暗示したいからです。」
 「私たちは、成長に応じて、自由意志を持っています。自分で判断し行動しているのです。」
 」
st5402さんあなたがどう理解し、どのような生き方をするか、それはあなたの自由です。
わたしがどのように理解し、どのように生きるかは私の自由です。

 
やはり、あなたシャロームは、私の言ったことを、まるで聞いていなかったことが明らかになっています。もうやめてください。
 
自由には責任が伴います。責任を負えなければ、自由を言う資格はありません。
言論の自由には責任が伴います。言論の責任を負えないなら、言論の自由を言う資格はありません。
あなたには、信仰について、言ったことの責任を負う態度が全く見られません。ゆえに、あなたには、信仰について言う資格はないのです。
 
信仰は生き方です。だから、同じ理由で、あなたシャロームには、自由に生きる資格はありません。言い換えれば、あなたが自由を行使すれば、人を害することになるということです。
 
自由に生きたければ、今まで言ってきたことを、全面的に訂正するか、でなければ、今後、信仰について、何も言わないことです。そうすれば、滅びは、あなただけにとどまるでしょう。
 
何度も言いましたが、あなたの信仰は、あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という発言と訂正不能によって、キリスト信仰の正反対であり、自己中神信仰?に過ぎません。
 
そのことについて、あなたは、弁明できたことはないのです。あなたが、自由に生きて、自由に発言すれば、信仰者と求道者の生き方と人格を破壊することになります。やめなさい。
 
>そう、お互いに自由なのです。お互いの自由を認めることができますか?<
 
上に書いたことから、あなたは、自由ではありません。あなたの自由は、成り立ちません。それは、自己中の犯罪者の理屈です。
 
>しかし、お互いに自由に選んだあとの結果を選ぶことは出来ません。<
 
上のあなたの信条より、あなたの自由の結果は他者に及ぶ破壊の性質であるから、決して、私は、あなたシャロームに同意することはありません。
 

その結果を受けてのち、またあなたがどのように言動し、生きるかはまたあなたの自由ですが、妄想に囚われていては虚言癖に支配された妄想の世界に生きることは出来ても、決して人や物事に対して正直には生きることは決して自由に生きることは出来ません。心の自由な成長も出来ず、絶えず自分や他者に執着し、いつまでも依存したり、支配しようとしたりすることしかできないのです。なぜなら時間の経過も状況の変化も受け入れる心の自由がないからです。
なぜなら過去の妄想による怒りに心を乗っ取られているからです。

 
このように、自分に向けられた色々な言葉を、そのまま、こちらに向けて返して、しかも、あなたは気づいていないかもしれないが同じことばかり言ってるあいだ、批判が止むことはないのです。
 
妄想、虚言、成長も出来ず、依存、支配、これら全部、私が、あなたに対する批判として使った言葉です。それを、オウム返しみたいに白々しく返してきて、さらに、そして、「過去の妄想による怒りに心を乗っ取られている」というのは、最近になって、根拠もなく、あなたシャロームが、わたしに当てつけて、言い続けている妄想です。
 
このような、根拠もなく、怒らせるのを目的とするだけの返しには、私は応じません。このようなことを、またしても、教える態度で言ってくる悪意に、私は、あなたの発言を見るたびに、ヒドデナシのサディスト、と呟いて、いっそう、批判の動機を得ることにしかならないのです。
 
 
(2019年11月29日)
 
 
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  不感不応人
 
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   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4315955.html#comments
   シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームの病、膏肓に入る、そして、皮に、肉に、骨に、髄に、入るようです。
 

1. st5402さん お久しぶりです。
 2019年11月26日 08:46
st5402さん おはようございます。
きのうも、きょうもまた・・・またおつかれさまです。
神がご覧になって良しとされた人として、御心にふさわしく、自分に与えられたエネルギー、才能、時間をどのように使い、生かすかは
信仰の大事なテーマ、意味だとお考えるのですが、
いつものことですが、あなたの不毛な多弁を全部読むことはありません。いまあなたの記事の初めの数行を読んだだけです。

 
シャロームは、「あなたの不毛な多弁を全部読むことはありません。いまあなたの記事の初めの数行を読んだだけです」・・と書いているにもかかわらず、それで、レスを書いてくるってのが、あなたシャロームの、命なき岩石のような厚顔無恥なんです。読まないで書くことを誇っているわけです。念のため、岩のペテロではありません。
 
「不毛な多弁」は、読まないと分からないはずです。ここでも、神通力でも持っているような、シャロームの妄想が働いているという証拠を、シャローム自身が示しています。
 
不毛な多弁と思っているなら、嫌がらせを、いちいち、書いて来なければいいのです。あなたには何の興味もありません。あなたは、偽善者の一例という事象であり、私は、信仰上、偽善についての知識が必要だと思って書いています。
 
>きのうも、きょうもまた・・・またおつかれさまです。<
 
この皮肉が、シャロームの、あざ笑いを向けずにはおれない性癖を示しています。
 
何も根拠を示さず、決めつけてくる筆致がシャロームの特徴です。だから、言われても、何の響きも伝わってこないし、シャロームが書いたことは、みな、感情の凝固物でしかないのです。そこから、プップッと、嫌味を放ってくるだけです。
 
シャロームが、根拠を示す必要を感じないのは、既に、シャロームが、得ている、という慢心の穴から一歩も出られないからです。底は、汚物だけが、ぬるく溜まっているところです。
 

「楽山は、すでに書いて私が批判した記事に、追記して、よほど私を悪者にしたいようです。それに、相変わらず、批判と悪口の区別がつかないようです。
「私は、罪深い人間ですが、楽山は、罪を隠して、人を罪に誘導する偽善者です。」
今回、最悪に近いです。悪意がそのまま出ています。
こういう人をうっかり信頼して引っかかっていると人生を失うでしょう。」とのこと・・・
よほど私を悪者にしたいようです。それに、相変わらず、批判と悪口の区別がつかない・・・ですか?
あなたの「私は、罪深い人間ですが、・・・」という自信たっぷりの謙遜を装う自我自賛の妄想を妄想だと気づかない限りは、
「楽山は、罪を隠して、人を罪に誘導する偽善者です。」という
あなた自身の自己理解の妄想と、
「批判と悪口の区別がつかない」という他者理解の妄想に気づくことはできないと思いますよ。

 
どっちの引用かが分かりにくくなっています。整える、ということをシャロームがしてこなかったからでしょう。
 
まず、あなたは、間違いなく、悪者かつ偽善者です。善であるという根拠はどこにもなく、悪と偽善であるという根拠だけを、あなたは、積み重ねてきたのです。
 
私がシャロームあなたに当てた、妄想を、言葉だけオウム返しのように私に当てているだけで、何の根拠も示さない、という、あなたの筆致、いつもの調子、何の説得力もない、憎しみの吹き溜まりのようです。
 
>「批判と悪口の区別がつかない」という他者理解の妄想<
 
「批判と悪口の区別がつかない」というのは、いままで、ずっと、あなたシャロームの文章に表れてきたから言っているのです。分からないのでしょうね。自己中神?のあなたには。あなたシャロームは、批判を書いたことは一度もなく、いつも悪口だけを書いてくるということです。
 
区別がついているなら、悪口をやめて、弁明か反論の批判返しを書くはずですが、それは一度もなかったのです。いったい、何を滅裂に書いているのでしょう。あなたの理路が、子どもの喧嘩のような言い張りだけなのは、ただただ哀れでしかありません。
 

2. st5402さん お久しぶりです。
2019年11月26日 08:48
「私は、罪深い人間ですが、・・・」という自己理解が本当であれば、あなたの不毛の駄弁である他者に対する批判?悪口は
きっと少なくなるか、終わるでしょう。

 
この期に及んで、まだ、教えようとする見苦しさ、これも、いつものこと。
 

妄想を妄想だと判断することができない妄想にがんじがらめになっていることから解放されなければこの妄想は続くことでしょうね。
この妄想に囚われている限り、あなたの信仰も妄想であると言えると思いますよ。

 
「あなたの信仰も妄想であると」・・自分の信仰が妄想だと認める発言になる「も」。
 
私は、根拠とともに、事あるごとに、シャロームという最悪の偽善者について、書くわけです。あなたシャロームの、反キリストの、反信仰について。
 

だれでも自分の存在や生きがいを否定されては起こるのは当然ですが、「怒っても罪を犯すな」とも聖書には書いてあります。
怒ることそのことは罪ではありませんが、怒り続けることは罪だというのです。
お判りでしょうか。

 
不正があれば、怒りを忘れないことが大事だということは、宗教・思想において、義憤として実践されています。あなたは、不正だけしかありません。有害だから批判しています。
 
怒り続けることが罪だとは、いつまでも、個人的な不快からの怒りで、あなたシャロームが悪口だけを書き続けるように怒り続けてはいけないということです。
 
言っておくが、私は、私怨ではなく、あなたシャロームは、人間の敵と見なしています。欺きの悪行は、誰も騙されないように、しっかり書いておく必要があります。
 

自分で聖書をよく読んでおられますか。
怒り続けると物事がありのままで見えなくなり、判断も的外れになってしまうのですが、お判りでしょうか。

 
あなたは、聖書を一行も読んでいないことが、今までの的外れの妄想解釈と信条に至っていることによって、明らかになっています。あなたの話は、一切、理解されることはないのです。あなたに、誰も、近づかないように、私は書いています。
 

このような弱さから、誰でも容易に逃げることは難しいのですが、
だから「義人はいない、ひとりもいない」とも聖書には書かれているのです。
せめてすこしでも認め、気付いていることで、
いくらか避けることができるのですが、

 
あなたは、過ぎ去ります。あとには、あなたの悪い話だけが、しばらく残るだけです。そして、私も過ぎ去ります。そうなるのが、私の定めであり務めであると思っています。
 
今まで、ひとりもいないはずの義人ぶって、だましてきた、あなたシャロームの罪は、偽善によって、良きものを、ことごとく、読む人から、そして、あなたからも遠ざけるのです。
 
あなたシャロームは、聖書を悪用する偽善者です。だんだん酷くなっています。
 

3. st5402さん お久しぶりです。
 2019年11月26日 08:49
悲しいことに私たちにはこの病識、気づきがありません。
この病識を神から与えられ、気づかされることが悔い改めなのです。

 
あなたには、病識はありません。悪化を続けています。また、一度も、信仰の気づきはなく、気づきを伝えたこともありません。あなたは、ただただ、キリスト信仰を、けがし、福音伝道を、邪魔してきただけなのです。
 
悔い改めは、人間が、神に向かってすることです。人間がすることを、気づかされるとか、神が与えるとか言うのは、あなたがでっちあげた詭弁です。それに、今の時点で、悔い改めていないのは、あなたが何も気づいていないという証拠です。
 
あなたは、神から与えられるのを死ぬまで待つのでしょう。あなたは治らないだろうから、今は、あなたの影響を誰も受けないことを祈っているのです。
 

ひとりの例外もなく、全人類共有のこの的外れの怒りと罪は
私たちが神の愛を見失った結果であり、
すべての問題の根源であると聖書は告げているのですが・・・。

 
あなたは、あなたの神?にすがるのでしょうが、それは、あなた自身です。あなたは、あなた自身の愛を受けて笑っているのでしょう。つまり、あなたの信仰は、自慰行為です。
 

この病識、気づきが与えられない限り、私たちの心は怒りと罪から解放され、癒されることはないというのです。

 
そして、あなたは、あなたの怒りと罪によって、癒されることがないばかりか、他者の病を増悪させるのでしょう。この病識に気づかないあなたシャロームだから、いつも見下ろす気分で、笑っていられるのです。
 

「こういう人をうっかり信頼して引っかかっていると人生を失うでしょう。」
とのことですが、
自分の妄想を信頼することによって、
あなたの人生がまだ失われたままではありませんか?

 
あなたシャロームのことです。病識がないから気づかないのです。
 
今回、シャロームは、病識のなさ、狂信からの慢心を、惜しみなく曝しています。誰も被爆しないように、気をつけてください。
 

きのうは腎臓検査のために一日畜尿したものを病院に届け、
車で一時間ほどかかるところで、ながい入院生活している妹を
連れ合いと見舞い、外来の病院に連れて行きました。
ここ年々弱くなっているようです・・・
帰途、また5、6年ぶりの人と、
15,6年ぶりの人、おふたりに会うことができました。
時間の流れが、お互いの髪の毛や体に表れていることや
昔話に花が咲き、また、れいわ新選組、山本太郎の支援の話しをし、
ポスター貼りのお願いの話をし無事に帰ってきました。
良い一日でした。
shalom!

 
こういうこと、書かなくていいんですよ。あなたは、自分は恵みを受けていると言いたいのでしょうが、あなたの話は、信用していませんし、事実であっても、あなたの受け取り方を通しているのだから、真実ではないのです。あなたの、どこにも、真実は表れたことがありません。
 

4. st5402さん お久しぶりです。
 2019年11月26日 08:57
2回目のコメントの
「だれでも自分の存在や生きがいを否定されては起こるのは当然です」は
『だれでも自分の存在や生きがいを否定されては怒るのは当然ですが、」です。
理解し、校正してくださるとは思いましたが・・・訂正します。

 
 
あなたの生き甲斐は、他者を下に見て、教えを垂れることでしょう。垂れ流しているのは全く別のものですが。
 
あなたの信仰は最初から嘘だから、あなたは、見かけ、怒らないのでしょう。だから、何を言っても無駄だと分かっています。あなたシャロームに関わる人が、一人もいないように、できることをして、祈るしかないのです。
 
私は、あなたの嘘と詭弁に、怒っています。その嘘と詭弁が、あなたの人格のようですから、あなたの存在と生き甲斐が、全部、嘘だと思っています。嘘が好きな人は、天国ではなく、ウソの国でもなく、嘘の国に行くのでしょう。あなたシャロームののふるさと、嘘を食らい、嘘を出すところに。
 
あなたシャロームの信仰は、あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という発言と訂正不能によって、全否定されています。
 
私の批判コメントに対して、あなたシャロームは、削除、コメント欄閉鎖、未承認としました。つまり、隠蔽し、批判のないブログだという偽装をしました。
私はあなたシャロームの嫌がらせコメントに対して、いちいちレスして批判しています。
 
この決定的な履歴の違いが、応答の努力と不応の怠惰を分けるのです。
 
この違いは明らかですが、私は、あなたシャロームが、実に白々しく嫌みな丁寧語の書き方で、前と同じような嘘っぱちを、独り得々として、だらだら書いてきても、無視するのではなく、コメントの質が悪くても、あなたシャロームが下劣な悪意の表れでしかなくても、どんなに、つまらない、何の糧にもならないコメントでも、受け取ったのち、批判を書いて晒し、かつ、記事にしています。
 
そうする私の意図は、これがクソです、ということを示すことで、クソでない何か良きものを暗示するか、想い起こすことを望むからです。
 
私は、最初から捨てることで解決することなどないこと知っており、ゆえに、読んで、返して、保存して、記事にするのです。
 
あなたシャロームは、捨て去ることで、経過するので、捨て去ったものに気づかず、いつか、捨て去ったものに、忘れたものに、捨て去られてゆきます。
 
 
(2019年11月28日)
 
 
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