嘘と世辞と侮辱(2)
「さりげない悪意」コメント欄
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4003988.html#comments
シャローム(シャロム、shalom、あなた、彼)のコメントの続き
驚き呆れるのですが、シャロームが説教をしてきました。今までの経過から、そんな資格、シャロームには、とっくに、ありません。いや、恐らく、最初から、無いと思います。何故なら、シャロームは、妄想を語るだけで、キリスト教の基本的な考え方さえ理解していないからです。偽善者だと、とうにバレているのに、説教者の位置にしがみつく醜い男の、言い逃れの詭弁だらけです。
>
16. st5402さん おはようございます
2019年10月31日 20:48
こんばんは
「一人も、真に受けて、シャロームの無罪妄想信仰に巻き込まれることのないように、祈っています。」
st5402さんご自身がだれよりも一番巻き込まれているのかもしれませんよ。
<
私は、批判という手間について、あなたシャロームに巻き込まれているのです。しかし、それは、私の自由意志です。それは、愚にもつかぬ説教話を、シャロームが続けるあいだ、私が生きている間は、私という信仰者の努めとして、続くのです。嫌がらせを書くのをやめなさい。あなたシャロームに、信仰を語る資格はありません。
>
イエスさまは真理はあなたがたに自由を得させるであろう,と言われただけではなく、私が道であり、真理であり、いのちなのです。
<
いくら、あなたシャロームが、キリストを讃えても無駄です。あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という、背教の反キリスト信条と、その前と後、そして、今までの発言の詭弁と嘘によって、あなたシャロームは、反キリストだとバレているのです。
反キリストが、キリストを讃美すれば、また、教えようとすれば、偽善と背教の罪が、増し加わるだけです。あなたは、狂っています。
>
だれでも私によらなければ父のもとに行くことは出来ないとも言われましたね。
<
その神にも、キリストにも、真っ向から背いて、背教信条を自慢してきたのが、あなたシャロームです。去りなさい。黙りなさい。あなたは、キリスト者と交わってはいけないし、ましてや、何かを教えられると思ってはならない。キリスト者を装って、それらしい讃美をすれば、何とかなるなんてことはない。
>
イエスさまは自由を得させると言われましたが、くびきにつながれた奴隷には自由がありませんが、イエスさまは十字架というハンマーで心の鎖を打ち砕いてくださったというのが福音です。
<
そこを、180度、曲解して、勝手な信条を固定してしまって、数々の言い逃れの詭弁と、数々の大嘘と妄想に酔って、罪を気にせず、解放された気になっている見苦しい偽善者が、あなたシャロームです。あなたに福音は語れません。語ろうなどと思ってもいけません。口が罪を犯し続けるなら、切り取ったほうがマシなのです。
>
イエスさまを信じておられるst5402さんはイエスさまが与えられた自由という解放を知っておられますか?イエスさまを信じながら、自分と他者を独立した個人として受け容れられず、自分の課題と他者の課題の区別がつかないのであれば、いつも鎖に繋がれて呻きながら荒野をさまようカインの姿というのがこの世に生きる私たちの姿だと聖書は証ししていますが、その通りだと思います。
<
自らの快楽原則にキリスト信仰を当てはめて、酔い痴れているのが、あなたシャロームです。
自分と他者を独立した個人として受け容れていないのは、他者の意見に、何の反論も弁明も出来ないで、ぐだぐだと性懲りもなく文句を付けてくる、あなたシャロームです。そして、こともあろうに、あなたシャロームは、神と自分との違いも弁えていないから、自分の言い分に、神聖を結び付けて、そこからしか物が言えなくなっているのです。
いつも鎖に繋がれて呻きながら荒野をさまようカインの姿も、あなたシャロームです。カインは、捧げものが神に受け入れられなかったとき、悲しむことが出来ずに、怒りました。それは、あなたシャロームが、批判に答えられないのに、悲しんで反省するのではなく、憎まれ口や、嫌がらせや、言い逃れを書いてくる姿と同じです。
愚かな自分を認められず、自覚できないのは、あなたシャロームが、悲しむことを知らないからです。悲しみの中で、反省することが出来ないので、このような事態にも、相手に愚にもつかない説教?をしてくるのです。あなたの言は、あなたに返ってくるだけで、まるで成り立ちません。
>
イエスさまは私たちの心の鎖を砕いて私たちに自由を与えられたというのです。ハレルヤ!
shalom!
<
あなたは、以前、「失礼しました」と書いて、後で「負けるが勝ち(笑)」と書いてくる、という、嘘を吐き、そういうことを常習としている人です。自由など与えられていません。人の自由を、詭弁と小細工で、都合の良いように誘導して奪ってきたのです。信仰者と求道者に、偽キリスト信仰という心の鎖を巻き付けて縛ってきたのです。
背筋が寒くなるような所業を生業としてきて、なお、拒否されていると分かっていながら、説教を垂れようとするシャロームは、むしろ、もはや、よだれを垂らした狂犬と同じなのです。
何を、自分信仰の下劣な自己中心の信条しか持たない反キリストのくせに、キリストを讃美しているのでしょう。書いたこと、全部、嫌がらせでしかありません。こういうことをするのが、楽しいのか。追い詰められた果ての断末魔か。醜い。
あなたシャロームは、関わる人々を騙してきたのであって、誰のためにも助けにはなりません。嘘吐きシャロームの妄想を語っても無駄です。聖句を引用しても、あなたは、聖句を理解していません。聖句を悪用してきたし、今も悪用しているだけです。
今のままだと、あなたシャロームは、どうしようもない地上の命が終わるときに向かって、裁きを待つしかありませんが、変わる意志もないなら、黙りなさい。総ての、信仰者と求道者のために、黙りなさい。不埒者め。
あなたシャロームが、今、できることは、説教ではなく、何も語らず黙っていることだけです。決してキリスト者ではない、という証拠を、自らの言動で、積み上げてきたのは、あなたです。偽善者、背教者、妄想家、カルト、異常人格、情性欠如者、それが、あなたシャロームです。退きなさい。
・・全く、ホラーだな・・
>
24. st5402さん おはようございます
2019年11月01日 09:02
「私は、批判という手間がかかることについて、あなたシャロームに巻き込まれているのです。しかし、それは、私の自由意志です。」
そうでしょう。でも、あなたの自由意思はイエスさまが言われる自由意思とは真逆ですよ。
それは聖書をよく読めばわかりますし、十字架につけられたイエスさまの姿にそのことがよくあらわされています。
<
ほんとに、あなたは、人の言うことを聞いてないですね。前のコメントで、聖霊による自由意志と、あなたが書いたのは、あなたの妄想で、あなたは、病気で、ということを書いたのに、また、何事も無かったかのように、同じことを書いてくる。
あなたシャロームの言っていることが妄想だという理由は、そう信じても、何も深まることもないし、何も良くならないからです。そこを間違えたから、さらに妄想化して、あなたのような人は、腐ったヒト型動物になるのです。あなたシャロームに対しては、間違っても受け入れるなどという優しさを示してはいけません。受け入れてしまうと、ずるずると、妄想に付き合わされ、同じように壊れてゆくでしょう。
つまり、あなたのようになって、あなたのように信じて、いいことは何もないのです。あなたは、聖書を、まるで、読めていません。聖書は、人間離れの言葉をくっつけて神がかって、シャロームあなたのようになることを、戒めているのです。そこを間違えたから、あなたのような腐ったヒト型動物になってゆくのです。
あなたに対しては、徹底して、否定し続ける以外にはありません。そうして、今回のような妄想が、シャロームによって、その邪悪と狂気が、あらわにされてゆくのを、読者に見せてゆくしかないということです。
こういう、何を言われても、聖書を読めばわかる、などという嘘を吐き続けて、自他ともに、人間を、捻じ曲げ、滅ぼしててきたのが、シャロームというペテン師なのです。根っからのペテン師です。良心の欠片もありません。
信仰者には、神に祈るという日々の救いがあります。シャロームは、神もキリストも信じていないので、妄想を言い張り続けるしかありません。シャロームの妄想は、キリスト信仰を、偽りの言葉で、へし折ろうとする迫害であることが、はっきりしてきました。
>
私が会ってかかわりを持ったカルトと言われる団体の活動をしている人たちはみなさん人間的には本当にやさしくて善良で正しく生き方をしようとst5402さんのように真剣に生きている人たちでしたね。
カルトは正しい批判を装って近づいてきます。だから優しい善良な人をあざむき依存と支配の鎖で縛ってしまうのです。
<
まさに、あなたシャロームの生き方が、そうなのです。シャロームの場合は、嘘を吐くことで疲労させます。白々しいベタな言葉で相手を褒め、もっともらしい讃美で惑わせ、自分に依存しているという嘘で、侮辱し、壊してゆきます。結局は、破壊者であることがシャロームの特徴です。
>
でも本当は自由意思を奪われているのに、いや自由意思によって自分で選んだ生き方なのだとマインドコントロールされてしまうのです。
<
まさに、あなたシャロームの生き方は、それを、聖霊による自由意志、という言葉の捏造で正当化するから、もっと悪質なマインドコントロールか、印象操作になるのです。
キリストと聖霊という神聖なる御方の御名を出して嘘を吐くことは、神に対する最も邪悪な直接の大罪です。もはや、シャロームは、神を侮っていて、神の赦しなど求めていないことを表しています。
自分がカルトなのに、悔い改めの代わりに、カルトの例を挙げて、反カルトみたいに言っているのは、シャロームが、何を言われても不感不応で応えず、平気で言い逃れの嘘を重ねる極悪の背教者かつ詐欺師であることを示しています。
シャローム自身の口から、これからも、偽キリスト者と偽牧師ぶりが、発揮されることでしょう。
>
実は昨日も若かりし頃、統〇協〇の文〇明の車の運転手をしていたという人が奥さん連れで訪ねてきました。10年ぶりでした。一緒に食事をして、山本太郎の大分での街宣をYouTubeで3時間観ました。たがいに山本太郎の話と生き方に感動し、れいわ新選組のポスターを貼りたいと持って帰られました。
ご主人は私がバプテスマ(洗礼)を施した人ですが、今は教会を離れておられます。でもよい交わりができて楽しい時間でしたね。
shalom!
<
あなたは、正々堂々から最も遠い嘘吐きです。洗礼を施す資格はありません。嫌がらせで書いているとしか思えません。だから、すっとぼけて、どんな白々しい嘘でも平気で言えるのでしょう。シャロームには、人間らしい感情がありません。この人、シャロームに関わり続けると、こうなるということを、シャロームが、今、表しています。
黙れと言っても、黙らないだけの悪意を、シャロームは持っていて、人格の破壊に伴って増悪していますから、どんどん書かせてあげましょう。こちらは、吐き気を催しながら、シャロームの邪悪と醜さを指摘してゆくだけです。
虚偽と悪意で出来ているシャロームを見てください。人間らしい良心という賜物を失うと、こうなるという実例であります。何も聞かず、言うだけ言ってくるシャロームを見てください。これが、前に書いた疲労物質であり、人間破壊物質なのです。
当分、私としては、コメントを書き、4つのブログに記事を書く題材に不自由しないようです。
信仰者としては、シャロームの生き様にも言動にも、一生涯、影響を受けないことが肝心です。
決して影響を受けてはいけない相手として、シャロームという偽善者を批判し、伝えています。
私は、しばしば弱く、ときに感情的となり間違えることがあります。しかし、私には、祈りを通して、反省し修正し、努めて成長する、という、絶えることのない恵みが、信仰によって、与えられています。
シャロームが、神を恐れず、書いてくることを見て、その都度、対応してゆくつもりです。
シャロームには、自尊と妄想信条以外、何もありません。思い出すたびに、今回のようにコメントを見るたびに、実に恐ろしい男だと思います。何より、見るたびに、彼の訂正不能と無反省という異常性を実感させられるからです。
(シャロームの嫌がらせコメントは、まだ、(3)へ、続きます)
(2019年11月02日)
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コメント
コメント一覧 (32)
イエスさまは言われました。
「私は平安をあなたがたに残していく。
わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな。」
(ヨハネによる福音書14章27節)
st5402さん あなたはイエスさまがどのような状況で
弟子たちに語られたのかをご存知ですか。
イエスさまが私が与えると言われた平安はありますか。
その平安はこの世が与えるようなものとは異なると言われましたが、
「キリスト教の基本的な考え方」をよく知っておられるという
あなたの心にその平安はありますか。
イエスさまが与えると言われた平安はありますか?
「心を騒がるな、おじけるな」とも言われていますが、
イエスさまから平安を与えられていなければ、
わたしたちはだれでも、心を騒がせ、おじけてしまうのです。
私もそのひとりです。
shalom!
st5402jp
が
しました
シャロームのコメントは、結果を受けて、考えて、というものではありません。
総ての経過と文脈を無視して、その時その場で捏造してゆく、という場当たり的な作り話なので、はっきり言って、読む値打ちも聞く値打ちも皆無です。
シャロームは、自分が、いかに恥ずかしいことをしているか、分からないのです。
st5402jp
が
しました
1. st5402さん おはようございます
2019年11月02日 09:17
いつも、いつまでもお疲れ様です。
<
「いつも、いつまでもお疲れ様」というのは、
私が、性懲りもなく、批判していると、揶揄したいわけです。
揶揄によって、自分が見苦しくなっていることに気づきません。
超常の救われ妄想に侵されているシャロームは、状況が分からないのです。
いつのまにか自分が素っ裸であることに気づかないのです。
st5402jp
が
しました
イエスさまは言われました。
「私は平安をあなたがたに残していく。
わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな。」
(ヨハネによる福音書14章27節)
st5402さん あなたはイエスさまがどのような状況で
弟子たちに語られたのかをご存知ですか。
イエスさまが私が与えると言われた平安はありますか。
<
(ヨハネによる福音書、口語訳)
14:25-26
これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
14:27
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
14:28
『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
14:29
今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
(ヨハネ書14:25-29、新約聖書)
st5402jp
が
しました
世が与えるようなものとは異なる、というのを、超常奇跡の贈り物だから、好きに見なし、好きに仕え、とでも、受け取ったのでしょうか。
シャロームは、その部分の解釈を何も書かないで、何も言わないで、言い得たとばかり慢心しているのです。まだ教える気でいるのが、シャロームの、今までの彼の偽善と嘘という愚かな振る舞いを、まるで気にせず、無視できてしまう人間性を失った鬼畜の所業です。
聖書の深い意味に、一度も触れたことのない者、シャロームが、気軽に文言だけをあげて、泡を吹いている見苦しい有り様に、いったい、誰が従うというのでしょう。
神の与える平安を、自作捏造の底なし沼のようなドロドロの安楽と勘違いし、キリストの死と復活を、自らの無罪妄想に結び付けて、超常の魔法のようにだけ受け取って、吹聴してきた妄想家シャロームは、いずれ、心が騒ぎだけになり、怖気だけになる日を、洞察できません。
キリスト者は、みな、そのような日ではなく、悔い改めて、赦される希望に生きることを選んでいる人です。シャロームには、それが分からないのです。
st5402jp
が
しました
聖句の中の、事が起った時、というのが、キリストの死と復活なのか、終末なのか、私は知りません。しかし、それが、シャロームのような偽善者を喜ばせるものでないことだけは知っています。
主は正義の主であり、罪人の救いだからです。主は、偽善者の主ではなく、偽善者は主の敵だと知っているからです。欺く者に待っているのは、永遠の裁きだけなのです。
キリストは、聖霊が遣わされることを語っておられますが、シャロームは前から自らの正当性の根拠に、弁えも節操もなく、聖霊による啓示をあげていました。
考えるのが面倒なシャロームのような無分別で快楽原則しか持たないものにとっては、聖霊という目に見えない助け主は、好きなように言葉だけを引き寄せて、人に自慢するのに好都合なのでしょう。しかし、神聖を悪用すれば、待っているのは、この世においては、人間でなくなることであり、その先は・・何とも言えないものです。
st5402jp
が
しました
その平安はこの世が与えるようなものとは異なると言われましたが、
「キリスト教の基本的な考え方」をよく知っておられるという
あなたの心にその平安はありますか。
イエスさまが与えると言われた平安はありますか?
<
あなたシャロームは、先ず、自分に問うてみることです。そして、シャロームが、言葉に表せば、どこにも響かない、歯の浮くような讃美言葉にしかならないこと、それを、ごまかすために、聖句を、全く理解しないまま、シャロームは並べるしかないことが明らかになるでしょう。
st5402jp
が
しました
「心を騒がるな、おじけるな」とも言われていますが、
イエスさまから平安を与えられていなければ、
わたしたちはだれでも、心を騒がせ、おじけてしまうのです。
私もそのひとりです。
shalom!
<
もう、どう思われてもシャロームは構わないのでしょう。だから断末魔と言っておきます。だから、私が書いてきたことを何も考えないで、自分に神の平安がある前提で、平安を与えられていなければ、などと言ってくるのです。
逆方向に勘違いさせるシャロームの意図ですから、だまされないでください。
st5402jp
が
しました
「私もそのひとりです」とは、平安を与えられているので、心を騒がせることも、おじけることもない、という意味ですから、だまされないように。何の共感でもありません。
シャロームは、独り舞い上がっている哀れな人ですが、その分、偽善者として人を騙してきたので、計り知れない偽善と背きの罪を、神の前で、晒されることになります。
罪を認めて正直に告白するという悔い改めをせず、独りで思い上がる妄想カルトのシャロームのような者は、信仰者や聖職者ぶってきた分だけ、厳しい裁きが待っている、というのが、キリスト教であります。
そして、その分、キリスト信仰の、悲しみを感じて悔いる感性、救われる喜びを味わう幸いから自ら遠ざかり、幸い?を自分で、でっち上げて、平安です、平安です!、shalom!、と声高に、おらびまくるしかないのでしょう。
st5402jp
が
しました
いつも笑う、いつも讃美する、というのは、実は、暴力的で、正直に、分かりませんと言う心を失っているのです。分かりません、ということが言えない者の、苦し紛れの、笑うためだけの、自己正当化の手段として、使われている、ということに気づくべきであります。
聖書に書かれている、いつも讃美する、また、ほめたたえよ、というのは、いつも命を与えられたことを喜ぶ、ということが前提となっています。そうあれ、というのは、まさに、激励であります。そこを、まじないのように勘違いすることだけはしないでください。
勘違いしか出来ずに、信仰者?そして伝道者?のつもりでいるシャロームのような宗教くずれに、決して見倣わないでください。シャロームと同じようにならないでください。
悲しみを知る人は、好都合であれ、不都合であれ、神の前に正直であります。そのような人たちが、キリストによって、見出され、救われているのです。
悲しみを憎むシャロームのような者たちは、不都合を無視し、好都合だけを大仰に吹聴します。そして、節操もなく讃美しまくり、自己顕示欲で教えたがります。そして、本音においては、人を憎み、神を憎み、最後には、自分を憎むしかなくなるのです。シャロームを見ていると、殆ど、悪魔を見ているような気がします。
st5402jp
が
しました
聖書に登場する悪魔は、結局、神またはキリストによって退けられます。つまり、悪魔は、神に勝てないことを知っているように思えます。悪魔の分別さえ、シャロームや、易坊類は、持っていないようです。人間として生まれたゆえの悲劇なのでしょう。・・というように、私も、ときどきは、超常のことを考えはします。信仰は人間のためにあるのですから、人間のことを考えるべきですが、要は、その区別が出来ているかどうかです。シャロームのように、混同して、ゴチャゴチャになってはいけないという話です。
st5402jp
が
しました
私は、シャロームが相手でも、私なりに学習しているつもりです。シャロームに学んでいるのではありません。悪があれば、その対極に善を推測する、あるいは、そのヒントを見出す、ということが可能です。シャロームの言の対極にあるものに向かって学習するのです。だから、シャロームの言は、既に、ずいぶん前から、反例の資料となっているのです。
st5402jp
が
しました
文章を書くときに、表現を工夫しようとするのは、相手の、あるいは、一般の他者の、心に何らかの道筋を通そうとする努力なのです。同じかどうかは知りませんが、ある論理学のサイトには、議論の論理には必ず飛躍がある、というようなことが書かれてあったのを思い出します。私の記事とコメントは、シャロームにではなく、一般の読者に対して、カルト、特に、シャロームに近づかないように、という主旨の文章を書きたくて努力しているところです。
st5402jp
が
しました
私たち信仰者の言動と活動は、実が成るという実績や、何かの役に立つとかは、願いであって、総て、神の憐れみを受けたい心で為されています。すなわち、究極的には、効率とか仕事量とか人気とかには関係なくなるのです。
st5402jp
が
しました
それが、世に仕えず、神に仕えることです。それが、神を、命と人生の拠り所にするということです。結局は、キリスト信仰者である個人が決めることゆえに、キリスト信仰は、キリスト教と全くの同義ではないということになるのです。キリスト教は授ける側の教えを中心とし、キリスト信仰は受ける側の心を中心とします。
st5402jp
が
しました
14:28
『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
14:29
今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。
それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
(ヨハネ書14:28-29、新約聖書)
答えは「聖句の中の、事が起った時、というのが、キリストの死と復活なのか、終末なのか、私は知りません。」でしたね。
stさんの答え・・・
それは私は福音がわかりません.、知りませんという告白の言葉です。
使徒パウロは次のように書いています。
「信仰は聞くことによるのであり、
聞くことはキリストの言葉によるのである。」
(ローマ人への手紙10章17節)
人と人との関係もお互いの言葉を信頼すことから始まります。
私たちの言葉は人間としての弱さのために、確かな信頼関係を育てることができず、かえって傷つけあうことも多いのが現実です。
st5402さんは精神科の医師であられたのですから誰より良く理解されていると思います。
生ける神には私たちのような弱さはありません。しかし、私たちの弱さを知りながらも、私たちを愛し、そのことばの約束を成就されます。ヨハネ書14:28-29のイエスさまの言葉も十字架の苦難と死を前にしてのイエスさまの言葉なのです。
だからキリストの言葉を不動の礎にして初めて信仰が与えられるのです。キリストの言葉を自分の想いや期待に合わせていては必ずつまづいてしまうのです。
ですから使徒パウロは
「信仰は聞くことによるのであり、
聞くことはキリストの言葉によるのである。」と書いているのです。
shalom!
st5402jp
が
しました
答えは「聖句の中の、事が起った時、というのが、キリストの死と復活なのか、終末なのか、私は知りません。」でしたね。
stさんの答え・・・
それは私は福音がわかりません.、知りませんという告白の言葉です。
<
知らないなら、知らないと言います。私は、聖書に精通している者ではない。
私は、空っぽに満たされているあなたシャロームと違って、人間だから。
しかし、いったいいつの記事なのか、記事の時期やタイトルくらいは示すのが常識ですが、あなたには常識は分からないですよね。
st5402jp
が
しました
使徒パウロは次のように書いています。
「信仰は聞くことによるのであり、
聞くことはキリストの言葉によるのである。」
(ローマ人への手紙10章17節)
<
あなたが引用したことが、意味不明だ。
>
人と人との関係もお互いの言葉を信頼すことから始まります。
<
「聞くことによる」という聖句から、自分の言うことを聞けと言うのか。
長い間、聞いて、その邪悪を知ったから、批判しているのです。
あなたシャロームは、人の言うことを受け取らず、コメントを削除し、あるいは、未承認、あるいは、コメント欄廃止などをしてきました。自分でそうしたにもかかわらず、神に任せるのが一番、などと言ってきたのです。
したがって、私は、邪悪なあなたの言葉を、全く信用していません。にもかかわらず、コメントを書いて説教しようとすること自体が、あなたが、サディストであることを証明しているのです。
st5402jp
が
しました
私たちの言葉は人間としての弱さのために、確かな信頼関係を育てることができず、かえって傷つけあうことも多いのが現実です。
<
あなたシャロームにだけは、言われたくない言葉です。
嫌がらせの妨害行為ですね。あなたからは、何の共感も生まれません。
>
st5402さんは精神科の医師であられたのですから誰より良く理解されていると思います。
<
私は、サイコパスやサディストを直に面と向かって相手にしたことはないので、かまってあげるにしても無理ですし、あなたを理解できる人はいないと思います。どこまでも、人間の理解から乖離してゆくシャロームなど、正当には、相手にしていません。退屈しのぎでもありません。一日も早く、神の裁きが下るように祈ることはあっても。
st5402jp
が
しました
生ける神には私たちのような弱さはありません。しかし、私たちの弱さを知りながらも、私たちを愛し、そのことばの約束を成就されます。ヨハネ書14:28-29のイエスさまの言葉も十字架の苦難と死を前にしてのイエスさまの言葉なのです。
<
あなたが、知らないことを罵りながら言うときって、本当に災いですね。キリストの使命が十字架ですから、十字架を前にしたなら、公生涯全部でしょう。くだらないこと言いますね。
いつのことかについて、根拠は示さないのですね。あなたらしい、結論だけの教示、無視します。
>
だからキリストの言葉を不動の礎にして初めて信仰が与えられるのです。キリストの言葉を自分の想いや期待に合わせていては必ずつまづいてしまうのです。
<
「聞くことはキリストの言葉による」と、さっき聖句をあげたのは、あなたシャロームです。そして、あなたシャロームは、神の、聖霊のと、うるさく言って、その聖三位を、全部、自分の都合で悪用して、裏切ってきた人です。つまり、今回のコメントこそが、嘘っぱちの無駄話なんです。
st5402jp
が
しました
ですから使徒パウロは
「信仰は聞くことによるのであり、
聞くことはキリストの言葉によるのである。」と書いているのです。
shalom!
<
「ですから」が、全く成り立っていないのです。邪魔をするために書いてきたんでしょう。
そして、福音と信仰を邪魔しているのです。まったく、あなたという人は、存在することが、何の役にも立っていないわけで、こちらも、悪と偽善の材料としてしか考えていません。
あなたシャロームは、一日も早く、ネットから消えてゆくのを、待たれているだけなんだと再認識しました。
今まで、3回のコメントを批判してきましたけど、真に受けてよい内容など、一つもなかったわけですから、迷惑と、疲労を与える偽善ショーをするための大根役者として来たのですか。
分かっていると思うけど、分かっていないような気もするが、あなたシャロームの説教を聞きたがっている人なんて、まともな人には一人もいません。それくらい害にしかならない。
st5402jp
が
しました
何のために生きてるんですか。何もないでしょう、あなたシャロームには。親族がいても、いずれ、真相を知って、裏切りますよ。それでも、部屋で、笑っているわけですね。驚くべき虚無を食べているようです。こうはなりたくない、という感想だけです。
私にとって、あなたシャロームは、批判の対象であり材料でしかありません。それも、殆ど、新しいことは書いて来ないようだから、こちらが何を言っても受け取らないあなたシャロームを、喧しく鳴ることさえなくなったシンバルを、こちらが、まともに相手していると思ったら大間違いですよ。
大方、無視して、今までの批判を復習しながら、退屈しのぎくらいに、半ばうんざりしながら、遠目で見ることが多くなっています。人を効率で見るのは、よくないけど、中身のないあなたシャロームには、効率そのものが、どこにも存在しないのです。
st5402jp
が
しました
おやおや私の直前のコメントに対するコメント4でst5402さんがわざわざ引用された聖書の言葉、6で書かれた言葉ですが、もうお忘れですか。
他者の批判を憑かれたように書いているので覚えていないのでしょうね。
人の言葉、思想はあなたの言葉も、私の言葉も過ぎ去りますが、イエス・キリストの言葉は過ぎ去ることがありません。
キリストへの信仰はその言葉によって与えらます。
イエスさまは
「天地は滅びるである。しかし、わたしの言葉は滅びることがない」(マタイ24章35節)と言っておられます。
st5402さんはこの言葉を語られたイエスさまのおかれた背景をご存知ですか?ヨハネ14章の言葉も同じ背景ですが。
信仰の普遍、不変の礎である旧・新約聖書全体を一度でも通読されたことはありますか?
「総ての経過と文脈を無視して、その時その場で捏造してゆく、という場当たり的な作り話なので、はっきり言って、読む値打ちも聞く値打ちも皆無です。」というst5402さんのコメントはそっくりそのままお返しします。
「昨日も今日も、恐らく明日以降も、有頂天シャロームのゴタクが続くのでしょうか。それを、止める者も、近くに誰もいないのでしょうか。」
楽山さんはかつて私のst5402さんに対するコメントに対して注意され、st5402さんが自由さんの記事にたくさんあちこちでいいね!をされた人でしたが、忘れましたか?
たとえどなたかおられたとしても、楽山さんのようにst5402さんの執拗な批判の的に変るでしょうね。
私は一人です。ひとりで結構ですよ。
shalom!
st5402jp
が
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私の直前のコメント中の楽山さんと自由さんは同じ方です。
決して成りすましという意味ではありません。
st5402jp
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自己顕示欲だけの反信仰が、信仰を語ろうとすれば、必ず、綻びと矛盾は出てくるのです。分かるでしょう、何が欠けているか、それは、弱さの自覚なのです。強がりは信仰ではないのです。
(コリント人への第二の手紙、口語訳)
11:29
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
11:30
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
12:10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
(2コリ11:29-30、新約聖書)
st5402jp
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12:5
わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
12:6
もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
12:8-9
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
(2コリ12:5-9、新約聖書)
弱さを誇ろう、というのは、逆説ですから、このまま、弱いんだぞと自慢するのは笑えない冗句で、弱くあることや弱さの自覚が、少なくとも強くあることや強さの自覚よりも、とても貴いのだということを、パウロは言っているのだろうと思います。
st5402jp
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24. st5402さん おはようございます
2019年11月03日 10:41
「しかし、いったいいつの記事なのか、記事の時期やタイトルくらいは示すのが常識ですが、あなたには常識は分からないですよね。」
おやおや私の直前のコメントに対するコメント4でst5402さんがわざわざ引用された聖書の言葉、6で書かれた言葉ですが、もうお忘れですか。
<
あぁ、もともと、あなたが引用したわけですね。あなたの引用も、書いたことも、批判し終えたら、できるだけ、忘れないとね、いつまでも、私が覚えていると思っていたのですか。忘れ去られることを考えもしないのですか。世界は、あなた中心ですか。
>
他者の批判を憑かれたように書いているので覚えていないのでしょうね。
<
メインは、あなたです。だから、テーマにも題材にもならない疲労物質は、批判したら、あとは、健康のために、忘れるわけです。今度は、憑りつかれ妄想ですか、憑りつかせ妄想ですか。
st5402jp
が
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人の言葉、思想はあなたの言葉も、私の言葉も過ぎ去りますが、イエス・キリストの言葉は過ぎ去ることがありません。
<
反キリストの妄想であるシャロームの言葉が跡形もなく過ぎ去るように、あなたの聖書解釈妄想も跡形もなく過ぎ去るように、一生懸命、書いています。
>
キリストへの信仰はその言葉によって与えらます。
<
それをことごとく曲解してきたのが、あなたシャロームです。
キリストは、悔い改めよと言っているのに、悔い改めないことで明らかです。
なのに、上のようなことを書いてくるのは、背教+偽善の醜い有り様です。
あなたの有り様が、ことごとく消え失せるように、私は書いているのです。
st5402jp
が
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イエスさまは
「天地は滅びるである。しかし、わたしの言葉は滅びることがない」(マタイ24章35節)と言っておられます。
st5402さんはこの言葉を語られたイエスさまのおかれた背景をご存知ですか?ヨハネ14章の言葉も同じ背景ですが。
信仰の普遍、不変の礎である旧・新約聖書全体を一度でも通読されたことはありますか?
<
一度、通読してます。その時、ピンと来なかったことを、のちに、考えてゆきました。
そして、あなたを見て、聖書を腐らせたまま、自慢する者もいることを知りました。
>
「総ての経過と文脈を無視して、その時その場で捏造してゆく、という場当たり的な作り話なので、はっきり言って、読む値打ちも聞く値打ちも皆無です。」というst5402さんのコメントはそっくりそのままお返しします。
<
「そっくりそのままお返し」は、根拠を示さければ無意味だと、私は前に書きましたが、あなたは、本当に学習しないですね。それで本当に気が済むのでしょうか、あなたという人は。
st5402jp
が
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「昨日も今日も、恐らく明日以降も、有頂天シャロームのゴタクが続くのでしょうか。それを、止める者も、近くに誰もいないのでしょうか。」
楽山さんはかつて私のst5402さんに対するコメントに対して注意され、st5402さんが自由さんの記事にたくさんあちこちでいいね!をされた人でしたが、忘れましたか?
<
引用とコメントがつながっていないようです。
だから、どうだというのでしょう。万物は無常で流転しますし、実際は、楽山のボンヤリ言語に騙されたと分かって、批判に転じています。あなたシャロームもそうでした。二人が仲間だと気づいたということです。今も、私に手間を取らせることで、楽山を応援したつもりでしょうか。
st5402jp
が
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たとえどなたかおられたとしても、楽山さんのようにst5402さんの執拗な批判の的に変るでしょうね。
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誰でもじゃない、ふつうは違う、ということも書いたと思いますが、そのために約100人のお気に入りサイトの話もしたわけですが、何も読んでいないじゃないですか。私が誰でも批判する奴、という先入観作りですか。あなたシャロームらしい、印象操作です。
st5402jp
が
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私は一人です。ひとりで結構ですよ。
shalom!
<
私、特に、あなたの面倒見るようなこと、書いてませんが。
あなたシャロームに好意的に関わる人が一人もいなくなるようにと願って書いています。
どうぞ、ずっと独りでいてください。ずっと、独り相撲、あなたのほうだったんですね。その割に、あなたは、仲間の数を聞いて、自分の優位を自慢し、私を、おとしめてきましたが、あれも、嘘の仲間だったわけか。
人神未分化という恐ろしい自分信仰で、神の意志と聖霊を自分に結び付けてしまい、悔い改めもしないで、キリスト者と聖職者を気取っているような人は、いずれ、何も学ぶところのない人として遠ざけられ、固陋(ころう)と狂乱のうちに、人生の終わりを迎えるしかない生き方を、わざわざ、あなたシャローム自身が信仰?として、迎え入れて、詭弁と嘘にうつつを抜かしているのだから、神の恵みも幸いも賜物も、あなたが拒否しているということです。
st5402jp
が
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