ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

タグ:偽クリスチャン

 
  繰り返す厚顔無恥2
 
 私の記事「Rose Garden」コメント欄
 コメント者:シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
偽善者・偽クリスチャン・偽牧師のシャロームが、凄まじい詭弁で言い逃れをしている、という、過去記事を、加筆修正して再録します。偽善者の典型が表れています。
 
"名無し"からの荒らしコメントです。私が既に言って、反論も弁明も出来なかったのに、また、書いてきます。荒らしは"猫かぶり"です。
 
宗教家に成りすました、恐らく、シャロームが、自分で、そう名乗っています。呆れます。あとで、何か言われたとき、自分じゃないよと、とぼけるためでしょうか。
 
1. 所在不明の名無しの猫かぶりです
 2020年01月21日 10:50
st5402さん おはようございます
「罪を認めることからキリスト信仰は始まります。」とのことですが、
キリスト信仰は神の赦しから始まります。
 
シャローム、名前を書きなさい。卑怯者め。
 
何を赦すというのでしょう。罪を認めて告白して、赦されるのです。認めてもいない罪は、赦しようがありません。
 
あなたの都合に合わせて、神が、告白もしない罪を赦す、などということは、決してありません。
 
人はイエスの十字架の血潮に罪贖われ、神の恵みによって赦されてはじめて、罪を悔い、自己受容でき、赦すこと、他者受容ができるのです。
 
血潮に罪贖われ、などと、かっこつけても無駄です。前にも言ったことを、また繰り返す愚は、そのまま、ネットの疲労物質としてのあなたの悪意です。
 
どんな罪でも自己受容して気にしないシャロームですが、信仰者が求めるのは、神に受け入れられることであります。シャロームの、汚い詭弁は、永遠に、神に受容されることはないのです。
 
使徒パウロは「それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」と書いています。
 
これも、前に、私が書いたこと。あなたシャロームが悔い改めないでいるのは、神の慈愛も受け取らず、悔い改めもしていないという、あなたが信仰に関する何ものも受け取っていないことの証明です。
 
初めに神天地を創り給えりという言葉で聖書が始まっているように。
神の天地創造のわざにおいて人は指一本もなしうることはありませんでした。神は創造されたすべてのものをご覧になり、“すべてはよかった”と言われたのです。
 
"すべてはよかった" のを、自分で台無しにして、悪質な言説におとしめているのが、あなたシャロームです。シャロームは、人の自由意志を、神の御心とは、まるで逆方向に使っているのです。
 
これも、前に、あなたシャロームが、言ったこと。ここにしがみついている醜さが、あなたシャロームです。すべてがよかった、だから、悔い改めない自分もよい、これが、あなたのエゴから出た詭弁です。自分の都合に合わせて、聖書解釈を捏造する、あなたシャロームの醜さ全開。
 
使徒ヤコブは「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」と書き記しています。ほかにもたくさん同じ意味の言葉がありますが、
読んだことはありませんか?それともst5402さんの聖書には書かれていないのですか?それともいつものように読んでおられないのでしょうか?
 
実に、ふざけた皮肉を書いています。シャロームの、自分のほうが上で、私が下だと言いたいがための醜い文言です。私は、学者ではないし聖書も完璧に読んではいません。
 
しかし、シャロームが、聖書を読んでいるとは、少しも思えません。誇大妄想に聖書を悪用しているだけです。この皮肉によって、シャロームの悪意は明らかでしょう。
 
さらに、シャロームが聖書をまともに読んでいるなら、今の悪意も、今までの偽善も、なかったはずなのです。シャロームは、自らの悪意を、自ら証明しています。
 
前に私は書いています。聖句は検索すればよいと。あなたは、本当に、人の言うこと、聞いてないですね。記憶障害でしょうか、認知症その他の精神障害でしょうか、否、知ったかぶりの傲慢からの悪意です。それで気持ちがいいのでしょうか、それが悪魔性です。
 
あなたシャロームは、わずかばかりの聖書の知識さえ、人をおとしめる道具にするのです。そういう性質しか持たないのでしょう。これも、あなたシャロームの罪と偽善に対して与えられる報いなのでしょう。明らかなのは、聖書を読んでも、何も受け取らないシャロームという悪意の者がいるということです。
 
 (ヤコブの手紙、口語訳)1:15-16
欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。
 (ヤコブ1:15-16、新約聖書)
 
これが、あなたシャロームです。そして
 
 (ヤコブの手紙、口語訳)1:17-18
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。
 (ヤコブ1:17-18、新約聖書)
 
私は、神について、全知全能、絶対完全、永遠不変、と書いています。何を勘違いしているのでしょう。絶対言葉を理解できなくても、神は恐るべし、ということです。それを、全く恐れず、悪だくみに利用しているのが、あなたシャロームです。
 
「信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉から」という言葉もありますがだれがどこに書いているのでしょうか?
いつもwikiは役に立ちますね。
名無しの猫かぶり
 
ふざけたHNと態度で、聖書とキリストを語るな。
 
あなたシャロームは、聖書のキリストに聞こうとしません。また、あなたは、人の言うことを聞こうともしません。あまりにも、哀れな、くずれようです。それでも、分かっているかのように、教えようとします。
 
あなたは、あなた自身の惨状にさえ、気づかなくなっています。一切、無駄なのです。もうバレてしまったのです。だから、聖句をいくら引用しても、一切は無駄なのです。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)
10:14
しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
10:15
つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
10:16
しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
10:17
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
 (ローマ10:14-17、新約聖書)
 
(ネットより)
御言葉を通して主と人格的な交わりを持つ事はもっと重要です。
http://shinjuku-shalom.com/archives/4227
新宿シャローム教会・・同じシャロームでも、えらい違い。
 
私たち人間は、人格的な交わりを持つことしか出来ません。神聖を、自分に当てはめたり、なぞらえたりすることは、神に対する大罪であります。神聖は神のものです。
 
したがって、神聖を分かってるふうに上から教えようとするシャロームは、何か書くたびに、大罪を犯しているのです。その罪の日数は、赦されることを拒んでいる日数となります。
 
あなたシャロームは、いったい、何を聞いてきたのでしょう。聞くこと、そして、キリストの言葉から、何も学んでいないことだけを表してきたのです。むしろ、逆へ、逆へと進んでいます。
 
だから、私も、もはや、あなたとは、関わりたくないのです。あなたのコメントは、カルト宗教からのハラスメントに他なりません。
 
あなたシャロームは、福音に聞き従わない者たちの一人です。キリストに聞かず、聖書に学ばず、しかも、分かっているふうに、妄想の上に、ふんぞり返っているから、パリサイ人であり、偽善者であり、ますます、醜く、かつ滑稽です。
 
あなたシャロームに好意的に関わる者は、あなたと同じように、人格が破壊されてゆきます。
 
恥も罪も知らないということは恐ろしいことです。こんなに醜悪な者たちが、キリスト教の内部や周辺には、我を張っているのです。
 
あなたシャロームは、罪の門口に待ち伏せている悪魔に、詭弁で言い訳することになるのでしょう。その結果は、・・目を覆うばかりです。だから、私も、偽善者の資料として以上には、もはや、関わりたくないのです。
 
このように、ネットだからと甘く見て、書き捨て御免とばかり、嘘、でっち上げ、妄想、詭弁など、いい加減なことを、好きなように言って、傍若無人を通していると、履歴と記録の残るネットだからこそ、偽善に対する批判記事の集積という莫大な負の財産を残すことになります。シャロームは10年分です。
 
 
恥知らず

恥知らず
 
 
(2020年01月22日)
(2021年01月23日、一部加筆修正して再録、さらに加筆)
 
 
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  精神病理を当ててくる2
 
   「疲労性病原」コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
 
 
シャロームの、いちゃもんですが、いつも以上に、異常です。精神病理を持ち出してきました。シャロームは、精神病理の発信者ではなく、精神病理の対象者だと思っています。偽善者の精神病理みたいなものとして再録+しています。
 
1. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:21
ブログ移行には以下のst5402さんの記事引用のようにずいぶん苦労されたようですね。
「ブログ移行の件:
前にFC2サーバーの移行ツールを使ってコピーしたが、カテゴリーと記事内のリンクが反映されなかった。
今回は、ヤフー提供のライブドアのツールを使って移行してみた。1時間かからないで、カテゴリーも記事内リンクも正常にコピーされたので、嬉しくなって、いくつかのブログにライブドアがいいとコメントを書いた。
早計であった。というのは、コメント欄が表示されていないことに気づいたからだ。設定をいじくってみたが改善されないので、サポートに問い合わせた。
最初に来たメールは自動返信なので当てにしない。2つ目のメールが回答だと思ったら、基本設定で何でもできる、という感じのCMみたいだったので、できないから問い合わせたのに・・と、少なからず、がっかりして、こんなメールは要らない・・と、今度はライブドアお勧めコメントを取り消すコメントをあちこち書いた。
早計であった。3つ目のメールが来て、見逃した設定項目「(コメントを)すべて受け入れる」をオンにするなど具体的なアドバイスが来て、それで、コメント欄を表示する小さいボタンが付くようになった。
ということで、今、記事を書いている。
これで、ブログとして私の需要を満たす機能がそろいました。
 」
 
シャロームは、ヤフーの紹介によるライブドアへの移行ツールを使って、私のヤフーブログを、ライブドアにコピーしたときの、私がサーバーに問い合わせた内容と、移行初期のトラブルについて、私の記事かコメントをコピペしているようです。この時点では、シャロームの意図も目的も分かりません。
 
2. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:24
今、気になっているのは、これで、現時点で、計5つのサーバーに私のブログがあるわけだが、そのリンクをライブドアブログの記事の文末につけたところ、フォントがおかしくなった。そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。
 「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」
こういうことも含めて、ヤフーからの移行先のメインブログにするか、バックアップにするかを決めるのだから、
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」
引用おしまい。
「そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。」
 」
・・・・・・ことがどうしてlivedoorの故意ではないかと疑ってしまうのかおかしいと思えないのでしょうね。
 
その続きで、私が書いたライブドアブログの表示の不具合を書いています。だんだん、シャロームの、汚い悪意と作為が見えています。不具合について、私は、サーバーのせいか、バグなのか、と考えているのに、シャロームは、サーバーの故意と疑うのがおかしいと言いたいようです。
 
シャロームは、サーバーには、バグもないし、いたずら小僧もいないし、清廉潔白だと信じてなければならないと言うのでしょうか。シャロームが、ライブドアとサーバーの正義を信仰しているとは知らなかった。
 
このコメントを書いたシャロームの作為と悪意が明らかになってゆきます。シャロームの頭がおかしい、または、シャロームの精神が悪意に満たされているという状況証拠くらいにはなるでしょう。
 
3. shalomです。こんにちは
2019年12月19日 13:25
「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」とは書いていますが、でも故意かもしれないという疑いがあるようですね。
だから次のように書いているのですから。
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」と繰り返し書いているのですね。
 
つまり、故意である場合と、バグである場合を書いています。可能性を書いているのです。サーバーは正義の味方という信仰は持ちませんので。
 
この場合、被害妄想であるならば、他の可能性を考えず、サーバーが自分に意地悪をしている、というような決めつけの記述になるはずです。
 
そして、これを書いた後、だんだん、表示は改善され、事なきを得ているのです。それで、問題解決なので、実際、どうであったかは分かりません。
 
しかし、シャロームは、私のブログから、わざわざ、掘り出してきて、ネタにして、以下のような精神病理を語り始めます。
 
>こういう故意ではないかという疑いは被害妄想癖による思い込みですよね。
 
妄想は、確信に満ちて訂正不能なのが特徴です。つまり、故意ではないか、ではなく、故意に違いない、というのが被害妄想です。シャロームは、何を言っているのか。いちゃもんとして書いてくるコメント文章の次元がどんどん低劣を極めている。
 
妄想というのは、異常な確信に満ちています。つまり、シャロームが、私を「被害妄想癖による思い込みですよね」と決めつけて書いてくるほうが、妄想性は高いのです。
 
一事が万事、自分の思い通り、期待通りに人や物事がいかないと自分の思い通りに直したい、治してあげたいと思い、また故意に自分の邪魔をしているのであれば直せと要求したり、被害妄想を抱いてしまうようですね。昔も、今も・・・。
 
シャロームは、児戯に等しいこじつけを題材にして書いているようです。シャロームが被害妄想と書いているのは、シャローム批判を書き続けている私への当てつけなのでしょうが、シャロームのほうが確信度は高く、かつ、根拠が無く、かつ、私の問い合わせくらいの気持ちを、「直せと要求したり、被害妄想を抱いて」ということを書いて、誇張しています。攻撃的な作為と悪意だと思います。
 
ブログの表示の問題は、私の思い通りにはいきませんし、私が治すことなど出来ません。故意の悪戯ならという条件で正すように、バグならば是正するように、サーバーに問い合わせるのは何ら不思議はありません。
 
ネットでの、ライブドアというサーバーにおける、ブログ立ち上げ時の、軽いトラブルを、私は書いているのですが、シャロームの、とんでも精神病理学?では、妄想ということになるのだそうです。
 
今、私は、快適に、ブログ記事を、ライブドアブログで、また、他のサーバーでも書いているのですが、そういう今の状況を弁えもせず、おとしめるためだけに、異常な確信をもって、時が既に経っているのに訂正不能に、私を妄想患者だと決めつけて、シャロームは、にわか医者となって、笑えない無理なこじつけを書いているのです。
 
全く、迷惑であり、侮辱に他なりません。訂正不能・非合理・異常な確信という妄想の3つの条件を満たしているのは、どちらでしょう。
 
自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられないようですね。
shalom!
 
これで分かるように、シャロームの、ここまでのサーバーの話は、自分が批判されていることへの当てつけなのでしょう。うまく言質を取ったつもりで、逆に、馬脚をあらわしているのです。
 
被害妄想癖が強いことを受け容れられる妄想家はいないと思いますが、そんなことより、シャロームこそが「自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられない」人だということです。
 
根拠もなく、相手を妄想だと決めつければ、その決めつけが妄想だと言われること、予想できないのでしょうか。
 
シャロームの今回の妄想には、狙いはあっても、全然、根拠が成り立ちません。
 
一方、私がシャロームを妄想だと判断する根拠は、上の妄想の3要素を満たしていることです。作為だとすれば、とても、幼稚で、悪意に満ちた話です。未熟なまま訂正不能になっていることからは、むしろ、シャロームの精神年齢を疑いたくなります。
 
幼稚な、いちゃもんしかつけられないシャロームです。いよいよ、姑息な、意地汚い根性で、既に解決済みのちょっとしたトラブルをも、大仰に広げて、私を精神病に仕立てたい、また、こそこそ、何でもいいから、欠点を見つけて、けなしたい、という卑怯さが、あらわになってきました。
 
読んでいて、正常で健康な心とは、かけ離れたシャロームの崩壊ぶりが分かります。文章読解能力が、ここまで堕ちてくるとは、妄想カルトの固着した信条が、いかに、正常な思考力を奪い、健康な情緒を奪い、人格を破壊してゆくか、ということを表しています。
 
シャロームには、病識も自覚もないから、こんなに恥ずかしいことをしても、そのために恥をかいても、それを恥とは感じないと思います。これからも、酷い、そして、無意味な、コメントを書いてくるのでしょう。たとえれば、顔が排泄物だらけになっても、まだヘラヘラ笑って説教を垂れるようなものです。
 
 
捻じ曲がる病巣

ねじまがる病巣
 
 
(2020年01月05日)
(2021年01月07日、加筆して再録)
 
 
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  嘘と偽善の虚無(5)2
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
去年、シャロームが書いてきたコメントに対する批判記事です。典型的な偽善者の、上から見下ろす態度が表れているので、再録しておきます。現代のパリサイ人と呼んでいます。
 
また、重ねて、罵りが加速しています。シャロームは、おとしめ、怪しい、虚言癖、と言い、かなり激しい決めつけの口調になってきました。
 
アメブロは、一年前の記事を示してくるので、いつまでも、忘れないで、記事を修正再録することが出来ます。今回、多くはありませんが、ところどころ、加筆修正しています。
 
16. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:19
「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
 」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。
 
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
 
新約聖書を通読だって疑わしいですね。
マタイによる福音書の初めのイエス・キリストの系図について書いてあることすら読んではいないでしょう。
ルカによる福音書にも系図が書いてありますが、その違いは分かりますか?
読んでいても、その人物がどこで登場し、どのような人物であるかもほとんど知らないでしょう。
その系図は福音の告知であり、宣言なのです。
 
シャロームは、自身の聖書についての無理解を棚に上げて、私の読書を、聖書について、疑っています。もう一度、書いておきます。私は、確かに、読書障害の傾向があります。読むということに疲労を伴い、かつ、時間がかかります。
 
それで、新約聖書は一度通読、旧約聖書は全部読んではおらず、あとは、折に触れて拾い読みをしています。それで、癒しを得たのだから、恐らく、この読み方のまま、生涯を終えるでしょう。
 
このように、シャロームは、心温まる話よりも、系図という形式と名前にこだわるのでしょう。シャロームの血筋には何の関係もない系図に。自分の血筋を憎んでいるのか。
 
そして、シャロームは、聖書が伝えている、いちばん大切な人間の心を損なってきました。それだけでなく、他者の心まで、自説の妄想によって、損なってきたし、損なっているのです。
 
告知と宣言を受け取っても、心が無いために、キリストの洞察力と共感力という恵みの福音を無にして、説得力も温もりもない解釈で、目をつり上げるかのように、豪語するシャローム。こういう豪語こそが、キリスト者でも牧師でもない嘘吐きの偽善の自己正当化の証拠となってきました。
 
シャロームのように、系図が福音の告知で宣言だと言うのは、戒律を守ることが信仰だと言うところのパリサイ人などの形式主義・教条主義と同じ方向です。言葉に対応する心が無いのです。
 
名前、条文、戒律、という言葉だけで、決まったかのように頷き、一方、言葉から、心を受け取ろうとする姿勢を全く持たないので、結局、心の問題に何の反応も出来なくなってゆきます。シャロームは、その典型例であることを、自ら表しているのです。
 
信仰が教条主義や形式主義や戒律主義に陥ってはいけない、ということを、聖書とキリストの言葉は伝えているのに、真逆の方向へ、誇大的に強調する羽目になっているのが、シャロームなのです。
 
そういう逆方向に向かうシャロームの系図話には、偽善の告知と宣言に、いったい誰の名前があるのでしょうか。シャロームが言っていたところの古い日本教の、どこかの村社会の、誰かを村八分にした者の名前でしょうか。それとも、シャロームみたいな自分教の因習に、逆らう誰かを、頷きを刷り込まれた者たちとともに、人知れず葬った者の名前でしょうか。
 
心と、系図と、どちらを大事に、大切に思うでしょう。私は、心のほうです。
 
人によっては、系図も大事と思う人はいるでしょう。しかし、系図を、先人を、大切に思うのは、他でもない、心なのです。心を無視するところには、系図も、先人も、ただの文字列の形式、または、おまじないに過ぎなくなります。
 
こう書けば、すぐ貶めるとか、責めるとか書いておられますが・・・つじつまを合わせるために、あなたの書いておられることにはどこを読んでも虚言癖のオンパレードです。
虚言癖の原因?についてはご存知でしょう。
思い当たりませんか?
 
つじつまを合わせる、虚言癖、いずれも、私が、シャロームを批判するために書いた言葉です。また、人の言葉を使って、シャロームは根拠を示せないから、嘘だとバレる。
 
そして、また、妄想を語り始める、原因?、思い当たりませんか?と。これは、シャロームの、偽善と背教の原因が、人格の破壊としか言いようがない、という根拠になります。
 
無関係な楽山さんや易坊さんの名前を出して、事実無根の人格否定し、誹謗中傷をして・・・
おふたりは私の仲間ではありませんが、そんなに仲間が嫌いなのですか?それともひとりも仲間がいないのがそんなに寂しいのですか?
 
楽山と易坊はシャロームの味方をしました。易坊たるや、シャロームとともにコメント欄を荒らしました。どこが無関係なのだ。悪意に満ちた揶揄であります。
 
偽善者シャロームと一緒に、私のヤフーブログに罵詈雑言を書き込んだ易坊は荒らしであり、楽山の執拗なキリスト教いびりのボンヤリ言語はごまかしで、シャロームもベースは同類の荒らしだと思うので、成りすましを疑い、かつ、楽山やシャロームなどの"易坊類"と呼んでいるのです。それぞれ、信仰を破壊する悪意と憎しみのルサンチマンです。
 
ルサンチマン:弱者に募る怨念。嫉妬に根差すとも、負け犬根性とも。
 
> 一人ぐらい仲間と言えるような人があってもいいですね。
 
前から言ってきたのに、私が、シャロームの、仲間、お仲間、と言うとき、皮肉を込めていることが分からないのでしょうか。本当の仲間ではない。成りすましか、イエスマン同士か、親族か、など。
 
過去の文脈を全く追わず把握しないまま、まだ問うてくる、まだ勧めてくる、まだ正しいつもりでいる、そういうことが出来てしまう心性、ただ言うだけの一方向、原始的反応の罵って返す、嘘吐いて返す、実に、気持ち悪い。
 
 
17. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:39
「困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが・・・」
 」
あなたが自分の不安や恐れ、悲しみ・・・の原因として、正直に「わたし」「トラウマ」という記事をブログに書いて、公にしておられることですね。
単に記事の引用であれば、あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね。
 
私の記事「わたし」「トラウマ」は、ここでは関係ありません。兄と母を出してきたことを言っているのです。シャロームの極めて無礼な言いがかりです。あるいは、わざと的を逸らしているのでしょうか。
 
シャロームコメント3「お兄さんにもお母さんにも」
なぜ、お姉さんじゃなくて、お兄さん?、お父さんじゃなくて、お母さん?、知っているのか。昔、言ったことがあるのかもしれません。
 
そうか、シャロームは、私の記事「わたし」「トラウマ」を読んだから、兄と母のことを書いているのでしょう。読んでるぞ、都合の悪い話・・と暗に脅しているのです。
 
シャロームという人に迂闊に打ち明け話をして相談していると、のちに、シャロームに背いたとき、どうなるか、ということが、ここに表れています。
 
罪と偽善の重さが全然わからないシャロームらしいコメントです。兄と母を出す必要など、どこにもないのです。
 
ひっそり書いていた私の個人情報をさらして、批判返しになると思っている。こういうことを平気でするのは、批判と悪口の区別が出来ない人で、罪悪感がなく、侮辱したいだけの荒らし根性なのです。
 
単なる記事の引用ではないから、その悪意を、シャロームの俗悪なる所業として、さらに批判を書くことになるわけです。こういう、批判の動機と題材を、惜しみなく提供してくるのが、罪悪感も羞恥心もないシャロームという男なのです。
 
「あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね」・・引用の数を比較して、少ないほうの勝ち!、とでも言いたいのでしょうか。みじめだ、シャローム・・
 
批判のために引用するのです。数ではなく、どこに根拠を求めているか、その根拠を、自分でどう理解し得ているか、ということです。
 
シャロームは、考えもせず、言葉という形を鵜呑みにして、聖書を、子どもの、お伽噺に、おとしめています。現実から乖離しています。ゆえに、初歩的な勘違いから妄想になっています。
 
さらに、シャロームは、それを、金科玉条のごとく、つまり、お伽噺を、そのまま、押し出して、信仰を語ったつもりでいるのです。成長がなくなり、心がなくなると、そういう妄想世界にどっぷり浸かってしまうようになるのでしょう。
 
シャロームが使徒信条を引用したのは、自分で何も言えなくなったから、信じてもいないし、罪を認めず悔い改めないことで真っ向から背いている権威を、この時だけ利用するわけです。
 
これは、詐欺師の手口でしかありません。シャロームの言語は・・こんな権威ある偉い先生がおっしゃっているんだから間違いはないですよ私を信じてください(隠して、エヘヘ)・・というのに、よく当てはまるパターンでしょう。
 
まさしく、前に書いた、シャロームの、意地悪な嘲笑のエヘヘ言語とでも呼ぶべきもの。ちなみに、楽山のボンヤリ言語、易坊の問い詰め言語とも書きました。シャロームは、神も、キリストも、信じるどころか、名称の文字列として、好きなように、自己正当化に使っているだけなのです。
 
 
詐欺

詐欺(さぎ)
 
 
(2019年12月08日)
(2021年01月06日、若干加筆)
 
 
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  嘘と偽善の虚無(4)2
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   過去記事+です。
 
 
私に対して、ありがとうございました、から、ゴミに埋もれた、まで、僅か一日で豹変するシャロームですが、慣れています。シャロームは、断末魔なのですから。
 
1. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:38
「だから、これは、死より三日後、つまり、二千年前のことです。このような蘇りを含めた肉体の奇跡が、現代において、少なくとも、めったに起こらない現実を考えれば、肉体の復活にこだわって、シャロームのような妄想信条に陥ることのほうが、はるかに信仰にとって有害であることは、火を見るより明らかです。」
 」
パウロは生前のイエスさまを知りません。
しかし、自分自身でよみがえられたイエス・キリストと出会ってのち、パウロは自分はパリサイ人としてすでに聖書を知っていたと思っていた旧約聖書を繰り返し、読み直し、精読し、そのイエスさまが旧約聖書で預言者たちによって、また自分が迫害しているまた弟子たちによって、神がイスラエルの民に約束された、すべての人の罪とその支配、呪いからの救い主であることを確認、確証したのです。あなたは読書障害のために、碌に聖書を読んでおられないでしょう。
 
聖書から、何一つ良いものを受け取っていないのは、楽山やシャロームなどの易坊類です。
 
前のコメントで、ありがとう、と言って、今回は、ろくに聖書を読んでいないと罵る、これが、シャロームの常道です。人格が壊れているために、統合も一貫性もなく、何も覚えておらず、初めてのように、けなし始めました。廃人コースを行くシャローム。
 
パウロは、読み直し、精読し、・・は、したでしょう。そして、キリスト教の教理のベースを整えたのでしょう。それを、踏みにじっているのが、あなたシャロームです。
 
罪の支配、呪い、キリストの確認・確証よりも、嘘のほうに確定的に染まったのが、あなたシャロームです。おとしめて、罵って、一方では、豪語する、その醜さを、未だに悟らないとは、みじめです。
 
>wikiで拾い読みはしておられるでしょう。
 
私については、新約聖書は、通読したことがあると、前に書きましたが、そもそも、読書量で、信仰は語れないと、よく分かるのが、聖句や使徒信条など引用して、豪語しながら、180度間違っているあなたシャロームです。
 
恐ろしいほどの無知と無恥で、恐ろしいほどのバタ狂いの大仰な言葉、滑稽です。やはり、あなたは、ゾンビになってゆくのでしょう。恐ろしいことです。神に背く罪だけではなく、神に背いておきながら悔い改めず、意地と執念だけが残るヒト型動物の末路は。
 
イエス・キリストは時間と空間を超えた私たちすべての人の救いを十字架の死とよみがえりによって成就し、その証言者、助け主として聖霊を注ぎ、弟子たちから始まり、2000年前も現在も証ししておられるのです。イエスさまのよみがえりを信じないと拒んでいたトマスもよみがえられたイエスさまと再会した時、わが主、わが神よと信仰を告白しているのです。
 
きれいごとを、あなたが、いくら言っても、もはや通用しません。豪語、豪語、讃美、讃美であなたに騙されていた昔は、過ぎ去っています。あなたは、今、偶像よりも、命がないのです。だから、あなたシャロームは、もはや、命があるかのように豪語して、墓穴を掘って、墓石を削ってゆくしかないのです。
 
あなたシャロームは、キリストの存在の欠片も証しできないで、妄想の中の偶像にしがみつき、今、盛んに唾を飛ばして命のない讃美言葉を吐いているのです。時間と空間を超えた、二千年前も現在も証ししているキリストが、惜しみなく、悔い改めの恵みを与えてくださるのに、どうして、あなたには、墓穴でしかない妄想となるのでしょう。どうして石投げに過ぎないような讃美の豪語しか出来なくなったのでしょう。
 
2. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:40
イエス・キリストのからだの蘇りはイエスキリストの十字架の死が、その流された罪なき神の御子イエスの血が私たちの罪のあがないのためであり、その成就であることを神が証ししてくださった証印なのです。ですから、人間の知性や、理性や経験ではわからないことであっても、神の確かな証印、御業なのです。
 
信仰は、人間を人間らしくしてくれます。なのに、どうして、あなたシャロームは、どんどん、妄想狂となり、心に響く言葉の欠片も表せなくなり、神についても、認め印を求めるが、愛と寛容を知らず、人間性の良心からも、理性と経験からも、どんどん、離れて、泡吹く偶像のひび割れの醜い地獄だけを悪臭とともに表すようになったのでしょう。認め印を信じて、浮かれ騒ぎ、心をないがしろにしてきた報いなのです。流涎気泡だらけの讃美、それがあなたシャロームです。
 
だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することができないと使徒パウロは書いています。
 
その聖霊を、有無を言わさぬ魔法のようにしか考えず、そう決めつけて、キリストを主と告白したつもりで、実際は、信仰に大切な悔い改めを否定して、罪をも認めずに、使徒パウロを引用しても、総て、あなたシャロームの裏切りを想起かつ確定させるものにしかなっていないのは、あなたシャロームが悪霊信仰に堕ちている現れなのです。
 
助け主であられる聖霊の注ぎはバプテスマのヨハネや生前のイエスさまが繰り返し弟子たちに約束しておられたことであり、よみがえられたイエスさまが弟子たちに約束されたことでもあり、エレミヤ、エゼキエル、またヨエルやゼカリヤなどの預言者も予言していたことでもあります。
 
大仰に聖書の預言者の名前を並べても、それしか出来ないシャロームの、行き詰まりの背教を浮き彫りにするだけなのですが、それをも、悟らないのは、大事な信仰の絆のようなものが、人間にはあって、信仰者には確かにあって、あなたシャロームには全くないからでしょう。
 
あなたは全聖書を一度読んだと言っておられますが、たとえ、読まれたとしても、まったくあなたの信仰の土台となっていないことは明らかです。それはあなたの人としての正直さ?を土台とした自分という人間信仰でしかないのです。
 
信仰は、人間としての正直さを土台としていないというのでしょうか。シャロームのように人間としての嘘つきが救われた話があったでしょうか。罪を認めず悔い改めもしない者が救われたでしょうか。
 
信仰は、人間信仰ではなく、ましてや、自分信仰ではなく、正直を土台としなければ、神への信仰は成り立ちはしないのです。
 
あなたシャロームは、神の前に、嘘を吐いて、救われるとでも思っているのでしょうか。
 
全聖書は読んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。もう、既に、とんでもなく、外れたことを言いまくっている自覚のないシャロームですが。
 
神の前の正直さを失って、どうして、神が人を救うというのでしょう。神は騙され屋のマゾヒストではありませんよ。神の前の、を省略して、ごまかしている大冒涜シャローム。
 
キリストは、人間らしい弱さを自覚する人々を救いました。
 
シャロームの信仰?は、人間を無視した、人間性を欠いた、人間離れの、超常の魔術的妄想に過ぎません。
 
全聖書によって神ご自身がその言葉と御業によって証明された出来事を人としてわからないから、わからないと片付けてしまっては神のみ言葉と御業であるイエスさまを信じる信仰は成り立たないでしょう。
 
分からないものを、分かったと偽って、それが信仰だと言っているシャロームの正体が、今、シャロームの言葉によって、明らかになりました。
 
シャロームの信仰は、自分が捏造した嘘を信じ込む信仰?のようです。だから、人間らしさが、どんどん消えてゆきます。超常に成り上がる信仰?は、カルト的妄想と言うのです。
 
ですから、だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することは出来ないとパウロが書いているのはそのためです。
その聖霊に対する信仰もあなたにはないのですから当然の結果です。
 
聖霊?によって?嘘を吐いてきたシャロームの信仰は、隅から隅まで、けがされていて、その口から出るものは、交わる人という人の信仰をけがしてゆくのです。つまり、聖霊ではなく、悪霊ということにしかならないでしょう。
 
口から出るものが人をけがす、その通りになっています。
 
聖霊、聖霊と、あなたシャロームが言えば言うほど、悔い改めない報いとして、悪霊が、あなたの顔をして、ニヤニヤ笑わせているのです。汚す者は、教えてはならない。
 
3. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:41
パウロはイエス・キリストを救い主と信じる人々の群れである教会を迫害していましたが、よみがえられたイエスさまから、あなたが迫害しているのは私(イエス)であると言われています。
教会は決して昔も現在も宗教組織、制度を意味してはいませんが、
聖霊によってイエスは主であるという信仰告白を共有している交わり、群なのです。その交わりを否定することはかつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)の姿ということです。
しかし、その迫害者サウロを使徒パウロと新たにされたのは生けるよみがえられたイエス・キリストの恵みの御業です。
 
私は、教会を否定してはいませんが、また、いつもの嘘による悪い印象操作ですか。
 
あなたシャロームは、人のことを、とやかく、言っているときではないのです。あなたシャロームの安穏の風呂釜は割れて、讃美言葉は酸味に溢れ、聖書の中の名前を、あなたシャロームが口にするたびに、イエスが主である信仰告白を、罪を認めず悔い改めないシャロームが、いかに裏切ってきたか、裏切っているか、裏切り続けているか、何度も何度も、語られることになるでしょう。
 
かつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)は、悔い改めて、使徒パウロになりましたが、かつても今も迫害者シャロームは、悔い改めず、今も、迫害者シャロームのまま、大きなことを口でだけ、言葉だけ、おめいているのです。
 
イエスさまが死人の中からよみがえられ、注がれた聖霊の助け、導きによらなければ、誰もイエスは主であるとの信仰を告白することは出来ないのです。これが神による魂の奇跡なのです。
あなたはこの奇跡を体験し、その信仰によって生かされていますか?
 
聖霊に助けられている者が、嘘を吐き、罪を認めないでいられるような、キリスト信仰は、存在しません。
 
あなたシャロームに言われて、私が信仰告白する必要を、微塵も感じていません。そういうことは、前から言ってきたのに、今も問い詰めようとするシャロームの獣性と鈍麻性が怖い。
 
神の国は言葉にあらず力である、とも使徒パウロは書いていますが、
st5402さんあなたはあふれるばかりの魂の奇跡を体験し、言葉だけではない神の国を知っておられますか。
 
言葉だけではない神の国と信仰をどう考えるかを書いてきたのですが、それを、言葉だけのシャロームに問い詰められるとは、いかに、シャロームに、魂の奇跡が起こっていないかが表れているのです。
 
もし、そうであれば、お兄さんにもお母さんにも、あなたのあふれるばかりの魂の奇跡の一端を証ししてください。
 
困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが、あふれるばかりの、これが当てつけであることは、あなたシャロームの文章をいっぱい見てきましたから、気づきます。
 
そして、言います。余計なお世話です。素っ裸の王様、悪霊と偶像の泡吹き法師、そして、聖霊と神とキリストの前の、嘘吐きの、テキ屋教祖シャローム。
 
お母さんを迎えるためにも、そろそろ片付けが必要ではありませんか?
人間の手作りのゴミに埋もれたままこの年の歩みも終わられますか?
yahooブログとのお別れはあと10日ですね。
よみがえられたイエスさまと出会い、迫害者サウロは、見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのであると使徒パウロと変えられ書いています。それはパウロにとってパソコンはありませんでしたが、仮想現実、バーチャル・リアリティではありませんでした。
その言葉はあなたの魂の奇跡にも当てはまりますか?
 
いつも、褒め言葉と、余計なお世話で、ごまかすシャロームです。
 
神の手作りのものを、裏切り続けてゴミに埋もれた言葉も、画一的な聖書語と丁寧語とうわごとになっているシャロームです。
 
古いものは、使えないなら、過ぎ去るでしょう。邪悪なものは、神の手で裁かれる前に、自ら、消え失せるでしょう。あなたシャロームは、あなたシャロームの妄想とともに。
 
シャロームが、ネットというバーチャルな世界を悪用して書いているのは、嘘と妄想ばかりで、現実の問題について、何の解決にもならず、何の癒しにも救いにもならないことです。シャロームが書かなくなったら、どんなにか、危険が減ることでしょう。
 
人それぞれではありますが、その奇跡、変心、変身は
あなたにも与えられる神の恵みです。
ハレルヤ!
shalom!
 
説明もせず、変心、変身が、神の恵みなのだそうです。何も受け取っていないから、褒めればいいという白々しい嘘の讃美言葉になります。
 
この白々しい讃美言葉を、聞かされるようになってから、十数年、批判し始めてから、約10年、何も変わっていない、何も進歩が無い、何も知恵がない、何も悔い改めていないシャローム、臭みが増し、暗黒が増し、嘘が積み重ねられ、偽善がくるくる回り、讃美言葉が空回り、胃液が巡り、反吐が迸り、血が滞り、同語反復と常同行為と無節操排泄だけとなったシャローム、どこまでも地獄しか表せないPVであります。
 
 
へんしつ

変質
 
 
(2019年12月15日)
(2021年01月05日、加筆して再録、さらに加筆)
 
 
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  背教の繰り言2
 
   私の「神の与える益」コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、コメント欄を一部編集しています。
   さらに偽善の典型として、過去記事再録+です。
 
 
シャロームは、根拠を示せず、批判を否定する言葉だけ、つまり、繰り言ばかり書いています。典型的な偽善者の例として、加筆して再録します。さらに、みにくい言い訳の嘘を、見抜かなければなりません。
 
1. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:46
「シャロームは何をしてきたかと言うと、
 1.罪と認めず、悔い改めをしない、という、キリスト信仰とは真逆な信条、
 2.1を批判し、おかしいと指摘すると、悔い改めは神が与える(だから今はしない)などと言う言い訳。
 3.さらには、人間の自由意志を、聖霊による自由意志とは違う、という詭弁。聖霊を知っているかのように、自分を神格化しているだけです。
 4.おびただしい偽の解釈と、詭弁だけでなく、平気で嘘を吐く、でっち上げの作り話で、批判者をおとしめる、など、悪意だけが明らかになってきたのです。」
 」
わたしに対するすべての評価全く的外れではありますが、
 
シャロームが決めつけは、根拠を示せないから反論になっていないです。
 
>ありがとうございます。
 
これが、典型的な、的外れ、常識的な感受性の欠落です。
状況を弁えず、丁寧な挨拶をすればよいと思っている。
 
st5402さんのブログ記事からご家族、ご親族の病気に根差した不安と不信や怒り、悲しみに根差した不安、不信、怒り、悲しみ・・・などがst5402さんの 固定的な妄想となり、他の人に対する関係や理解理解も妄想による怒りや不信を駆り立てて的外れになり、その評価も、推測も.歪められているようです。
 
個人情報をバラしたい、または、バラすぞという脅し。
 
「悲しみに根差した」を付けて、安易に、感情の言葉をいじくっているようだが、不安、不信、怒りは、悲しみ(?)ではありません。特に、あなたシャロームは、悲しみではなく、あざ笑いと怒りしか、表したことがないのです。
 
なにさまか、わたしのじじょうをしりもせず、びょうりのせつめい、つくりばなしの
 
罵詈雑言使わなければ冷静、ということにはなりません。
丁寧なぶん、偽善性の高い暴虐であります。
 
内なる妄想による怒り、悲しみを解消するために、敵意を他者に投影して、いくら怒りをぶっつけても、内なる怒り、悲しみははますます固定化されてしまうでしょう。敵は本能寺にありです。
 
煩悩寺シャローム、あなたは、無根拠に人をおとしめる悪魔の自己中神です。内なる妄想を外に及ぼさないでください。
 
2. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:47
イエスさまを十字架につけたひとの敵意、憎しみ、悲しみは
私たちすべての人が例外なく抱えている敵意、悲しみのようです。
 
嘘です。悲しみは殆どの人が経験しますが、敵意、憎しみになるのは、悲しみからではなく、自己正当化をする者たちの場合です。
 
あなたシャロームには、悲しみを感じる心が無い。悪意、敵意、怨念、憎しみだけに溢れて、攻撃しているのです。そして、罪悪感がないから、執拗に続けているのです。
 
あなたシャロームは、人間というものが、全然わかっていない。にもかかわらず、自己顕示欲で、語ることを止めないのは、ホラーです。
 
オウム返しの、私と同じ言葉を出してこちらに向けても、通用しない。根拠にならないから。
 
持って行き所のない、だれかにぶつけずにはいられない私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃によって十字架に釘付けられたのです。
 
大方の人は、無関心だったし、今も無関心だと思います。
怨念の刃は、あなたシャロームと同類のパリサイ人です。あなたは、現代のパリサイ人です。
 
私たちの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 
今も、イエスさまは私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃を黙ってその身に受けて下さり、“父よ、彼をおゆるし下さい。彼らはなにをしているのかわからずにしているのですから”と祈っておられます。
 
彼らの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 
十字架につけられたイエス差(様と訂正)と出会うことによってのみ、私や、あなたを苦しめている怒り、悲しみから癒し、解放してくださるのです。
イエス様のみが私たちの心の妄想、罪から解放してくださいます。
 
あなたは、キリストを信じていないから、解放されないで、今も、シンバルを叩き、ホラ貝を吹き鳴らしています。どこまで、堕ちるつもりなのでしょう。
 
本日の一日畜尿や今日の血液検査により腎臓内科の診断は健康優良児?ですとのことでした。めでたし!めでたし!
shalom!
 
あなたシャロームの繰り言はたくさんです。検査が正常で自分は大丈夫だと当てつけてくる気持ちの悪さ。ここに、排尿しないでください。あなたの血は、ばい菌だらけです。涙が出たら老化です。公共の真実追求の場をけがさないように。
 
 
  病的説教
  コメント欄:シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
1. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 09:10
 「与えられて初めて、与えられる」・・何を言ってるんですか。
 表せないんだったら、書かないことです。
 」
st5402さん
申し訳ありません。ちょっとわかりにくい書き方でしたね。
st5402さんはやはり、文章校正が上手ですね。
もっと良い書き方であれば、
「私たちは自分で持っていないものを人に与えることは出来ない」ように、「神に対する悔い改めは神がおられ、その神から自分が愛されていることを知らされ、その愛を体験することによってはじめて、神に対して自分の罪を悔い改めることができます」ということですが、わかりやすいでしょうか。
 
急に低姿勢になったようだが、あなたシャロームの言っていることは、神が悔い改めを与えるとは言いません。わかりにくいのではなく、嘘なのです。あなたシャロームは、悔い改めは神が与える、ということを否定して、修正しなければなりません。ここにきて、保身の言い訳、見苦しいだけです。
 
あなたシャロームは、悔い改めは神が与えると言って、悔い改めていないわけです。今まで、悔い改めていないことが、いたるところに表れているあなたシャロームが、「悔い改めることができます」と、またしても、いつものように、他者に教えるような筆致で書いてきても、ならOKですよ、となるわけがないでしょう。あなたシャロームの悔い改めが、何も伝わって来ないのですから。
 
つまり、自分は今まで神がおられ、自分を愛しておられることも知らずに、神に対する不信仰の罪によって、まるで自分が神であるかのように、善悪の木の実を食べて、善悪の剣を振りかざし、神をも人をも裁き、神のようなものとして生きていた自分の過ちに気づき、神と人に対する罪を認めてはじめて神と人に悔い改めることができますではいかがでしょうか。わかりやすいでしょうか。
ありがとうございました!
shalom!
 
低姿勢で良さそうなことを言葉面だけで整えたつもりで書いて「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、良さそうにして、めでたし、めでたし、ではありません。偽りの信仰者の、嘘は、捏造した中身の軽さによって、バレるのです。
 
自分の「神と人に対する罪」を認めたことのないシャロームが保身のために書いただけの教義的な言葉など、何の意味もありません。
 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、妄想、詭弁、自己中心、失言、などを認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。それが出来るまで、あなたシャロームは反キリスト・反信仰者です。
 
5. shalomです。 お久しぶりです。
 2019年11月29日 10:23
「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、わかりやすくなって、めでたし、めでたし、ではありません。 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、詭弁、自己中心、を認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。
それが出来るまで、ここには書かないように。
 」
残念ながらお分かりではないようですね。
なぜでしょう?
それはあなたが神がおられることも、神にご自分が愛されていることを
まだ知り、体験しておられないからでしょうね。
自分の思いこみ、妄想を正当化するために、イエスさまを利用しておられるようですね。
またお訪ねします。
shalom!
 
そんなことだろうと思っていました。あなたシャロームは根腐れだから。
言ったのに、また、私の言ったことを、オウム返しで、私に向けています。
まるで、なかなか取れない口臭のようです。
 
このあと、《シャロームの背教》を載せています。何度も載せることになるでしょう。
 
 
8. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 17:49
口語訳 ロマ
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
st5402さんの聖書にはありませんか?
だれも神の導き、助けがなければ悔い改めることは出来ないのです。
これは口語訳聖書ですが、st5402さんがどんなに校正、翻訳が上手でもst5402訳聖書ではありません。
shalom!
 
導きがあれば、悔い改めているはずですね。言ってることが、まるごと、矛盾です。
 
自分が、まるで、神の助けを得ているかのような言い方ですが、神をずっと裏切り続けているあなたシャロームだから、今までのことを恐れもせずに、言えるのでしょう。
神をどれだけ冒涜すれば気が済むのでしょう。
 
あなたシャロームが、いかに恥を知らないかが、表れています。恐ろしいことです。
 
 
   《シャロームの背教》
 
これからも、しばしば載せることになるでしょう。このシャロームのお仲間で、無条件賛同をしているのが、楽山です。個人~集団のカルトを考えるべきでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
シャロームの2つの発言は、悔い改めなくてもいい、悔い改めは必要、という矛盾を来たしています。さらに、悔い改めなくていい、というのは、キリスト信仰とは、真逆であります。さらに、悔い改めを神が与える、というのは、自分はしなくてもいい、という詭弁です。メチャクチャなのです。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
 
さらに、シャロームの言には、さらなる自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになるのです。
 
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神に対して、正直に罪を告白し祈ることです。
 
すでに、シャロームの信仰が偽物であることは、十年にわたって、数々の嘘と妄想と詭弁と失言を指摘することによって、証明されたと言ってよいレベルだと思います。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:4、新約聖書)
 
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語して、はばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、シャロームは、無視して、とぼけていますから、これから、シャロームの発言を"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 
 
偽者

偽者
 
 
(2019年11月30日)
(2021年01月04日、再録+、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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