無知と無恥 (補足記事)
シャロームの言は、信仰に根差していないと判断しています。シャロームという人は、本当に、詭弁と言い逃れと騙しと罵りの小細工だけを覚えてきた人なんだと実感しています。
そういう者を批判するという悍(おぞ)ましいことは、早く終わりにしたいのですが、書けば、シャロームが、また、ボロ布のような作りごとを並べて書いてくるので、また、批判せざるを得ない状況です。
シャロームを、キリスト教についてただ頑固なだけの人だと思ってはいけません。彼は、そんな微笑ましい人物ではありません。権力を持たないのが、せめてもの幸い、と言ってよい人です。
底知れない不感不応で、訂正不能の妄想をもって、人を、騙し貶める者です。どうか、生きながらにして滅びる落とし穴からの獣道を、誰も、シャロームとともに歩むことのありませぬように、祈っています。
まず「嘘と世辞と侮辱(4)」において
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12542381051.html
(シャローム)
>
イエスさまは言われました。
「私は平安をあなたがたに残していく。
わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな。」
(ヨハネによる福音書14章27節)
st5402さん あなたはイエスさまがどのような状況で
弟子たちに語られたのかをご存知ですか。
イエスさまが私が与えると言われた平安はありますか。
<
(記事に私が引用)
14:29
今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
(ヨハネ書14:29、新約聖書)
私は、次のように書きました。
「聖句の中の、事が起った時、というのが、キリストの死と復活なのか、終末なのか、私は知りません。しかし、それが、シャロームのような偽善者を喜ばせるものでないことだけは知っています。」
そして
「嘘と世辞と侮辱(5)」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12543556446.html
に表れたシャロームの侮辱を、もう一度、書いておきます。
(シャローム)
>
答えは「聖句の中の、事が起った時、というのが、キリストの死と復活なのか、終末なのか、私は知りません。」でしたね。
stさんの答え・・・
それは私は福音がわかりません.、知りませんという告白の言葉です。
<
ここぞとばかり、シャロームは、私の無知を、あざけるわけですが
信仰において、無知は罪ではありません。学習すればよいことです。
ここで、無知だと告白したと喜ぶシャロームの言は、実に醜いのです。
さらに、知らないことがあるからといって、
福音を知らない、という結論は、どこからも出てきません。
一から十まで間違っているシャロームであります。
シャロームが、自ら、いかに、自分の知識をひけらかし、それで、人をおとしめて喜ぶ人間であるかということを示しているのです。
ここにおいて、既に、シャロームが、恥知らず、すなわち、いかに無恥であることが表れています。
キリスト信仰は、無知を理由に、救われないような信仰ではありません。
しかし、キリスト信仰においては、
無恥の者は、敬虔のない者として、自ら救いを拒む者ということにになるのです。
シャロームに対して、私は、次のように、答えています。
「知らないなら、知らないと言います。私は、聖書に精通している者ではない。
私は、空っぽに満たされているあなたシャロームと違って、人間だから。」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12543556446.html
このように、知らないということ、すなわち、無知を、神の前で、隠さずに言うことが、信仰者の節操となります。
そうして、知ってるつもりのシャロームの答えはどうでしょう。
>
ヨハネ書14:28-29のイエスさまの言葉も十字架の苦難と死を前にしてのイエスさまの言葉なのです。
<
答えとして、何か、詳細な情報でも知っているのかと思ったら、
「どのような状況で弟子たちに語られたのか」と問いながら、
シャロームの答えは、
「十字架の苦難と死を前にしてのイエスさまの言葉」と言っています。
そんなこと、キリスト者なら、誰でも知っていることなのです。
私「私が上のヨハネ書の聖句について、いつのことか、はっきりとは知らないと正直に言ったら、私が知らないことを罵りながら、あなたの言うところの答えが、十字架を前にして、ということなら、キリストの使命が十字架ですから、公生涯全部が当てはまるでしょう。」
ただ、十字架を前にして、というのが、実際に、十字架を眼で見ていたかというと、
キリストが十字架につけられるとき、弟子は、大方、逃げていました。
一番弟子のペテロさえも、十字架の主イエスを前にして、鶏が三度鳴いて、ペテロが泣く、という話にあるように、逃げました。そして、自らの裏切りを悔いて、泣きました。
したがって、十字架に付いた時には、弟子に語ることは出来ません。十字架を目で見ていたということではなく、もっと前の、十字架の苦難と死を前にして、キリストが、十字架を、既に、考え、知っていた時ということになります。これは、キリストの公生涯の全部なのです。
私「それくらいのことなら、当たり前のことです。人をバカにして、言うほどのことでしょうか。あなたシャロームは、おとしめる目的だけで、実に、くだらないことを言っています。あなたが知ったかぶりで言う時って、本当に災いですね。」
さらに、キリストを裏切った張本人であるユダさえ、
裏切ったことを悔いて、キリストの復活を知らないまま自殺しました。
なのに、シャロームは、悔いることがありません。
さて、シャロームは、十字架を前にして、という、誰でも知っているような、曖昧な答えしか用意していないのに、いつなのか、はっきりとは知らない私を、福音を知らない、という言葉を吐いて、おとしめているのです。シャロームは、人をあざ笑って快感を得る人なのでしょう。
つまり、シャロームの偽信仰は想像を絶するものがあるということです。
誰でも知っている、十字架を前にして、ということしか語れないシャロームが、こういうことで、人を侮辱して、しかも、キリスト信仰者であることとは何の関係もない、無知を、あざ笑っていることが、即、シャロームの無恥を表しているのです。
シャロームはどういう人物でしょうか。キリスト者の弁えを何も持っていない、そして、相手に、不十分なところがあれば、それを利用して、あざけり、それによって、自らの優越を誇る人であることを、彼は自ら表しているのです。
このような、シャロームの性質は、キリスト者にはありません。ないだけではなく、このような性質、すなわち、他者をおとしめて自らの知識を誇るなど、キリスト者にあってはならないことです。
キリスト者は、誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない、という、人間の罪の性質を認めて、その共感とともに、信仰の道に入ります。そこから、謙虚、謙遜、敬虔が生まれます。
シャロームのように、丁寧語で敬虔を表したつもりで、聖書の半端な知識で、聖書の先生を自負して、他者を嘲笑う者などは、キリスト者の風上にも置けない者であることが、はっきりと表れているのです。胡散臭さが特徴のシャロームなのです。
(ネットより)
風上にも置けない:
風上に嫌なニオイを放つものがあると、その臭いが風下にどんどん溜まってしまい、非常に臭くなってしまうのです。 つまり、「風上にも置けない」は「風上の悪臭は風下に向かってやってくる。。(つまり、風下にいる人はたまったものではない)」という科学的な根拠から来ています。
https://biz.trans-suite.jp/20717
だから、私は、書きましたし、いつでも言います。
私「知らないなら、知らないと言います。私は、聖書に精通している者ではない。
私は、空っぽに満たされているあなたシャロームと違って、人間だから。」
どうか、シャロームのような、偽者の、現代のパリサイ人の、偽善者の、恥を知らない愚か者を、ひとときでも、ほんの一部でも、信用することのないように気をつけてください。
シャロームは、人に関われば、人を疲れさせて、滅びに導き、自分を高める材料にすることしか出来ない者です。そのことで、シャロームは、逆に、自らを滅びに定めています。
あらゆるキリスト信仰とは真逆の偽善者であり、自己中心の自己絶対の妄想家です。
キリスト者と分かち合えることなど、何一つ持っていない人、それがシャロームです。
>
パウロの弱さ自覚はst5402さんのような弱さの偽装ではないでしょう。パウロの弱さ自覚は自己の全人格にかかわる生ける神のみ前におけるみじめな死の身体としての全存在にかかわる自覚であって、人間は誰でも弱いという単なる人間の言動における弱さの自覚ではないのです。
<
シャロームは、私について、単純に、批判しているから弱さが無い、偽装だ、という短絡した判断を言っています。私は、シャロームに対して、弱さゆえに受け容れて破滅するなんてことのないように、言うべきことをはっきり言うわけです。信仰を偽装という言葉で裁くシャロームは、信仰を舐め切っているだけなのです。
「人間は誰でも弱いという単なる人間の言動における弱さの自覚」さえ持っていないし、弱さということが信仰に持つ深みも理解もしていないシャロームは、
やたら重たい言葉、全人格、全存在、などという大仰なだけの言葉で飾って「自己の全人格にかかわる生ける神のみ前におけるみじめな死の身体としての全存在にかかわる自覚」だと豪語して、
神の前に、自分はこんなにも重大だと思っていると見せかけようとしますが、この飾り言葉に騙されるような神ではないのです。
またしても、弱さ、という、誰でも理解できる言葉を、超常神秘の大仰で難しい言葉に変えて、自分は分かってる感を出したいようですが、みずぼらしいかぎりです。言葉が伝わった先を考えず、自分で発するだけで自己満足してきた結果が、これなのです。
信仰は、大袈裟な言い方をすればいい、というものではないのです。中身が空っぽの人ほど、飾りたがるという表れです。
このように、シャロームは、しばしば、造語的な大袈裟な言い方をしますが、その結果は、いつも、自ら性根の卑しさを露呈するだけなのです。
キリスト教は万民救済を目的としています。しかし、誰でも気安く救われるわけではなく、信仰には最低限必要な節操とか弁えというものがあります。シャロームと付き合って、批判して、分かることがあります。
(マタイによる福音書、口語訳)5:4
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
(マタイ5:4、新約聖書)
この聖句を、私は、最近、若い頃に比べると、経験から、少し広がった印象で見ています。
救われる人間は、悲しみを知っている。そこから罪の自覚と反省と悔い改めが生まれる。
救われない人間は、悲しみを知らない。快楽原則の快においては、愛想笑いか、ゲラゲラ笑うか、あざ笑うかであり、不快においては、不機嫌、怒り、憎しみ、恨み、といった陰性の攻撃的な感情だけで、他者のせいにして反省せず、それゆえ罪を自覚できない。
シャロームの、わざとらしさなのですが、シャロームは、コメントを、ライブドアのほうに書いてきます。そして、そこで、私のライブドアブログを見る人が少なく、仲間がいないこと、コメントを書くのは自分つまりシャロームだけ、ということを書いて、私をおとしめ、仲間のいるシャローム自身を高めようとするのです。
シャロームは、アクセスやコメントの数で、ブログの価値が決められると思っているのでしょうか。それで、おとしめられると思っているという程度の低さを一度ならず表してきました。けなせば相手にダメージを与えたと満悦するのでしょうか。とてもじゃないが宗教や信仰を語れる人物ではないことを、自ら露呈してきて、なお平気でいられるのです。
シャロームは、約8年間の批判によって、素っ裸になっているのです。本人が何も感じないで、嫌がらせを書いてくるだけの孔だらけの空しい軽石のようなものになっています。
まことに、自尊だけからの信仰?と言うのは、社交の世辞に、言葉だけの感謝と讃美?をまぶしているだけの説得力のない受け狙いであり、一般の人が、時間を費やして読む価値は全くないものであって、さらに、丁寧語に騙される危険があるのでは、百害あって一利ないものです。
だから、シャロームに対しては、全部、罵詈雑言だけ返してもいいようなものです。しかし、そうすると、私のブログが、内容のない空しく汚いことばだらけの印象になるので、できるだけ控えて、冷静に書こうとしています。完全にではありません。
理路を全く理解せず、読んでもいないだろうと思われるシャロームに対して、本音を掘り返すために、時々、罵詈雑言や、特に辛辣な比喩を、書いています。理路を理解しない以上、世辞や丁寧語だけでは、ここの引用にもあるように、気持ちの悪い世辞を返してくるだけだからです。
そして、出来た記事を読んでほしいのは、理解力のないシャロームではなく、一般の読者であり、シャロームに近づいてはいけないことを広める目的であることは、言うまでもありません。
それと、このように、いくら批判しても、対象の悪と背教を良くするのが不可能という場合でも、悪い例は、その者が全く知らない正反対の対極に、良い例、即ち、福音を表している、ということがあります。それを知るために、なお、批判には意味があります。
すなわち、憎むべき最悪の悪であるところの偽善は、いつも、その対極に、愛すべき真実を暗示するという役割だけはあるようなのです。
(2019年11月15日)
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コメント
コメント一覧 (22)
st5402さんは誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、
完全ではないということが人間の罪の性質と考えておられるのですか?
そんなこと聖書のどこに書いてありますか?
聖書の冒頭の創世記1~3章すらよく読まれていないのではありませんか?
ほんとうに人間の罪の性質、その罪の共感から
本当に謙虚、謙遜、敬虔が生まれるのですか?
その共感をもとに信仰の道に入るのですか?
ほんとうですか?
st5402さんの実体験からの言葉でしょうが、
あなたの考えは自分を正当化しやすいための合理化ではありませんか?
そういう考えが際限のない自家撞着の原因ではありませんか?
shalom!
st5402jp
がしました
相変わらず、私の言ったことを、まるで受け取らないで、妄想を語るシャロームです。
崩壊が進んでいます。これでキリスト教のつもりか、・・ってことを書いてきました。
>
1. st5402さん おはようございます
2019年11月15日 09:12
「キリスト者は、誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない、という、人間の罪の性質を認めて、その共感とともに、信仰の道に入ります。そこから、謙虚、謙遜、敬虔が生まれます。」
<
>
st5402さんは誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、
完全ではないということが人間の罪の性質と考えておられるのですか?
そんなこと聖書のどこに書いてありますか?
<
st5402jp
がしました
聖書から、それを学んでいないなら、聖書を読んだことにはなりません。
言葉だけ受け取って、込められた心を思わない者の、哀れな結末が、シャロームに表れています。
だから、空っぽに満たされていると書いたのです。
神は全知全能であります。人との違いです。それで分からないなんて、どうかしてます。
そういうことなら、あなたシャロームの妄想が、どんどん明らかになっていることも分からないでしょうね。恐ろしい人間離れです。
st5402jp
がしました
推測し予想したとおり、あなたシャロームは、頭も、心も、脳も、どんどん崩れてゆきますね。
これで、まだ、聖書と信仰を教えるつもりで書いているなら、説明しても分からないでしょうし、今回も、こちらが言ってきたことを、まるで踏まえていないあなたシャロームは、もはや、人間であることをやめているのでしょう。
問いつめだけ書いてくるのは、何の説明も説得力もない証拠です。
かといって、
あなたが説明すれば、恐らく全部、妄想をだらだら書くことになるのでしょう。
とても醜いです。
st5402jp
がしました
聖書の冒頭の創世記1~3章すらよく読まれていないのではありませんか?
ほんとうに人間の罪の性質、その罪の共感から
本当に謙虚、謙遜、敬虔が生まれるのですか?
その共感をもとに信仰の道に入るのですか?
ほんとうですか?
<
罪を認めないあなたシャロームは、何も理解しておらず、何も受け取っていないということです。
信仰は、パーティーでも、お祭り騒ぎでも、おまじないでも、大売り出しでもありません。
シャロームの超常話の、共感など何もないところに、人間が信じられる良きものは、何もないです。
罪の認識からしか、信仰者の敬虔は生まれません。
共感は、神と人、キリストと人、人と人の関係を結ぶためにあります。何の共感も必要としないところには、先ず、関係が生まれていないのです。
あなたシャロームは、人間離れのペーパーか墓標みたいになって、
書類の偽造のように、契約を捏造しているのです。
シャロームあなたは、嫌がらせのためだけに、嫌がりそうなことを書いてきたのでしょう。
st5402jp
がしました
st5402さんの実体験からの言葉でしょうが、
あなたの考えは自分を正当化しやすいための合理化ではありませんか?
そういう考えが際限のない自家撞着の原因ではありませんか?
shalom!
<
罪の自覚は、自己正当化をしない方向にあり、ゆえに、反省を促します。
あなたシャロームの醜い自己正当化を見ると、それが、実に、よく分かります。
私は、愚にもつかないあなたシャロームの意見を、今はもう、まともに受け取ることはないですが、まだ、あなたの正体を知らない人が、影響を受けないことを祈るばかり。あなたは、悲惨な病原となっています。
天地と人間の創造の話を、思慮も良心もないために、「はなはだ良かった」と言う神の言葉にしがみついて、自分もよいと有頂天気分となり、人間の罪を、全部サタンのせいにして、聖書の教えとは真逆の無罪妄想に仕立てて、そんなことしたらどういう人間になってしまうかも考えず、悦に入るゆえに、学習も成長もなく、堕落し崩壊して、サタンのしもべに限りなく近づきつつある妄想の自家臓物が、あなたシャロームです。と言っても分からないでしょうけど。
まだ、撞着と書いてます。私の書いたこと、まるで読んでいない証拠です。
問い詰めるが、問い詰めた対象の意見を読まない聞かない、これがピュアな疲労物質のあり方です。
人の言うことを聞かず、教えようとするだけなのは、あなたシャロームが、他者を、モノ化して、さげすんでいる表れでしょう。
このように、シャロームの言から、信仰者が、決して陥ってはならないところの、誤解、曲解、妄想とは、どんなものか、ということを学ぶことだけは可能です。
st5402jp
がしました
st5402jp
がしました
早く終わりにしたければ、あなたに自由意思があれば、いつでも終わりにできるのです。終わりにするか、しないかはあなたの意志の決断にかかっているのです。
「また・・・書いてくるので、また、批判せざるをえない状況です」とのことですが、8年間絶え間なく、書き続けているのはあなたでしょう。
それはあなたのブログを読めばだれでも理解できるでしょう。
私はコメントを未承認にしたり、時には削除したり、コメント欄を閉鎖したりしました。今も数多くのあなたのコメントが未承認のままミイラのように眠っています。間もなく消え去ります。
「また・・・書いてくるので、また、批判せざるをえない状況です」と
他の人の責任にしているのです。アダムとエバが神に対して罪を犯した後の姿そのものです。
あなたの自由意思は罪の鎖につながれたまま支配されているのです。
イエスさまは私はあなたがたに自由を与えると約束されましたが、
あなたはその自由をイエスさまから受け取ってはいないのです。
…
st5402jp
がしました
「シャロームあなたは、嫌がらせのためだけに、嫌がりそうなことを書いてきたのでしょう。」書いておられますが、
私からのst5402さんのブログ訪問やコメントは脅しであったり、嫌がらせであり、嫌がりそうなことなのですか?つまり荒しであり、
あなたの私のブログ訪問や無数のコメントも脅し、嫌がらせの類だった、荒らしだったのですか?私はそう判断しましたので、未承認にしたり、削除したり、コメント欄を閉鎖しましたが、あなたの意思に従うのではなく、それが私の意思による決断でした。
あなたに荒らしだと指摘をされた人はかなりおられましたね。
そういう人にもあなたは荒らしだと逆レッテルを張り、成りすましだと邪推し、決めつけられましたので、皆さん離れて行かれましたが、
そうだったためしがありません。
いつでも遅いということはありません。
今は恵みの時、救いの日であるという言葉が聖書にはあります。
きっと、ご存知でしょう。
shalom!
st5402jp
がしました
相変わらず、私の言ったことを、まるで受け取らないで、妄想を語るシャロームです。
崩壊が進んでいます。これでキリスト教のつもりか、・・ってことを書いてきました。
>
1. st5402さん おはようございます
2019年11月15日 09:12
「キリスト者は、誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない、という、人間の罪の性質を認めて、その共感とともに、信仰の道に入ります。そこから、謙虚、謙遜、敬虔が生まれます。」
<
>
st5402さんは誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、
完全ではないということが人間の罪の性質と考えておられるのですか?
そんなこと聖書のどこに書いてありますか?
<
今さら、そんなことを聞くなんて、ちょっと罵詈雑言、言います、バカなんですか。
聖書から、それを学んでいないなら、聖書を読んだことにはなりません。
言葉だけ受け取って、込められた心を思わない者の、哀れな結末が、シャロームに表れています。
だから、空っぽに満たされていると書いたのです。
神は全知全能であります。人との違いです。それで分からないなんて、信仰者ではありません。
st5402jp
がしました
あなたシャロームが、自分の言動を、神に結ぶ付けるのは、そういうところにあったのでしょうか。だとすれば、あなたシャロームは、われは神なり、と言っているようなものです。すごい人間離れ、そして、神がかりであることが、あなたシャロームによって証明されました。これが、カルトでなくて、なんなのでしょう、ということです。
推測し予想したとおり、あなたシャロームは、頭も、心も、脳も、どんどん崩れてゆきますね。
これで、まだ、聖書と信仰を教えるつもりで書いているなら、説明しても分からないでしょうし、今回も、こちらが言ってきたことを、まるで踏まえていないあなたシャロームは、もはや、人間であることをやめているのでしょう。
問いつめだけ書いてくるのは、何の説明も説得力もない証拠です。
かといって、
あなたが説明すれば、恐らく全部、妄想をだらだら書くことになるのでしょう。
とても醜いです。
st5402jp
がしました
聖書の冒頭の創世記1~3章すらよく読まれていないのではありませんか?
ほんとうに人間の罪の性質、その罪の共感から
本当に謙虚、謙遜、敬虔が生まれるのですか?
その共感をもとに信仰の道に入るのですか?
ほんとうですか?
<
罪を認めないあなたシャロームは、何も理解しておらず、何も受け取っていないということです。
信仰は、パーティーでも、お祭り騒ぎでも、おまじないでも、大売り出しでもありません。
シャロームの超常話の、共感など何もないところに、人間が信じられる良きものは、何もないです。
罪の認識からしか、信仰者の敬虔は生まれません。
共感は、神と人、キリストと人、人と人の関係を結ぶためにあります。何の共感も必要としないところには、先ず、関係が生まれていないのです。
あなたシャロームは、人間離れのペーパーか墓標みたいになって、
書類の偽造のように、契約を捏造しているのです。
シャロームあなたは、嫌がらせのためだけに、嫌がりそうなことを書いてきたのでしょう。
st5402jp
がしました
st5402さんの実体験からの言葉でしょうが、
あなたの考えは自分を正当化しやすいための合理化ではありませんか?
そういう考えが際限のない自家撞着の原因ではありませんか?
shalom!
<
罪の自覚は、自己正当化をしない方向にあり、ゆえに、反省を促します。
あなたシャロームの醜い自己正当化を見ると、それが、実に、よく分かります。
私は、愚にもつかないあなたシャロームの意見を、今はもう、まともに受け取ることはないですが、まだ、あなたの正体を知らない人が、影響を受けないことを祈るばかり。あなたは、悲惨な病原となっています。
天地と人間の創造の話を、思慮も良心もないために、「はなはだ良かった」と言う神の言葉にしがみついて、自分も良かったのだと、悪いところはないのだと、有頂天気分となり、人間の罪を、全部サタンのせいにして、聖書の教えとは真逆の無罪妄想に仕立てて、そんなこと信じたらどういう人間になってしまうかも考えず、また、皆がそう信じたらどうなるかも考えず、自己正当化で悦に入るゆえに、学習も成長もなく、堕落し崩壊して、サタンのしもべに限りなく近づきつつある妄想の自家製の臓物が、あなたシャロームの信仰?です。・・と言っても分からないでしょうけど、分からないなら人間として最小限の常識もないということです。
st5402jp
がしました
問い詰めるが、問い詰めた対象の意見を読まない聞かない、これがピュアな疲労物質のあり方です。
人の言うことを聞かず、教えようとするだけなのは、あなたシャロームが、他者を、モノ化して、さげすんでいる表れでしょう。
信仰は人間のためにあります。信仰?を受け取ったつもりで、人間離れするなら、そういう信仰?は、元も子もないものとなるのです。
st5402jp
がしました
8. shalomです。 お久しぶりです。
2019年11月15日 15:23
「批判するという悍(おぞ)ましいことは、早く終わりにしたいのですが、書けば、シャロームが、また・・・書いてくるので、また、批判せざるを得ない状況です。」とのことですが、
早く終わりにしたければ、あなたに自由意思があれば、いつでも終わりにできるのです。終わりにするか、しないかはあなたの意志の決断にかかっているのです。
<
あなたシャロームが、キリスト教ともキリスト信仰とも真逆のことを、平気で記事に書いてくることから、私の批判は始まっています。
シャロームは、丁寧語とは裏腹に、恐らく、茶化しているわけです。
信仰者のブログは、他にもいっぱいありますが、批判しないブログがいっぱいあるのは何故か、ということを一度も考えないあなたシャロームだから、こうなっているのです。
しかも、批判の意を汲むことが出来ず、執拗に、同じような超常話を書き続けるから、批判は持続するのです。あなたが、自分の異常性に気づかず、異常性をごまかして、吐き気のするような嘘の飾りの讃美言葉と言い逃れの詭弁を並べるあいだ、ずっと続くということです。
st5402jp
がしました
「また・・・書いてくるので、また、批判せざるをえない状況です」とのことですが、8年間絶え間なく、書き続けているのはあなたでしょう。
それはあなたのブログを読めばだれでも理解できるでしょう。
私はコメントを未承認にしたり、時には削除したり、コメント欄を閉鎖したりしました。今も数多くのあなたのコメントが未承認のままミイラのように眠っています。間もなく消え去ります。
<
批判される必然を持っていて、あなたシャロームが書いて、いつもいつも排泄してきて、キリスト教のつもりで、福音をけがし、キリストをけがしているから、妄想は妄想だと言わなければならない必然があるわけです。批判対象となる文章が無ければ、批判は生まれない、という当たり前のことが分からないとは驚きです。被害者意識しかないのは、自己中心の特徴です。
何も理解していないのに、何も気にしないで書いてくるのは、あなたシャロームに、反省がなく、学ぶ意志もなく、妄想だけがあるからです。それをキリスト教・キリスト信仰だと思われてはいけないのです。妄想に憑りつかれているのは、あなたなのです。今となっては、分からないでしょうけどね。
st5402jp
がしました
また、今日も、あなたシャロームの、レコーダーのような、以前とまるで変わらない、反論にも弁明にもならない不平の集積されたゴミのようなコメントを見るのは、極めて不快ですが、そのように、シャロームは言ってることが逆で、偽善の勧めに過ぎない、というアピールをしなければならないのは、最初からあなたが原因だからです。
批判のはじめから今に至るまで変わらない背教と、とんでもない妄想教理を、あなたは、示してきたわけだから、その責任を問われるのは、もはや宿命なのでしょう。
st5402jp
がしました
「また・・・書いてくるので、また、批判せざるをえない状況です」と
他の人の責任にしているのです。アダムとエバが神に対して罪を犯した後の姿そのものです。
<
根拠のない決めつけが、あなたシャロームのお家芸として続いています。
わたしは、あなたを批判しています。神ではありません。アダムとエバの話は、人間一般の罪人の姿を表します。あなたは、また、間違えました。それが、修正不能になった偽善者の悲惨な経過です。あなたシャロームは、いつもいつも偽善の典型だけを示してきました。
今日のコメントは、妄想に憑りつかれて訂正不能になっている者の典型的な発言です。神は、あなたシャロームのような、不平ばかり言うような横暴な者の味方にならないのことを、カインの話が示しているのです。
st5402jp
がしました
あなたの自由意思は罪の鎖につながれたまま支配されているのです。
イエスさまは私はあなたがたに自由を与えると約束されましたが、
あなたはその自由をイエスさまから受け取ってはいないのです。
<
自由意志を、自由ではなく、罪の鎖だと、逆説を言いながら、解説を書かないのも、あなたシャロームの特徴です。あなたは、何も説明が出来ないのだから、説教など出来る人ではありません。
主イエスが与えるのは、魂の自由と解放と言う救いであって、あなたシャロームが表してきたような妄想による修正不能の自己中心の自分勝手ではありません。
st5402jp
がしました
9. shalomです。 お久しぶりです。
2019年11月15日 15:25
コメントのおしまいに
「シャロームあなたは、嫌がらせのためだけに、嫌がりそうなことを書いてきたのでしょう。」書いておられますが、
<
>
私からのst5402さんのブログ訪問やコメントは脅しであったり、嫌がらせであり、嫌がりそうなことなのですか?つまり荒しであり、
あなたの私のブログ訪問や無数のコメントも脅し、嫌がらせの類だった、荒らしだったのですか?私はそう判断しましたので、未承認にしたり、削除したり、コメント欄を閉鎖しましたが、あなたの意思に従うのではなく、それが私の意思による決断でした。
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あなたシャロームが、通らない文句を何度も言って、荒らしと同じ働きをしています。荒らしの易坊と息が合うわけです。
そういうふうに、批判を受け取らず、未承認~削除という対応しかできないことが、あなたシャロームが、反論、弁明、説明が、全くできないということを明確に表してきました。説明が出来なくて、言うだけは言う、という言論のやり方は、ありえません。
だから、あなたシャロームの意志は、狂っています。何か言われて、答えることのできない者が、特徴的に、安易にとってしまう強制力は、暴力であり、自尊の過大な妄想が固定観念になったものです。
st5402jp
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あなたに荒らしだと指摘をされた人はかなりおられましたね。
そういう人にもあなたは荒らしだと逆レッテルを張り、成りすましだと邪推し、決めつけられましたので、皆さん離れて行かれましたが、
そうだったためしがありません。
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批判を受け取らず、悪口と同様に、荒らしだから削除すると、いちばん言っていたのは、あなたシャロームです。言い返せないで、そう言うのは、カルトの特徴です。
私は、根拠を、何度も何度も示してきました。あなたシャロームは、言論というものを全く理解できないから、あなたの発言に、その度に、批判を当ててゆくしかないということです。
こういうことは、前にも、何度も書いてきましたが、また、同じことを書いてくるあなたシャロームは、内省不能の自覚のない惨劇とでも言うしかありません。
st5402jp
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いつでも遅いということはありません。
今は恵みの時、救いの日であるという言葉が聖書にはあります。
きっと、ご存知でしょう。
shalom!
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恵みの時、救いの日を、ずっと拒否し続けているのが、あなたシャロームです。
遅いも早いもなく、批判の必然は、あなたシャロームにあります。私は、キリスト者ですから、詭弁をいくら重ねても、同じことを何度言っても、その都度、卑怯で汚いあなたシャロームに、改めて、新しい批判を書く動機になるだけです。
このように、シャロームの言から、信仰者が、決して陥ってはならないところの、誤解、曲解、妄想とは、どんなものか、ということを学ぶことだけは可能です。
st5402jp
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