ブログ「日常×非日常」に書いた私のコメント
まず同ブログの記事「脱原発とは脱原爆のことである」
に書いた私のコメント :
母が入院という個人的な出来事以来、私は、
たまに数学・・という程度に逃げている感じで申し訳ないですが、
孤軍奮闘されてますね。
ずっと前に私のブログ「理念・断片」に書いたことですが、
「原発は安全だよ。事故の確率は数億分の1だから。」
↓
「原爆も持つだけなら安全だよ。抑止力だから。」
↓
「原爆も止むを得ないときは小さいものなら使うべきだよ。」→ドカーン!
なんてことにならないように、
恣意的な流れを作る動きに警戒しなければならないと思います。
前にも書いたけれど、今後、
「日本の原発は安全だから、あの程度で済んだ。」とか
「あの原発事故は天災によるものだから、原発自体の安全性は問題ない。」
などという詭弁を許さないように注意したいものです。
2012/1/18(水) 午後 0:49[ st5402jp ]
次に同ブログの記事「チェルノブイリの真相」
『チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~』
同ブログ記事の中の映像リンクです。
http://www.youtube.com/watch?v=lStauJUSz6A
私のコメント :
リンクのほうは、まだ見てないのですが、
前にテレビで、放射能がモスクワに及ばないように
人工雨を降らせて方向を変えたとかいう話を聞いたことがあります。
まだ被害は続くのでしょうね。
原爆は爆発そのものの怖さもありますが、
核の被害は時間的にも空間的にも限定できないから、
また後になって被害が出ても、それが放射能による被害かどうかも
確認しにくいところが、
人の問題もあり、過ちを常とする人類に核は手に負えない
と・・私が脱原発と反原爆を考える主要な理由です。
さらに
中性子爆弾という街は残して人だけを殺す兵器も現実にあるそうだから・・
すみません。気持ちに余裕がないので・・そのうちリンク見ます・・
2012/1/18(水) 午後 1:07[ st5402jp ]
レガノフ回想録1~4と
25年後に脳の病変という映像を見てみました。
「杜撰」「悲惨」「隠蔽」→さらなる「悲惨」という感想ですが、
こういう映像を見ていると、
こんなひどいことが起こったんだ
・・と感情が反応しがちです。それで
こんなひどいことが起こったんだから脱原発だ
と言えば、仮定の話ですが、
「日本の原発はチェルノブイリとは違う。
さらに何重にも安全対策がなされている。実際、福島原発事故では
チェルノブイリほどの犠牲者は出なかったではないか。」と返される。
この仮定の反論のおかしいところは、まず、
「出なかった」という過去形・・
安全性を高めるという名目で原発を維持しようとする人々、
前の記事のコメントのような流れを作ろうとしている人々は、
今は無理かもしれないが、一日も早く
福島のことを過去にしたいのではないだろうかと思います。
2012/1/19(木) 午後 1:16[ st5402jp ]
V様にとっては地元だから失礼を承知で書くならば、
東日本大震災も阪神淡路大震災も
地震とそれに伴う津波や火災だけならば
大規模で大変で時間はかかるけれど、
被害は時間的空間的に限定されるでしょう。結局
復旧・復興・更なる防災対策へ・・と道は決まっているし、
それ以外にはないと言えるでしょう。
しかし
原発事故が絡んでくると、人災になり、
上のコメントにも関係しますが、
飛散した放射性物質がある限り、また
ラディオアクティヴな核燃料がある限り
被害と被害の可能性は、どこまでいつまで続くか分からない
という考えに今のところ至っています。
2012/1/19(木) 午後 1:18[ st5402jp ]
私事で恐縮ですが、
私の父方の叔母さんは長崎の被爆者だったそうです。
「そうです」という曖昧な書き方しか出来ないのは
心の病もあり、疎遠で、詳しく知らないからですが、
最後は乳癌で亡くなりました。
しこりと違って皮膚が爛れる変わった乳癌で、
Paget病というやつだったかもしれません。
それで、
変わったタイプの癌だったこともあるのか、
母は、心の病はともかく、乳癌は原爆のせいだ
と思っていたようです。
それは・・確かめようもないことだろうと思います。
偶然だとも、原爆のせいだとも、・・
それこそ被爆者全員の追跡調査をやって厳密な統計を取って、
分かるかどうかというレベルの話だろうと思います。
その場で症状が出ない場合、時間が経つと
確認できない怖さが放射能にはあります。
福島では厳密な追跡調査・・するんでしょうかね・・?
うまく書けませんでした。また書く気になったら書きます。失礼。
あ、ここまでの私のコメント、ブログに書こうと思っております・・
2012/1/19(木) 午後 1:20[ st5402jp ]
(2012年01月19日)