ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

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  丁寧語の災い2
 
   「知と恥を捨てる者」コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   過去記事を再録+
 
 
シャロームは、バカ丁寧な言葉で、まるで今でも先生であるかのように書いてきます。もう、既に何度も馬脚をあらわして、偽善者でしかなく、反キリストでしかなく、良心の欠片もないことが明らかになっており、弁明の余地はないのに、まだ、何かを教えようとする、びくともしない説教根性というより因業であり、シャロームが、何かを書けば、嘘か妄想か背教が、そのたびに明らかになるという繰り返しの成り行きであります。
 
シャロームは、もはや、常識的な判断力がないのでしょう。完全に拒否しているのに、相変わらず、お愛想で訪問すればいいじゃろ・・と思っているのです。総てが崩れているのに。つまり、シャロームは、既に瓦礫と化した中を、デパートの売り場を巡るように、和みを表しているつもりの世辞とともにうろついている亡者なのです。説得力の欠片もないからです。
 
1. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:49
引用した言葉はST5402さんが書かかれたものです。
精神科の医師として患者さんと面会し、あなたは大切なことを学んでいながら、実践しておられることは前半だけで、後半は少しも実践していないようですね。
 「精神科の面接をしていて、心に弱点を持つ人に接して、考えたことがあります。依存されないために大事なことは、好意的な、よそよそしさを持つ、ということです。あなたはあなた、私は私、でも、できることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然のことなのです。」
 「あなたはあなた。私は私、でもできることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然なのです。」
  」
いいですね!
 
私が、個人のこととして書いたことを、好きなように持ち出して、あたかも一人前が半人前に説諭でもするように、いいですね!と、ここに至って、丁寧語でごまかしていますが、シャロームの丁寧語=慇懃無礼の害毒であること知ってほしいと思います。
 
「後半は少しも実践していないようですね」と、シャロームは、シャローム自身に対して私が出来ることをしていない、と言いたいようです。これが、慇懃無礼の、無礼であり、侮辱なのです。
 
反キリスト丸出しのシャロームに対しては、書いてくる嫌がらせについて、根拠をもって否定するのみであり、好意的に出来ることなどありません。もはや、シャロームは、背教と反キリストの実例としての資料に過ぎません。
 
シャロームは、持ち前の丁寧語という害毒で、思いやりを示したつもりのようですが、シャロームの丁寧語は、底意地の悪さを隠すための、言うだけはタダという、これも気持ちとは裏腹な作り事、つまり嘘、すなわち、偽善なのです。
 
シャロームの発言を、長く受けておれば、むしろ、いっそう、嫌らしさが伝わってきます。これが、学習機能の、有りと無しの違いなのです。学習しない者は、成長がないので、嘘で飾り続けるしかなくなってゆくということです。
 
2. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:52
精神的な距離という言葉もいいのですが、私は境界線という言葉をよく使います。アドラー心理学もとても大切にしている考え方のようです。
日本社会は母性社会であり、自他未分化、共依存社会ですから、この人と人との精神的な距離、境界線が不明瞭な社会であると「母性社会日本の病理」において河合隼雄氏は書いておられるようです。
自分が自分であることができないため、他者を他者として認め、人を個人として受け容れることができない、つまり、自分と他者を区別できず、あるがままで受け容れることができない、愛することが執着化してしまい、心の病の主因ということもできるかなと思います。もちろんその他の多くの要因はあると思われますが・・・
 
あなたの見解など、何も聞いておりません。私は、あなたシャロームの日本語には、ずいぶん以前から、理路もなく共感も感じないと言ってきました。心が無いのに、何かを伝えた気になりたいのでしょう。
 
境界線、母性社会、自他未文化、共依存社会、・・シャロームの言っていることは、既に、大方、私に当てつけたボロクソ節なのです。しかも、何かの本から取ってきた言葉で、シャロームが理解しているとは思えません。
 
そして、境界線を守ることを他者無視と自分勝手と置き換え、母性社会の未熟を境界線がないことと置き換え、自他未分化を批判者に当てて、自己正当化をしたつもりなのです。しかし、総て、シャロームのほうの自己中・身勝手・人格の未熟・自己中に従わない他者への侮辱の正当化の詭弁です。
 
そういう話を何度も聞かされている者、つまり、こちらとしては、おえっと吐き気を覚えるほど、食傷する独り善がりなのです。シャロームこそ、自他未分化で、自分の言うことに他者が従わないことを考えることができず、何の対処も弁明もできない人です。
 
シャロームは、恐らく、自他未分化だけでなく、人神未分化の状態でしょう。だから、自己の妄想を、そのまま神意として、前には、聖霊による導きだと言っていました。
 
既に、私を、散々貶めてきたという今までの状況で、今ここで、その話をして、教えようとすることが、状況と前後関係からありえないし、独りで浮いている格好だし、奇妙で不適切であるということだけであり、それを弁えることも出来なくなっているシャロームです。
 
鬼のような顔の次の瞬間、仏の顔真似だけしてくるのは、嘘吐きの詐欺師だからこそできる劣悪な原始反応です。状況の把握ができない証拠です。シャロームの丁寧語は、そういう本質を持ちます。
 
※人を個人として受け容れることができない・・・
自民党の憲法改正案には現在の憲法に規定してある「人は個人として尊重される」ではなく、「人として尊重される」という文に書き換えられていることは注目しなければなりません。基本的人権を否定する道に通じています。
 
シャロームは、ここで、脈絡もなく、政治の話になっています。私は、護憲派ですが、嘘吐きの話を、誰かの正論の引用であっても、決して受け入れてはいけません。これも騙しのテクニックです。シャロームの、体のいい話に、体のいい返事などすると、大喜びの振りをして、うんざりするような続きを聞かされるでしょう。すでに経験・実証済みです。
 
シャロームは憲法の精神を全く理解していません。憲法によって守るべき個人の尊重は、それが、公共の福祉に反しない限り、という制約が吐きます。反社会的な詐欺師などの犯罪者が個人の尊重によって無罪になることはありません。
 
であれば、自己中妄想に凝り固まって嘘と詭弁をばらまいているシャローム個人の場合、強制的に刑罰を与える対象でもないのだし、言論で批判対象とすることは、何ら憲法に反することではありません。吐き気のするようなシャロームの詭弁の大嘘です。
 
グローバル化し、異なる国、民族が、異なる価値観、文化が激しく衝突を深め、国も民族も、個人もアイデンティティー危機によって、ますます混乱と閉塞感を深めていくことでしょう。
分断を深めていくか、統合の道を見出すことができるか?
わたしたちは、死ぬか、生きるかの分かれ道に立たされているようです。迷走と模索は続きますが、人の手の内に、その道があるのか疑問です。 
 
このような話は、シャロームの得意なボロクソ節です。独り有頂天の誇大妄想です。脅しに近い極端な言い方を好みます。シャロームは、預言者気取りなのでしょう。実質は、真逆です。
 
シャロームの言論が統合を失調しているのは、文脈が、個人の人間関係から、国政の話へと、脈絡もなく飛んでいます。つまり、その間にあることを、スコ~ンと無視している、つまり、話の筋を追えないのが、シャロームの文章です。シャロームの言のベースに理路はありません。
 
グローバル化、民族、価値観、文化、衝突、国、アイデンティティー危機、混乱、閉塞感、いずれも、シャロームが、既に、他者の言葉を拾い集めてきた言葉で、深い理解も考察もなく、自分は政治をも語れるのだ!という誇大気分で豪語でもしたくて興奮したときに、並べ立てるボロクソ節であります。
 
あなたシャロームには、悔い改めないのであれば、キリスト者として生きる道はありません。また、政治思想は、あまりにも貧弱でお粗末な、受け売りと人真似と誇大妄想ですから、これも、生きる道にはなりません。
 
みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。
 
このシャロームに対して、かわいそうなどと思ったら、あざ笑う用意だけはいつもしているシャロームに、逆に、調子に乗られて、食われてしまうわけです。既に経験済みのことです。
 
3. shalomです。おはようございます
 2019年12月16日 08:53
統合の道は人の道か?
新約・マルコによる福音書1章1~3節
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてある。
 
先ず、おのれから、まっすぐにせよ、嘘を吐くな、と言いたい。これは、聖句というより、信仰に適うところの、人間の道徳です。しかし、それよりも、信仰において、いちばん大事な、正直さを、シャロームは、神に対しても、人に対しても、全く持っていません。
 
>統合の道は主の道か?
 
先ほどの政治の話の「統合の道を見出すことができるか」の流れなら、
 
 (マタイによる福音書、口語訳)22:21
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
 (マタイ22:21、新約聖書)
 
と書いてあります。信仰の話に、政治をぶっこむな。
 
新約・マタイによる福音書7章13~14節
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
 
あなたシャロームは、安易な、ぱっくりと大きな口を開けた罪と偽善の門、広き道、嘘吐きの道、讃美しておけばいいという大袈裟な豪語の道、他者を気にせず失禁する流涎の言葉とともに、陰気な暗闇の洞窟を、ずっと、選んで、実際は独りで、堕ちてきました。
 
ST5402さん 永い間ほんとうにお疲れ様でした。
随分悪態をつき、有終の美とは程遠い終幕となりましたが、
ありがとうございました!
人生の終幕はイエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ、
拓かれていますので、希望をもって、
イエスさまが開いてくださった新しい道を歩みたいと思っています。
Shalom!
 
こうやって、言葉面だけ、整えようとするのが、あなたシャロームの、忌まわしい丁寧語なのです。昔、ずいぶん騙されたものです。丁寧語の中の、獣性を見逃さないことが大事です。
 
「随分悪態をつき」・・あなたのことですか。心にもないことを。もう何を言っても信頼されないところに来ています。楽山より先に、信頼度ゼロになったシャロームです。
 
「イエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ」ているなら、あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしない」という信条も、今までの嘘っぱちも、無かったはずなのです。また、嘘を吐いています。
 
「イエスさまが開いてくださった新しい道」・・悔い改めない者には開かれていませんし、信仰の希望もありません。白々しい聖句引用はやめてください。全部、嘘でした。そして、全部、嘘です。今となっては、もう、はっきり言えることです。
 
14. shalomです。 おはようございます
 2019年12月16日 13:17
>>9
「せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」
アレッ st5402さん 妄想癖、虚言癖に加えて、健忘症も加わっているようですね!まだまだ私に比べてお若いのに・・・
かつては、私が死ぬまでつきまとって批判し続けるんだとおっしゃっていましたね。
 
私の「みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」に対するコメントですが、私が、人間だからです。あなたシャロームと違って。
 
あなたシャロームが書いてくるなら、前と同じです。ずっと、そうしています。しかし、今は、あなたシャロームが、愚かな、おとしめ言葉しか書いて来ないほどに、堕ちていますから、そのような言葉に付き合いたくないからです。
 
あなたからの殺意を感じるからです。あなたはサイコパス、人の滅びも死も、何も気にならないで、横暴な人格となった者です。人間らしい感受性がなくなっています。
 
そういう人だと思うようになっているから、低い評価の中でも、さらに低く、邪悪だ、という方向になってきたということです。よって、愚かに付き合って体力を消耗して死ぬのは嫌だなと、ふつうに思うわけです。
 
※ シャロームは、現在、ネット上も所在不明ですが、シャロームの記事とコメント、そして、私の批判記事は、約十年にわたっていて、既に、資料となっていますから、時々、見返しては、典型的な偽善者に対する批判記事として、加筆して公開しています。
 
聖書には神様は試練も与えられますが、逃れる道も備えてくださるという言葉もあります。
yahooブログの閉鎖という思いもかけない道を備えてくださったのですね!
また新しい道はst5402さん自身が開いてくださったようです。
人には神の御業は初めから終わりまで見極めることが出来ないという言葉もありますが、本当にそうだなと、心からの讃美と感謝をささげています!
 
シャロームは、神の意志とヤフーブログ閉鎖を、結び付けています。こういうとことは、いかにも、カルトの思い込みだと分かるところです。神への恐れを知らないシャロームです。
 
いちばん邪悪な偽善は、神の意志と行為である導きを、人が決めつけることです。神を恐れない者だけがすることです。
 
自分の意見を、神の啓示と聖霊の導きによって、正当化し、絶対化しているあなたシャロームは、具体的に道を備えて下さった、開いてくださった、と決めつけながら、見極めることができない、と書いています。シャロームには、何も整っていないから、見極めるどころか、何も実がないのです。
 
つまり、自分に都合の良いようにだけ、決めつけていることが、明らかになっているわけです。今までも、ずっとそうでしょう。あなたは、嘘っぱちを書いて、しかも、嘘っぱちであることを、自ら、表すようになったのです。「心から」の心の無いシャロームの讃美は酸味の腐敗臭です。
 
それなのに、退いて、二度と来るななんてつれないお言葉ですね!
yahooブログが閉鎖され、寂しい思いをしていたのですが、
st5402さんが私の言葉を伝達するために、たくさんブログを開設してくださったので、
私は新しいブログを開設する手間が省けて喜んでいるのです・・・が・・・
ハレルヤ!
Shalom!
 
また、「つれない」などと、白々しい嘘を吐いている。いつも、嘘を吐いている。どこでも、付き合えば、結局、嫌がられる存在として、生息してきたシャローム。どこにも、弁明の余地がなくなっても、殺意に匹敵する無視の力で、人を人とも思わず、「手間が省けて喜んでいる」というような、余裕を見せようとする。
 
これは、サスペンスドラマなどによくある極悪人の、相手を呑みこんだつもりの醜く陳腐な台詞、つまり、根っからの悪にしかできない悪意の開き直りと強がりです。わけもわからず余裕に見せかけても、あなたは、既に、丸裸なのです。
 
この悪意は、易坊に通じる筆致。
 
そうだ、いつも感じていたのは、シャロームの、この獰猛(どうもう)な極悪人気質、人が死んでも、そのそばで、ニヤニヤ笑っていられるような、人間らしい感情を失った者だけが持つところの、人ではなく、ケダモノの中の、とても醜くて、醜悪な気質として、よだれを垂らしているイメージ、そして、その臭いです。
 
あなたシャロームの文章を読んでいると、喉を鳴らすのが、聞こえるようであり、汗と粘液と、蒸し暑い息の臭さが漂ってくるようであります。しみついた常習の詐欺師の臭い。あなたシャロームの書く、わざとらしい文章に深く深く染み込んでいる、この臭いを、私は、あなたの文章を見るときに、いつも感じていました。
 
丁寧語は、ある意味、暴言よりも悪質になります。どんな批判を受けても、自分は安らかで冷静で、びくともしない、ということを表すために丁寧語を使う者がいます。実際は、すべて無視しているだけなのです。
 
 
くさい、くさい

くさい、くさい
 
 
(2020年01月06日、同日一部修正)
(2021年01月19日、加筆して再録、さらに修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
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  精神病理を当ててくる2
 
   「疲労性病原」コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
 
 
シャロームの、いちゃもんですが、いつも以上に、異常です。精神病理を持ち出してきました。シャロームは、精神病理の発信者ではなく、精神病理の対象者だと思っています。偽善者の精神病理みたいなものとして再録+しています。
 
1. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:21
ブログ移行には以下のst5402さんの記事引用のようにずいぶん苦労されたようですね。
「ブログ移行の件:
前にFC2サーバーの移行ツールを使ってコピーしたが、カテゴリーと記事内のリンクが反映されなかった。
今回は、ヤフー提供のライブドアのツールを使って移行してみた。1時間かからないで、カテゴリーも記事内リンクも正常にコピーされたので、嬉しくなって、いくつかのブログにライブドアがいいとコメントを書いた。
早計であった。というのは、コメント欄が表示されていないことに気づいたからだ。設定をいじくってみたが改善されないので、サポートに問い合わせた。
最初に来たメールは自動返信なので当てにしない。2つ目のメールが回答だと思ったら、基本設定で何でもできる、という感じのCMみたいだったので、できないから問い合わせたのに・・と、少なからず、がっかりして、こんなメールは要らない・・と、今度はライブドアお勧めコメントを取り消すコメントをあちこち書いた。
早計であった。3つ目のメールが来て、見逃した設定項目「(コメントを)すべて受け入れる」をオンにするなど具体的なアドバイスが来て、それで、コメント欄を表示する小さいボタンが付くようになった。
ということで、今、記事を書いている。
これで、ブログとして私の需要を満たす機能がそろいました。
 」
 
シャロームは、ヤフーの紹介によるライブドアへの移行ツールを使って、私のヤフーブログを、ライブドアにコピーしたときの、私がサーバーに問い合わせた内容と、移行初期のトラブルについて、私の記事かコメントをコピペしているようです。この時点では、シャロームの意図も目的も分かりません。
 
2. st5402さん お久しぶりです。
 2019年12月19日 13:24
今、気になっているのは、これで、現時点で、計5つのサーバーに私のブログがあるわけだが、そのリンクをライブドアブログの記事の文末につけたところ、フォントがおかしくなった。そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。
 「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」
こういうことも含めて、ヤフーからの移行先のメインブログにするか、バックアップにするかを決めるのだから、
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」
引用おしまい。
「そして、それを修正すべく、修正を繰り返すたびに、記事本文は何とか正常だが、他ブログサーバーへのリンクは、ますます小さくなり、ついには、糸みたいに細くなって、殆ど読み取れなくなってしまった。」
 」
・・・・・・ことがどうしてlivedoorの故意ではないかと疑ってしまうのかおかしいと思えないのでしょうね。
 
その続きで、私が書いたライブドアブログの表示の不具合を書いています。だんだん、シャロームの、汚い悪意と作為が見えています。不具合について、私は、サーバーのせいか、バグなのか、と考えているのに、シャロームは、サーバーの故意と疑うのがおかしいと言いたいようです。
 
シャロームは、サーバーには、バグもないし、いたずら小僧もいないし、清廉潔白だと信じてなければならないと言うのでしょうか。シャロームが、ライブドアとサーバーの正義を信仰しているとは知らなかった。
 
このコメントを書いたシャロームの作為と悪意が明らかになってゆきます。シャロームの頭がおかしい、または、シャロームの精神が悪意に満たされているという状況証拠くらいにはなるでしょう。
 
3. shalomです。こんにちは
2019年12月19日 13:25
「これは、故意なのか、バグなのか、分からないが、」とは書いていますが、でも故意かもしれないという疑いがあるようですね。
だから次のように書いているのですから。
 「故意だったら、こういうことはしないでほしいし、故意でないならばバグを直してほしい。」と繰り返し書いているのですね。
 
つまり、故意である場合と、バグである場合を書いています。可能性を書いているのです。サーバーは正義の味方という信仰は持ちませんので。
 
この場合、被害妄想であるならば、他の可能性を考えず、サーバーが自分に意地悪をしている、というような決めつけの記述になるはずです。
 
そして、これを書いた後、だんだん、表示は改善され、事なきを得ているのです。それで、問題解決なので、実際、どうであったかは分かりません。
 
しかし、シャロームは、私のブログから、わざわざ、掘り出してきて、ネタにして、以下のような精神病理を語り始めます。
 
>こういう故意ではないかという疑いは被害妄想癖による思い込みですよね。
 
妄想は、確信に満ちて訂正不能なのが特徴です。つまり、故意ではないか、ではなく、故意に違いない、というのが被害妄想です。シャロームは、何を言っているのか。いちゃもんとして書いてくるコメント文章の次元がどんどん低劣を極めている。
 
妄想というのは、異常な確信に満ちています。つまり、シャロームが、私を「被害妄想癖による思い込みですよね」と決めつけて書いてくるほうが、妄想性は高いのです。
 
一事が万事、自分の思い通り、期待通りに人や物事がいかないと自分の思い通りに直したい、治してあげたいと思い、また故意に自分の邪魔をしているのであれば直せと要求したり、被害妄想を抱いてしまうようですね。昔も、今も・・・。
 
シャロームは、児戯に等しいこじつけを題材にして書いているようです。シャロームが被害妄想と書いているのは、シャローム批判を書き続けている私への当てつけなのでしょうが、シャロームのほうが確信度は高く、かつ、根拠が無く、かつ、私の問い合わせくらいの気持ちを、「直せと要求したり、被害妄想を抱いて」ということを書いて、誇張しています。攻撃的な作為と悪意だと思います。
 
ブログの表示の問題は、私の思い通りにはいきませんし、私が治すことなど出来ません。故意の悪戯ならという条件で正すように、バグならば是正するように、サーバーに問い合わせるのは何ら不思議はありません。
 
ネットでの、ライブドアというサーバーにおける、ブログ立ち上げ時の、軽いトラブルを、私は書いているのですが、シャロームの、とんでも精神病理学?では、妄想ということになるのだそうです。
 
今、私は、快適に、ブログ記事を、ライブドアブログで、また、他のサーバーでも書いているのですが、そういう今の状況を弁えもせず、おとしめるためだけに、異常な確信をもって、時が既に経っているのに訂正不能に、私を妄想患者だと決めつけて、シャロームは、にわか医者となって、笑えない無理なこじつけを書いているのです。
 
全く、迷惑であり、侮辱に他なりません。訂正不能・非合理・異常な確信という妄想の3つの条件を満たしているのは、どちらでしょう。
 
自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられないようですね。
shalom!
 
これで分かるように、シャロームの、ここまでのサーバーの話は、自分が批判されていることへの当てつけなのでしょう。うまく言質を取ったつもりで、逆に、馬脚をあらわしているのです。
 
被害妄想癖が強いことを受け容れられる妄想家はいないと思いますが、そんなことより、シャロームこそが「自分の批判、疑念を正当化し、自分に被害妄想癖が強いことを受け容れることができないので、自分の病的な性格を否定するために、執拗に他者への執拗な批判せずにはおられない」人だということです。
 
根拠もなく、相手を妄想だと決めつければ、その決めつけが妄想だと言われること、予想できないのでしょうか。
 
シャロームの今回の妄想には、狙いはあっても、全然、根拠が成り立ちません。
 
一方、私がシャロームを妄想だと判断する根拠は、上の妄想の3要素を満たしていることです。作為だとすれば、とても、幼稚で、悪意に満ちた話です。未熟なまま訂正不能になっていることからは、むしろ、シャロームの精神年齢を疑いたくなります。
 
幼稚な、いちゃもんしかつけられないシャロームです。いよいよ、姑息な、意地汚い根性で、既に解決済みのちょっとしたトラブルをも、大仰に広げて、私を精神病に仕立てたい、また、こそこそ、何でもいいから、欠点を見つけて、けなしたい、という卑怯さが、あらわになってきました。
 
読んでいて、正常で健康な心とは、かけ離れたシャロームの崩壊ぶりが分かります。文章読解能力が、ここまで堕ちてくるとは、妄想カルトの固着した信条が、いかに、正常な思考力を奪い、健康な情緒を奪い、人格を破壊してゆくか、ということを表しています。
 
シャロームには、病識も自覚もないから、こんなに恥ずかしいことをしても、そのために恥をかいても、それを恥とは感じないと思います。これからも、酷い、そして、無意味な、コメントを書いてくるのでしょう。たとえれば、顔が排泄物だらけになっても、まだヘラヘラ笑って説教を垂れるようなものです。
 
 
捻じ曲がる病巣

ねじまがる病巣
 
 
(2020年01月05日)
(2021年01月07日、加筆して再録)
 
 
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  嘘と偽善の虚無(5)2
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
去年、シャロームが書いてきたコメントに対する批判記事です。典型的な偽善者の、上から見下ろす態度が表れているので、再録しておきます。現代のパリサイ人と呼んでいます。
 
また、重ねて、罵りが加速しています。シャロームは、おとしめ、怪しい、虚言癖、と言い、かなり激しい決めつけの口調になってきました。
 
アメブロは、一年前の記事を示してくるので、いつまでも、忘れないで、記事を修正再録することが出来ます。今回、多くはありませんが、ところどころ、加筆修正しています。
 
16. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:19
「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
 」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。
 
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
 
新約聖書を通読だって疑わしいですね。
マタイによる福音書の初めのイエス・キリストの系図について書いてあることすら読んではいないでしょう。
ルカによる福音書にも系図が書いてありますが、その違いは分かりますか?
読んでいても、その人物がどこで登場し、どのような人物であるかもほとんど知らないでしょう。
その系図は福音の告知であり、宣言なのです。
 
シャロームは、自身の聖書についての無理解を棚に上げて、私の読書を、聖書について、疑っています。もう一度、書いておきます。私は、確かに、読書障害の傾向があります。読むということに疲労を伴い、かつ、時間がかかります。
 
それで、新約聖書は一度通読、旧約聖書は全部読んではおらず、あとは、折に触れて拾い読みをしています。それで、癒しを得たのだから、恐らく、この読み方のまま、生涯を終えるでしょう。
 
このように、シャロームは、心温まる話よりも、系図という形式と名前にこだわるのでしょう。シャロームの血筋には何の関係もない系図に。自分の血筋を憎んでいるのか。
 
そして、シャロームは、聖書が伝えている、いちばん大切な人間の心を損なってきました。それだけでなく、他者の心まで、自説の妄想によって、損なってきたし、損なっているのです。
 
告知と宣言を受け取っても、心が無いために、キリストの洞察力と共感力という恵みの福音を無にして、説得力も温もりもない解釈で、目をつり上げるかのように、豪語するシャローム。こういう豪語こそが、キリスト者でも牧師でもない嘘吐きの偽善の自己正当化の証拠となってきました。
 
シャロームのように、系図が福音の告知で宣言だと言うのは、戒律を守ることが信仰だと言うところのパリサイ人などの形式主義・教条主義と同じ方向です。言葉に対応する心が無いのです。
 
名前、条文、戒律、という言葉だけで、決まったかのように頷き、一方、言葉から、心を受け取ろうとする姿勢を全く持たないので、結局、心の問題に何の反応も出来なくなってゆきます。シャロームは、その典型例であることを、自ら表しているのです。
 
信仰が教条主義や形式主義や戒律主義に陥ってはいけない、ということを、聖書とキリストの言葉は伝えているのに、真逆の方向へ、誇大的に強調する羽目になっているのが、シャロームなのです。
 
そういう逆方向に向かうシャロームの系図話には、偽善の告知と宣言に、いったい誰の名前があるのでしょうか。シャロームが言っていたところの古い日本教の、どこかの村社会の、誰かを村八分にした者の名前でしょうか。それとも、シャロームみたいな自分教の因習に、逆らう誰かを、頷きを刷り込まれた者たちとともに、人知れず葬った者の名前でしょうか。
 
心と、系図と、どちらを大事に、大切に思うでしょう。私は、心のほうです。
 
人によっては、系図も大事と思う人はいるでしょう。しかし、系図を、先人を、大切に思うのは、他でもない、心なのです。心を無視するところには、系図も、先人も、ただの文字列の形式、または、おまじないに過ぎなくなります。
 
こう書けば、すぐ貶めるとか、責めるとか書いておられますが・・・つじつまを合わせるために、あなたの書いておられることにはどこを読んでも虚言癖のオンパレードです。
虚言癖の原因?についてはご存知でしょう。
思い当たりませんか?
 
つじつまを合わせる、虚言癖、いずれも、私が、シャロームを批判するために書いた言葉です。また、人の言葉を使って、シャロームは根拠を示せないから、嘘だとバレる。
 
そして、また、妄想を語り始める、原因?、思い当たりませんか?と。これは、シャロームの、偽善と背教の原因が、人格の破壊としか言いようがない、という根拠になります。
 
無関係な楽山さんや易坊さんの名前を出して、事実無根の人格否定し、誹謗中傷をして・・・
おふたりは私の仲間ではありませんが、そんなに仲間が嫌いなのですか?それともひとりも仲間がいないのがそんなに寂しいのですか?
 
楽山と易坊はシャロームの味方をしました。易坊たるや、シャロームとともにコメント欄を荒らしました。どこが無関係なのだ。悪意に満ちた揶揄であります。
 
偽善者シャロームと一緒に、私のヤフーブログに罵詈雑言を書き込んだ易坊は荒らしであり、楽山の執拗なキリスト教いびりのボンヤリ言語はごまかしで、シャロームもベースは同類の荒らしだと思うので、成りすましを疑い、かつ、楽山やシャロームなどの"易坊類"と呼んでいるのです。それぞれ、信仰を破壊する悪意と憎しみのルサンチマンです。
 
ルサンチマン:弱者に募る怨念。嫉妬に根差すとも、負け犬根性とも。
 
> 一人ぐらい仲間と言えるような人があってもいいですね。
 
前から言ってきたのに、私が、シャロームの、仲間、お仲間、と言うとき、皮肉を込めていることが分からないのでしょうか。本当の仲間ではない。成りすましか、イエスマン同士か、親族か、など。
 
過去の文脈を全く追わず把握しないまま、まだ問うてくる、まだ勧めてくる、まだ正しいつもりでいる、そういうことが出来てしまう心性、ただ言うだけの一方向、原始的反応の罵って返す、嘘吐いて返す、実に、気持ち悪い。
 
 
17. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:39
「困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが・・・」
 」
あなたが自分の不安や恐れ、悲しみ・・・の原因として、正直に「わたし」「トラウマ」という記事をブログに書いて、公にしておられることですね。
単に記事の引用であれば、あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね。
 
私の記事「わたし」「トラウマ」は、ここでは関係ありません。兄と母を出してきたことを言っているのです。シャロームの極めて無礼な言いがかりです。あるいは、わざと的を逸らしているのでしょうか。
 
シャロームコメント3「お兄さんにもお母さんにも」
なぜ、お姉さんじゃなくて、お兄さん?、お父さんじゃなくて、お母さん?、知っているのか。昔、言ったことがあるのかもしれません。
 
そうか、シャロームは、私の記事「わたし」「トラウマ」を読んだから、兄と母のことを書いているのでしょう。読んでるぞ、都合の悪い話・・と暗に脅しているのです。
 
シャロームという人に迂闊に打ち明け話をして相談していると、のちに、シャロームに背いたとき、どうなるか、ということが、ここに表れています。
 
罪と偽善の重さが全然わからないシャロームらしいコメントです。兄と母を出す必要など、どこにもないのです。
 
ひっそり書いていた私の個人情報をさらして、批判返しになると思っている。こういうことを平気でするのは、批判と悪口の区別が出来ない人で、罪悪感がなく、侮辱したいだけの荒らし根性なのです。
 
単なる記事の引用ではないから、その悪意を、シャロームの俗悪なる所業として、さらに批判を書くことになるわけです。こういう、批判の動機と題材を、惜しみなく提供してくるのが、罪悪感も羞恥心もないシャロームという男なのです。
 
「あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね」・・引用の数を比較して、少ないほうの勝ち!、とでも言いたいのでしょうか。みじめだ、シャローム・・
 
批判のために引用するのです。数ではなく、どこに根拠を求めているか、その根拠を、自分でどう理解し得ているか、ということです。
 
シャロームは、考えもせず、言葉という形を鵜呑みにして、聖書を、子どもの、お伽噺に、おとしめています。現実から乖離しています。ゆえに、初歩的な勘違いから妄想になっています。
 
さらに、シャロームは、それを、金科玉条のごとく、つまり、お伽噺を、そのまま、押し出して、信仰を語ったつもりでいるのです。成長がなくなり、心がなくなると、そういう妄想世界にどっぷり浸かってしまうようになるのでしょう。
 
シャロームが使徒信条を引用したのは、自分で何も言えなくなったから、信じてもいないし、罪を認めず悔い改めないことで真っ向から背いている権威を、この時だけ利用するわけです。
 
これは、詐欺師の手口でしかありません。シャロームの言語は・・こんな権威ある偉い先生がおっしゃっているんだから間違いはないですよ私を信じてください(隠して、エヘヘ)・・というのに、よく当てはまるパターンでしょう。
 
まさしく、前に書いた、シャロームの、意地悪な嘲笑のエヘヘ言語とでも呼ぶべきもの。ちなみに、楽山のボンヤリ言語、易坊の問い詰め言語とも書きました。シャロームは、神も、キリストも、信じるどころか、名称の文字列として、好きなように、自己正当化に使っているだけなのです。
 
 
詐欺

詐欺(さぎ)
 
 
(2019年12月08日)
(2021年01月06日、若干加筆)
 
 
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  嘘と偽善の虚無(4)2
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   過去記事+です。
 
 
私に対して、ありがとうございました、から、ゴミに埋もれた、まで、僅か一日で豹変するシャロームですが、慣れています。シャロームは、断末魔なのですから。
 
1. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:38
「だから、これは、死より三日後、つまり、二千年前のことです。このような蘇りを含めた肉体の奇跡が、現代において、少なくとも、めったに起こらない現実を考えれば、肉体の復活にこだわって、シャロームのような妄想信条に陥ることのほうが、はるかに信仰にとって有害であることは、火を見るより明らかです。」
 」
パウロは生前のイエスさまを知りません。
しかし、自分自身でよみがえられたイエス・キリストと出会ってのち、パウロは自分はパリサイ人としてすでに聖書を知っていたと思っていた旧約聖書を繰り返し、読み直し、精読し、そのイエスさまが旧約聖書で預言者たちによって、また自分が迫害しているまた弟子たちによって、神がイスラエルの民に約束された、すべての人の罪とその支配、呪いからの救い主であることを確認、確証したのです。あなたは読書障害のために、碌に聖書を読んでおられないでしょう。
 
聖書から、何一つ良いものを受け取っていないのは、楽山やシャロームなどの易坊類です。
 
前のコメントで、ありがとう、と言って、今回は、ろくに聖書を読んでいないと罵る、これが、シャロームの常道です。人格が壊れているために、統合も一貫性もなく、何も覚えておらず、初めてのように、けなし始めました。廃人コースを行くシャローム。
 
パウロは、読み直し、精読し、・・は、したでしょう。そして、キリスト教の教理のベースを整えたのでしょう。それを、踏みにじっているのが、あなたシャロームです。
 
罪の支配、呪い、キリストの確認・確証よりも、嘘のほうに確定的に染まったのが、あなたシャロームです。おとしめて、罵って、一方では、豪語する、その醜さを、未だに悟らないとは、みじめです。
 
>wikiで拾い読みはしておられるでしょう。
 
私については、新約聖書は、通読したことがあると、前に書きましたが、そもそも、読書量で、信仰は語れないと、よく分かるのが、聖句や使徒信条など引用して、豪語しながら、180度間違っているあなたシャロームです。
 
恐ろしいほどの無知と無恥で、恐ろしいほどのバタ狂いの大仰な言葉、滑稽です。やはり、あなたは、ゾンビになってゆくのでしょう。恐ろしいことです。神に背く罪だけではなく、神に背いておきながら悔い改めず、意地と執念だけが残るヒト型動物の末路は。
 
イエス・キリストは時間と空間を超えた私たちすべての人の救いを十字架の死とよみがえりによって成就し、その証言者、助け主として聖霊を注ぎ、弟子たちから始まり、2000年前も現在も証ししておられるのです。イエスさまのよみがえりを信じないと拒んでいたトマスもよみがえられたイエスさまと再会した時、わが主、わが神よと信仰を告白しているのです。
 
きれいごとを、あなたが、いくら言っても、もはや通用しません。豪語、豪語、讃美、讃美であなたに騙されていた昔は、過ぎ去っています。あなたは、今、偶像よりも、命がないのです。だから、あなたシャロームは、もはや、命があるかのように豪語して、墓穴を掘って、墓石を削ってゆくしかないのです。
 
あなたシャロームは、キリストの存在の欠片も証しできないで、妄想の中の偶像にしがみつき、今、盛んに唾を飛ばして命のない讃美言葉を吐いているのです。時間と空間を超えた、二千年前も現在も証ししているキリストが、惜しみなく、悔い改めの恵みを与えてくださるのに、どうして、あなたには、墓穴でしかない妄想となるのでしょう。どうして石投げに過ぎないような讃美の豪語しか出来なくなったのでしょう。
 
2. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:40
イエス・キリストのからだの蘇りはイエスキリストの十字架の死が、その流された罪なき神の御子イエスの血が私たちの罪のあがないのためであり、その成就であることを神が証ししてくださった証印なのです。ですから、人間の知性や、理性や経験ではわからないことであっても、神の確かな証印、御業なのです。
 
信仰は、人間を人間らしくしてくれます。なのに、どうして、あなたシャロームは、どんどん、妄想狂となり、心に響く言葉の欠片も表せなくなり、神についても、認め印を求めるが、愛と寛容を知らず、人間性の良心からも、理性と経験からも、どんどん、離れて、泡吹く偶像のひび割れの醜い地獄だけを悪臭とともに表すようになったのでしょう。認め印を信じて、浮かれ騒ぎ、心をないがしろにしてきた報いなのです。流涎気泡だらけの讃美、それがあなたシャロームです。
 
だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することができないと使徒パウロは書いています。
 
その聖霊を、有無を言わさぬ魔法のようにしか考えず、そう決めつけて、キリストを主と告白したつもりで、実際は、信仰に大切な悔い改めを否定して、罪をも認めずに、使徒パウロを引用しても、総て、あなたシャロームの裏切りを想起かつ確定させるものにしかなっていないのは、あなたシャロームが悪霊信仰に堕ちている現れなのです。
 
助け主であられる聖霊の注ぎはバプテスマのヨハネや生前のイエスさまが繰り返し弟子たちに約束しておられたことであり、よみがえられたイエスさまが弟子たちに約束されたことでもあり、エレミヤ、エゼキエル、またヨエルやゼカリヤなどの預言者も予言していたことでもあります。
 
大仰に聖書の預言者の名前を並べても、それしか出来ないシャロームの、行き詰まりの背教を浮き彫りにするだけなのですが、それをも、悟らないのは、大事な信仰の絆のようなものが、人間にはあって、信仰者には確かにあって、あなたシャロームには全くないからでしょう。
 
あなたは全聖書を一度読んだと言っておられますが、たとえ、読まれたとしても、まったくあなたの信仰の土台となっていないことは明らかです。それはあなたの人としての正直さ?を土台とした自分という人間信仰でしかないのです。
 
信仰は、人間としての正直さを土台としていないというのでしょうか。シャロームのように人間としての嘘つきが救われた話があったでしょうか。罪を認めず悔い改めもしない者が救われたでしょうか。
 
信仰は、人間信仰ではなく、ましてや、自分信仰ではなく、正直を土台としなければ、神への信仰は成り立ちはしないのです。
 
あなたシャロームは、神の前に、嘘を吐いて、救われるとでも思っているのでしょうか。
 
全聖書は読んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。もう、既に、とんでもなく、外れたことを言いまくっている自覚のないシャロームですが。
 
神の前の正直さを失って、どうして、神が人を救うというのでしょう。神は騙され屋のマゾヒストではありませんよ。神の前の、を省略して、ごまかしている大冒涜シャローム。
 
キリストは、人間らしい弱さを自覚する人々を救いました。
 
シャロームの信仰?は、人間を無視した、人間性を欠いた、人間離れの、超常の魔術的妄想に過ぎません。
 
全聖書によって神ご自身がその言葉と御業によって証明された出来事を人としてわからないから、わからないと片付けてしまっては神のみ言葉と御業であるイエスさまを信じる信仰は成り立たないでしょう。
 
分からないものを、分かったと偽って、それが信仰だと言っているシャロームの正体が、今、シャロームの言葉によって、明らかになりました。
 
シャロームの信仰は、自分が捏造した嘘を信じ込む信仰?のようです。だから、人間らしさが、どんどん消えてゆきます。超常に成り上がる信仰?は、カルト的妄想と言うのです。
 
ですから、だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することは出来ないとパウロが書いているのはそのためです。
その聖霊に対する信仰もあなたにはないのですから当然の結果です。
 
聖霊?によって?嘘を吐いてきたシャロームの信仰は、隅から隅まで、けがされていて、その口から出るものは、交わる人という人の信仰をけがしてゆくのです。つまり、聖霊ではなく、悪霊ということにしかならないでしょう。
 
口から出るものが人をけがす、その通りになっています。
 
聖霊、聖霊と、あなたシャロームが言えば言うほど、悔い改めない報いとして、悪霊が、あなたの顔をして、ニヤニヤ笑わせているのです。汚す者は、教えてはならない。
 
3. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:41
パウロはイエス・キリストを救い主と信じる人々の群れである教会を迫害していましたが、よみがえられたイエスさまから、あなたが迫害しているのは私(イエス)であると言われています。
教会は決して昔も現在も宗教組織、制度を意味してはいませんが、
聖霊によってイエスは主であるという信仰告白を共有している交わり、群なのです。その交わりを否定することはかつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)の姿ということです。
しかし、その迫害者サウロを使徒パウロと新たにされたのは生けるよみがえられたイエス・キリストの恵みの御業です。
 
私は、教会を否定してはいませんが、また、いつもの嘘による悪い印象操作ですか。
 
あなたシャロームは、人のことを、とやかく、言っているときではないのです。あなたシャロームの安穏の風呂釜は割れて、讃美言葉は酸味に溢れ、聖書の中の名前を、あなたシャロームが口にするたびに、イエスが主である信仰告白を、罪を認めず悔い改めないシャロームが、いかに裏切ってきたか、裏切っているか、裏切り続けているか、何度も何度も、語られることになるでしょう。
 
かつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)は、悔い改めて、使徒パウロになりましたが、かつても今も迫害者シャロームは、悔い改めず、今も、迫害者シャロームのまま、大きなことを口でだけ、言葉だけ、おめいているのです。
 
イエスさまが死人の中からよみがえられ、注がれた聖霊の助け、導きによらなければ、誰もイエスは主であるとの信仰を告白することは出来ないのです。これが神による魂の奇跡なのです。
あなたはこの奇跡を体験し、その信仰によって生かされていますか?
 
聖霊に助けられている者が、嘘を吐き、罪を認めないでいられるような、キリスト信仰は、存在しません。
 
あなたシャロームに言われて、私が信仰告白する必要を、微塵も感じていません。そういうことは、前から言ってきたのに、今も問い詰めようとするシャロームの獣性と鈍麻性が怖い。
 
神の国は言葉にあらず力である、とも使徒パウロは書いていますが、
st5402さんあなたはあふれるばかりの魂の奇跡を体験し、言葉だけではない神の国を知っておられますか。
 
言葉だけではない神の国と信仰をどう考えるかを書いてきたのですが、それを、言葉だけのシャロームに問い詰められるとは、いかに、シャロームに、魂の奇跡が起こっていないかが表れているのです。
 
もし、そうであれば、お兄さんにもお母さんにも、あなたのあふれるばかりの魂の奇跡の一端を証ししてください。
 
困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが、あふれるばかりの、これが当てつけであることは、あなたシャロームの文章をいっぱい見てきましたから、気づきます。
 
そして、言います。余計なお世話です。素っ裸の王様、悪霊と偶像の泡吹き法師、そして、聖霊と神とキリストの前の、嘘吐きの、テキ屋教祖シャローム。
 
お母さんを迎えるためにも、そろそろ片付けが必要ではありませんか?
人間の手作りのゴミに埋もれたままこの年の歩みも終わられますか?
yahooブログとのお別れはあと10日ですね。
よみがえられたイエスさまと出会い、迫害者サウロは、見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのであると使徒パウロと変えられ書いています。それはパウロにとってパソコンはありませんでしたが、仮想現実、バーチャル・リアリティではありませんでした。
その言葉はあなたの魂の奇跡にも当てはまりますか?
 
いつも、褒め言葉と、余計なお世話で、ごまかすシャロームです。
 
神の手作りのものを、裏切り続けてゴミに埋もれた言葉も、画一的な聖書語と丁寧語とうわごとになっているシャロームです。
 
古いものは、使えないなら、過ぎ去るでしょう。邪悪なものは、神の手で裁かれる前に、自ら、消え失せるでしょう。あなたシャロームは、あなたシャロームの妄想とともに。
 
シャロームが、ネットというバーチャルな世界を悪用して書いているのは、嘘と妄想ばかりで、現実の問題について、何の解決にもならず、何の癒しにも救いにもならないことです。シャロームが書かなくなったら、どんなにか、危険が減ることでしょう。
 
人それぞれではありますが、その奇跡、変心、変身は
あなたにも与えられる神の恵みです。
ハレルヤ!
shalom!
 
説明もせず、変心、変身が、神の恵みなのだそうです。何も受け取っていないから、褒めればいいという白々しい嘘の讃美言葉になります。
 
この白々しい讃美言葉を、聞かされるようになってから、十数年、批判し始めてから、約10年、何も変わっていない、何も進歩が無い、何も知恵がない、何も悔い改めていないシャローム、臭みが増し、暗黒が増し、嘘が積み重ねられ、偽善がくるくる回り、讃美言葉が空回り、胃液が巡り、反吐が迸り、血が滞り、同語反復と常同行為と無節操排泄だけとなったシャローム、どこまでも地獄しか表せないPVであります。
 
 
へんしつ

変質
 
 
(2019年12月15日)
(2021年01月05日、加筆して再録、さらに加筆)
 
 
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  背教の繰り言2
 
   私の「神の与える益」コメント欄
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、コメント欄を一部編集しています。
   さらに偽善の典型として、過去記事再録+です。
 
 
シャロームは、根拠を示せず、批判を否定する言葉だけ、つまり、繰り言ばかり書いています。典型的な偽善者の例として、加筆して再録します。さらに、みにくい言い訳の嘘を、見抜かなければなりません。
 
1. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:46
「シャロームは何をしてきたかと言うと、
 1.罪と認めず、悔い改めをしない、という、キリスト信仰とは真逆な信条、
 2.1を批判し、おかしいと指摘すると、悔い改めは神が与える(だから今はしない)などと言う言い訳。
 3.さらには、人間の自由意志を、聖霊による自由意志とは違う、という詭弁。聖霊を知っているかのように、自分を神格化しているだけです。
 4.おびただしい偽の解釈と、詭弁だけでなく、平気で嘘を吐く、でっち上げの作り話で、批判者をおとしめる、など、悪意だけが明らかになってきたのです。」
 」
わたしに対するすべての評価全く的外れではありますが、
 
シャロームが決めつけは、根拠を示せないから反論になっていないです。
 
>ありがとうございます。
 
これが、典型的な、的外れ、常識的な感受性の欠落です。
状況を弁えず、丁寧な挨拶をすればよいと思っている。
 
st5402さんのブログ記事からご家族、ご親族の病気に根差した不安と不信や怒り、悲しみに根差した不安、不信、怒り、悲しみ・・・などがst5402さんの 固定的な妄想となり、他の人に対する関係や理解理解も妄想による怒りや不信を駆り立てて的外れになり、その評価も、推測も.歪められているようです。
 
個人情報をバラしたい、または、バラすぞという脅し。
 
「悲しみに根差した」を付けて、安易に、感情の言葉をいじくっているようだが、不安、不信、怒りは、悲しみ(?)ではありません。特に、あなたシャロームは、悲しみではなく、あざ笑いと怒りしか、表したことがないのです。
 
なにさまか、わたしのじじょうをしりもせず、びょうりのせつめい、つくりばなしの
 
罵詈雑言使わなければ冷静、ということにはなりません。
丁寧なぶん、偽善性の高い暴虐であります。
 
内なる妄想による怒り、悲しみを解消するために、敵意を他者に投影して、いくら怒りをぶっつけても、内なる怒り、悲しみははますます固定化されてしまうでしょう。敵は本能寺にありです。
 
煩悩寺シャローム、あなたは、無根拠に人をおとしめる悪魔の自己中神です。内なる妄想を外に及ぼさないでください。
 
2. st5402さん おはようございます
 2019年11月27日 12:47
イエスさまを十字架につけたひとの敵意、憎しみ、悲しみは
私たちすべての人が例外なく抱えている敵意、悲しみのようです。
 
嘘です。悲しみは殆どの人が経験しますが、敵意、憎しみになるのは、悲しみからではなく、自己正当化をする者たちの場合です。
 
あなたシャロームには、悲しみを感じる心が無い。悪意、敵意、怨念、憎しみだけに溢れて、攻撃しているのです。そして、罪悪感がないから、執拗に続けているのです。
 
あなたシャロームは、人間というものが、全然わかっていない。にもかかわらず、自己顕示欲で、語ることを止めないのは、ホラーです。
 
オウム返しの、私と同じ言葉を出してこちらに向けても、通用しない。根拠にならないから。
 
持って行き所のない、だれかにぶつけずにはいられない私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃によって十字架に釘付けられたのです。
 
大方の人は、無関心だったし、今も無関心だと思います。
怨念の刃は、あなたシャロームと同類のパリサイ人です。あなたは、現代のパリサイ人です。
 
私たちの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 
今も、イエスさまは私たちの怒り、悲しみ、怨念の刃を黙ってその身に受けて下さり、“父よ、彼をおゆるし下さい。彼らはなにをしているのかわからずにしているのですから”と祈っておられます。
 
彼らの中に、あなたシャロームは自分を含めていないでしょう。
それが、あなたシャロームの悪魔性です。
 
十字架につけられたイエス差(様と訂正)と出会うことによってのみ、私や、あなたを苦しめている怒り、悲しみから癒し、解放してくださるのです。
イエス様のみが私たちの心の妄想、罪から解放してくださいます。
 
あなたは、キリストを信じていないから、解放されないで、今も、シンバルを叩き、ホラ貝を吹き鳴らしています。どこまで、堕ちるつもりなのでしょう。
 
本日の一日畜尿や今日の血液検査により腎臓内科の診断は健康優良児?ですとのことでした。めでたし!めでたし!
shalom!
 
あなたシャロームの繰り言はたくさんです。検査が正常で自分は大丈夫だと当てつけてくる気持ちの悪さ。ここに、排尿しないでください。あなたの血は、ばい菌だらけです。涙が出たら老化です。公共の真実追求の場をけがさないように。
 
 
  病的説教
  コメント欄:シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
1. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 09:10
 「与えられて初めて、与えられる」・・何を言ってるんですか。
 表せないんだったら、書かないことです。
 」
st5402さん
申し訳ありません。ちょっとわかりにくい書き方でしたね。
st5402さんはやはり、文章校正が上手ですね。
もっと良い書き方であれば、
「私たちは自分で持っていないものを人に与えることは出来ない」ように、「神に対する悔い改めは神がおられ、その神から自分が愛されていることを知らされ、その愛を体験することによってはじめて、神に対して自分の罪を悔い改めることができます」ということですが、わかりやすいでしょうか。
 
急に低姿勢になったようだが、あなたシャロームの言っていることは、神が悔い改めを与えるとは言いません。わかりにくいのではなく、嘘なのです。あなたシャロームは、悔い改めは神が与える、ということを否定して、修正しなければなりません。ここにきて、保身の言い訳、見苦しいだけです。
 
あなたシャロームは、悔い改めは神が与えると言って、悔い改めていないわけです。今まで、悔い改めていないことが、いたるところに表れているあなたシャロームが、「悔い改めることができます」と、またしても、いつものように、他者に教えるような筆致で書いてきても、ならOKですよ、となるわけがないでしょう。あなたシャロームの悔い改めが、何も伝わって来ないのですから。
 
つまり、自分は今まで神がおられ、自分を愛しておられることも知らずに、神に対する不信仰の罪によって、まるで自分が神であるかのように、善悪の木の実を食べて、善悪の剣を振りかざし、神をも人をも裁き、神のようなものとして生きていた自分の過ちに気づき、神と人に対する罪を認めてはじめて神と人に悔い改めることができますではいかがでしょうか。わかりやすいでしょうか。
ありがとうございました!
shalom!
 
低姿勢で良さそうなことを言葉面だけで整えたつもりで書いて「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、良さそうにして、めでたし、めでたし、ではありません。偽りの信仰者の、嘘は、捏造した中身の軽さによって、バレるのです。
 
自分の「神と人に対する罪」を認めたことのないシャロームが保身のために書いただけの教義的な言葉など、何の意味もありません。
 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、妄想、詭弁、自己中心、失言、などを認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。それが出来るまで、あなたシャロームは反キリスト・反信仰者です。
 
5. shalomです。 お久しぶりです。
 2019年11月29日 10:23
「ではいかがでしょうか」ではなく、今までは、間違えていたのです。ここで、言い方だけ変えて、わかりやすくなって、めでたし、めでたし、ではありません。 
あなたシャロームは、神と人に対する罪、すなわち、今までの、誤謬、嘘、詭弁、自己中心、を認めて、訂正し、悔い改めなければなりません。
それが出来るまで、ここには書かないように。
 」
残念ながらお分かりではないようですね。
なぜでしょう?
それはあなたが神がおられることも、神にご自分が愛されていることを
まだ知り、体験しておられないからでしょうね。
自分の思いこみ、妄想を正当化するために、イエスさまを利用しておられるようですね。
またお訪ねします。
shalom!
 
そんなことだろうと思っていました。あなたシャロームは根腐れだから。
言ったのに、また、私の言ったことを、オウム返しで、私に向けています。
まるで、なかなか取れない口臭のようです。
 
このあと、《シャロームの背教》を載せています。何度も載せることになるでしょう。
 
 
8. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 17:49
口語訳 ロマ
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
st5402さんの聖書にはありませんか?
だれも神の導き、助けがなければ悔い改めることは出来ないのです。
これは口語訳聖書ですが、st5402さんがどんなに校正、翻訳が上手でもst5402訳聖書ではありません。
shalom!
 
導きがあれば、悔い改めているはずですね。言ってることが、まるごと、矛盾です。
 
自分が、まるで、神の助けを得ているかのような言い方ですが、神をずっと裏切り続けているあなたシャロームだから、今までのことを恐れもせずに、言えるのでしょう。
神をどれだけ冒涜すれば気が済むのでしょう。
 
あなたシャロームが、いかに恥を知らないかが、表れています。恐ろしいことです。
 
 
   《シャロームの背教》
 
これからも、しばしば載せることになるでしょう。このシャロームのお仲間で、無条件賛同をしているのが、楽山です。個人~集団のカルトを考えるべきでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
シャロームの2つの発言は、悔い改めなくてもいい、悔い改めは必要、という矛盾を来たしています。さらに、悔い改めなくていい、というのは、キリスト信仰とは、真逆であります。さらに、悔い改めを神が与える、というのは、自分はしなくてもいい、という詭弁です。メチャクチャなのです。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
 
さらに、シャロームの言には、さらなる自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになるのです。
 
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神に対して、正直に罪を告白し祈ることです。
 
すでに、シャロームの信仰が偽物であることは、十年にわたって、数々の嘘と妄想と詭弁と失言を指摘することによって、証明されたと言ってよいレベルだと思います。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:4、新約聖書)
 
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語して、はばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、シャロームは、無視して、とぼけていますから、これから、シャロームの発言を"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 
 
偽者

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(2019年11月30日)
(2021年01月04日、再録+、同日一部修正)
 
 
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